難しい話ではなく、今後百年程の間に気候の変動により近代文明は滅びる。
詩人にはそのやうに直感されて居るのであるから、事実其れは其の通りのことなのであろう。
尚元来文明とは余剰物である。
謂わばどうでも良いようなものなのであるからして、そんなものが滅ぼうがどうしようが知ったことではない。
わたくしの頭の中には常に他のことが渦巻いて居て、其のことをどう取り出して言語化するかといふことが問題なのであり自らの仕出かした不始末により人類が破滅するなんてことは実は二の次、三の次のことなのである。
然し此の美しい光景を見るにつけ、此の豊かな水と緑の織りなす美しい世界を見るにつけ、本当にそんなことで良いのだろうか、そんな尻すぼみの大馬鹿のしかも可成に下品な、そんな下らない結末でもってして此の人間共がヒイヒイ言いながら滅んでいくのが本当に其れでまともなことだと言い得るのか。
いや、矢張り其れはどう考えてもおかしなことではないのだろうか。
其の一念、一念からこそわたくしはこうしてお前らはもうダメだが兎に角もう少しでも良いからシャンとしてみろよ。
其の腐った頭の中をはたいてでも少しでもまともな生き物になり出来ればあと百五十年は行き抜いていって欲しい。
しかしながら元々バカの人間共がどうしてこうも増殖つまりははびこって来て仕舞ったか。
もう兎に角数が多いので間引いても間引いても間引き切れない位ではある。
人間といふものは近代に至りひとつの魔法の力を得たのである。
其の魔法とは謂わば悪魔との契約でもあった。
以降は近代合理主義といふ魔法の杖に寄りかかりただひたすらに人間としての欲望の成就を果たし続けた。
近代以降我我が得たものとは其のやうな欲望の爆発そのものだった。
其の欲望には何より歯止めがかかって居ない。
だから兎に角余裕がない。
欲望の暴発にかまけて景色の美しさを楽しむゆとりさえ無い。
なのでもし其処で文學乃至は宗教の領域での道草のやうなもの、つまりは回り道のやうなもの、そんな回りくどい非合理性の中で遊んで居られる余裕があったならばこんな結末を迎えなくて済んだ筈だ。
然し文明はまさに一直線に欲望の成就を目指した。
金が無い→金が欲しい
女には縁が無い→女が欲しい
莫迦である→是非利口ぶってみたい
だから我我は元々金が無くしかも女にはモテず莫迦である。
人間乃至は文明がそうした本質を抱えた、もうまるでどうしようもない札付きのゴロツキ共である。
ゴロツキ乃至はケダモノなのでつひ欲望を、其の切実なる欲望を追い求めて仕舞った。
嗚呼、もう、本当に、本当に救われない此の大馬鹿共等めが。
しかも利口振った大馬鹿共等である。
事実巷では脳減る賞を取ったとか何やらの技術がシンポしただのとかしましいが何のことはない、文明のバカ騒ぎに上手く波乗りして居るだけのことなのであり本当の本当は地球を壊す其の代わりにそんなインチキの栄誉栄達にまみれ喜んでいるだけのことに過ぎない。
実際少しは真面目に考えてもみろよ。
五十年後、或は百年後には人類の滅亡が待ち受けて居るのだぞよ。
にもかかわらず矢張り金は欲しく、しかも女にもモテたく、おまけに人様からバカだとは思われたくない。
でもだから莫迦なんだ。
常に莫迦はそのやうに欲望に歯止めがかけられない。
逆に利口は常に欲望に待ったをかけ続けて居る。
だからバカだと思われたくないなどとは思って居ない。
さらに女には触りたくない。
おまけに金が無い。
それも常に無い。
其れは其れで良いからなのだ。
そうした聖人に是非なるべきだ。
さすれば地球は救われよう。
さすれば人類の滅亡を先延ばしにすることも出来よう。
だからまずは旨い物を食い女に触りまくり金を稼ぎまくり海外へ遊びに行き何でも自由だ、我はもう今殿様だ、恐い者など何もない、我は神だ、仏だ、女など幾らでも自由に出来る、金などもう十億もある、美味い物など腐る程ある、サア、どうだ、ワッハッハ~、ワレはもはやプチトランプだー、何でも自由に望みどおりに出来る、毎日美味い物をたらふく食べ、女を手籠めにし、ギャンブルに嵌りしかも大酒を飲み自然を愛でずまるで神仏を顧みない。
そう神仏が何の為にあるかといふ其の事につきまるで考えたこともない。
そんなソドムの日々を繰り返し罪の意識など考えたこともない。
そうかそれでは諸君を滅ぼすほか無い。
滅ぼされるのは難しい理由によるものではなく、気候の変動と其れに伴う食糧危機、飲用水の不足、気温の上昇、病気の蔓延、などといった至極当たり前のことにより皆滅んで仕舞うのである。
「気候変動に対する注意を一瞬でも怠るのは危険過ぎる賭けである。」
人間は或は文明は一番大事なことが何かということをもうまるで分かって居ない。
正確には三百年も前からもうまるで分かって居なかった。
人間にとって一番大事なこととはたらふく食い、女に触り、金を稼ぐなどといふことではない。
人間にとって一番大事なこととは節度を保ち生きることである。
其のことに気付けなかった文明は事実遠からず滅ぶが実は滅ぼうがどうしようが我の知ったことではない。
何故なら其の時わたくしはもうこの世には居ない。
のみならず我の子孫ももうこの世には居ない。
何せ子孫が居ないのでそうなる。
では子孫が居る人たちの為にはたとへばこんな本が参考にもなろう筈。
環境汚染で滅びないために―生物学者の目から見た環境問題 (東京理科大学・坊っちゃん選書)
平易な言葉で書かれた環境問題に関する啓蒙書的な本ですが其の内容は可成に過激である。
過激な本がお好きな方には是非おススメしたい。
特に地球規模での気候変動への対策は手ぬるいものではダメで徹底的かつ包括的に行う必要があることがハッキリ述べられて居る点につき最大限に評価出来る本である。
わたくしも様々な視点から論じられた環境問題の本をこれまでに数十冊は読んで来て居りますが地球温暖化への対策への徹底、本気さといった尺度ではこれまで読んだ本の中で一番でしたので是非にと思い此処に紹介させて頂きました。
例の坂口先生のご本ですが其の内容は流石ですね。