みだれ髪 与謝野晶子
やは肌のあつき血汐にふれも見でさびしからずや道を説く君
其のやわ肌と云うのは矢張り女のやわ肌と云うことなのでせうが、逆に云えば其のやわ肌こそが生の仕掛けた罠であり悪魔そのものの仕業のことなのです。
そうです、女とは実は皆悪魔なのです。
釈迦の成道の折に仏陀をたぶらかそうとして出て来た魔物達こそが女でした。
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釈迦は妃を迎え子をなしたことをおそらく生涯後悔して居たことであらう。
其れで其の子にあえて障碍と云う意味の名をつけたが成人した彼は父の弟子となって居る。
ただし、実子だったかどうかに就いては諸説ある。
然しどうも実子くさい感じがする。
左様に釈迦はつひ子をなして仕舞ったが、生来陰気な人間だった故ある日はたと気付いた。
コレはイカん。
わたくしとしたことが一体どうしちまって居たのだろうか。
本来は女になぞ指一本触れてはならなかった。
其の一発こそは是非やめておくべきであった。
仏教は此の世自体をまず否定することで逆に全肯定の境地ー心理的立場ーを得ようとする教えである。
尤もより正確には否定も肯定もしない中道の境地を歩むことこそが仏法に於ける真理の体現である。
然しまずは全否定することで所謂常識的な人間の立場と云うものを徹底的に覆していく。
だから子をなすことは仏法に反すること即ち謗法にあたる行為だ。
ただし其れは原始仏教による純粋な仏法に於ける戒律のことである。
今の仏教は純粋な仏教とは異なるSEX仏教なので日本の僧侶には皆妻が居て子も居ります。
ただし私は今其れを否定することはない。
否定すれば人間は此の世に生じない。
まあ何より其れが一番のやうな気も致しますがいざそうなると断種即ち断見と云うことにもなりましょうから自殺することと同じで逆に謗法にも繋がりましょう。
仏教のややこしいところはまさに此の部分で、否定でもなくかつ肯定でもない境地を目指すことなのですからまともな人間にはまず理解し難いところがある。
ですが、肯定することが実は一番悪いことなんです。
即ち女を肯定して居てはいけないのであります。
女房を妾を或は行きつけのピンサロの女を全的に肯定し其処に嵌り込んで仕舞うとアナタはもう謗法の罪で地獄へ堕ちるほかなくなる。
かのショウペンハウエル先生はとりあえず女を全否定されて居ましたのでひょっとすれば地獄へ堕ちずに済んだのかもしれませんよ。
やは肌のあつき血汐にふれも見でさびしからずや道を説く君
其のやは肌のあつき血汐と云うのはズバリ女の性欲のことですね。
女の性欲は実はしつこい程のものなので是非黒い布でも被せて隠しておくべきものだったのである。
ところが近代と云う合理性が其の隠し布を取り払って仕舞った。
すると愈々此の女の獣欲が暴れ出す訳です。
其の獣欲が今や女子学生にまで及びヤバい性的逸脱即ち援助交際だの、もう兎に角ありとあらゆる淫行の巣窟と化し自身の肉体を汚されるに至って居る。
いや、畢竟其れは精神の汚れである。
精神が汚れたからこそ、肉体もついでに汚れていくのである。
だが、女共よ兎に角其処で良く考えてみよ。
其の弱い頭の方で兎に角考えるのだ。
何、考えることなど出来ない?
