目覚めよ!

文明批判と美と心の探求と

薬草園こそがパラダイスだった


自然が好きか女が好きかと問われましたならば、其れはもう明らかに自然が好きでたとへば利己的である女の心の醜さが兎に角嫌ひです。

が、女の心の醜さと対概念として生じて居ることであらう無償の愛の部分、所謂無私の愛の部分こそがまたわたくしをして女に引き付けてやまない。


無私の愛とは云っても煎じ詰めると所詮女が気に入った上での他に対する愛なので其れはほとんど利己愛と変わらないことだ。



どだい女は気に入った男には或は尽くすのかもしれぬがどうも気に入らない、つまりは生理的に嫌ひだ、どう感じてもダサい或は理窟っぽい、第一なりが汚いし心が偏執的でさえある。



さういう男性は兎に角嫌われ易い。

第一ニーチェショーペンハウアーなど、こんな男達は女には縁の無い男性の典型なのでありただ其の分其の哲學が純粋であり深遠でありまさに女には理解し難いことだらう精神の高みを目指す思想の産物である。


また女にモテさうな詩人にはロクな奴が居らずむしろ女の敵、女がもう兎に角我慢がならぬと地団駄を踏んで悔しがるやうな奴こそがほんたうの意味での詩人である。


なので何やら洒落た帽子等被って詩人気取りで居る隙の無い男を最近屡見かけるのであるが、無論のことこんな奴は真の詩人では無く紛い物であるに過ぎぬ。

真の詩人は兎に角ダサくて汚い。

まるでかの種田 山頭火のやうに汚い。



そして我もまた汚い。

いや、さほど汚くはないのだが所謂オーラには欠ける。

いや、多分オーラはあるのやもしれぬが其れが変な出方をするのでもうまるで俗人には分かりにくいことだらう。



事実かの中原 中也などは常にペッペッと唾を吐く癖があり兎に角汚い奴であり紳士などでは断じてなかった。

ちなみにわたくしにも其の癖はある。中原程頻繁ではないにせよ其れがある。

またかの宮澤 賢治などは兎に角女に対して壁を設けて御座った。



其れも女が押しかけて居るにも関わらず触りもしなかったやうで、兎に角そんな利口で良い家柄の娘だったにも関わらずにべもなく押し戻して仕舞った。


其れで賢治は生涯童貞で法華経文學としての仕事の数々をやりおおせたのだからコレはもう真の詩人だと云うほかはない。

賢治は兎に角女のア○コを見ることなく其の生を閉じた。



うーむ、確かに偉い。

実際ソコだけはわたくしとは違う。

ちなみに賢治はベートーヴェンが好きで屡レコードをかけて聴いていたやうだ。

実家が金持ちなので其の頃でもレコードが聴けたのである。



中原には子が居たが賢治には子どころかそも女さえ居ない。

中原はアノランボオを真似て変な帽子を被って居たものだが賢治は其処まで洒落者ではなかったのではないか。
ーただし若い頃の賢治が可成の洒落者だったと云う話が伝わっても居るがー



