さらに「そう言って子供が増えることはない」と発言を批判した野田聖子女性活躍担当相に対し、「あながち当たっていないんじゃないか」と反論した。以上より引用
しっかしこの女性活躍担当相と云うのは一体何なのでしょうか?
余りにもアホらしい閣僚名で其処はまさに笑うに笑えないところだ。
はて何でこんなに低レヴェルでバカみたいになって来たのでしょう、此の世の中の何もかもが。
わたくしは其処に根深い問題が横たわるとさう見て来て居ります。
其れは戦後民主主義に於ける欺瞞と破壊ー精神の破壊ーが齎すものである。
国家としての主体性を欠いた意思決定の流れがインテリや大衆を問わずかの国の精神を蝕んで来て居る。
さう云うと完全に右のやうな物言いですが、わたくしにとってはむしろ右や左と云う基準はどうでもよろしいことです。
そんなことではなくして、ただまともかまともでないかと云う事が、即ち精神が普通か普通でないかと云う事のみが問題として感ぜられて来て居るのです。
ハッキリ言ってわたくしは日本国の精神はもはやまともではない、もはや気が狂って居るのではないかとの虞を大きく抱いて居ります。
そして其れは多分に事実である筈です。
わたくしが示して居るのは其の事実を白日の下に曝け出すと云うまさに嫌らしいノンフィクション作家のやうなことであり、其れでもって実はわたくしの気はまるで晴れない訳ですがそうかと云って他に何か取り柄がある訳でもなく、実際ネチネチと嫌らしいことを言って居る事こそが何やら無上の喜びのやうになって仕舞ひ其れで其の嫌らしい悪魔のやうな性質から日々言いたひことをば言って居る次第です。
ネチネチ詩人、其れもまるでもう黒猫のやうに嫌らしい世紀末詩人として我はこのやうに日本国の現状を糾弾し続けていく。
で、出産につひてですがそんなもの今十人も子が居たらえらいことになって仕舞います。
勿論二人でも苦しいです。
むしろ子が無い方がハッキリ言ってより幸せです。
パートナーとだけ共に老後を過ごすと云うあり方こそが理想でしょう。
ひとつには日本型の終身雇用制が崩壊して来て居ります。
尚是は明らかにグローバリズムからの流れです。
グローバリズム=経済領域に於ける合理化の極致のことです。
グローバリズムとは米国と云う特殊な革新的政治状況から生まれた欲望に対する矛盾領域です。
さて問題は、何故日本国がこれほど容易に其の米国流の急進的改革主義に乗じて仕舞ったかと云う事だ。
其れはズバリ日本の精神文化の流れの上での断絶から齎されたと申すほかはない。
勿論其処には様々な止むを得ない流れもあったことでしょうが、矢張り大前提として戦後民主主義としての日本国に於ける政治的な主体性の欠如から齎されて居るだらうことが明らかだ。
即ち戦後体制の失敗と云う事です。
戦後体制は日本国に繁栄を齎しましたが同時に最も大事なものを根こそぎ破壊するに至った。
何かと云えば其れが日本の精神です。
が、わたくしは単なる右翼ではなく天皇制の存続だの国体の護持だのと云った論理にはまるで興味が無い。
謂わばさうした幼稚園児でも分かる範囲での精神の流れ、至極当然の文化や伝統の踏襲と云った流れが崩壊していくからこその精神の乱れなのです。
勿論宗教観に於いてもまた然りです。
今日本では肝心の大乗仏教に元気が無い。
元気が無いどころか、三十年後には或は滅んで居るのではないだろうか。
これはマズいですよー、ほんたうのほんたうに。
儒教的な価値観の崩壊と共に決してあってはならないことなのです。
ただしまあ神道に限れば滅びません。
神道は宗教でもなく道徳律でもないのです。
日本人と云うのは、色んな精神が集うところでの元々訳の分からぬ精神性の持ち主ですがちゃんと其の流れだけは持ち合わせて居ました。
高度経済成長の前位までは持っていましたね、其れも確りと其れを保持して居た。
ところが今世紀に入ってからは酷い破壊を経験して来て居ます。
精神の破壊=経済に於ける破壊でもあり、まさにいつのまにやら日本国はもはや儲けは出ないわ、子は居ないわ、さらに派遣社員ばかりで結婚出来ないと云うまさにまさに異常な社会を現出せしめるに至った。
尚其れと共に平等と云ふ名の元での女性による売春やエロ動画の垂れ流し状態が現出せしめて来て居る。
無論のことジジイはそんなものを金輪際見て居てはいけない。
我ももう見るのを止めたい。
来年還暦を迎えた時点で即座にやめる。
真面目な話、もはや滅茶苦茶です。
だから将来と云う価値観はもはや此の国には期待できない。
其のやうな現実を齎したものとは何か?
