近代に入っての合理主義、合理思想の一体何がいけないのかと言えば其れが昂ずればまさに道徳律と倫理観を崩壊させると云う点にこそ問題がある。
そして先哲としての知性は其の点につきハッキリ気付いて居たと申されるべきなのでしょう。
合理的な価値ヒエラルキーでもってして築き上げたところでの文明は必然的にそうした魔の領域に食い込んでいかざるを得ない。
魔の領域が拡大しやがては世界を覆い尽くす運命を担うことだろう。
よって合理的な価値ヒエラルキー程怖いものもないがいざ其の価値観に寄りかかると其処から脱け出すことはもはや不可能に近い。
近代科学や近代思想による自然の破壊や人間の破壊が食い止められないものであるやうに其の価値観の構築からはもはや逃れ難いのである。
真の意味での平等はやがて人間が死にゆく運命であること、また皆女から生まれるものである、と云う事のやうに社会関係以前での話に限定されるのでありこと社会化された領域に於いては常に矛盾化しまさに建前の上でのものにしか成り得ない。
また其れは大きくなり過ぎたものには様々な矛盾や破壊が必然的に生じ決して良い方向には進まないと云う摂理ー宇宙の摂理ーのことでもある。
何度も言うが合理的な価値ヒエラルキーとはあくまで論理的に築き上げられた檻なのでもはや人間が其処から脱出することは難しいのである。
其れが不可能かどうかはさておき、兎に角難しいことだろう。
第一金メダルや銀メダルを日本人がGETすること程嬉しいこともない。
或いは君は其の様を視て泣いて居たことだろう。
うん、ソコは確かにわたくしも泣いた。
ですが、ほんたうは人間は馬鹿でも腐っていても役立たずでも何でも良いのである。
そも其の幅広い差異をあえて価値化し等級化ししかも其の価値自体を絶対視するからこそ其の近代バカヒエラルキーに捉えられて仕舞うのである。
ちなみに左翼的価値観に於ける平等主義と私の云う所での平等観は全く違う。
何せワタシは価値化すること自体を否定して居るのである。
即ち価値は社会化された次元から個の次元へと還元されてしかるべきものだ。
価値観を社会化することは諸の破壊を必然的に招くことであり、人間の悪魔性ー性悪な部分ーの履行そのものである。
此の近代バカヒエラルキーから脱するには命を懸け其れに抗するより他に手は無い。
たとえ死んでも良いから我は其のバカと永久に格闘を行うとさう決意しなければ絶対に其処からは抜け出せない。
尚此のバカヒエラルキーは大昔から人間の社会には存して居たが昔の価値観のバカは規模が小さいゆえ大問題には成り得よう筈もなかった。
が然し近代バカヒエラルキーのバカだけはもはや治しやうのない巨大なものなのである。
だから兎に角何度も言うがデカいもの程ヤバくて悪魔的なものはない。
近代に於ける人間の巨大化もまた合理主義的な帰結である。
人間は元々小さくて下らないものなのに何故其れを此処まで大きく立派に見せる必要があったと云うのか。
兎に角私には其れが分からん。
かの養老先生も新たに書き下ろされた著作で述べて居られるけれども、動物と人間では世界の認識の仕方自体が異なり平たく言えばー私の言葉に置き換えて述べればー動物は意味以前の段階即ち感覚の段階で世界を認識して居り其れが世界の全てなのだが人間の場合はむしろ意味化されたー概念として捉えられたー世界を創造しつつー想像しつつー生きて居るのである。
然し其の意味化された言語領域乃至文明は元より実のものではない訳である。
まさに虚としての意味化された現実を人間は生きていかざるを得ない。
そしてまさに此の虚の構築こそが人間にとっての最大のそして究極の問題である。
其の虚の構築に対してかって宗教は否定を突き付けて居たのだと言える。
然し其の虚的なヒエラルキーの階梯は近代以降より強固に形成されるに至った。
だから其の虚的なヒエラルキーの階梯即ち人文より自然科学へとシフトされた傾向性が生み出した魔の領域こそが自然を破壊しかつ人間の精神を貶めていくのである。
ただしコレも、近代以前には其の意味化自体ー虚構化自体ーに重大な問題が潜んで居る訳ではなかったのだ。
あくまで近代以降に其の問題が噴出し始めていく。
其処をより分かり易く纏めるとこうしたこととなる。
非合理領域を含む価値ヒエラルキー→エネルギーがより少ないので自然破壊を生じない、生じようがない、また人間自身を壊すこともない、壊しようがない。
合理領域に特化した価値ヒエラルキー→エネルギーがデカいので必然として自然を破壊する、また人間自身をも壊し始める。最終的には人間自身が破壊し尽くされる。
そんな訳でたかが金のメタル、銀のメタルだなどと考えて居てはいけない。
金のメタル万歳も、或いは科学万歳も、また天皇陛下万歳も須らく此の価値ヒエラルキー構築主義の問題であり、実は其れが其れこそが人類の存続の可否を握る重大な認識論の問題なのでありまた道徳律と倫理観に関わる重要な視点なのでもある。
ただひとつ、仏教だけが或は此の価値ヒエラルキー地獄を脱する糸口ー解脱への道ーを示すものなのかもしれない。
ああ、私?
