ソラリス (映画)
それではもう一本のスラリスの映画のことにつき語ります。
結論から言えばこちらも良い映画です。
其の良い、悪いの評価基準と云うのが人により様々ですのであくまで私にとってはと云う意味で良い映画なのです。
良い映画は再度観られるものだと云う事もあります。
或いは二日連続で観られるものであっても良い。
でもSF映画と云うのは意外と難しいものなのです。
元々空想科学映画作品と云うことですので、現実離れして居たり内容が陳腐になり易くなかなかこれはと云うものに巡り合えません。
尤も21世紀に入り可成に良いSF映画作品が出現して来て居ます。
SFに限れば最近の映画の方が優れているようにも見受けられる。
と云っても所詮は合理主義映画に傾いて居るのですが、それでも何度も繰り返して観られるものが多いこともまた事実です。
昔の名作SF映画と云えば「2001年宇宙の旅」が余りにも有名ですがこれも今では何だか古臭くなりDVDをほとんど視る気にもならない点が寂しいと云えば寂しい。
ちなみに「2010年宇宙の旅」と云う映画のDVDもありますがこれも現在では矢張り退屈に感じられるのかもしれません。
所謂SF文學と云うものも現実に即した部分が多くあり人間の内面を見つめたものの方が純粋にフィクショナルなものより飽きないと言いますか何度も読み返してみたくなるものです。
わたくしは実は現実派であり合理主義者ですので現実的なSFの方が好きでしかしながら其の現実としての先には人類滅亡と云うメインテーマが確り入って居るので破局物、滅亡もののSF映画はむしろ私にとってはノンフィクション作品であり至極現実的な映画となるのです。
「ソラリス」はスティーブン・ソダーバーグと云う今は50代の監督さんの映画でもう十五年前の作品となります。
当時私は映画館へ此の映画を観にいきました。
おそらく其れ以降は映画館へ足を運んで居りません。
専らDVDをPCで視て居るので私のパソコンは常に大画面のもので値段が高いわ目に悪いわでロクなことがないようで居て実はかなりに重宝して居り家に居る時はほとんどフル稼働です。ー何せTVもこれで視て居るゆえー
ですので兎に角PCと云うものはこうして家の中でじっくりやるものであって間違っても戸外でやるものではない。
スマフォを視ながら歩いて居る馬鹿が車に轢かれたり地下鉄や電車の駅の線路に落ちたりスマフォを視ながら痴漢をされたり或は死亡事故を引き起こしたりともうロクなことはない。
これはもう立派な現代に於ける精神の破壊の症例です。
スマフォをやりながら歩くと死ぬかもしれないと分かって居ながら其れをして仕舞うバカの群れ。
教え子に手を出してはいけないと知りつつもつひ娘程の少女を凌辱して仕舞うバカ教師の群れ。
実は両者は同類であります。
バカ現代人の典型例です。
家庭を破壊するかもしれないと分かっていながら素敵だと思う男と連れ込み宿へ消えていくバカ女芸能人ともまるで同じなのです。
こうした倫理観に欠ける同類共はおそらくは死んでも治りません。
だから其の事を昔からバカは死んでも治りません、と世間はハッキリ教えて呉れて居るのです。
「ソラリス」の製作にはジェームズ・キャメロンが参画して居り其処からしても甘く見過ごせるような映画でないことは確かです。
ちなみにこちらのソラリスは二、三年前にも私はDVDを視ましたが今回再び視ておきました。
今回全体の感想としては、思って居たよりも考えさせられる良い映画でした。
一種の哀しいラヴストーリーですが最後にはハッピーエンドで終わりますから若い女性などにはこちらの方がおススメです。
裸の男女が寝そべるシーンなども出て来ますからそういうのが好きな貴女にも是非おススメです。
「惑星ソラリス」の方はタルコフスキーの解釈による藝術性や哲学的な部分が随所に織り込まれて居りより高尚な映画であると云う実感が湧きますが其れに比せば「ソラリス」の方がより合理的かつ現代的な恋愛映画と云った趣です。
ですが、感情的にはむしろこちらの方が揺さぶられます。
現実度がより高くあり、其れでもって実感としてクリスの苦悩の部分を体験することが出来る。
それで、思わず私は泣いて仕舞いました。
映画を視て泣くのは三年振り位でしょうか。
然し私は映画を視つつ良く泣くのです。
実は非常に感が強いと云うか感情面でも感度が高いのでまるで女みたいにピイピイ泣くんです。
私の場合はこんなに理路整然として居るのに一面では右脳人間でありメス的でもある為まさにとんでもないところでとんでもなく泣いたりも致します。
ところで、SF作品には特にこの感情を揺さぶるような人間的な部分が最も大事なものではないかとの思いが常に私にはあります。
私はこれまでに様々なSF映画を映画館で観たりDVDで視て来て居るのです。
然し再度みたくなるものは決まって感情が揺すぶられるものばかりです。
おそらくは元来合理主義者である私には感情の面や非合理的な面の方が魅力的に感じられるのかもしれない。