其れは結局精神です。
日本人としての精神が地に落ちたと云う事だ。
第一こんな不倫や売春が野放しの國なんて他にあるのでしょうか。
ところで真面目な筈の日本人は何故かHなことが大好きですね。
で其れは以前に申しました如くに精神的にさうした逸脱を縛ることが出来なかったからなのです。
其のやうに一種の精神的な空白の上に花開いたのが戦後日本の経済的繁栄でした。
ですが其れはまさにとんでもない毒花だった訳です。
つまりは自国の心と引き替えにした経済的な大儲けだった訳です。
いざそうなれば、もはや心がバラバラなのに儲けつまり金だけがバラ撒かれ刹那主義的な快楽の追求へと走ることとなる。
其れが例のバブル崩壊の直前のことでした。
構造改革は、マルクス主義思想の解釈から生まれたものであるが、現在は、構造改革の系譜にある政治家・研究者の大半にマルクス主義との影響や関係はほとんどみられない。その背景には、1960-1970年の日本では、左派政党のマルクス主義を擁護する立場から、議会主義的な政治変革が必要とする立場を説明づける理論として広がり利用されてきたため、マルクス主義的な革命・改革が説得力を失った後には、構造改革の現実的な改革的理論のみが残存し、活用されている。
2001年以降は保守政党であるはずの自由民主党の党総裁小泉純一郎がスローガンとして構造改革を引用・アレンジ[要出典]して聖域なき構造改革を唱え、さまざまな分野の変革を行っている。この時、構造改革とはマニフェストと共に、マルクス主義用語であるという紹介もなされている。
詳細は「聖域なき構造改革」を参照 以上より引用
尚構造改革と云うのは元々左翼改革のことですね。
革新の流れでのことですから元々保守的な流れでのことではない。
ところがかのキチ外総理小泉 純一郎が矢張りキチ外である改革の理論的親玉としての竹中某と組んで此の聖域なき改革を断行したことにより日本社会をブチ壊すに至った。
第一おまへは左翼か!そもそも何を勘違ひして居るのだ。
他にも色々とキチ外は居ることじゃろうが小泉 純一郎程のキチ外はほかに居らずコイツ程極刑に値することだらう大馬鹿者も居らぬ。
尚A級戦犯の処刑は八つ裂きの刑こそが最も妥当かと思われる。
さてこのやうに日本社会の現状を俯瞰するに、全くもってお先真っ暗で酷い有様だ。
それもこれも、日本の統治機構に於ける意思決定の主体性が欠けて居たと云う事実に起因することばかりだ。
ちゃんと自分で何でもやりなさい。
ちゃんと自分でご飯を食べなさい。
ちゃんと自分で尻を拭きなさい。
ちゃんと自分で学校へ行きなさい。
ちゃんと自分で不倫を阻止しなさい。
ちゃんと自分で責任を取りなさい。
ちゃんと自分で諸のバランスを取りなさい。
ちゃんと自分で進んで処刑されやう。
ちゃんと自分で未来を切り拓こう。
現在の政治の劣化、そして特に今世紀に入って以降雰囲気に流されて悪い選択を繰り返しつつある民主政治の愚民化を招くに至ったのは全てが此の日本の精神の劣化であり破壊なのであります。
其のやうな精神の劣化こそがニヒリズムの状況を現出させます。
よって2020年以降の日本の精神のあり方は甚だ心もとないと言わざるを得ない。
だから右とか左ではむしろ無いのであります。
そうではなく、心に締まりがあるかどうかだけなのです。
心に締まりが無いから、股の方の締まりが無いのです。
心に締まりがあるから、たとへ貧乏でもまたたとへ病に倒れたのだとしても常に晴晴として早寝早起き、親孝行掃除洗濯に勤しむことが出来やう。
心に締まりがあるから、座禅を組み心を虚ろにして東洋の知恵、其の東洋五千年の知恵に思ひを馳せることが出来やう。
そしてくれぐれも危険な領域に心を縛り付けたりしないやうに。
体育館の裏または神社の裏側などで変な行ひをしないやうに。
さらに大儲けして、独りだけ大勝ちしただの、其の金メタルだけをどうしても取りたいと乞ひ願うこと、其のやうな邪悪な心を須らく遮断し宗教と藝術と自然に生きる。
即刻山へ逃げ文明の悪趣に染まらぬやう其処で永遠にお勉強だけしていなくてどうする。
左様どうあろうが地獄には堕ちぬ。
そうだ貧乏も病気もまた孤独も下の不自由も地獄へ堕ちる契機とはなり得ない。
是非宗教へ入り其の事を學ぼう。
されど強欲資本主義は地獄へ堕ちる。
つひでに小泉 純一郎と竹中 平蔵は必ずや地獄へ堕ちる。
だが地獄へ堕ちても未来はある。
未来はあるよ、嫌でも其れはやってくるよ。
其処では保守、まさに其の事の真の意義が問われて居る。
革新などしたくはない、変わりたくない改革からはもう逃げたい。
其れで良い。
其れで良いのだ。
進歩などしなくて良い。
フリーセックスには背を向けて歩め。ー固く股を閉ざしてー
大きいものなんざ見なくて良い。
今此処にある小さい幸せを抱きしめて生きる。
金融経済もAIも全部否定して山に籠ろう。
米国流の革新社会はそも日本社会にそぐわない。
どだいあれだけ銃の乱射が頻発して居る國だ。
そして個人主義でもって競争原理のみで動くまさに血も涙もない社会だ。
日本は武士道でいくから欧米からは聖書の厳しい倫理規定の部分だけを学んで居ればよろしい。
そうだ是非武士道を復活させねばなるまい。
刀の代わりにナイフ又はデカい万年筆を持ち其れを新たな武士道のたましひと成さねばならぬ。