目覚めよ!

文明批判と美と心の探求と

やがて海は人類により破壊されましょう


さて皆様は現在というものが不思議なものであるという認識乃至は感覚を持たれたことがおありだったでしょうか。

わたくしなどは生来天邪鬼に出来上がって居る為かむしろ幼い頃からこの世界が不思議なもの、不可解なものとしてずっと感じられて居たのであります。


ただしこのずっとという部分こそがミソなのです。

即ちそうした本然的な感覚を大人になっても持ち続けて居なければならなかったということなのでしょう。

世の中にはどうもそうした特殊な才能を持った方々が居るように思われます。


だから私は自分で自分のことを詩人だと言って来て居るのです。


詩人は感覚が鋭いことが多いので色んなことが考えられたり分かったりも致します。

然し昨今は感覚が並の人々でも何だかこの世界がおかしくなって居ることに気付き始めて居るのではなかろうか。


或は其れは幻想の崩壊の序章とでも言えそうな物語の始まりです。

崩壊なのですから元より良い物語ではなく悪い物語の始まりの方です。


そう言えばお前の根の部分が暗すぎるからそういうことになって居るだけなのだとそうお叱りを受けるのかもしれませぬ。

然しながら、残念なことに其れは事実です。

紛うことなき事実として構築されし現実のみが今我々にこうしてのしかかって来て居るのであります。




幻想とは言うまでもなく人間が持ち得た近代以降の思想のことを云います。

其の思想こそは幻想でした。


ですので我々はこの三百年に亘り其の思想の命じるままに全ての行動と思考とを制御されて来て居ます。

其処で果たして我々は自由であり得たのか?


いいえ、我々は逆に至極不自由でした。

近代の思想は我々に本質的な不自由さを押し付けて来て居ます。


また其れは未来に対する壁であり地球に対する罪でした。

我々の未来を奪い我々の故郷を根こそぎ奪うという形、即ち最悪の形での壁であり罪でした。


人間なら誰しも、未来に対して開かれかつ環境に対して共感出来る形での生活を本来ならば望んで居る筈です。


実際に中世の頃つまり前近代の段階ではそうした形で生きて行かざるを得なかったのでした。

其れでエネルギー消費などは今とは比べ物にならない程に低いものだったのです。


また生物種の数も今よりも多かった訳です。

つまりは近代という人間の活動により、これまでに多くの生物種が滅んでいくこととなりました。



つまるところ、人間がお盛んになればなる程地球は壊れ逆に近代人は栄えていくということとなる。

だからそうした形での文明のあり方こそは過ちなのです。


きっと頭が良いだけに人間は道を誤って仕舞ったのです。

でも本当に頭が良いというのはそういうのとは違う訳です。

本当に頭の良い人間は自らの欲望の成就の為に未来に対する壁を設けたり地球に対する罪を犯したりはしません。



ということは本当の本当は人間が馬鹿だったからこそそういうことになって仕舞ったのです。

だから其の馬鹿を反省して治しましょうとわたくしは言って来て居るのです。


その位のことは良い子の皆様ならきっと出来る、いや、必ずや出来よう。

そんな気持ちでもって懸命に勉強し是非成績を上げてお父さんやお母さん、爺ちゃん、婆ちゃんを安心させてあげましょう。



ところがいざ我々に突き付けられし現実というものは塾や学校ほどに甘くはない。

まさに阿鼻叫喚の地獄絵図こそが、我々の進む近未来には待って居る。


などと言い続けてもなかなか一般には通らない訳です。

私の知り合いの所帯持ちの人など、むしろ独り身の私の今後のことを心配して呉れて居る始末で、俺はもうすぐ息子にバトンが渡せるから、などという調子で其処に危機感はほとんど感じられないのですが、勿論其れは現代文明が将来に亘り継続的に安定して存続するという幻想に基づく安心である訳です。


