今回の選挙の結果で日本が右傾化しているのだとして、問題はその右傾化が日本という国に今後どのような影響を齎すだろうかということに尽きるのだろう。
景気が悪くなりそのことにより将来の見通しが立たなくなることで人心が荒廃するなどして来ると大抵ナショナリズムの方向へと国家の舵がきられるものなのだ。
そこは何やら再び戦争でも起こりかねないような不穏な空気が感じられない訳でもない。
それも丁度うまい具合に中国及び韓国との関係が最悪である。
だからそこは特に左翼系の人々は心配で心配で仕方がない毎日である。
が、家の母などはこの右傾化をむしろ喜んでいる。
今の日本人はタランタランなのでもう一度ビシッと教育して貰った方が良いなどと仰る。
そうは言いながら、昔12月8日の寒い日にラジオで放送があって「米国に対する宣戦布告」というものを聞いたがあれなどは本当に辛かったなどとも語った。
お父さんー私にとってはお爺さんーがまた兵隊に取られて仕舞うので嫌だなあとまずそう思ったそうである。
ちなみに私の母方の祖父はその後衛生兵として従軍している。
後には在野の仏教の研究者となった祖父だったが、あの太平洋戦争の頃はたしかに軍隊に居たのである。
尚教育ということに関して、前回愛知県の行っていた管理教育のことを少しだけ引き合いに出した。
社会学者の内藤先生が若かりし頃闘った管理教育のことをである。
この管理教育は、一言で言うとかの軍国主義教育のようなものであった。
屡かっての軍事教練まがいの団体行動が強いられ、そこでは個の自由な意志は無視され其処ではただひたすら全体主義的な校則イデオロギーが叩き込まれるのである。
なんで戦後のそれも万博以後のこの日本国に於いて、それもかの日教組が幅を利かせていた筈の教育の場においてこんな時代錯誤的なナショナリズム教育が復活していたのか理解に苦しむ。
ー確かに高校の場合は日教組は組織的に関与して居ないにしてもである。ー
その軍国主義教育はしかし役に立っていた部分もあったのである。
管理教育というイデオロギーで雁字搦めに統制された高校生はたしかに一面でビシッとして居りさわやかでさえもあった。
対して今の高校生たちのだらしなさ。
たとえば地下鉄に乗ると何やら短いスカートでしかも股をおっ広げて座っている女子高生の一群がこの私の目の前に居た!
その地下鉄をおりて外へ出ると何やらゾロゾロとしたズボンを履いて鼻の穴に金の輪を通して訳の分からぬ変なダンスを踊っている若者らを其処かしこに見い出せり!
全く訳分かんないですわ。
彼等が一体何を考えて生きて居るのやら。
つまり、その二つの立場は共に二面性があるのである。
軍国主義は無論最も危ないのだが集団として組織的にキチッと統制され、あまっさえ其処で精神が磨かれるといった部分は確かにある。
一方戦後の自由な風潮は一見素晴らしいもののように見えて個としての自由の範囲の逸脱を生じせしめることさえもがある。
無論戦争は嫌だ。
戦争などは起こらない方が良い。
だが人類の歴史は戦いの歴史である。
戦争があったことではじめて人類は現在の繁栄した文明世界を築いている。
もっとも私の場合は戦争の意義は是非否定したい方だからついでに近代的な国家の方の意義も否定して仕舞うことにしている。
つまりは所謂左寄りのアナーキストなのである。
いや、それも本来なら右とか左ではない。
前にも述べたように、私は政治的理念よりも宗教や藝術によるところの直観的真理の方をより上位に置いている者である。
しかしその直観主義者ですら今の中等教育はマズいのではなかろうかと思うことが屡である。
二ヶ月位前だったか、会社の方で今年六十七歳になられるある部門の責任者の方が来られて「今後日本国は徴兵制を是非復活させるべきである。」などといきまいておられたがそれも心情としては分からない訳でもない。
つまり、私自身にしても、なかなかひとつには決め切れない。
物事には必ず望ましい面とそうではない面との二面がある。
その二面性を打ち消す為には既存の枠組みに代わるより大きく新たな枠組みの構築が必要となることだろう。
2012/12/18
つまりは所謂左寄りのアナーキストなのである。
いや、それも本来なら右とか左ではない。
前にも述べたように、私は政治的理念よりも宗教や藝術によるところの直観的真理の方をより上位に置いている者である。
しかしその直観主義者ですら今の中等教育はマズいのではなかろうかと思うことが屡である。
二ヶ月位前だったか、会社の方で今年六十七歳になられるある部門の責任者の方が来られて「今後日本国は徴兵制を是非復活させるべきである。」などといきまいておられたがそれも心情としては分からない訳でもない。
つまり、私自身にしても、なかなかひとつには決め切れない。
物事には必ず望ましい面とそうではない面との二面がある。
その二面性を打ち消す為には既存の枠組みに代わるより大きく新たな枠組みの構築が必要となることだろう。
2012/12/18