ならばせめて「道を説く君」を彼氏にせよ。
「道を説く君」は観念に充満した心が清く真っ直ぐな良い男であることが多い。
大抵は女には触って居ないから元より清潔だ。
ところが女は莫迦だから女の扱いの上手い奴、兎に角うまいこと云うホストのやうなろくでなしにコロリとイチコロだ。
そんな男は汝を必ずや裏切る。
事実母の知り合いの華道の家元の娘ー私も会話したことがあるーは私より十歳程若いのだが旦那に海外で浮気され精神的にもう滅茶苦茶にされつつある。
無論のこと早晩離婚である。
しかしながら息子がもう二人とも大学生である。
そんなところへ、赴任した東南アジアで妾を囲い其れが何と齢二十八の現地の姉ちゃんである。
そんな若い綺麗な現地妻と毎晩添い寝して居ることを思うと女房の心はもう張り裂けんばかりではないか。
だから女共よ、くれぐれも、くれぐれも男の外見に騙されてはならない。
男は魂、此のたましひこそが大事である。
マニア、學者、ゲイ術家、などはたとへおかまであっても心が素直な良い人々であることが多い。
それから僧侶、これもまた仏道修行に根差したSEXに生きる者共であるゆえ是非おススメである。
兎に角女好きの男は多い故気を付けて居なくてどうする。
女が好きな男は今日はこちら、明日はあちらと手を変え品を変え女を手籠めにすることだけを考えて居るから其の嘘を見破れないでどうする。
実際地獄であるぞ。
本当にそんな風になったらもう地獄だ。
それこそ釈迦どころではないぞよ。
それこそ仏法や聖書どころではない。
君の旦那が毎晩そんな姉ちゃんを可愛がって居るのだとしたらもうほんたうに此の世の地獄だ。
だから真面目なオトコを選ぼう。
ちなみにわたくしには真面目なオトコの知り合いが多く、実は職場にも一人居てコイツは一歳年下の三流大卒であるがまさに稀にみる真面目な良い男である。
だからわたくしはコイツを参謀に仕立て上げ今仕事をして居る。
が、無論のこと此の男には妻子もなければ地位も無い。
そればかりか金も無くおまけにチビで貧相である。
だが良い男である。
誠に誠実な良い男である。
そしてどちらかと云えばコイツも「道を説く君」のタイプである。
そして無論のこと其れ以上に「道を説く君」なのがわたくしである。
だからもう兎に角馬鹿な女は手の早い、即ち世慣れて居て金も地位もありしかも女の扱いが上手い男が良い男だと思い込みまさにカン違いして居るのであるがズバリ其れは誤りである。
正しくは女の扱いが下手な晩稲の男、観念に生きる潔癖な男性を選べばもう君は骨になるまで安泰だ。
彼は貴女をほんたうに骨になるまで愛し続けて呉れる筈だ。
愛するとは本来そういうことである。
愛するとは不倫とか肉欲とかそういうことでは無い。
なので君のほんたうの心の寂しさ、其の女としての心の飢え、其の空虚感に愛を注いで呉れる男性をこそ選ばねばならぬ。
そういふ男はテクニックの方がなって居ない。
でも心の方は完璧である。
だからそんな現地妻など金輪際囲ったりはしない。
やは肌のあつき血汐にふれも見でさびしからずや道を説く君
だから云うてるでしょうが。
其の「道を説く君」の方が良い選択なのである。
道を説かずに手の早い男は、結局女をして地獄の苦しみのさ中へ突き落とし其の様やまるでやわ肌フェチ、兎に角やわ肌とみれば何でも食らいつく完全なる肉食獣である。
女共はそんな肉食獣を期待してどうするといふのだ。
そうではなく、あくまで「道を説く君」、目の前に据え膳が置かれて居るといふのに哲學や文學のお話し、または仏法のお話しばかりをして一向に女体に触れやうとはしないそんな男こそを、そんな真面目な男のみを選び伴侶となしなさい。
で、遊んで居る男はテクニックが兎に角上手い。
そればかりか兎に角口説くのが上手い。
そうした友達がかって私には居たが、彼は良家の娘を口説き嫁に迎え三人の子をなした上で会社を二度潰し夜逃げしたので今は行方不明である。
当時からソイツは兎に角ブランド物が大好きだった。
そして兎に角女が好きであった。ー事実屡海外へ行きヤバいこともして居た。ー
こういう奴は滅茶苦茶に危なく、とんでもなく不実でかつとんでもない女たらしだ。
そういうものを、其の男の危険度を見抜く力が君等女には無い。
だから今此処でわたくしが教えてあげて居るのだ。
なので男の本質とはまさに「道を説く」ことが出来るかどうかと云う事で見定めなくてはなるまい。
よってやは肌のあつき血汐にカンタンに触れる男程信用がならないのであり、しかもそんな軽い男は女を地獄へ堕とす能力に充ち溢れて居る。
其の逆にクソ真面目な男、ハッタリの効かない男、カマッ気のある男、乃至は僧侶、などが最高の男なのでありそういふ男にこそまさにそんなイケてない男にこそ汝が柔肌を呉れてやるべきなのである。
近代は女の欲、其れも肉欲を解放していく過程と結果的になった。
されど其の肉欲の解放は真の意味での女の幸せには繋がりにくい。
肉欲の解放が必要なのはむしろ男性の方なのであり女はあくまで貞淑なる賢母でなくてはならない。
其処をかの与謝野 晶子は勘違いしていたものと思われる。
このやうに藝術家でさえ制御出来ないものが女の性である。