さて事の本質ということは庶民にはなかなか見えて来ないものなのである。
そこで使い捨ての消費文化が誤りだということが分かっているにせよ、 我々はこの使い捨ての所謂文化的な生活を続けていくより他はない。
たとえばプラスチック、この現代の科学が生み出した便利で厄介な素材のことでそのことを少し考えてみることとしてみたい。
プラスチックは人間の生活を豊かで便利なものとしている筈だとそう多くの人が信じ込んでいることだろう。
確かに人間中心の見方からすればそのようなことが言えるのかもしれな い。
事の本質を問うていかない、盲いた感覚の者共にはどうにもそのようにしか思われない筈なのである。
しかし経済的な成功を追い求めることと同じくして現代科学が世の全体性を見つめることなく生み出した発明品の価値によりかかることも実は愚かなことでしかないのである。
何故なら今地球上の海洋は大きく汚染されつつあり、そのことがプラスチックを媒体として行われつつあることが皮肉にもそのプラスチックを生み出した現代科学の力でもって分かって来て居るそうだ。
すなわち海洋には毎年600万tものプラスチックが流れ込み、それらが複雑な海流に乗って限られた海域に集中し、たとえば太平洋の島々の海岸などを汚染している。
そこで使い捨ての消費文化が誤りだということが分かっているにせよ、 我々はこの使い捨ての所謂文化的な生活を続けていくより他はない。
たとえばプラスチック、この現代の科学が生み出した便利で厄介な素材のことでそのことを少し考えてみることとしてみたい。
プラスチックは人間の生活を豊かで便利なものとしている筈だとそう多くの人が信じ込んでいることだろう。
確かに人間中心の見方からすればそのようなことが言えるのかもしれな い。
事の本質を問うていかない、盲いた感覚の者共にはどうにもそのようにしか思われない筈なのである。
しかし経済的な成功を追い求めることと同じくして現代科学が世の全体性を見つめることなく生み出した発明品の価値によりかかることも実は愚かなことでしかないのである。
何故なら今地球上の海洋は大きく汚染されつつあり、そのことがプラスチックを媒体として行われつつあることが皮肉にもそのプラスチックを生み出した現代科学の力でもって分かって来て居るそうだ。
すなわち海洋には毎年600万tものプラスチックが流れ込み、それらが複雑な海流に乗って限られた海域に集中し、たとえば太平洋の島々の海岸などを汚染している。
プラスチックはその旅をしている間に波に洗われ岩に砕かれたりして次第に微細な小片になっていく。
そこに有害物質が付着しそれは餌と一緒に魚に食べられて仕舞う。
その魚を漁師が獲って来て、そしてやがてはその魚は我々の胃袋へと消えていくこととなる。
その時に、其の有害物質は次第に我々の体の中にたまって行くのだそうだ。
そんな訳で実は地球も人間も徐々に徐々に汚染されていく。
いや、もうその汚染が限界に達しているであろうことが科学者の間では分かって来て居る。
一部の科学者だけがその真実を知っているのである。
ー私は以前とある研究所-多岐にわたり総合的な技術開発を行う所-に14年間勤めて居たのである。と言っても研究者としてというわけではなく、其処で総務グループの一員としてずっと働いて居たのであった。ー
ところで120円かまたは150円を払って自販機のドリンクを飲む時に、そこでなるべく金属製の缶のものを私は探してしまうのである。
ペットボトル入りのドリンクが何だか信用ならないから私はそんなことをしてしまうのである。
なぜならこれまでプラスチックは分解しない安定した素材だと思われて来たそうなのだが、最近の研究で三十度位の温度でも分解することがあると分かって来たそうである。
つまりプラスチックはどんな悪さをするか分からない、全くあの原発と同じ様な厄介なものであることが科学者の間にだけ分かって来たのである。
でも我々庶民にはそんな真実はなかなか伝わらない。
なぜなら現代文明の推進力である筈の現代科学の汚点は基本的に表立って語られることが少ないからだ。
ロボット工学やら宇宙開発やら、そうしたことでもまた然り、我々庶民はそうした一見華々しい文明の成果にひれ伏して仕舞うだけのことなのだが、されど、それらの胡散臭いこと、実は甚だしい。
そして本当のことを言えば、海洋の生態系を破壊することにプラスチックが大きな役割を演じていたのだ。
つまりは我々の便利で快適な生活を成り立たせている筈のその人造物質がずっと此の地球を壊し続けているのである。
