最近のわたくしはアノ軍歌なども屡聴いて居たりして居ます。
然し其れは単なる歌曲としての面白さを楽しんで居るだけのことである。ー不謹慎にもー
其処での享楽的な生への解釈はむしろ破滅への糸口となり得るものだ。
事実享楽的な文明は文明の寿命を極端に短くして仕舞って居る。
頭の良い方ならお分かりのことかと思われますが、どう見ても此の文明の寿命はあと百年ももたぬものである。
ところがアノ共産主義思想ですら自己矛盾化し其の力の論理の過程を歩まざるを得なかった。
わたくしは其れが近代といふ時代の矛盾そのものであると述べて居るのである。
近代は全てを破壊へと導く人間にとっての最後の社会領域である。
だから近代を止めよとそう言って居ります。
近代主義に大きく制限をかけ歩むべきであるとそう述べて来て居ります。
要するに右、左といふことではなく近代そのものを否定するのがわたくしの観念的な意味での仕事です。
近代とは母性原理の暴走であるとわたくしは先に述べて来て居ります。
其の暴走を抑える為にかの星 一徹のやうな力が必要なのであえて右傾化してみたのでした。
ですがわたくしは元々アナーキストなのです。
其れでもってかっては暴力革命に魅力を感じたりもして居りました。
要するに立場的には極左なのですが、しかしながら其処で全世界が革命されたり無政府的に秩序が再構築される訳では決してない。
手強い現実は人間の社会に於ける理想の秩序の構築を常に阻みます。
社会的な意味での矛盾を打ち消す為には世界革命が必須の要件ですが、其れを此の矛盾に充ちた人間存在の理性に求めることは元より無意味なことです。
よってわたくしの興味は此の人間存在の莫迦といふことに移っていったのでした。
莫迦は何故バカなのだろうといふ此の根本の命題につき此処数年間思考を巡らせて参りました。
つまるところ、我我は何百兆、いや、其の何百兆倍もある生命の中でも特等の莫迦として選ばれ今此処に派遣されて来て居る。
我我だからこそ其れに耐えられるのでわざわざ選ばれてかうして今此処に生きて居る。
で、そんなバカのカタマリですので元々我我には人権も何もない訳です。
其れが何故だか知らないが皆人権があり決まってわたくしは偉いと人々は云う。
正直詩人には其れは理解されないのであるが、其れでもわたくしもアナタ方と等しくかうして此処に生を受けて居る以上とりあえずは其れも理解してあげなくちゃならない。
元より自己矛盾的な檻を形成することであろう近代主義の展開を否定することこそが本意ではありますがとりあえずは付き合ってあげなくちゃならない。
だが正直そういうのが可成に辛い。
もう死んで仕舞うのよりも辛い。
近代は今や全体主義ですので、其処から逃れようとしても逃れられよう筈もない。
ですので必然的に近代は自滅します。
後は自滅する迄の短い時間をどう過ごすかといふ選択の問題が残るばかりです。
限定といふ真理をないがしろにしつつ進む近代の進歩史観は遅かれ早かれ自滅する、其処には未来などもう何処にも無いのだと申せましょう。
ただ、我我は今此の時を精一杯生きて居るばかりです。
誰しも色んなものを抱えながら今日といふ一日を精一杯に生きて居ります。
わたくしもさういふ庶民の姿を見るにつけ人間は何とか助からないものかなあと思わないでもない。
でも軍国主義だって、それこそ皆食うや食わずでしかも襷をかけそればかりか竹槍まで用意して鬼畜米英をやっつけようとして居たのでした。
でも無理なものは無理でした。
ですので今の文明も無理なものは無理なのかもしれません。
さういふことを言うと、科学者などもう額に青筋を立てて怒りバカ者!科学に救えないものなどは何も無いわい、実はお前の頭だけが救えないのだ、此の大ばか者めが。
とか何とか叱られそうですがじゃ、アンタらが壊した地球は誰が救って呉れるのか、もはや誰も治しては呉れないだろう、お前等が莫迦理性で築きし此の虚の大帝国はもはや決して治せはしない。
第一お前等の頭も治らない。
何せ利口な奴程頭の狂い方が大きい。
お前等の頭などもうブチ壊れて居て、しかも腐って居る。
嗚呼、イヤだ、嫌じゃ、腐って居る。
クサくて汚いお前等の頭の中身を是非全否定しておきたい。
事実ドーキンスといふ例のお騒がせ学者が神を否定して物議をかもして居りましたがこれなどはもうまさに神をも畏れぬ所業そのもの。
此の莫迦はあろうことか神仏を否定して居るのである。
然し君、君のやうにしこたまお勉強をした偉い学者が何故そんな魔境へと入っていくのだろうか。
いや、お勉強はすればする程に魔境へも入り易くなるのである。
第一どれだけ頑張ったのだ?
