目覚めよ!

文明批判と心の探求と

「株式会社アメリカの日本解体計画」への書評ー弐 禁断の書に就いての総論Ⅱー

屡思うのだけれど社會を批判するか又は其れを論じると云うことはまさに精神的格闘である。

此処を御覧の方々も或いは自分のブログなどでそんな格闘をされて居る方々なのやもしれぬ。

 

ですが自分で言うのも何ですが私は相当に其の批判者としての右翼ですよ。

其れも極右の過激派ですよ。

 

何せかうして世の中は全く上手く行って居ないとさう断じて来て居るのだから。

そんな百%の社會否定は何処にもありはしないですよ。

 

 

なのですが同時に私は非常に穏健な人間です。

故に日本と云う体制は是非維持されて行くべきだとさう考えて居り、のみならず稀有なる日本の自然は半永久的に守られてしかるべきだとさう思って居る。

 

其れが何で革命のことを述べて居たかと言えば實は今現實に其の体制の維持其のものがほぼ完全に矛盾的推進へと陥って居るからなのだ。

其れは日本が倭國として築き上げて来た悠久の歴史の流れ其れ自體が壊れかけて居ると云うことだ。

 

 

正直申せば革命して國が守れるのであれば其れは其れで良いのだとも思う。

何党だらうがもう少しまともな政治をやって貰わねば日本はほんたうに沈没します。

 

勿論短期的にどうかうと云う訳では無いのだが拾、廿年、また参拾年単位で今後日本は大きく変わることだらう節目を迎えて居る。

 

ですが子の無い我に限ればそんなもんむしろどーでもエエのですが。

どうせ宮崎 美子も我もそのうちに子無しで死ぬのですからそんなもんどーならうが知ったことでは無い。

 

特にわたくしの生などは精神的闘争の連続でしたのでもういい加減終わりにしたいと云う気持ちは前からあります。

だから私は今子孫が居ないことを神佛に感謝して居るところだ。

 

 

で、其れではわたくしが何も創らなかったと言えばさうでは無くむしろかうして堅固に築いて来て居ります。

其れも其のオンリーワンとしての自己の世界を。

 

であるからこそ子孫は要らなかった可能性が高くある。

其れでもってわたくしはわたくしを其処に完結させ人間其れ自体を捨てませう。

 

まさに其れで良いのだと今は思う。

 

 

なんですが、日本は果たしてこんな風で良いのでせうか?

まるで✖の塊つまりは✖✖✖と見えるのですがそんなんで果たして大丈夫なのか?

 

さて今回は其の「株式会社アメリカの日本解体計画」に於ける著者堤 未果 - Wikipedia氏と私が日頃持って居る思想との近似点に就き矢張り総論的に述べます。

ズバリ述べて彼女の思想は三島先生がかってお持ちになられて居たものに近いものだらう。

 

但し其処はあくまで女性ですので過激に特攻し日本を変えたいと思って居る訳では無い。

つまり彼女は日本人の考え方其のものを変えるべきだとさう述べて居られる。

 

其の部分が本日本を読み終わり感じた私の感想です。

さうしてまさに其処が素晴らしいと感じました。

 

 

尚私もいつもグタグタと小言ばかりを述べて居りますが其れは余りにも日本の社會が事勿れ主義だからだ。

同時に個としての批判精神には欠けて居る。

 

其れはつまりは自分の頭にて考えること無く謂わば力のある者、其の時々で長いものには巻かれると云った精神的スタンスのことです。

 

また其れは日本が世界でも類稀なる伝統國であることとおそらくは無関係では無い。

しかしながら其の伝統の重さに引き摺られる侭に日本が沈没して行く虞もまた高くある。

 

けれども私はかの五木先生の御意見ではありませんが日本は是非沈没してみるべきでありかえって其れは良いことでありつまりは是非下山するべきものだとさうも考えて居た。

但し其処に少々引っ掛かることが御座りました。

 

 

其れがまさに諸外國との関係性で日本が被るであらう不利益の面です、

例えばグローバリズムにて日本の企業の成長は限界を迎えました。

 

其のグローバリズムにて成功した大企業は今のところTOYOTAのみで其のTOYOTAは昔から非道なる合理化を断行し社員の自殺だの零細の工場の閉鎖だのを積み重ねて来ております。

なのでTOYOTAが独り勝ちするのは其れは当然のことで要するに其処には血も涙も無い儲け主義の権化だからなのだ。

 

ですのでまずは根本的に金儲けは非人道的であると云う其の理を知って置かねばならない。

 

ですがTOYOTAか又は其の関連企業に勤めて居れば生活は保障されるのやもしれません。

例えばNISSANの如き大赤字を公的に補償して行くとなるともう此れは大変なのでいずれ関東は潰れちゃいますよ。

 

関東が潰れると云う事は家康公の遺志が反故にされると云うことですので出来れば其れは避けて頂きたい。

また大阪も潰れてはイケません。何故なら其れでは秀吉公の遺志が潰えると云うことです。

 

要するに家康公と秀吉公の遺志だけはしかと守って置かねばなるまい。

 

 

どだい自民党の言ってることはもう一言も僕の耳には届かないですよ。

其れも誰が言っても同じで自民党を壊してノブナガ党を是非つくるべきだとさう思います。

 

其れもノブナガ党は矢張りと云うべきか尾張人がつくるべきなのだらうか?

