目覚めよ!

文明批判と美と心の探求と

思想界の巨人としての田原 総一朗氏にあえて壱言言わせて頂きたしー宗教詩人よりの思想界の巨人に對する進言ー

ー結果誰が地獄へ堕ちるかは分かりません、分かりませんが神佛もまた自分を大褒めする文人を無礙には扱えぬ筈だー

 

 

 

 

91歳田原総一朗氏が断言「神なんてインチキ。神なんていない。地球が太陽の周り回ってるだけ」

 

さう元元「神」はドコにもおわしません。

さう元元「佛」はドコにもおわしません。

 

ではよりによりナゼニンゲンに取りソレが要るのか?

ナゼナラニンゲンの認識には独特のクセが有りソノクセの侭に文明をやるとまさに収拾のつかぬ程の破壊と混乱を齎して仕舞うからなのだ。

 

ですのでまずはソレがEQレヴェル(EQ偏差値)が高く有る人の認識となる。

さう「神佛」は元來空虚なる観念的虚妄の領域であるがしかしながらまさにソレを信ずる時に限りソレはほんたうのもの=眞實であり實相のものへと變化するものとならう。

 

合理⇔非合理

無神論⇔有神論

反自然⇔親自然

論理(理性)派⇔脱論理(脱理性)派

神⇔佛

 

尚「神佛」の存在意義を否定してかかるのは政治的に申して所謂左派としての特徴です。

即ち共産主義系のイデオロギーが「神佛」に寄りかかり生きることを嫌う。

 

ですがわたくしはまたソノ共産主義にも理解を示す即ち理性派なのだが同時にかうして「神佛」にもまたドップリと浸かる訳です。

アアどうも彼は彼ダケはソノ認識が普通とはまるで違うやうで…。

 

そりゃさうですがな彼はそんな認識上の天才の壱人ぞ。

いえ単なるバカなんじゃないかどうもソノ可能性が八八パーセント程も有るのではにゃいか。

 

…にゃいか?

さうソノ通りににゃいか。

 

 

共産主義⇔神佛

 

だから兎に角ドッチもまたやったれ。

なんとなればソノ相對概念ソノものがむしろ矛盾の巣窟なのですぞ。

 

ええっ?言ってることの意味がまるで分からない?

まあさうでせうがソコは😣をしつつ聞くことこそがアナタに取り精神の上での修行なのですぞ。

 

さて相生山の蛍観賞の御話はまたちゃんと書きますね。

 

ですが「神はインチキ」との発言はむしろそんなことは當たり前のことだらう、とさう思いましたので本日は壱言述べさせて頂いた。

だが田原さん、アナタはまた死の直前に良くぞソコ迄論理的に破綻したものだ。

 

どだいアナタはかって革命派だった筈ながら現在では大日本國の興隆をこそ願う右派とおなりなのでせう?

でもさう右派ならば所謂「神道」とは無関係では居られぬ筈だ。

 

だからアナタにはハッキリ申して失望させられました。

アナタのことをワタシは「天才」の壱人だとさう感じても居た。

 

ナゼナラアナタはさう左と右の思想を共に持ち得たからなのだ。

さう思想的な意味での「天才」とは明らかにさう双方がやれるニンゲンなのだから。

 

だがアナタはまた昔の革命思想に戻りつつあるのではにゃいか。

…にゃいか。?

 

さうにゃいか。

そんなアナタはもはや地獄へ堕ちるぞよ!

 

もはや地獄ダケがアナタを待つ輝かしい未來であるぞよ。

ソンナ田原ジジイさうサッサと地獄へ堕ちるがイイ!!

 

ではアナタは地獄へ堕ちない?

いえ元元如何にも堕ちさうな感じでせうか。

 

だから祈ってるのじゃないですかかうして毎日コノ瞬間、瞬間に。

あれじゃあアナタ宗教詩人様は世を救うとかさうしたことでは無くあくまで自らの👿性を救わんが為にさう神佛に祈っておみえなのか。

 

さうなのだ、實はじぶんのみが救われんが為にさう日日祈りを捧げるのだ。

じゃあコノケモノみたいな世間のニンゲン共は皆死んでから地獄へ堕ちればイイとさう思うのでありますか?

 

まさにさう思いますのです。

ニンゲンはひとつそのやうに塗炭の苦しみの中に生きた方が宜しからう。

 

だからみんなでもってゼヒ地獄へ堕ちればイイ。

とまあさう思わぬことも無いがほんたうのほんたうは半分位は多分善人が居るのでいやさうでは無くおそらく弐、参割位のものであらうがそんなココロ根の清き人人が居るのでさうした人人は信ずる宗教や宗派の別無く救われて欲しいと正直にさう願う。

 

ですがソコへ自分が入ってるものとさう過信してはならぬ。

じゃあ宗教詩人様御自身もソコに入って居るとは限らないのか?

 

實はさうなんだ。

また高僧や枢機卿にせよ救われるとは限らないものなのだ。

 

すると名も無きまた力も無きさらにカネも無きそんな清貧のニンゲンならばまず間違い無く救われるので?

