目覚めよ!

文明批判と美と心の探求と

地獄と極楽ー社会(内面)の地獄から逃れる法ー

 
其の直観によれば世界は合理化と云う業を担ひ其の合理的社会化が本質的破壊を齎す為人類は滅ぶ他無ひのであります。
 
合理的社会化は合理的内面化でもありよって文明の進歩と共に人間は必然的に非人間化されて行きませう。

 

外側での進歩でもって人間の精神が破壊される、と云うよりも人間の内面其のものが其のやうに変はって仕舞ふと云うことです。
 
たとへば昔の女性は不倫などしなかったものですが今や女ならば誰でもが不倫の機会を待ち望んで居るかの如くです。
 
たとへば昔の男性は強かったですが今や父ちゃんはメス化しまさに母ちゃんの言う通りに飼育され全くのところ情けなひ有様だ。
 

 

さうして其の非人間化の様こそが地獄です。
まるでSFのやうな話ですが其れがほんたうの未来のことです。

 

なので今むしろ人間は信仰に生きるか或は早く死ぬかした方が良ひのです。
 
なるべく長生きして👪皆で仲良く暮らして行きたひ、なんてのは今後に限り浅はかな幻想であり無知な様でしかなひことだらう。
 

 

尚こうした事の帰結はまさに仏法に反した生き方をして来たことの報ひなのでもまたある。

 

其のやうに仏法では分析知=分別智に基づく価値ヒエラルキー自体が否定されるのです。

 

より正確には分析知=分別智に基づく価値ヒエラルキー自体が肯定される場合もあり得るのですがあくまで其れは分析知=分別智に基づく価値ヒエラルキーを全否定しなひが為にです。

 

現在此の文明世界では分析知=分別智に基づく価値ヒエラルキーが強固に形成されむしろ其の故に破壊と云う現象が引き起こされて来て居ます。
 

 

だから其処はまさに社会が悪ひ訳です。

 

社会が不細工でしかもふしだらなのです。
 
しかも淫蕩でもってバカです。

 

要するにもはやコレ以上も無く低級なのだ。
 

 

 

ですが、其の社会の悪ひのは結局自分が悪ひのです。
 
分別智に基づきさうして虚妄分別して居る自我執着の部分から実は其の悪ひと思はれるものや苦しみが生じて来やう。

 

なので究極的な真理からすればまさに自我執着にこそ苦の因縁があるのでコレを滅して行けば自らが救はれることとなる。
 

 

ですが問題は社会=集合的無意識阿頼耶識の方での根本としての人間の根性の悪さの方です。
 
其の業に就き人間は五千年にも亘り宗教にて努力しては参りましたがコレが治せないのでまさに滅亡の憂き目に遭ふ羽目ともなった。

 

其処でキリストと善導、法然親鸞などが世に現れ是非救済しやう、此の哀れな人間共を生き地獄から救ひ出すのは神かまたは阿弥陀仏だけだ。

 

として天国乃至は極楽へと人間のたましひを運んで行かうとしたのでしたが実際其れにも限界があります。
 

 

要するにさうして社会はまるで救へないのであります。
 
歴史過程とは其のやうに悪の巣窟なのですからもう誰も救ふことなど出来やしなひ訳だ。

 

であるとすれば一体どうすれば良いのだ?
 

 

実際ドンドン人の心は悪くなる。
 
ドンドン温暖化は進む。
ドンドン女が威張る。
ドンドン障碍者が威張る。

 

ドンドン仏教は苦しくなる。
ドンドン社会から金が無くなる。
 
さうしてドンドン地獄絵図が拡がって行く。
 

 

さうだ全てはドンドン地獄化するのだった。
 
 

 

あ、其処へ何故か垂れて来たのが蜘蛛の糸だった。

 

其の蜘蛛の糸にぶら下がり早う極楽へと昇っていかう。

 

 

うわー、もう後から後からついて来るな!
お前等のやうな凡人はもう地獄で永遠に苦しんでおれ。

 

わたくしのやうな利口だけがかうして極楽へ行くんだ。
 
さうだわたくしだけがかうして真理に求められて居たのだよ。
 

 

さう思った瞬間にプチッと糸が切れ真っ逆さまに地獄へと堕ちていく我または君の姿。
 

 

 

とのことで、矢張りと云うべきか社会は救へなかったのであります。

 

なので内面化する。

 

心を閉じ内面に籠る。小乗乃至は原始仏教へと戻る。

 

または禅宗化する。
 

 

 

いずれにせよ内面化してより純粋に我執と闘ふべきだらう。

 

では我執とは其処に一体何を生じて居るのでせうか。

 

無常を理解出来なひ其の我執とは一体何なのでせうか。
 

 

そうですねえ、仏教のサヒトなど覗くと其れも良く分かるものです。

 

確かに便利な世の中なんで其の説法自体もネット化されて居たりも致します。
 

 

 

そも変化とはまた進歩とは何ぞや?
まさに其れが分別智の集積のことでせう。
 
変化または進歩が嫌ひですか。
 
大嫌ひです。
 
では何故嫌ひなのですか?
 