わたくしに限れば勿論そんなものは脱し切れる筈も御座いません。
ですからいつも言うておりますがね。
我は至極下品でしかも馬鹿。
そんなばか者に価値ヒエラルキーなど変えられよう筈も無い。
だが、
一万円の万年筆は十万円の万年筆より劣って居る→×
三流大出の奴は一流大出の奴より役に立たない→×
常にフェラーリは軽自動車よりも優れて居る→×
別嬪女は醜女よりも上等だ→×
病気の奴は健康な人にはかなわない→×
と云うことも往往にしてあり得るのが現実としての人生である。
つまり場合によっては、価値ヒエラルキーに於ける上位のものがむしろ役立たずー自分にとってはーで逆に下位のものの方からこそ学んだり其れが真に役立ったりすることがある。
とは云え確かに此の逆もまたあり得る。
いやむしろ逆と云うか常識としての価値ヒエラルキーの方が実人生上は通りが良いと云うこともある。
では一体どっちなんだと云うことにもなろうが、一番重要なことはどっちこっちということではなくあくまで地球が滅ぶかそれとも生き永らえるかと云う事ばかりなのであろう。
従って今が大事だ、今此の時の満足が無限に続くこと、つまりは刹那の欲望の成就を兎に角欲する御仁にはむしろ価値ヒエラルキーの否定を今此処でおススメしておこう。
と云うタイプの方には是非価値ヒエラルキーをバカにして生きていって頂きたい。
と云うのも、あくまで其れは否定出来ないからである。
否定すれば最終的には自己が破壊されやう。
だから其処からは距離を置く。
でも否定それ自体に寄りかかることをしない。
まあそれでも地獄はいやじゃ。
近代の用意せし意味地獄であり観念地獄である悪魔の戯れに同調して居る限り世界は破滅に向かって進んでいく。
いやじゃ地獄じゃなく天国へいきたい。
僕は天使のやうに清い心の持ち主なのでこんな地獄なんか絶対合って居ない。
金輪際合ってなど居ないぞよ。
そうか其れでは教えて進ぜよう。
おまへこそがじつは地獄の使いじゃ。
そう君こそが地獄の使徒だ。
だからこそ今に、此の近代といふ地獄のさ中をスイスイと泳ぎ続けて居るではないか!
此の横着者めが!
反省せよ、そして兎に角早う家へ帰り寝よ。
そんなうなぎ屋とかピンサロにばかり寄って居るんじゃない、此の大馬鹿者めが。
うーむ、どう考えても価値ヒエラルキーなど無い方がよろしい。
即ち人類はもう文明など止めた方が良さそうだ。
まあ其れも冗談ですがね。
あくまで妄言の類に過ぎないのですがね。
尤も価値と無価値の間に横たわるものが問題なのではなくして、価値を価値として認識し過ぎることが問題なのであり其れが即ち合理主義の世界観なのだ。
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