高齢者相談の2位に「アダルト情報サイト」の理由
尚このやうに高齢者が性的なものに興味を持つこと自体がすでに誤りです。
『論語・為政』に「子曰く、吾十有五にして学に志す、三十にして立つ、四十にして惑わず、五十にして天命を知る、六十にして耳順う、七十にして心の欲する所に従えども、矩を踰えず、とある。
(私は十五才で学問を志し、三十才で学問の基礎ができて自立でき、四十才になり迷うことがなくなった。五十才には天から与えられた使命を知り、六十才で人のことばに素直に耳を傾けることができるようになり、七十才で思うままに生きても人の道から外れるようなことはなくなった)
思うままに生きても人倫の道をはずさないのであるから其処にはHもないということだろう。
つまるところ人間は七十にもなればもう終わりだ。
事実私の知り合いの七十歳前後の男性の方々は体の各部がいかれて来て居り其れで検査だの手術だのを繰り返すばかりでとても女どころではない。
それどころか旅行ひとつ出来る状態でもない。
そんなていたらくで何がエロ動画だ。
だからエロを此の世から消し去らないと人類は滅ぶ。
いや、エロが蔓延し女が元気な今だからこそまさに世が腐って来ておる。
まあ確かにわたくしは以前性に充たされた老後は極楽じゃとそう此処で書いた。
然し其の性とはあくまで母ちゃんとの性の営みのことだ。
そんな孫ほどもの小娘共が堂々と痴態を繰りひろげて居るエロ動画など視て居て其れでほんたうにアンタは楽しいのか。
だからアンタが視ている其の動画の本質とは合理主義なのである。
即ち性の合理化=性の破壊の過程の動画なのだ。
無論わたくしはそんなものは金輪際視ない。
…訳でもないのだが、勿論そんなものにいつもかまけて居る訳ではない。
わたくしは至って性的嗜好が高尚ゆえ尼僧乃至はシスターの衣の下のことばかりを想像して居る。
…訳でもないのだが、何でわたくしはこんなにエロいのであろうかと少なくとも反省力、自省力のやうなものには恵まれて居る。
だからわたくしなどはもう六十で仕舞いじゃ、仕舞ひ。
還暦を迎えたらもうわたくしは山に籠る。
其処で山の精と共に暮らしやがて自然死する。
それまでにしておきたいことだけを今しているばかりなのだ。
で、こんなわたくしと共に山に入り死んで呉れる女を常に募集中である。
或いは今考えていることは、再度コレクターに戻ることである。
全く考えてもみなかったことでしたが、物的な領域の静けさのやうなものが最近妙に懐かしく思えても来た。
要するにこうした起伏に富んだ真理だの何だのと精神領域を探求すること自体が面倒臭い。
どだい此の世には真理なんて無いのであり森羅万象は神仏の齎す戯言であり錯誤の現れであるに過ぎない。
言うまでもなく真理は構築するから真理なのでありいざ脱構築して仕舞えば真理でも何でもないのである。
兎に角齢七十ではもう役に立たない。
つまりは役立たず。
其れで仕舞ひじゃ。
そいじゃあ、あばよ。
腐った世ではあったがそれなりに楽しんで来て仕舞った。
つい最近もエロ動画をひとつつひ覗いて仕舞った。
このやうに生臭いことこの上ない生を歩んで来た。
いや、まだしも其れは良い、許せる、其れはアンタの自然な性欲の発露である。
つまるところ昭和三十年代生まれ位まではまだしもSEX自体がノーマルな範疇にある。
然し、今は酷い。
ほんたうに恐ろしい。
アナタは何故其れに対して怒らないのか?
合理主義のSEX領域ははズバリスーパーアブノーマルなところまでいく。
其れは何故か?
無論真面目に答える。
元より愛に充たされぬ性、肉体的な欲望のみを合理的に追求した性ほど醜いものはない。
然し愛ある性、情や思いやりに充たされた性ほど美しくかつ気高いものはない。
そのやうに、同じものでも、同じSEXでも天と地ほどにも開きがあるのだ。
現代の性の領域が破壊されつつあるのは、其の情を欠くことだろう合理的な欲望の為の性がいつのまにか確立して仕舞ったからである。
其れを端的に表すのがネット上に溢れる無数のエロ動画である。
ー無論エロ動画=現実の性の乱れの様ということではない。然しネット世界もあくまで現実の一部だ。だから現実もネット世界化する。謂わば相互に影響を与え合う。ー
然しかっての女性の性は、明らかに質的に異なるものだった。
援助交際をはじめとする昨今の女学生の過激な性的逸脱も、全てが此の合理的に完遂される肉欲の成就と云う一点に集約され得る。
即ち合理化が、性の領域に於ける合理化が女性の性を破壊していく。
しかも免疫の無い、或いは性的な刺激への耐性の無い謂わば真面目な爺ちゃん、婆ちゃん、小娘、OL、真面目な男子中学生、などが皆此の合理主義の生んだ性的倒錯の世界、即ち此の世のものとも思われぬやうな過激な性奴隷の世界へと引き込まれ心身共に滅茶苦茶にされて仕舞うのである。
このやうに合理主義こそが健全な性のあり方を破壊する。
されど次なる破壊はもっともっとタチが悪い。
まさに其れがAIによる破壊である。
「AlphaGo Zero」──ビッグデータ不要のAI棋士が自己対局のみで世界最強に
ちなみにAIに対して「地球を健康にする為にはどうしたら良いのでしょうか?」などと尋ねたところ、「人間を抹殺すればよろしい。」との答えが返って来たそうです。
いや、確かに其れは正解である、まさに正答の類である。
けれども我我はこんなことを受け容れられるものでしょうか?
元より受け容れられる筈がない。
ですので此の超知性体であるAIによって遠からず人類は抹殺されることでせう。
何故なら何より其れはあくまで合理的な帰結だからなのです。
このやうにAIに於ける進化はとどまることを知らない。
しかも次第に自立性を獲得ししかも成長するやうになっていく。
すると、人間の制御の及ばないものになっていくと云う事だ。
人間が生み出した機械が自ら生き始める訳である。
しかも其れは単なる機械的な生命の創造に留まらない。
其処で余りに進化の速度が速い為に、ごく短期間の間に其れは神の領域へと割り込んで行くことだろう。
薬の開発や病の克服、或いはより便利で豊かな暮らしの為の諸の革新的な技術の開発、其のことを追求する余りにつひに人間は禁断の領域に手を染めた。
いや、近代と云う時代自体が其の禁断の時代なのである。
自動車、飛行機、ロケット、コンピューター、そしてAIの誕生。
其の流れそのものが即人類の自滅への流れである。
こんな風に此の世にはいいことなんてひとつも無い。
だから早く山へ行きたい。
或いは猫になりたい。
少なくとも此の合理主義が齎す悪夢から逃れたい。
では何処へ逃げるか。
海?山?宇宙?
いや何処へ逃げても合理主義といふ悪夢は追いかけて来る。
かのホーキング博士が述べたやうに、矢張り文明は自滅する運命を背負って居る。人工知能の開発は人類の終わりの可能性 ホーキング博士が警告
だからこそ宇宙人は居ないのである。
地球へ来る前に皆それぞれの星で自滅しそも地球侵略も何も無いのであるからして。