+ソロバン塾のOGAWA先生76歳がついにダウンし塾が閉鎖されたとの御話
歴史上最も有名な引きこもりだった人々-02 エミリー・ディキンソン
歴史上最も有名な引きこもりだった人々-04 マルセル・プルースト
歴史上最も有名な引きこもりだった人々-07 エミリー・ブロンテ
歴史上最も有名な引きこもりだった人々-10 J・D・サリンジャー
いやだからかくして文學の才に秀でる人の中には時として所謂「人嫌い」の面がまた発動したりも致す。
なのでソレはあくまで變なのじゃ無くむしろ當たり前のことなのだ。
つまるところが作家の内宇宙にこそ實りが有るのであり外側の世界には實りなどそも無し。
ソレばかりかソコはまるでケモノみたくにウルサイバカリなのですから。
歴史上最も有名な引きこもりだった人々-20 フランツ・カフカ
さうかしかしながら彼カフカ氏などはまた相当に悲惨な人生を歩んだ訳だ。
まあでも彼はさう天才的な文才の持ち主ですのでソレもまた致し方ありますまい。
でもココ迄イキますともはや病的な精神のレヴェルでせう。
歴史上最も有名な引きこもりだった人々-19 イヴ・サン=ローラン
ありゃこんなもんもまた混じっておったわ。
歴史上最も有名な引きこもりだった人々-23 エドガー・アラン・ポー
ついに出ました!
天才詩人のこんな「野垂れ死に」の様が!!
またこんな作家の自決などが屡起きるのであった。
ソコからするとどうも文學ソノモノがマズいもののやうにも思えてなりません。
むべなるかなまたソレも。
歴史上最も有名な引きこもりだった人々-29 フレデリック・ショパン
かのショパンはまたほんにメランコリックで且つ美しい旋律の曲を弾いたものだった。
だが彼は祖国への愛のやうなものもまた持ち合わせて居りさう「人嫌いだった」のは創作に集中するが為にだったのではないか。
歴史上最も有名な引きこもりだった人々-31 アドヴァルド・ムンク
さうソノムンク氏、彼こそは「變」に見える藝術家の筆頭であらうがでも彼もまたやり切りました。
さうどう變に見えやうが己が「藝術」をやり切ることこそが藝術者の使命だらう。
しかも彼はさう晩年に至り自分の作品とこそ心中した。
かう兎に角藝術に生きる人は基本的に「變」なのだ。
「變」ですがソレはあくまで彼や彼女に取り「正しい」認識であり行為なのです。
ソコからすればどうも「藝術」と「宗教」の世界は似て居るやうに思えてなりません。
さう兎に角教祖級の奴は基本的に「變」なのだ。
「變」ですがソレはあくまで彼や彼女に取り「正しい」認識であり行為なのです。
いずれにせよそんな藝術者や宗教者は所謂「常識的認識」とはほぼ違う視点より世の事象を見詰め語る訳です。
個人的にはソレがとても大事なことのやうに思えてならぬ。
ナゼナラニンゲンの世界(特に社會生活)に於いて最も難しいことは世の風潮に迎合せず眞のコトバをこそ述べることなのだ。
じゃあ「藝術」と「宗教」をやる輩がもしや全的に正しいので?
いいやさうでは無いにせよ少なくとも彼や彼女の発言に對し是非耳を傾けるべきなのではないか。
じゃあ自分の発言をもっと眞面目に聞いて欲しいのかい?
だからボクはまさか自分ダケだとは言っとらんでせう!
さうでは無くあらゆる藝術家や宗教家の発言に對ししかと向き直りソノ壱見變に観ゆる価値認識に對しむしろ擦り寄るべきなのです。
ええっ、じゃあアノASAHARA尊師だのまたアノ大川 隆法師だのの信者と化すのですか?
だからもうソレは邪教でせう、そんな邪教に近寄ると君はもう助からないぞおおさう地獄へと堕ちるのだ!!
じゃあイザ君の教義とそんな邪教の教義とは果たしてドコが違うの?
へいワタシの場合は兎に角山奥へと逃げて行きたしバカリなので御座ります。
ほうすると地位にもカネにもまたイイ👩にもまるで興味が御座らぬので?
いいえ實はカネダケは欲しくソノカネを握りつつそんな山奥へと逃げるのであります。
でもそんな山奥で果たしてナニをしたいのだ?