さうした意味からも中原はより社会化された詩人であり他方賢治の方はもうまるで社会化されて居ない謂わば原始的の詩感覚の持ち主だったのではなかろうか。

ー賢治の實人生が社会化された生そのものであったにせよー



中原は間違いなく女のア○コを見たが賢治は其れを見て居ない。

実は其の差こそが大きい。



と言うのも近頃女のア○コを見た見た詩人は似非詩人に過ぎぬのではないかとの疑念が生じて来て居るからだ。

だからもはや我などは似非詩人に過ぎぬ。

感度が、其の感度がもはや鈍りに鈍りつまりはトロトロになって居り即ち自然の中で神仏と通じる其の感度の減退と破壊が其処に生じせしめて居やう。




其の感度に就いて。

わたくしはむしろ中年になってから匂いフェチになって仕舞った。

元々感度が常人の域を超えて居る。



何せ共感覚者である。

ちなみに宮澤 賢治も共感覚者だったが、彼の場合は感度がもっともっと凄くて屡山の中で化け物を見たり幻聴のやうなものがあったりと兎に角凄いものだったらしい。



尚何人も詩人と結婚など絶対にしてはならない。

詩人と云うのは謂わば超感覚者であり宇宙人である。
ー事実谷川 俊太郎氏は前妻から今でも宇宙人だったと思われて居るやうだー


だから常に人には見えないものと対話を重ねて居る。



ただ、わたくしの場合はむしろ俗な詩人になりたいといつもさう願って居るのである。

昔から余りに感度が高かったので屡病気の世界を垣間見たことさえあった。

だから病的な感度の世界のことは結構詳しい。



昔の藝術家は兎に角キチ外が多いので、また昔の哲學者にもキチ外が屡居た訳で、其のキチ外にはならぬやう誰しもいつも努めては居るのだが残念ながら一年後にはどうなって居るのやら分からないのが詩人としての精神のあり方の常である。