私の場合は、理論ばかりを述べ立てよと言われれば其の通りに死ぬまで理論ばかりを述べ続けることさえ出来ます。
物凄く屁理屈が立つ人間なので無論理数系の理論ではないですが人文系の理論でどこまでも構築していくことが可能です。
ですが、人間は矢張り感情の動物です。
なので私の場合にも感情は確り残って居ます。
論理的に物事を判断し構築することよりは感情をストレートにぶつけ合うー作者の意図とー藝術的な営為こそが私にとってより好ましいものなのです。
あくまで藝術作品に於いてはそうだと云う事ですが。
とりあえず「ソラリス」で私が感ずるのがクリスの、かの化けもの女であるレイアに対する愛の深さです。
其の愛の深さは愛の本質に迫って居ると云う点で「惑星ソラリス」に勝るとも劣らない。
男性の女性に対する愛とは常に其のような深みを保ち謂わば一種の信仰であると云う点を描き出して居る点で勝るとも劣らないのです。
そしてクリスは男前俳優のジョージ・クルーニーが演じて居ります。
ジョージ・クルーニーはセクシー系で胸毛もありそうな男クサさがたまらない俳優さんです。
個人的に男臭い俳優が嫌いではない私はもう彼の演じる男の愛、深く包容力のある愛の世界に素直に参って仕舞います。
ジョージ・クルーニーの裸体は可成に美しくレイアを演じて居る女優さんの方の裸体よりずっとセクシーです。
ところがジョージ・クルーニーにはすでに妻が居ります。
其れがこんな美女です。ジョージ・クルーニー夫人のアマルさん「さらに子供を作ろうとは思わない」
こんな美女ならジョージ・クルーニーよりも魅力を感じますが兎に角彼の演じる愛の賛歌に感極まって泣いた手前とりあえずは此の女のことを妻として認めないことにしておきたいです。
映画の中で、ジョージ・クルーニーが演じるクリスの愛は錯綜しながらも深まっていきます。
然し其の愛の深化のプロセスはまさに現実としての愛の構築のプロセスと同じです。
現実としての愛には疑いや意見の食い違い、対立や不和と云った必ずしもプラスのことばかりではない。
現実は理論のようにはいかず、こうした不合理な要素、愛とは反対の憎しみや対立さえもが往々にして引き起こされていく。
がそれでも愛が冷え切ることはなく逆に深化していくのです。
本当はそうでなければならない。
されど愛とは寛容であり他者への理解であり思いやりのことである。
ただし愛は無制限に認められるべきではない。
どだい他の民族を愛せと云ったってたとへばアナタは無制限に韓国や中国や北朝鮮のことを愛し認められますか。
民族や国家レヴェルで他者を理解し受け容れることなど人間には出来ない相談だ。
ですが男と女ならばまた其れも可能である。
外人女と日本男児のカップルなども幾らでも成立し得る。
だから其れが愛の基本であり人間の愛の限界である。
大切なことは性のレヴェルでも他者である異性を受け容れ生活そのものを再構築していくことだ。
然し今我我五十代はこのことの崩壊の危機に瀕してさえ居る。
むしろ我我五十代からこそ此の破壊が進行しつつあるのだ。
一方団塊の世代までは、ほんと幸せですよ。
ちなみに私は六十代や七十代の知己が多い。
それでいつも言うのですが、アナタ方までは人間は充分に幸せなのだ。
されどこれからはほんたうに危ない。
未来がどうなるものか知れたものじゃない。
云うまでもなく性の合理化は肉体と精神の両面で人間そのものを蝕んでいく。
何としてでも此の傾向を阻止しなければなるまい。
尚ちょっと気になるのは、ジョージ・クルーニーは同性愛者に随分と好意的であることです。
そればかりか彼には政治的言動が目立ちそこからしても彼はタダの俳優ではないようです。
だけれどもジョージ・クルーニーが演じたクリスの愛は本物の愛です。
よって愛を信じられない今どきの女共に是非おススメなのが此の「ソラリス」である。
元より愛は嘘でいい。
愛は出会いであり運命であり条件などではない。
条件に縛られた愛は嘘の愛である。
嘘の愛の中で、より良い生活を女共は望むが其処に真の愛は得られない。
真の愛は不信から或は不足から生じる。
マイナスから生じて築き上げるものこそが真の愛である。
謂わば不足こそが真の愛へと至る道である。
だからだ愛の中に不和が生じても離婚などしてはならない。
離婚し不倫し真の愛に背を向け一体お前等バカ女共は何様のつもりであるか。
バカ女は真実も見定められず真理も通じない。
真の愛がまるで通じない。
されど「ソラリス」の中には真の愛の世界がある。
クリスは化けもの女であるレイアをあえて愛した。
愛することで愛としての真実を追い求めた。
そして遂にレイアは地球に出現した。
ソラリスの化身である化けもの女が地球で本当の女になり帰還したクリスと結ばれるのだ。
虚から真を生ずること。
まさにこのことこそが愛の本質である。
ーたとえ化けものとでも人間は結ばれるのだ。謂わば時空を超えて結ばれて居る。愛はマイナスをプラスに変える。虚を真に結びつける。故に愛こそは創造である。創造であるところでの嘘の世界よ、汝の名を愛と名付く。ー