ナニをしたいって単に日日山を歩き自然の恵みを食しさうして文明の行く末を案じて居たいばかりなり。
あれコイツソノ価値観がすでに壊れてるな。
さうじゃあないわい、むしろ君等のソノ洗脳された価値観こそが狂って居るんだやう。
…ほうかほうか。
まあエエわ。
所詮君と儂の価値観はかう水と油だよ。
でもそろばんの先生は残念だったな。
はいまさか五月壱杯でソコが閉校して居たとは…。
しかも病状の回復が見込めずやむなく塾をたたんだのださうな。
あのOGAWA先生は確か76歳でしたね。
さうです、ソレも今年になり何故かドラッグスギヤマにて良く出くわしソノ折に先生はチョット危ないなとさう感じては居た。
さう兎に角體調が惡さうであった。
なので詩人もまた何時どうなるか分かりませんのですぜ。
ソノOGAWA先生は庭の剪定が得意で良く脚立を立て松の手入れなどをされて居た。
またワタシはソロバン塾の子等に時折石などをあげても居た。
センセイの友達の元塾の先生からの贈り物だとさう親には言うのだよ。
いずれにせよかうして全ては移り變わって行くのであった。
ですが移り變わりやうが無いものもまた有りまさにソレが作家達の「人嫌い」の様なのだ。
ソレもアノ明るい國の米國ですらソコの文人に限ればかうして變人が多い。
いや日本の作家や詩人の場合は特に戦前の場合にはもっともっと酷かったやうな気も致します。
でも君はヤッパリ「詩人」なのかなあ。
さう言って頂け何だかとても嬉しい。
いや詩人って結局は野垂れ死ぬのだよ。
いやだからさう野垂れ死ぬのをあえて目指し奥三河へと逃げたいのだ。
さうかではまあとりあえずはソレを目指し頑張って御覧。
ところで蛍の方はどうだった?
五月二十七日に観に行き乱舞状態のヒメボタルを観て参りました。
ところが壱匹も居ないので帰ろうとしたら丁度蛍撮影の人が機材を担ぎつつハイキング中のオバサンに聞いて居たのです。
かう壱匹も居らん。
どっかに蛍は居るの?
あそこにようけ居るんだてー。
アノ道を左に折れ進んだ右の竹林の中に。
ソノ通りにソコへ行きますと何と蛍の乱舞状態でした。
ソコにて四拾分程も観賞させて頂いた。
蛍の光は相變わらず無音にてソレもまるで星星の光のやうに無言である。
さう兎に角「遠さ」を感じさせる光なのだ。
故に蛍はさう飛び交い且つ光るのではあれソレはニンゲンの為の光では無いのである。
例えばニンゲンの為の光で俗な方の奴が所謂ネオンサインとなる。
わたくしはむしろさうして人間を忘れんが為に毎年相生山へと蛍を観に行くのであらう。
はあーまた如何にも文學的に纏めやがって…。
だってあくまで詩人なのですもの。
だから詩人なんぞはみんな野垂れ死ぬのがオチだ。
野垂れ死のうがどうしやうがかうして藝術の方が大事ではにゃーか。
…にゃーか?
さう、にゃーか。
いずれにせよ自然界ソノモノはむしろケモノです。
ですがソレをイザ文人の感度が観れば即ソレが美の萬華鏡世界と化さう。
でも文人ってそも變人ばかりですよ。
だからイイんでねえの、そんなに世界が光り輝くやうになるのだから。
あれっさうか、さう言えばまさにさうなのかもな。
じゃあそのうちにコイツと壱緒にソノ美の殿堂世界へと旅でもするか。
さうか、ではついに決意を固めて呉れたのだね?
いやオレはあくまでおめえのことよりソロバンの先生の方が可哀想じゃ。
いいやワシもまた今はソロバンの先生の方が可哀想じゃな。
ーかうして優しい詩人のココロの中ではソロバンの先生への思いばかりが膨らみそれでもってなかなかかの興正寺へは足を運べぬこととなって居たのでありましたー
ああっ、つい忘れて居たがたまたま🎇も観た。
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ソレがこんな🎇だった。
西八幡社の高台より壱時間近く観て居た。
ところが寒く風の強い夜で参りました。
でも後半の参拾分程は他に観客が参名現われむしろみんなでもって🎇を観て居たのです。
さうニンゲンに教えられたり集まったりすることでそも場が盛り上がるとのことが確かに有る。
ですが偏屈なる文人等はむしろさうした価値にこそ背を向けつまりは閉じ籠ったりもするのである。
ソレもイザ経験から申さばそんな環境に身と心を置くことでこそ「藝術」がやれる状況へとシフトするのです。
でもゲージツよりダンゴでせう、まさにソノ🍡。
さう🍡の方が常に美味い。
だからワシは詩人であると同時にさう🍡ニンゲンなんだな。
ソコに曰く、🌸より🍡。
そんな🍡詩人様、つまりはソレも両方やります、とのことなのですね?
さうですワタシは常に両方をやりますのです。
さうかうしつつ本日もまた日が暮れた。
するとまたぞろ光の世界が始まる。
そんな光の饗宴の世界を生きる時こそが個人的には大好きなのだ。
それとあいにくのこと人生は短いです、ゆえにこそ今を大事にし目壱杯に好きなことをやって行かう。
言うべきこととはまさにてなもんですかねえ。