目覚めよ!

文明批判と美と心の探求と

矢張り適法の範囲で性を営むことこそが肝要かと存じます






こうして欲望を抑えられない現代人をつくりだして来ているのは全て合理主義による洗脳の結果だ。


こうして破廉恥かつとめどない欲の流れ、其の負のスパイラルをつくりあげているのは全て合理主義の仕業である。




こうして女といふ女を性のドレイと化しいたぶりむしゃぶり尽くしているのは誰あろう、あんたがたが住している常識そのものの乱れのことだ。



常識即ち社会的に健全だとされる教育は人間を最終的に分解し破壊して仕舞う。


即ち我々が当たり前に信奉しかつその恩恵に浴しているだろう常識の力こそが人間を破壊するのである。



だからそういうのは自己矛盾の世界だとわたくしは述べて来ているのである。




我慢出来ない現代人。


それは次第に加速していくことだろう。



もはやあらゆることが我慢出来なくなる。


即ち欲望のドレイとならざるを得ない。



だから其れがまず性の分野から始まるとそう申して居るのである。


つまるところ性はなかなか我慢がならない。



つまるところそれは食欲や排便と同じで我慢がならない。


何せ下の世界のことなので我慢がならないのだ。




だからこそ宗教はその下の世界の我慢を押し付けているのである。


飯を食わず、排便無しでは人間は死んで仕舞うが、SEX無しで人間が死ぬということはあり得ない。



だから其処がまさに我慢のしどころだ。


我慢出来ないものではないということである。



勿論精神的にそれは成し遂げられるものである。



しかるに何故今こうも現代人は今我慢が効かないのか?




何故なら欲望の通りに生きて来たからなのである。


それも三百年もそうして生きてきたのである。



そんな奴等に下の方の我慢など出来よう筈もない。


難しく言えば理性の原始的退行で現代人はむしろ本能のモロダシ状態だ。



つまるところ我我はもはや動物以下の存在でしかない。


なんとなれば動物のSEXは美しいぞよ。



ところが我我はまことに醜い。


神聖なる性をAV化して仕舞ったのは誰あろう、我我自身なのだ。



もう我我は皆がAV男優でありAV女優である。


だから其処には元々人権も美も何も無い。


むしろそんな我我は一度滅びた方が良い。




滅びよ!


されば救われん。




合理主義は要らないものばかりをつくり要らないような文明世界を築き上げる。


だからそんなのは不必要だ。


人間の生活には必要不可欠なものと不要なものとがある。



勿論食べ物も排便することも必要不可欠なことだ。


性もまた必要不可欠なことながら、其れは過分に快楽の追求の道具として貶めるべきものではない。


其の部分を我慢せよ、とそう宗教は諭すのである。




ところが合理主義は其の枠組み自体を破壊していきつつある。



地下鉄に巣食うスマフォ人間、我慢の出来ない不惑の人間、天命を知らぬ年寄り、我慢がならぬ教師、我慢がならぬ作家、詩人、はたまた我慢がならない宗教家を続々と輩出せしめて居る。



人間よ、或は文明よ、もういい加減に我慢することを覚えよ。


人間は兎に角我慢しなくちゃいけません。


たとへばお国の為には我慢して、食べたいものも食べず、やりたいこともやらずで、一億一丸となり玉砕していかねばなりません。




こうした精神論が不在でウザいと思うからこそ、我慢が効かぬ。


また新興宗教は変なことばっかし言って世を惑わしたから余計に宗教が腐って仕舞った。



ではどのやうにしてこの困難を、この苦境を乗り越えていくべきなのであろうか。


我我現代人は。



いや、それは、この期に及んではもはや如何ともし難い。


第一この悪趣は近代三百年の積み重ねでそうなっていようものだからしてもはや如何ともし難い。



なのでそのままに欲望に負け、そのままに我慢がならない日々をどうかお過ごしあれ。


さすれば神仏の怒りが下り必ずや文明は滅び去ることであろう。



すると、其の後にキリスト様が復活され我々をして性地獄からお救い下さる筈。


或は仏様が其の地獄に蜘蛛の糸を垂らされよう。



ところが一旦性地獄に陥って居る我々は天界でSEX出来ることを夢見て其の糸に皆でしがみついて仕舞う。


なので其の糸はカンタンにブチ切れる。


それで真っ逆さまに我等は地獄の業火の中へと消えて行く。



さてもこの業火はまことに断ち切り難いものよ。


この女といふ女、メスといふメスの躰から立ち上りし淫惑のフェロモンの物凄さよ。


ところが其れが其れこそが推進力なのだ。


現実を現実たらしめるに必要な淫靡な推進力なのだ。



なので我々は選択を常に迫られて居る。


即ち女に触って地獄に堕ちるか、女に触れずに真理に触れるかというまさに其の究極の選択をつきつけられて居るのだ!




は?我の場合?


