合理化と云うのは実際何処まで可能なのか、何処まで行って仕舞うものなのかと云う事を屡考えます。
尤も其の前に人類は合理化の奴隷になることにより本当に滅んで仕舞うのだろうかと云う点も考えて置く必要がある。
然し事実として世界ー地球ーは合理化過程のさ中に疲弊しブチ壊れようとさえして居る。
生物種の絶滅などと云う事は言うまでもなく其の一環である。
其れから精神のあり方のふしだら化、コレもまた其の一環である。
そして核爆弾や末期化する資本主義や過度な情報社会の成立も間違いなく其の一環である。
さらに地球温暖化、コレもまた合理主義社会の生んだ必然としての合理過程である。
要するに人間が滅亡するかしないかに関わらず資本主義は豊かさを求めヤバいものを沢山地球上に噴出して来た訳でしょう。
でも其の豊かさとは、近代が追い求めた豊かさとは結局心の貧しさに起因することだったのかもしれない。
おお、何と、心の領域と経済とが此処にしかと結びついたでは御座いませんか。
だから、宗教と資本主義は元々無関係では御座いません。
何故なら資本主義はピューリタニズムから生まれたものである可能性が高い。
また、股の方の締まりの無さと精神のあり方も無関係ではない。
非行に走ると中高生で即妊娠などもします。
即ち人文主義と合理思考は密接な関係を保ちつつ歴史上に横たわって居ります。
ですので一つじゃありません、みんな繋がって居ります。
丁度文學や絵画や音楽の世界がひと繋がりの世界であるように近代に於ける科学や思想、心のあり方即ち精神はひと繋がりである。
其れで、ひとつがキチ○×になるとみなキチ○×にもなりますわな。
ひとつがふしだらになると結局全てがふしだらにもなりますわな。
即ち非行に走れば生活が乱れキチ○×にもなりやがては廃人に至ること必定。
部屋の中のひとつのゴミ、コレを放置するか速やかに片づけるかで最終的に汚部屋つまりゴミ屋敷になるか美しく整ったお部屋になるかの違いが生じて来るのです。
夏休みの宿題を7月中にやるかやらないか、7月中に少しでもやっておかないとクソ暑い八月になど出来る筈も御座いません。
また今流行の不倫などして居るにせよ、早く其の種の問題を片付けて置かないから泥沼に嵌り込み家庭崩壊を招くに至る。
そのやうにノーマルな性の営みに満足せずアブノーマルな性の快楽に溺れるからこそ離婚され老後は崩壊しついでに会社の方も辞めざるを得なくなる。
人倫の道をしかと歩むこと、人として守るべきことは其のたったひとつ、即ち最初にやるべきことをやりノーマルな範囲でもって満足すると云ふ其のことだけなのだ。
ノーマルではない利益の追求や快楽の追求を行って来た廿世紀の文明は結局豊かさと引き換えに我々に負の遺産を残した。
其の負の遺産とは精神の破壊である。
資本主義は千円の商品一個につき百円の儲けで満足すべきところを倍もの二百円儲けようとするから自然と精神は邪になる。
女共は自由だ平等だと声高に叫び男の迷惑や子等の迷惑、さらに爺婆の迷惑を顧みようとしないから自然と股の方の締まりが緩くなりかつふしだらな心の持ち主になる。
日本の共産主義はボクは利口だ、利口だと喚きつつ戦争反対だなどとも仰りまさに何云って居るのだか一向に分からずおまけに似非インテリの癖で自分だけ常に安全な場所へと避難して居る。
全く何でこんなにバカなのか分からぬ程に意味不明であり一体何処に理性の光が輝いて居るのやらまるで分からぬ。
こんなていたらくではまだまだかの地動説に於けるお星さまの輝きの方がずっと理性的なのだし神様の輝きそのものだよ。
左様にインテリがバカだから合理化の何たるかもまるで分からず其の危険性に就いても認識しようとはして居ない。
然し合理化と云うのは、結局インテリの頭の中だけに巣食うものであるに過ぎぬ。
何故なら自然の合理化自体はあくまで非合理的合理領域にて行われて居るものであるのだからして。
ところがインテリの頭の中の合理領域は其れに比して狭い、狭過ぎる合理化の為の合理領域なのだ。
或いはインテリの頭の中は元々おかしい、観念的に過ぎる。つまりは狭くて息苦しい。
其処では合理化すること自体が合理化されて居り其の合理化により何が傷つくか、或いは乙女の恋心を破壊して仕舞うのではないか、お天道様のご機嫌を損ねて仕舞うのではないかと云った実に不合理な点、確かに合理主義からすればまるでどうでも良いやうな心の面、或いは文学的哲學的藝術的な面つまりは人文科学的な面がゴッソリと抜け落ちて居てつひとんでもないことになりがちである。
だから物事は二面を常に考えて行動や意思決定をなしていかねばなるまい。
人文と理系、女性原理と男性原理と云う具合にどちらからも考え抜いた挙句にようやくひとつの物事が決まったよといふ具合でなくてはならぬ。
そして現実とは常に多面的にリンクして居るのである。
多面だから、ひとつではない。
そして問題はなるべく早く片付けておかねばならぬ。
ところが文明は謂わば劣等生ゆえ多面的に思考を展開させることが出来ずおまけにだらしないから夏休みの宿題を八月の終わりになってからようやくやろうとして居る。
が、無論のこと其れではすでに手遅れである。
ひとつが崩れると連鎖的に多くが崩れまたすぐにグズグズ、緩々になる。
ゆえにひとつをビシッとせよ、ビシッと。
兵隊さん、ありがたう。
欲しがりません、勝つまでは。
でも軍国主義はダメなので文明再生の為のスローガンはこのやうに変えるべきである。
世界さん、ありがたう。
欲しがりません、滅ばぬ為に。
戦前の教育はしかしながら美しい。
美しい日本の心、美しい道徳と倫理のあり方、そして何より貞操観の確立、また父母を尊敬しそればかりか教師を尊敬する真っ直ぐな心のあり方。
少なくともリベラルバカのやうには逃げては居ない、逃げてないよ、かの三島先生は。
ビシッとさせるのは畢竟精神の作用である。
精神が精神こそが合理化の為の合理化を防ぎ男性を男性らしくし女性を女性らしくさせる大元での原理である。
実際人間と云うものはいざ精神が崩れるとグズグズになって仕舞う。
ヤク中アル中SEX中毒と次第に崩れていき最後には廃人にさえ至るのだ。
ですので文明は決してそうであってはならない。
だからまず早く悪い芽を摘み取ろう。
君は犯罪を犯しては居ないか?
或いはふしだらな性の営みに大金を投じていたりしないか?
お父様やお母様のことを君付けで呼びつけて居たりしないか?
御飯を食する前には必ずや「頂きます」食した後には「御馳走様でした」とちゃんと言っているか?
或いは病院で貰った薬をどこかへ横流ししたりはしていないか?
其れで不当な儲けなどを得て居ないか。
このやうに犯罪の芽を摘み、くれぐれも青少年が悪の文明に染まらぬやう取り締まりを強化し常に巡視を行う。
そうした見回り組、即ち新新撰組を結成し血の粛清ならぬ日本人の知の清浄化を行う。
無論のこと総長はわしじゃ、わしこそが日本人の知を清めてやらう。
多義にわたる合理化による矛盾的犯罪の芽を摘み合理化の親玉たるグローバリズムを否定し内面の浄化と節制に生きることこそが世界をまともに保つ唯一の手段である。