目覚めよ!

文明批判と美と心の探求と

フィクションとしての現実のノンフィクション化

 
元より金や宝石は有るところには有るもので、そして無いところには無いものと相場が決まって居る。
尤も批判精神や詩心といったものでも、其れは矢張り在るところには在り無いところには無いものである。

そうかと言って一般に観念的には成り難い性質の人に道を説くことは見当違いなのであろうし、さりとて現実の方の道一本で行くのだとしても其れは矢張り片手落ちなのだろう。
現実は其の全部を観念化出来るものではないが、むしろ半分位は観念化して置いた方が何かとバランスが取れより望ましくなるような気がして居る。

何故なら現代という時代、特に戦後の時代に於いて一番流行らなくなったのが其の現実の観念化の過程である。
かっては藝術家としての作家や詩人などが、或は宗教家が、また旧制の高校生などの一部のインテリは観念の為に死ねたのだったが、現代では観念と心中するかのような純粋な輩は居らず、観念も何もまずは食うことばかりを考えて行動し次により豊かに暮らせるようにしたいという、ただそればかりのことなのであろうから観念性への殉教者は明らかに激減して仕舞ったのである。

つまり、現代人は皆より現実的になった。
然し、其の現実そのものは、其の現実の意義、価値そのものは収拾のつかない程に多様化し虚構化され解体されるに及んで居るにも関わらず。
 
其れと同時に人々が本質を問わなくなった。
事の本質を問うていくことは、観念の減退した世相や人心にとって何より苦手なことなのである。

本当のものに就いて考えなくなった分、人は現実化され同時に軽薄短小化されて行く。
いや、確かに人が考えて居ない訳ではない。
考えている。
其れも前近代のレヴェルを遥かに超えた奇跡のようなことばかりを考えて居る。

然し其の考えは本当に本質を問うていく為の考えなのだろうか?
哀しいかな、私にはどうもそうは見えて来ないのである。

一言で其の現代の思考を評せば、其れは何か役に立つ為の思考ばかりを連ねて来て居るのである。
然しながら、思考とは本来其のように役に立つことばかりだったのだろうか。

むしろ役に立たないことーつまりは人類の進歩とか発展にとっては役立たないことーを頭の中でグダグダとこねくり回して居ることこそが観念の観念たる所以ではなかったのか。
なんとなれば原始仏教老子荘子も皆そうした役立立たずの思想ばかりで、それにしては皆立派ななりをして居て時空を超越して存在するものであるかのように見える。

近代教による現代病は其の役立たずのグダグダ思想を捨て去り唯物的に現在に生きることを選択したことから齎されて居ることなのかもしれないぞ。

かって武士は志の為に死ねた訳なのであろうし、思想家や宗教家は己の信ずるところに殉じて死ねたのであろうし、あの三島 由紀夫にしても、日本の皆が高度成長とやらで浮かれ騒いで居る最中に大義としての観念の為に自決したのであった。

其のような人間の大きな部分での精神性は、結局個々人に於ける精神の純粋度と無関係ではないことだろう。
 
だから人間は現実ばかりでは逆に危ないのである。
理想の為に死す、だの、腹を切って自らの観念ー思想ーを完遂させることだの、実際私は至極過激なことを述べて居るようで居て実は全然過激でも何でも無いのである。

むしろそうした部分の在ることこそが健全な観念性のあり方であるとそう述べて居るに過ぎない。
現実がそうした一種現ナマ化し、進歩主義成果主義の横行、即物領域での非観念化という特徴を備え始めてくるとむしろ其の事によってこそ危機が訪れる。

ひょっとすると作家や詩人の連中も其の流れに抗えず自分自身がノンフィクション化して居ないとも限らない。
其のように現代のフィクション性は結果的に正反対の現実性を世に付与するのである。

結局は虚構である現代の諸制度は、其のノンフィクション化の過程によってのみかろうじて成立して居る。
だからフィクションがノンフィクション化されることにより<現実的>に成立して居るのである。

其の現実化は無論のこと我々庶民の精神の中にも同時進行して居り、従ってもはや我々は極めて現実的に此の虚構としての現代を生きていかざるを得ない。
其の現実的にとは、其処でなるべく疑いを持たずー観念化して現実を捉えないー、次に現代社会の提供する現時点での享楽に身を浸して、否、頭をも其れにドップリ浸して、其れで夜寝る前に、嗚呼、今日は美味いメシにありつけて最高にしあわせだったな、嗚呼、こんなに綺麗な母ちゃん貰えてほんとに俺はシアワセ者だなあー、おまけに息子の頭の出来が良くてテストで百点とってきやがった。こりゃ東大入るのも夢じゃあないよ、あー何だかとってもうれちいなー、気分よーくこのまま寝ようっとせー。

其れは実に御目出とう御座います。
一応素直にそう申して置きますが、アナタの現実化された現実とは、ほんたうはフィクション化された現実がノンフィクションとして現実的に見えて居るに過ぎないものなのではないでしょうか。
まああなたは今気分が良くてこのまますぐに寝て仕舞いなさることでしょうが、私にはどうもそのように思えて仕方が無いのであえて一言だけ言わせて頂きました。