ベルギー同時テロ 狙われたEU中枢 厳戒でも防げず パリ実行役逮捕直後
http://mainichi.jp/articles/20160323/ddm/003/030/184000c
だが近代以降価値の一元化、普遍化が成されしことにより其の様なリスクが増大していくということだ。
そして現代社会は今限りなくリスキーな戦いの場へと形を変えつつある。
言うまでもなく其の様な世界を現出させた原因とは近代合理主義の暴走によるものである。
其処で利益の追求だけが大事である合理主義グローバル経済の世界、其処で神仏を大切にしない合理主義的唯物主義の世界、其処で生殖を快楽の道具として扱う合理主義的男女関係、要するに精神の価値の何たるかを忘れ快楽の追求のみを是とするような下らない世界、其れに対するひとつの疑問がイスラム原理主義の側から投げかけられて居る訳である。
尚価値というものは、元来共有出来ない性質のものである。
世界には元々近代的な価値、イスラム原理主義での価値、仏教観、東洋での価値、南国の国での価値というように色々とあってしかるべきものなのだ。
そして其れは一元化、普遍化されるべきものではないのだ。
だが近代を経て世界は普遍化された。
否、必ずしも下らないものであるとは限らない。
然し、其れを世界全体に押しつけることには大きな問題がある。
だから其れがひとつの巨大な自己矛盾過程そのもののことなのだ。
其の様に世界が普遍化され価値が一元化されると、世界はより不安定化しよりリスキーなものとなって行かざるを得ない。
つまるところ、イスラム原理主義による近代システム及びキリスト教的世界観への攻撃は実は近代が自ら招きし必然の過程なのである。
ただし東洋の思想は其れに比せば大人しい。
人間ならば誰しも此の世で普通に生き暮らしていきたいと願う筈だ。
然し現行の社会体制は其の多数の願いを叶えるだけの安定度に欠けて仕舞って居るのだ。
実際資本主義体制だろうが共産主義体制だろうが今やひどい格差の構造が其処に厳然としてある。
そして大金は大金を生み余計に金持ちだけが肥え太る仕組みをかの金融経済が形作って仕舞った。
対して真面目に働き日銭を稼いで居た労働者、其の月給だけで妻子を養わなければならぬ労働者の賃金はドンドン下がっていった。
一方ではやりたい放題に生きて、また一方では食うや食わずで生きるか死ぬか、である。
其れで職と金の無い元気な若者達はそれこそイスラム原理主義にでも参加せざるを得なくなる。
ただし金が無い五十代の場合は参加したくても其処までの元気が無いのでたとへば仏教のことなどを大人しく考えて居る位が関の山である。
つまりはどうのこうのということではない、全てのリスクは近代以降の社会の流れの中からの必然的な出来事である。
金融経済即ち博打経済が最も金の必要な低所得層の給料を圧迫しむしり取っていった。
其れでバスやトラックに乗って居る人々などは何とか食いつなぐ為長時間に亘り過酷な労働を強いられることとなる。
そしてバスがついガードレールを突き破り森の中へと落ち、トンネルではついトラックが居眠りをして追突し其れにより大火災が引き起こされ多くの人々が死んだ。
つまり今人間の世界では近代合理主義の暴走により多くの人命が奪われつつある。
彼等はもう死んで居るのだ。
ゆえに社会の矛盾に対しては常に知的範囲から訴えかけることが大事である。
かって哲学者のカントは、世界を認識する知性に限界はない、と見なした合理主義的なidealist等に対して世界を認識する知性と其の知性による合理化には限界があるとも述べて居る。
不完全だから、時に滅茶苦茶にもなり、やがては暴走しもする。
だが合理主義の暴走はいつしか殺人の範囲にまで手を染めて仕舞って居るのだと言えよう。
そして人間を格差化し自殺者を生み人間をして絶望の淵へと叩き込み、或は不安の頂点へと招き入れることだろう合理主義文明。
合理的思考は、必然として自己矛盾化する。
しかも其の行為を自らが裁くに必要な知性を麻痺させる。
其処では制御が不可能となり、さらなる知性の麻痺を引き起こす。
すでに自然を殺しかつ人間を殺し、
所謂グローバル・コスモポリタンとしての人工楽園を今我々は生きて居る。
だから此の世界は究極的にリスキーなものとなる。
謂わば未曽有のリスクに捉えられし世界、それも人間自身の生み出す思想のリスクに直面するようになった世界こそが今なのだ。