近代以降人間はどれだけ考えそしてどれだけ世の中を便利にして来たといふのか。
其れはもう神にも等しい程の努力をして来た筈だ。
特に日本人と独逸人、またユダヤ民族といふ頭脳の優等民族がどれだけ考え世界に対し貢献して来たことだったろう。
然し、其のシンポは人間としての真の幸福に結びついて居ないではないか。
第一人間は何故また急に変な機械を手にし街中を歩いて居るのだろう。
だからパソコンなどもう家でやれよ、やるなら其の方がずっと安全だ。
また自転車に乗りながらまた車を運転しながらそんな変なものを視て居てはいけません。
のみならず小中学生はAVを視てはいけない。
其れと女子に触ってはいけない。
其れが実は悪魔である。
また教師と医師は其の悪魔に触ってはいけない。
言ふまでもなく聖職に就く者は、其のやうに自己を厳しく律しもう太めの縄でもって縛り自らを雁字搦めにしておくべきだ。
まさに其のやうなMになり、兎に角禁欲と社会奉仕と、そして悪魔祓いの儀式に精通した立派な大人にならないでどうする。
医師は金持ちなので是非限定万年筆でも多く買い込み其れでもってハードにお勉強を重ねればもう悪魔の餌食にならなくても済む筈だ。
嗚呼、悪魔よ、女よ、君等は一体何者なのだ?
第一女は皆闘争=戦争を否定する。
然し自分の子をつつがなく生かすことこそが実は其の闘争乃至は戦争を此の世に生じせしめる。
第一女は文明が大好きだ。
資本主義による豊かさと快適な移動や快適な生活が大好きだ。
然し其の豊かさの過剰と快適さの過剰こそが文明をして疲弊させそればかりか自己破壊を引き起こす。
第一女はSEXが好きだ。
SEXが好きなので生が基本的に好きである。
男は多分そうではなく、性などまた生など面倒くさいと思って居る場合も案外ある。
つまり男は死にながら生きることが可能だが女は違う、あくまで奴等は強欲に生きるのである。
嗚呼、我の年老いた母がいつも言って居る事こそが真理である。
即ち女は欲が深いよ、と。
うわー、強欲な此の悪魔共がそこいらにもうウジャウジャ居てわたくしなどはもう怖くてたまらない。
かように女とは矛盾である。
かつ生の具現化である。
だから生きる場合には其れが不可欠であり、ところがいざ強欲に生きると此の世の限定性を破壊するので結局破滅に至る。
だから女とは魔性なのである。
そんな恐いものに、ミニスカートとか穿かせて其の辺を歩かせておく莫迦が居るものか。
第一先日ゴルフの練習場で若い女が其のミニスカートを穿いて練習して居たが、其れがいざ球を拾う段になるとどうしても尻が見える。
其の尻ーパンツーを見たいが為に屡練習を中断して居りし我のいやらしさを誰も非難することは出来ない。
ギャー、女こそが、此の女等めこそが此の矛盾に充ちし腐った世界の母であった。
命の母とは左様に恐ろしくそして心地よいものである。
即ち矛盾の体現としての生を女共は毎日生きて居る。
そこいらでおほほほ、とか笑って居るが実はそんなものではなくギャーオ、グワーオといふ欲望のドロドロの叫びを連発して居るのが彼女等の正体である。
尚、わたくしはもし女にフラれたらK君と結婚するつもりである。
先日其の事を彼に告げたら満更でもないやうだったので実際にそうするつもりである。
結局、
でした。
ちなみに昔は莫迦と女はくっつき易い言葉の組み合わせでしたが現代では駄目または莫迦と男がくっつき易くなり莫迦女であるとか、または女の腐ったやうな、であるとかの言葉の使い方が死語化しつつあるがあくまでわたくしは是非復活させるべきであると考える。
即ち莫迦女と女の腐ったやうな文明に支配された世は一度滅ぶ必要があると最近そのやうに考えるに至ったのだ。
ー或はコレがレデーファーストの反対の思想か?ー