まあでもそちらの方も確かに大事であると申しますかやらなくてはならないことではある。

幻想の構築は近代以降の人間を歩ませる為の唯一の原動力です。



然し真の構築はまず近代の構築せし幻想を否定するところから始まる、などともわたくしは思うのであります。



近代が幻想であったことの証は、言葉ではなく今物理的な事実として突き付けられて居る。


かってとある掲示板に於いてわたくしは環境問題につき様々に論じて居りました。


プラスチックによる環境汚染の問題や地球温暖化の問題につき論じて参りました。


然し最近は自然科学による未来予測の精度が増して居り地球上でさらなる恐ろしい現象が起こりつつあることが分かって来た。




其れがたとえば海洋酸性化の問題です。


最終的にはこの海洋酸性化が海の生態系を破壊することでしょう。




海から貝が消える? 海洋酸性化の危機
http://www.cger.nies.go.jp/ja/news/2014/140516.html


海の生物多様性が損なわれるということは海での生態バランスが崩れるということです。

崩れると、加速度的に生態系の破壊が連鎖して引き起こされます。


其の結果終局的には地球上の海は死の海へと変わり果てていきます。


さて、今一体誰がこんなことまで考えて行動していることでしょうか。

勿論誰も考えておりません。

実はこのわたくしもつい最近知ったことなのです。


海の生態系が破壊されれば、当然ながら海産物も獲れなくなって仕舞います。

のみならず温暖化の方で陸上の生態系の方もどうも危ない。


と申しますか、人口爆発で人類はドンドン増えていきますから元々将来の食料供給力の方が危ない。

其れに加えて生態系の異常や破壊が起これば其処でほとんどの人類は餓死することとなろう。


ま、生き残るのは大金持ちだけでしょうな、結局はそういうことだ。

然し其れも十年位は余分に生きられる位のことで、本質的には其処に大きな差はない、大金持ちの連中も我々貧乏人と一緒で結局は飢え死にだ。



ですからこちらの方を何とかしなけりゃ、幾ら息子や娘にバトンタッチしたとしても意味がありませんよ、ということなのだ。

ですから家族のことや学校の成績のことが全てではない、今はもっと大きく世の中を見据えかつ闘う必要があるということなのだ。

危機感に薄い現代文明と其れを成り立たせて居ることだろう近代思想と闘う必要があるのだ。


かと言って、わたくしの闘いはかのイスラム原理主義の如くに武装闘争なのではなくあくまで観念的な闘争なのである。


だからまず酒を飲んで現実逃避することをやめよう。

タバコの方はむしろ頭をスッキリさせるからまだいい。


綺麗な女或は綺麗な商売女に手を出すことは避ける。

女の本質はエゴイスティックなものなのだからむしろ男性の方を好きになった方が宜しい。


そして最終的には仏教に帰依する。

家族もまた国家をも打ち捨て、まさに身ひとつ、衣一枚でもって生きていく。

托鉢の鉢ひとつでもって生きていく。


そして是非性を捨てよ、中性化するのだ。

さすれば感覚が磨かれ色んなことがもっとクリアーに見えて来よう筈。






地球上の熱エネルギーの吸収を元々九割方海洋が受け持って居たのだそうだ。

其れが現在熱吸収機構に異変が起こりつつある。

海水は元々弱アルカリ性なのであるが、これが急速に酸性化しつつあるのだ。


海洋酸性化が大幅に進むと、海水中の化学的バランスが崩れ二酸化炭素の吸収能力が低下していく。

すると結果的に大気中の二酸化炭素濃度が増え温暖化を加速させることともなろう。


海洋酸性化の行き着くところは、海の生態系の破壊である。

食物連鎖のシステム其れ自体を破壊して仕舞うのである。


さても人間というものは、一体全体、何の為に生きて居るのだろうか。


全てを壊す為に生きて居るのが我々なのだろうか。


我々の欲望は恐ろしく下品である。

下品どころか、悪魔的ですらある。


我々は其の悪魔の破壊者そのものなのであり、或は根が腐った者、獄に繋がれし者そのものである。

其処にはもはやどんな言葉も通用しない。


人間を、そして文明を美化する言葉などもう何処にも見当たらぬ。


えーい、この期に及んで詩もクソもあるか、ただ確りとこの現実をば見据えよ。

言うまでもなく詩というものは、世の中や世界が安定して存在するところで初めて機能する言葉の布である。


然しここまで不安定化した世界を、修飾し修復する言葉などもはやどこにも見当たらぬ。

謂わば文學の成立しない現実が今我々には突き付けられて居るのだ。


花鳥風月にうつつを抜かして居られただろうかっての余裕がこんなに羨ましく思えたことはない。