日本でじわり広がる”トランプ大統領”待望論―対米自立か隷属か―
http://bylines.news.yahoo.co.jp/furuyatsunehira/20160327-00055887/
それにわたくしの政治思想は至極適当なのである。
ただし分類するとすれば反国家主義者なのですから一応リベラルということになりましょう。
一方では確かに個人主義者ではありますが、でもあくまで中間辺りなのですから半分位はリベラルであるということにしかならないのかもしれない。
それにわたくしは何より変化を好まない性格なのでして。
きっとわたくしの中の本質的に不安定な部分が何よりそうした安定を望んで居るからなのかもしれない。
そうした意味では保守派なのでしょうから、矢張り其の思想の分類は一筋縄ではいかないようです。
実際、今最も大きな問題であるのが此のグローバリズムの齎す数々の弊害なのであります。
1.グローバリズムを推進すればする程地球はより早く破壊され尽くします。
ですので其の破壊をこそ阻止しなければなりません。
実際学者の方々は反グローバリズムの立場を標榜されて居る方々が多い。
対してグローバリズムを推進して社会が良くなると考えて居る人々はそも頭が悪いようです。
先に述べた排外主義でいくのであれば、必然的に其処で国家は自主防衛の道を余儀なくされることとなろう。
体制の相違、思想的立場の如何に関わらず自主防衛はむしろ当たり前のことではないですか。
勿論最終的には軍隊など或は武力など無いに越したことはない。
ですが現実的には、此の近代世界は武力や経済力によるパワーバランスにて成り立って来て居りましょう。
先にも述べましたようにそうした力への意志の発現の状態こそが近代的な世界観の特質なのであります。
其のパワーバランスこそは、それこそ理想論的には排斥されるべきものです。
あくまで其れは虚のバランスなのですから、元来拘るべきものではない。
ですが不完全な理性はどうしても其れを欲して仕舞うということです。
より大きな所から其の問題を見据えて居るのだとも言える。
此の日本国が自主防衛をしたにせよ、其れがすわかっての軍国主義に繋がるとか、または全体主義の復活や好戦的になるなどと短絡的に考えるのは余りにも浅薄な考えです。
どだい平和主義と云ったって、これだけ世界が不安定化し毎日どこかでドンパチが繰り広げられて居るのですから軍隊は要らないなんて考えること自体が極めてナンセンスです。
人間がそも馬鹿だから、其処でそも無くなり様がない。
逆に戦争があるからこそ、人間はこれまでこうして元気に文明をやって来て居るのです。
人間というものはそうした二面性のあるもので、従って其処でいいとこ取りなどは出来ないものなのです。
無論のことこれが本能領域での無償の愛なのではありますが、残念なことにむしろ其れこそが実はドンパチの始まりのことでもあるのです。
普遍化されない愛には、つまり普通の意味での愛には自己矛盾性即ち反対の意味合いが必ず含まれて居るのであります。
ですので愛こそは自己矛盾性そのもののことです。
謂わば愛は範囲が小さくなればなる程、エゴによる限界性を与えられ限界を越えるものに対する憎しみの情を形作って仕舞う。
其の憎悪こそがやがてはドンパチが始まる契機ともなり得るのだ。
愛の裏側には必ずや憎しみが宿って居るということなのでしょう。
母の愛。
こういうのは全て自己矛盾領域に捉えられし愛なのでやがては他に対する憎悪を生み其処で他との対立が深まっていくことともなりましょう。
或は愛を解体し滅却していく方向性を選び取るのです。
対して精神の働きは、其の破壊を食い止める為にこそ存して居るものです。
対して狭い愛は、煎じ詰めれば其れは破壊です。
狭い愛は其の様に破壊を生み出さざるを得ないのです。
ですので狭い愛でもってして真の意味で構築することは出来ないのです。
残念ながら謂わば其の愛こそが戦の始まりなのです。
翻れば其の世界のパワーバランスとは、畢竟其れも其の狭い愛の均衡のことなのであります。
主に民族への愛、または国家への愛が其の様に民族または国民の側から投げかけられ均衡的に力の行使を行って居るということです。
其れが近代的な国民国家としての根本での構造ですね。
出来る筈がないではありませんか。
其れは普遍化されない狭い愛の大規模な集積に過ぎないのであり、従って其の狭い愛の大規模な集積はまさにいつ限界を越えて憎しみに変わるのやもしれぬ。
ですのでそうした均衡もまたいつ崩れるかもしれず、またいつ逆流して憎しみに変わって仕舞うものであるか分からないものであるに過ぎない。
ですが方便としてひとまずはそうしておく他はないことだろう。
なんとなれば此の世は不完全であり、まさにそのままでは矛盾即ち悪に囲まれしものなのですから。