 

 

で、わたくしもまた女性的な保守指向をしかと持ち合わせて居ます。

其れは私の複雑なパーソナリティーがさう形成して居るものであり要するに家庭を守ると云う形での非男性的な感覚のことだ。

 

そんな風に私には日常的なものにこそ本質を見る感度があり其れは如何にも両極的な価値として壱方を自覚出来ると云うことだ。

 

結論的に申せば堤氏の論理は其の子宮的感覚に支えられたところでのまさに止むに止まれぬ母性としての日本への心配であり危惧です。

但し其処へ至る迄に彼女は米國で様々な体験を積み重ねさらに政治や経済の仕組みに就き深く勉強された訳だ。

 

よって其の理性としての方向性及び社會に対する批判力其れ自体は至極男性的です。

要するに彼女もまた稀なる精神の上での両性具有者であるのやもしれぬ。

 

 

さうして私はそんな彼女の精神的格闘に対し謝意と同意とを捧げたいと思う。

 

さて問題は米國流の資本主義ー行き過ぎたマネーゲームーにより實際に我が國が被りつつある被害の面です。

 

其の被害は實際には多岐に亘り膨大なものとなって行くことだらう。

ですが其の具体例に就いては次回以降にて語るつもりです。

 

今回は其れを文明規模、歴史規模に拡大し捉えて行くつもりだ。

まず問題として捉えられるのが其の資本主義によるやり過ぎの点ですが其れは資本主義としての社會構造に於ける必然的帰結です。

 

従って其れはマルクス資本論にてほぼ完全に解明されやう点です。

即ちごく簡単に述べれば米國流の抽象的資本主義は我我日本人の生活を成り立たせる為の根本の要素ーライフラインとしての公共財ーの部分までをも商品化ししかも其れでもってしこたま儲けやうとして御座る。

 

しかも其れが政府及びマスコミの大衆の意識操作により其の悪事がまるで見えなくされて仕舞って居ると云うことだ。

で、其処でまず思う事は其れならばむしろ極右の考えでもって最終的には憲法改正し日本國としての自立性を回復し米國の子分で居ることを潔く辞めると云うことです。

 

或は共産主義にでも鞍替えして中國の属國となり日本の國土としての自然を守るかです。

事實北海道だの九州だのの土地が中國人に買い占められて居るとは随分前からネット上に出て居たことです。

 

でも属國ともなれば其の壱部は将来使わせて呉れるのではないかしら。

 

共産主義化することは別に亡國の途では無いと思います。

其処はまさに左翼らしく話し合いにて皇室を継続させて行くこともまた可能な筈です。

何せ左派は基本的に護憲なのですから象徴天皇を廃止する訳にもいかない訳だ。

 

 

かうして共産主義化することは明らかにひとつの日本社會としての手です。

また其れに対し多くの弁護士の方や多くの医師の方や又は多くの教師の方々が賛成して頂けるものと思います。

 

つまりは逆に米國の子分で居ることに此れ迄のやうなメリットが失われて仕舞って居る。

確かに戦後民主制は米國のお蔭でもって主導され日本はまずまず豊かにはなれました。

 

ですが其の豊かさには偏りがあり過ぎ要するにクソ都會の経済成長の為に日本の自然や田舎は搾取、収奪されて来ざるを得なかった。

其れでも何とか國は回っては居たのですが特に21世紀以降其の米國流の資本主義の子分であることの弊害が噴出し實は日本の社會其れ自體が破壊されかかって居る。

 

 

まさに其の点をこそ堤氏は述べて居られます。

此の本ばかりでは無く他の著作でも其のやうに述べられて居るやうだ。日本が売られる (幻冬舎新書) | 堤 未果 |本 | 通販 | Amazon

 

ですが其れではまさに腹を痛めて我が子を産む日本の母親の立場としては許せないことでせう。

なのですが普通🚺には思考力が無いので論理的に其れを批判することなど出来ぬ、もうまるで無理だ。

 

ところが堤氏は理性ー批判精神ーをも兼ね備えた子宮の持ち主だった訳だ。

まさに其れがわたくしの如くに子宮が無いのに子宮思考が出来るやうなものなのであった。

 

うわあー、ヤッパリ両性具有者こそが人間としては完璧だったのだな!