以前にも述べたように、自然の成り立ちの仕組みはごく精妙なもので、 そこに人為的な余分なもの、つまり不自然なものを受け容れてただで済むというものではないのである。
科学技術に於ける最大の盲点は、それが部分の利益に終始して全体の利益を考えようとして来なかったことこそにある。
まさにあの木を見て森を見ず、の喩え通りに。
現代科学が生み出した物質であるプラスチックは怖い。
本当に怖い。
だが一番怖いのは科学者でもプラスチックでもなく、プラスチックに囲まれて便利で快適な生活を享受しているだけの我々庶民の阿呆さ加減の方なのかもしれない。
そんなことを考えつつ万年筆の軸を握っていたら何だか急に怖くなって来た。
そうだ、万年筆の軸、特に戦後の多くの万年筆の軸はプラスチック製でもしそれが分解すれば人体に悪いのではなかろうか。
でもご安心を。
ところで120円かまたは150円を払って自販機のドリンクを飲む時に、そこでなるべく金属製の缶のものを私は探してしまうのである。
ペットボトル入りのドリンクが何だか信用ならないから私はそんなことをしてしまうのである。
なぜならこれまでプラスチックは分解しない安定した素材だと思われて来たそうなのだが、最近の研究で三十度位の温度でも分解することがあると分かって来たそうである。
つまりプラスチックはどんな悪さをするか分からない、全くあの原発と同じ様な厄介なものであることが科学者の間にだけ分かって来たのである。
でも我々庶民にはそんな真実はなかなか伝わらない。
なぜなら現代文明の推進力である筈の現代科学の汚点は基本的に表立って語られることが少ないからだ。
ロボット工学やら宇宙開発やら、そうしたことでもまた然り、我々庶民はそうした一見華々しい文明の成果にひれ伏して仕舞うだけのことなのだが、されど、それらの胡散臭いこと、実は甚だしい。
そして本当のことを言えば、海洋の生態系を破壊することにプラスチックが大きな役割を演じていたのだ。
つまりは我々の便利で快適な生活を成り立たせている筈のその人造物質がずっと此の地球を壊し続けているのである。
以前にも述べたように、自然の成り立ちの仕組みはごく精妙なもので、 そこに人為的な余分なもの、つまり不自然なものを受け容れてただで済むというものではないのである。
科学技術に於ける最大の盲点は、それが部分の利益に終始して全体の利益を考えようとして来なかったことこそにある。
まさにあの木を見て森を見ず、の喩え通りに。
現代科学が生み出した物質であるプラスチックは怖い。
本当に怖い。
だが一番怖いのは科学者でもプラスチックでもなく、プラスチックに囲まれて便利で快適な生活を享受しているだけの我々庶民の阿呆さ加減の方なのかもしれない。
そんなことを考えつつ万年筆の軸を握っていたら何だか急に怖くなって来た。
そうだ、万年筆の軸、特に戦後の多くの万年筆の軸はプラスチック製でもしそれが分解すれば人体に悪いのではなかろうか。
でもご安心を。
万年筆の軸に限らず我々の身の回りはプラスチック製品だらけである。
よって特に万年筆の軸を特に避けずとも、すでに我々はプラスチックに汚染されまくっておる。
ただ、万年筆の軸などは出来ればより安全な素材のものとした方が良さそうである。
即ち銘木、セルロイド、エボナイト、金銀などの軸が一番安全安心である。
ーセルロイドは分解するが有害ではない。もっとももし其れが分解したとして分解熱で火事にでもなればそれこそ恐怖だが、そういうのは多分稀なことだろう。ー
現代科学はこれまで好き放題に地球を汚染して来た罪を贖うことに全力を傾けるべきである。
ゆえにプラスチックを生み出して来た科学者達はいますぐにその高い給料を返上してたとえば無給ボランティアとして地球の清掃活動等に積極的に勤しむべきである。しかも其の生涯に亘り。 2013/01/25
よって特に万年筆の軸を特に避けずとも、すでに我々はプラスチックに汚染されまくっておる。
ただ、万年筆の軸などは出来ればより安全な素材のものとした方が良さそうである。
即ち銘木、セルロイド、エボナイト、金銀などの軸が一番安全安心である。
ーセルロイドは分解するが有害ではない。もっとももし其れが分解したとして分解熱で火事にでもなればそれこそ恐怖だが、そういうのは多分稀なことだろう。ー
現代科学はこれまで好き放題に地球を汚染して来た罪を贖うことに全力を傾けるべきである。
ゆえにプラスチックを生み出して来た科学者達はいますぐにその高い給料を返上してたとえば無給ボランティアとして地球の清掃活動等に積極的に勤しむべきである。しかも其の生涯に亘り。 2013/01/25