其れで賢治は兎に角女を避けて居た。

其の分自然や人間の内面に対する感度が高かったのかもしれない。


賢治は石が好きだし山が大好きだった。

或いは女の代わりに其れ等が大好きだったのかもしれない。



また我も山が好きである。

ただし山登りはやらない。

つまりハードなのは嫌いだ。


だが兎に角植物が好きである。

植物人間になりたいと本気でさう思って居る程に植物への愛が尋常ではない。


其の癖園芸はやらない。

家庭菜園に興味はあるが手が動かないのでこちらもやらない。




植物が好きだと云うことは或はわたくしの本質が地味なのだろうか。

女遊びや酒に勤しまず森をほっつき歩いて居るだけで陶然として来るのは謂わば地味の極致である。


詩作、哲學、読書、ベートーヴェン、そして森の散策と至って趣味が高尚な我はもはや病の域にあるのではないか、ほんたうのほんたうのところでは。

謂わば高尚過ぎる病、幻想的哲學上の観念の虜になって居る可能性が高い。




まあ其れは宜しい。

もしもほんたうの病になれば、即ちキチ外になればもはや此処にはかうして出て来れなくなることが必定である。


と云うことは此処へ出て来て居ること自体がわたくしの健康度を指し示すバロメーターのやうなものだ。




自然、其れは人間にとっての最後のフロンティアだ。ーハテ何処かで聞いたやうな言い回しだがー

自然は自然を裏切らないが人間を裏切る。

人間をと云うよりも女や文明を裏切る。



文明とは所詮女である。

其れは男がつくったんじゃない、女がつくったものだ。

謂わば女のア○コが其れをつくった。



では文明を避けやう。

文明があると必然として欲の化け物が出て来る。

其の化け物が兎に角怖い。


もう逃げやう。

さて何処へ逃げるか。

帽子を被り似非詩人気取りでとりあえず逃げるのか。



でも似非詩人なんか嫌ひだ。

俺はもうスッカリ宮澤 賢治でいくんだ。



其れではアノ薬草園にでも行ってみるがいい。



第一君はかってプロパーだったのだろう。

ほれ、若い頃に二、三年だったかやって居たであらう、其のプロパーを。



ハイ、確かにわたくしはかって医薬品の会社に居りました。

そしてショパンの曲が流れるアノ太田胃散のCMなども大好きでした。


其れも根の性格がとても地味なので漢方薬などが特に好きです。

生薬の咲き乱れるさ中でデートをしてみたいものだと実はいつもさう願って居ります。



そうか、では早う行って来い。

其の薬草園に行って来るのだ。

早う、早う、其の薬草園の見学の応募をしておくのだ。

今を逃すともはや二度とチャンスは来ぬぞ。


とのことで、件の大學の薬草園へ先日行って参りました。




其の見学の印象を一言で述べますと、「プワー、スッゴイ匂いだったわい。」と云う事になります。



ですから感度が高い訳です、感度が。

論理じゃなく感度が高いのです、感度が。

勿論論理もいけますがわたくしの本質はむしろ感度があることなのだ。



其れで詩人が薬草園で何をして来たかと云う事ですが、要するに植物の匂いを嗅ぎまくって参りました。

何せ植物人間になりたい人ですので、もう兎に角ここぞとばかりに植物の匂いを嗅ぎまくる訳です。


するともうとんでもない香りが、其の濃密な香りの宇宙の爆発が。

植物の香りの宇宙の爆発が我の心をしかと捉えもはや其処から決して放しては呉れませぬ。



1.柚子などの柑橘系の樹木には其の葉にも強い芳香がある。
2.おなじみのレモングラスには品種が違うのだろうか、二種の香りがある。
3.レモングラスよりももっと檸檬の芳香に近い草花はある。
4.如何にも漢方薬臭いトウキの香りには参った。所謂当帰芍薬散に使われて居るトウキである。
5.ハマナシーハマユウーの芳香にはトコトン参った。しかも何とハマユウは薔薇であった。



ちなみにわたくしは柑橘系の香りがとても好きで浴用剤として常に檸檬系のものを一つ置いて居ります。

またエッセンシャルオイルや香水への感度も高いと云えば高い。



要するに匂いに対して敏感なのです。

ですがそうなればこそ自分の足の匂いとかさういう悪い方の匂いに対しても可成に敏感なのだ。



さて柚子の葉があんなに良い香りがするものだなんて今回初めて知りました。

尚トウキは臭いです。

其の臭いのが女の病気に効きます。

なるほどね、ソコは何となく分からぬでもないです。

確かに臭いですが、実はわたくしにはスンバらしい香りに感じられて居ます。

もう全くに素晴らしき芳香だ。

嗚呼、実に深くて良い臭みです。



其のやうに臭いのこそが芳香でもある。

そして類稀なる芳香でさえ時に臭いのである。




オオ―、アアーとか兎に角そんな感嘆の言葉を発しながらわたくしは其の薬草園のさ中をほっつき歩いて居りました。

然し見学者は何と75名も居ります。

のみならず解説者の学生も大勢居ります。

其のさ中でオオ―、アアーとか言って居ると、また植物の葉を指でもってゴシゴシとしごきつつ陶然として居りますともはや其れは匂いフェチとしての異常者にしか見えない訳であります。




しかしながらわたくしは自らの欲望を抑えることが出来なんだ。

ちなみにわたくしの性癖でひとつだけ異常に見えるだろうことが此の匂いフェチであることです。


すなわち道端で花の匂いを良く嗅いで居たりも致します。

其れもわたくしはかのショパンのやうな体形ではなくむしろ宮澤 賢治的な日本人然とした体形ですのでもしも其処を見られますともうまるで中年の変態男にしか見えません。


我はまた洒落た帽子を被る訳でもなく、つまりはお洒落にも疎いのです。

要するに何を着ていやうと構わないので三十年位前の父のポロシャツとかを平気で着て居りますが其れでも常に洗濯済みで汚くはありません。



つまるところ着るものにはまるで無頓着です。

だから新しい服が無いんです。

其れでもって百貨店に着ていく服が無いです、と三年前に女に話しましたところ何やら物凄くバカにされたと云う思ひ出が御座います。




ところが匂いには強く興味が御座います。

其れも女の匂いは独特ですねえ。

大抵の場合香料の匂い、合成された花の匂いや香水やらの混じったまるでウソのやうな良い?匂いが致します。


そんな訳で此の地味な大學の薬草園こそがわたくしにとっての楽園だったのでした。

今になり其れが初めて分かったと云う事です。


尚薔薇であるハマユウに就いては次回また是非語りたいところです。