精神的に動くのが億劫だからです。
観念の構築度が高いのでもはや数センチ動くだけでもキツひ。
 

 

アア、其れは分別智病または理性中心主義と云う精神の病気です。

ただしアナタの場合は幸ひなことに合理主義病=近代合理主義病ではありません。

 

其のもはや動きたく無ひと云う知的ヒエラルキーこそが精神の病ひです。
 
何故なら諸行は無常だからです。
 

 

無常だと云う事はウソだと云う事です。

 

其のウソを起点として内外に構築しても所詮は虚の構築物となり全的に相対矛盾することは避けられぬ。

 

なので確かに外部に虚の構築物=現代文明はしかとあり虚の進歩をし続けて居る。
 
元より其れは虚の文明であるに過ぎぬ、何故なら分析知による文明などウソの上塗り文明で価値ゼロ、いや明らかに価値がマイナスの文明であらう。

 

ところが左様な腐った社会=現代文明に自らの心を縛り付けて居たのは君の其の強固なる知的ヒエラルキー=分別智病其のものだった!

 

しかも其の「動きたくない、もう一歩も歩けないー」などと言う絶対的観念こそが虚妄分別し形而上の観念と戯れるまさにまさに有害な高等遊民としての典型的な資質ですぞ!
 
 

 

もはやアナタは助からない。はや自滅の一歩手前だ。

 

サア、どうする?一体どうする御積もりか?

 

正直どーにもなりまへん。
 

 

どーにもなりまへんので、此の地獄から極楽の様を観ずるばかりで御座ります。
又は禅定し社会の断滅をいや自我の滅却をなしていくばかりなり。

 

尚、此の悪ひ世界からの根本の脱却は分別智を捨て去り無分別智的な思考をなしさらに直観智を其処に加えまずは論理領域の非論理化または脱論理化を行ひ、さらに其の得られた聖性に何らかの観念的操作ー観念的脱却?-を行へばおそらくは可能となる筈です。
 
ですので解脱者は釈迦一人だったと云うのは幾らなんでも其れは潔癖過ぎる考へ方でした。

 

また二項対立は縁起空の連続に於いて仮に我執により引き起こされて居るだらうこともネット説法により最近學びました。
 
二項対立は我執と云う因果律の絶対化=地獄を生むのでむしろ其れにより自らを地獄へと閉じ込めて仕舞ふ訳です。
 

 

ですのであくまで地獄は自分から進んで其処へ堕ちるものと云う結論となります。
 
確かにかの芥川の地獄変で地獄へ堕ちるのは藝術家自身であり他の誰でもないのであります。

 

なので地獄へ堕ちるのはまず自分であるとさう捉へておけばまず間違ひないことかと存ずる。
 
 

 

ワーハッハッハッハー、ザマアミタカ、ヤッパリおまへだけが地獄に堕ちるのだ、ワーハッハッハッハーのハー。

 

などと笑ってバカにして居てはいけない。

 

かように人間は皆地獄へ堕ちて参りませう。
 

 

地獄へ堕ちるから、救済=其処は自力でも他力でも良ひが、があるのです。

 

地獄へ堕ちて居るのでなければそも何で救済などが必要となりませう?
 
 

 

だからもう皆地獄へ堕ちて居ます。

 

そして一番救はれないのは皆で地獄へ堕ちること=謂わば社会化されし地獄なのです。

 

ではありますが其の社会化されし地獄との縁を結んで居るのはあくまで君自身でありわたくし自身なのです。
 

 

かうしてどうも阿頼耶識は共有されて居るのでよりタチが悪く救ひ難ひ。

 

が、其れもあくまで本質的には我執と無常への無知=無明より引き起こされて居る現象です。

 

即ちさうならざるを得ない社会=社会的因果関係へと自らの心を縛り付けて居るのです。
 

 

 

では直観智の方は一体どうなったのだ?
 
勿論直観智は此処に効ひていますよ。

 

だから其れによれば組織的仏教は社会化出来ない為に滅ぶので其処はフレキシブルな浄土教の方が生き残りには有利だが反面不純性が甚だしいので余り儲け過ぎたりしないやうにとさう云ふことです。
 

 

仏教は元来社会とは無関係なものなのでグローバル化や合理化には弱ひものと目されるが其れでも墓マンションだの説法の合理化=ネット化などで矢張りと云うべきか御坊様方はそれぞれに頑張っても居られることでせう。

 

仏法の理解とは時を超越する真理へと近づくことではありますが反面現代社会の合理化による人間の破壊の様をそのままに理解することでは無ひ。

 

だからさう云ふ部分こそが人文科学、社会科学の領域として成り立ち其処に分別知の側からの社会への提言を行ふ意味を持つものだと思ふ。
 

 

 

ちなみに悪ひ社会からの脱出はまず自己意識変革からだと云うことですが其の認識上の変換、転換により他の宇宙ー世界ーへと生き直すことは可能なことでせう。
 
所謂「依正不二」と云う事で本質的には環境と意識は相即し一体ですので考へ方や行動が正されれば地球も周りもまた変はって来る筈です。
 

 

が、其れは地球温暖化を防ぐだとかさうした大問題に対する根本的な対処方法ではない。

 

さうではなくまた違ふ宇宙に接続されそちらへ乗り換えが出来ると云ふことであるに過ぎぬ。
 

 

仏教を学ぶことで心を清くしまあ自分だけがソッチの方へ移って行くことだとも言へそうです。
 

 

ではみんなはまた社会はどうなるの?

 

勿論そのままですよ。

 

 

たとへば物理学の上での多世界解釈によると現在、と云う宇宙はおそらく無数にあり其のそれぞれに無数の自分が増殖しておりさうであればおそらくは周りの世界も全部さうなのでせう。

 

其のひとつの宇宙に目覚めた自己が入れば其処の世界だけは以降運命が変はっていくのでせう。

 

なので最終的に其の宇宙=社会だけは救はれませう。

 

さうして此のやうに地獄としての社会を救ふのは革命ではなく矢張りと云うべきか仏法でした。