 

 

個人的には兎に角其の米國流の功利主義、利己的金儲け主義を敵と見做したところにこそ堤氏の慧眼があるとさう判断する。

また其れはわたくしのやうな観念的洞察力から得られた結論なのでは無く米國での實體験を重ねられた上からの理論構築なのですから観念的思考よりもより現實的であり全然説得力があります。

 

 

さて普通大衆レヴェルでは米國はあくまで味方だとの認識があらうかと思う。

ですが知識人レヴェルでは其れはさうでは無いことでせう。

 

現に独逸人マルクス・ガブリエル氏などは明らかに思想的に反米です。

またわたくし個人も思想的には反米と言えば反米です。

 

ですが万年筆のコレクターとしてはむしろ親米です。

何故なら米國程万年筆が溢れて居る國は他にありませんのですから。

 

 

さて問題は米國社會に蔓延する功利主義、利己的金儲け主義=合理主義=合理化の流れでのことです。

私は其の合理化、其れも公共財の部分にまでやがては手を伸ばす強欲な儲け主義が地球を壊しさらに社會の存立要件までをも破壊するに至るとさう主張して来ました。

 

また合理化はすべきところとしてはならぬところがあるとも何度も述べて来て居ます。

また最終的には合理化浪漫は個人的に行うやうにし逆に社會の方は限定しあらゆるものを制限して行くべきです。

 

従って必然的にまたマルクス主義化して来て仕舞いました。

其れも究極的には無政府化、共同体主義化して行くことこそが社會にとっての理想であることだらう。

 

 

とりあえずはそんなところを思想的にウロウロして居りましたところ今回其の堤氏の著書が天からドーンと舞い降りて来た訳だ。

 

嗚呼、まるで女神さまだ。

何処ぞの天女が舞い降り今まさに僕の社會的苦悩を解決へと導いて下さるのだ。

 

いやそんな信心のやうな御話なのでは無い。

至極現實的な米國資本としての収奪の話である。

 

其れも日本其れ自體がかうして収奪されかかって居るのだ。

 

 

『日本人が古くから育んできた、頭の中にある私たちの知恵、

「お互いさま」という精神性こそ、

ウォール街が一番怖がっているものです。

どこまでも自分自身と深く向き合う、崇高な文化や伝統、

いのちに優劣はなく、

人間もまた万物の一部であるとするアニミズムの思想……

そういうものが、彼らの計画を脅かすのはなぜでしょう?

 

それは絶対にお金で買えないからです。

日本にはお金で買えない知恵がある。

日本人はお金で買えない精神性を持っている。

日本が持つこうした宝の数々は、

どれだけお金を積んでも、決して買えません。

だから、日本が狙われるのです。』「株式会社アメリカの日本解体計画」より

 

 

尚此の本の「そで」の部分にはかうして短く本の内容が要約されて居る。

其れを読んだ途端私は此の著作の正しさを直観したものだった。

 

但し「お互いさま」という所謂👪主義、共同体重視的な精神性を個人主義の私は大きく評価するものでは無い。

だが「どこまでも自分自身と深く向き合う、崇高な文化や伝統、」と云った行には感銘を受けた。

 

さうなんだ、日本人は元々考え深い利口な民族の筈なのだ。

其れがなんでこんなんアホになってるのか?

 

もしや其れはアノ吉本が悪いのだらうか?

いや元々は其の秀吉公のボケと金ピカ好きを生んだ名古屋こそが悪いのだ。

 

 

おお其れにアニミズム

さても君等は私のハンドルネームが何故アニミストなのか其の理由を御存じか?

アニミストとは、まさに其の自然を大事に捉える崇高な精神性を持つ人々のことだ。

 

謂わば日本は其の侭に豊かでしかも精神性も高かった。

故に江戸時代まではいや江戸時代だけは良かったのです。

 

ですが其処へ黑船と云う余分な奴が来ました。

では黑船をやっつけろ!

 

其れは或いは正しい思想だったのやもしれません。

其の黑船亜米利加が今日本を破壊し尽くそうとして居ます!!

ええい、寄るな、此の毛唐等めが!

 

此の鬼畜米英めが!!

 

多くの日本人が亜米利加へ行くとさうして大抵はイヤになり帰国してはからは日本を礼賛する保守派に転じるやうです。

つまりところ米國は物の売買にとってだけは天國なのですが其処に精神性は微塵も無い謂わば鬼畜としての精神國家なのだ。

 

ちなみにアニミズムとは思想と云うよりも其れ以前でのものの感じ方のことでせう。

 

私は其のアニミストであるが故に自然と交感する能力がありと云うことはある程度は動植物と意思を通わせることが出来ると云うことです。

また其れは西洋人にもそんな人が居ます。

たとえばジョン・ドリトル - Wikipedia-架空の人物-だとかアッシジのフランチェスコ - Wikipedia-實在した聖人-だとか。

 

要するに根本から心が清く無いとなかなかさうはなりません。

私はそんな特殊な世界をも生きる人間ですがむしろ其れがイヤでたまりませんでした。

 

さうした交感の能力よりも現金に生き抜いて行くことの方がむしろわたくしにとってはずっと大事なことだった。

ですが、最終的には其の本人の本性へと回帰して行く訳だ、特に還暦以降はまさにさうなる。

 

いずれにせよ社會が推進する破壊に対し余りにも大衆は無知であり無感覚です。

またインテリでも無感覚な人が居て、だからまさに其れも大衆の壱人なのです。

 

精神の格闘者は常に多くのものを背負う。

其の多くのものを整理整頓して呉れると云う意味で此の本こそが其の精神の格闘への大いなる援軍です。