いやまたさうとも限らぬのがコノ世の實に厄介なところなのです。

 

 

但し清き心根ダケは常に大事にして置く方がイイ。

清き心根はむしろ愛を他へと投げかける。

 

ええっ?ではアナタとはまるで違いますね。

さうなんですね、だからコソボクはかうしてコソコソと隠れる如くに生きつまりは目立たぬやうにちっこい👿(小惡魔)をやって居ます。

 

じゃあアナタの本心ではコンナ腐った認識しか出來ぬニンゲン共は皆地獄へ堕ちるべきなのか?

だから先に申したでせう。

 

さう救われるべき心根が此の世には必ずや有る。

さうソレは無いのでは無く有るのだから…。

 

無⇔有

 

だけれどもソレもまた厳密に言えば相對分別なのでほんたうのほんたうはソノドチラもやれなければなりまへん。

いずれにせよコノ五月はナゼカ寒い季節でした。

 

さう地球の気候が愈愈オカシイぞ。

ソノ地球の気候の状態こそが文明のあり方を「客観的」に示す尺度とならう。

 

さうだから「客観的」に観て明らかに現代文明はオカシイんだ。

まあでも頑張りませう。

 

果たしてソコでナニを頑張るので?

はい現代文明が早急に終わることをむしろ我は切に願う。

 

ほれまた出たぞ、鬱病詩人の大悲観主義のカタマリが…。

いえだってかの大TOYOTAが儲け過ぎでオカシイ。

 

またかの大NISSANが潰れさうで可哀相。

 

でもまあそんなことはどーでもエエか。

じゃあむしろ蛍だな問題は…。

 

ちなみにたったイマ庭に靑い露草が多く咲きますがまるでウソのやうにソレが美しい。

蛍も露草も結局はさうして美しいばかりなり。

 

おやまた随分と達観なされた認識をされておるやうですが…。

いや自然界のものはなべてがソノやうに清く光り輝き美しい。

 

うーん、確かにソコ迄の認識はおそらくほとんどの世間の人にはやれんことなのかも。

…でせう?

 

でもイザボクはもうココに居るのだもんねー。

ーもはや汝は地獄へと堕ちよ、ソノ地獄の中でソノ悪のココロをゼヒ洗い流せ!ー

 

あれイマなんか声が聞こえましたのですがどうも空耳でしたかね。

さう壱旦は逃げおおせた詩人ながら翌朝目覚めるとナゼカ地獄の門が開きしかもソコに自らがスイーと吸い込まれて行くのでした。

 

でも彼は生前に御釈迦様を信じて居たのでソコに蜘蛛の糸が垂らされソレにしがみつき極樂浄土へと昇って行った。

されどソノ折に多くの善男善女を蹴倒しさらに自分が浄土へ至ると糸を噛み切ったので今度は最後の審判の方に回されソコにて有罪が確定し今度はクリスト教の地獄の方へと回されて行くのでした。

 

ああなんて罪深き文人であることか彼宗教詩人は。

ですがとりあえず彼が色んな神神や佛と仲が良いことだけは「強み」でせう。

 

なので苦境に陥るとすぐに違う神や佛に救いを求める。

すると神や佛もまた生前に彼が自らを褒め称えて居たことを思い出し即ち彼を救わざるを得なくもなる。

 

だがこんな田原氏を救う神佛はもはやドコにも居らず。

かと言ってすでに右傾化した田原氏を左翼が助ける筈も無いのであります。

 

アアでも可哀想な田原さん。

アナタのソノココロの不毛を救うのだとすればソレはもはやボクしか居ないのでは…。

 

いやでも人のことをどうかう言える立場では無い。

さうかではまずは自分を救おう。

 

どだいボクには生まれつきパワーが欠けるのでそんな弱いパワーをアナタに注げるものでもなし。

なので兎に角祈らう。

 

兎に角ソレのみだ。

 

天にまします神様、どうかどうか我我罪人を御救い下され。

彼方におわす佛様、どうかどうかソノ智慧を我我バカニンゲンに御授け下され。

 

ーさうかさうかどうもイイ子だなー

とさう神と佛をだまくらかして自分ダケがイイ思いをしたいと願う宗教詩人の本心こそがソコに有る!!

 

とのことで彼はほんに惡い子であった。

だがソノ悪い子である彼を神佛は決して見捨てたりはしない。

 

なんとなればこんだけ毎日のやうに神佛をネタにものごとを書いて來たので次第に神佛もまた無視する訳には行かなくなり要するにアアまたアイツか、位には何時の間にか気に留めて頂けるやうになったのでした。

との妄想によりおそらく彼妄想宗教詩人は今夜もまたグッスリと眠ることであらう。

 

…ありゃあでもまた眠れんな、どうも最近は不眠症の度が酷いぞ、おおまるでコノ壊れた地球の気候のやうに不安定な精神の塩梅だわな。

ま、でも今日もかうして生きてナニカを語り明日の朝に彼が死んで居る可能性は弐、参パーセント位なものなのでもうコレは「ヨシ」としなければなりますまい。

 

田原さん、あらゆる思想の上での修羅場を潜り抜けられて來し先達に對し思想詩人が申すべきことは何も有りません。

けれど宗教詩人の立場より考えられることをあえて本日はココに書き記して置きましたのでした。