縄文期は争い少なめだった? 暴力死亡率1%台 岡山大教授ら人骨分析
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160330-00010004-sanyo-l33
以前にも述べましたが此の日本列島は類稀なる豊かな自然に恵まれたところです。
宇宙から眺めると地球はまるで宝石の如くに美しくかけがえのないものとして見えるそうですがおそらく其れは限りなく豊かにも見えるということなのでしょう。
其の地球上でもおそらく最も豊かな国土を有するのが此の日本国だということにもなりましょう。
そして豊かであれば人間は争いをしないでずっとのんびりと暮らして居られるということなのでしょう。
また其れは寄って立つ部分が本能だの理性だのといった分類には関係なくそうなることでしょう。
どだい理性と云っても其れはあくまで本能領域の上に築かれし何か余分なものなのでしょう。
其れは分解、即ち二重での限定であると今年に入りわたくしは述べました。
即ち存在とは限定であり、理性とは其処からのさらなる限定なのであります。
二重の限定なのですから、謂わば其処に於ける瑕疵性、負債性もまた二重に雁字搦めとなる訳です。
…現象が全て限定であり、かつ物体とは限定されし非精神的世界のことを指し、精神的世界が一重に分解されしものー本能領域の発現、ただし其処では理性は冥落ーが自然であり、二重に分解されしものー本能と理性が共に顕現ーが人間です。
ですのであくまで理性というものを過大評価してはならないのです。
ですが人間は其の理性即ち精神の働きでこそ真の建設を成し得ていくものでもまたある。
だからそういうのも一種の矛盾性であるということです。
限定されし存在の世界即ち現象界は全的に矛盾することだろう世界だということなのです。
畢竟精神即ち理性もまた矛盾のことですのでそのままでは自己矛盾化しかつ劣化します。
一方本能の方は劣化しにくいのではありますが其れは劣化の速度が遅いのみで矢張り最終的には劣化致しましょう。
ということは存在即ち現象とは此の劣化の過程そのものであると云う事にもなりましょう。
ただし問題は其の劣化そのものにあるのではなく、近代以降理性にさらなる分解ー理性から知恵の部分を葬り去ったところでの理性の暴走ーを行いしと ころでの近代的な精神の本質的危うさにこそあります。
要するに理性は本能の上にあるものではなくむしろ下の範囲をうろついて居るものなのです。
ですが人間は其の不完全で一種の情けない理性の働きでもってして自らを救っていくしかないのであります。
と言うよりも自己矛盾的な破壊または落下を食い止める為には其の不完全な精神の働きを活発化せしめ自らの行動を正していく他はないのであります。
さて、本能は争わない、のか?
いえ、本能こそは勿論争います。
何せ餓鬼道、畜生道の世界そのものなのですから不満さえあれば其れは滅茶苦茶に争います。
でも上にもありますように、満ち足りた本能は争う必要がない。
ということは満ち足りた理性も当然ながら争う必要がない。
でも何で人類は今まさに争いの渦中にあるのでしょうか。
先にも述べた如くに其れは理性の逆流、即ち原始的退行により理性自体が自己矛盾化して仕舞って居るからなのです。
では何でそんなことが起きるのでしょうか。
たとえば前近代的に、たとえば中世などでも其のことが為されて居たのでしょうか?
否、そんなことはない、決してないのだよ。
其の理性の自己矛盾化が促進されたのは近代以降なのだ。
近代こそが其の矛盾化を最大限に加速させて来たのである。
たとえば近代の理性こそが世界の争いを世界大戦化していったのである。
近代の理性こそが人間をして暴力的に規定しあらゆる大規模な殺戮と破壊を文明に齎したのである。
自ら招きし災厄としての其の近代的自我の確立こそが。
たとえばかのプトレマイオスの天動説は非常に緻密な観測データから形作られて居り客観的事実として今でも通用するのだそうである。
たとえ大元が間違って居るのだとしてもー当然ながら地球の周りを太陽が回って居る訳ではないがー其処である種非合理的に均衡した考えだったのである。
さらに天動説はキリスト教的世界観とは頗る相性が良かったのである。
あくまで宇宙の中心は此の地球なのであり、また教会なのであり、民衆はそうした非合理的な事実に寄りかかり安定した生活を営んで居ることが可能だった。
ところが今や宇宙の中心は此の自分なのでありーつまりは自己中そのものー、神仏は敬う対象のものではなくむしろ自分の邪魔をするものである。
己の欲望の成就に対してどこまでも邪魔なものである。
のみならず世界はどこまでも不安定化していく。
そりゃ人類が総利己主義化され文明世界が欲望追求の博覧会と化して居るのだからして其れもまさにごもっともなことだ。
わたくしが申し上げたいのは、世界とはそうした諸の要素が相互に絡み合いながら規定ー即ち位置を決めるーされ雁字搦めになって居ることだろう必然的な過程であるということなのです。
其れはまるであのジグソーパズルのようになって居て、ひとつのピースは全体の柄をも成り立たせて居り何が欠けても其の柄は完成され得ない訳なのであります。
ですのでたとえばワンピースの部分で即ち戦争反対であるとか、或は原発反対であるとか、そうした理想論をいきなり振りかざしても其れに当たるピースを取り去った途端に全体が崩壊して仕舞うのです。
ですのであくまでいいとこ取りなどは出来ないのであります。
言うまでも無く日本が近代国家として富国強兵や殖産興業に邁進して来たからこそ今日の豊かで便利な生活を我々は手にして居るのです。
近代に於ける人類の豊かさや利便性の追求は謂わば必然的に前近代の安定した生活を奪うのです。
対して前近代に於ける貧しさや諸の不便さは決して本質的に人間を貶めて居るようなものではなかった。
むしろ合理的な領域と非合理領域が均衡しつつ存在して居たのが過去に於ける時代です。
そして何より近代的思想は破壊を加速させていくことだろう。
地球の自然の終焉は近い将来に於いてもはや明らかなのですが、今後現代社会にとって問題となるのは人間の精神の領域での破壊ということになりましょう。
尚此の人類の精神の破壊につき論じられて居る学者の方々が最近増えて居るようにわたくしには思えてならない。
さらば、資本主義 (新潮新書) 新書 – 2015/10/16
http://www.amazon.co.jp/%E3%81%95%E3%82%89%E3%81%B0%E3%80%81%E8%B3%87%E6%9C%AC%E4%B8%BB%E7%BE%A9-%E6%96%B0%E6%BD%AE%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E4%BD%90%E4%BC%AF-%E5%95%93%E6%80%9D/dp/4106106418
さらば、資本主義
http://www.shinchosha.co.jp/book/610641/
たとえばこの本は昨年の十一月に丸善にて求めました。
現在4度目での再読中ですが、矢張りこれは素晴らしい内容の文明論です。
これまで色んな本を読んで参りましたが、これほど鮮やかに現代社会の抱える問題の本質を描き切ったものを他には知りません。
此処での春休みの課題図書ということです。
さてこの本の中で ただし其の
現在の世界の不安定化は、資本主義経済が徹底化され修正資本主義を超えて仕舞う諸の合理化が図られていることと無関係ではありません。