わたくしは女に触りますのですよ。


何せまだ死にたくはないので。



然し精神的にはどうなのかな。


まあほとんど否定に傾いていることでしょう。


其の淫惑のフェロモンに関しては。




要するに其れは便所のようなものなので其の様に思っていれば良いというだけのことです。


精神を生かすには肉体を維持する必要があるため食欲や排便と同じ様に性もまた否定は出来ないというだけのことです。



然し過分な性に対する欲の追求は断固として阻止するべき。


でも地獄に堕ちたい方はどうぞどうぞ、其れもまたご自由ですからどうかそうなさってみて下さい。


蜘蛛の糸にぶらさがりたい方々もどうぞどうぞ、其れもまたご自由ですからどうかそうなさって下さい。



そうこうするうちに神の怒りまたは仏の慈悲で此の世は救われましょう。


けれどそうなる為には一度は世が滅ぶ必要がありましょう。


従って今、まさにこの今こそが良い感じになって来て居ります。



即ちガマン出来ない世の中。


ガマンの効かぬ現代人。


ケモノの群れ、地獄と直通したところでの其の何らかの低俗の群れ。


謂わば合理主義の群れ。




されどガマンの出来ない悪い子には躾こそが必要だ。


そんな悪い子はこんな風にお尻ペンペンだ、お勉強をせずにエロ本ばかり読み漁る悪い子には地獄の恐さを教え込むことこそが教師の役目である。


だからわたくしは毎日こうして教育して来ているのだ。



ただしわたくし自身もう最近何だか我慢が出来ないんだ。


なのでわたくし自身が救われる為にこうして考えて居るのだ。




問ー何故我慢がならないのか?


ー人間を持ち上げ過ぎて来ているよね。人間は低級なものではないという誤った近代教育の流れが我慢をし辛くして来て居る。低級なものは元より教育され欲望を抑え込むことを学んでいかざるを得ない。されどいつのまにか人間は高級な存在になって仕舞った。だから人権は保障され、かつ人間の命は例外なく尊いから病気になれば医療の力で治して貰い食えなければ社会保障に頼って生きていくことが出来る。のみならず生殖年齢を遥かにこえても生きていられるようになった。然しそうした至れり尽くせりの社会構造こそが人間の精神の領域での破壊を齎すのである。甘やかされるとロクな子には育たないように、現代人は今種として甘やかされて来たことの反作用、副作用と闘っているのだと言える。ー



問ー何故性の問題がこんなに噴出して来るのか?


ー性の問題が顕在化するべくしてしている時期である。合理主義がかっての本能と理性のバランスをかえって崩して仕舞って居る。宗教が人間の精神の根本に据えられて居た封建社会ではこのバランスが取れていたのだと言える。然し合理精神はそも其のバランスを取れない、其れも元々取ることの出来ない構造を有しているのである。近代が謂わば花火大会なのはそうしたバランスを崩したところに咲く仇花のようなものだからなのだ。華々しく生活も寿命も向上させ、いや、向上させたかに見せて実は精神其れ自体を破壊していく。よって我慢がならぬ性の欲求もそんな華々しい欲の追求の合理的な帰結である。こうして合理的に人間の生を全規定しつつ合理的な世界観は進んでいき、やがては全的に我慢がならない即ち精神的に死を迎えた人間共が世界中に溢れることとなろう。


其の後には食料や環境の面での我慢がならない面が社会的に噴出し資源の奪い合い、住処の奪い合い、殺し合い、共食い、といったまさにおぞましき餓鬼道、畜生道の世界が此の世に現出せしめよう。


尤もその前に国家による我慢のならない様が実に実にエゴイスティックに繰り広げられることであろう。即ち国威の発揚に拘り、自国の領土や主権に拘り、弾道ミサイル=武力に拘り、経済発展=金力に拘り、ひいては優生思想にも繋がるであろう愛国心を鼓舞し民族主義を徹底する。其の結果限定的な戦争は起こり得る状態となる。ただし第三次世界大戦が起こり得る可能性は低かろう。


其れよりも前にまず環境がぶち壊される可能性がまず一番高くある。いざ環境が壊れると精神が死んだ人間同士による殺し合いと共食い、さらに第三次世界大戦の勃発も考えられぬ訳ではない。つまり本当はまずは環境が一番大事なのだ。環境は神仏と密接に繋がって居り、其れ即ち神仏が滅びると環境も滅びるということになって居るのである。神仏を敬わず環境を汚し続けて来た近代以降の文明は以降其の咎を背負っていかねばならない。ー



なので要するに性の上での我慢が効かないということが人類の滅亡に密接に絡み合い全部繋がっているということなのだ。


であるから性の乱れは心の乱れ、


心の乱れは滅亡への誘い、


なのである。



其の心の乱れは、先に述べたように謂わば常識的に涵養されていくのである。



だから常識外れである方がまだしも良い。


常識とは赤信号はみんなで渡れば怖くないということの別名である。



みんなが同じことをやって皆で滅ぶ。


まあどうもお疲れ様で御座いました。


皆様どうか良い来世を。



わたくしは常識外れで構いませんので昨日も一日山の中に居りました。


其処で冷ややかーに文明世界のあり方を俯瞰しておりました。


そして彼女をどう口説こうかとそればかりを考えておりました。



矢張り適法の範囲で性を営むことこそが肝要かと存じます。