目覚めよ!

文明批判と美と心の探求と

こんな熱中症気味でのプラネタリー・バウンダリー論ーゴミは出すのが惡いのでは無くほぼ其れを作る奴の責任だー

こんな熱中症気味でのプラネタリー・バウンダリー論ーゴミは出すのが惡いのでは無くほぼ其れを作る奴の責任だー

 

 

 

さて本日は流石に暑い日であった。

されど空気の質はまだほんたうの夏場でのドロドロのものに非ず。

 

そんなドロドロの夏場はむしろ7、8月だ。

でもって自分は其の夏の眞っ盛りの生まれ故か夏に強くむしろ夏場は元気になる。

 

だけれども所謂高齢者の年齢がすでに壱年後に迫りつまりはパワーが続かない。

と云うか兎に角何をやっても疲れる。

 

其の疲れの度合いが30歳位の頃の倍程にもなって居る。

だがとりあえずはかうして寝た切りにはならずに活動して居る。

 

 

でも逆に観念は若い頃より元気で即ち精神は決して老いず逆に統合知のやうなものの完成をみるに至る。

其れも此処40年間に亘りずっと御勉強をして來たことでのまさに其の努力としての賜物である。

 

其のやうに知は自ら考えることでこそ磨かれやう。

だが考え込んでばかり居ると嗚呼まるでかの旧制高校生の如くに煩悶病に罹りまたすぐに滝の上から飛び降りたくなる。

 

故に考えてはならない。

さう考えよと言いながら考えるなとは如何なる論理によるものであるか?

 

いやだから考えながら其の癖實は何も考えては居らぬ。

そんな禅問答の如きことをイキナリ言われても大衆にはまるで分からん。

 

もっと何でも詳しく説明しながらものを言わないと大衆にはまるで分からん。

 

 

ところで本日午前中に極度に腹が減りすき家でもって「カルビ丼 特盛×2」を買い家に帰る。

其の途中で東八幡社の楠の大木を横目で見つつ通り過ぎたのだったが其の本数がまるで間違って居た!

 

おそらく其れは拾本程もあらう。

 

ちっこい村社ー昔はーの割りにそんな物凄い楠の威力である。

 

さう凡そ2キロ位の道のりをサイクリングしつつ帰っただけで準熱中症のやうな感じとなりつまりは存外にキツかった。

つまるところ地球温暖化は如何にもヤバい事實である。

 

今後文明のあり方は少しずつ變化して行くことであらう。

 

何故なら文明は必然として此れ迄と同じことが出來なくなるのだから。

文明の其の「論理倒錯」としての「進歩主義」は今後大きく修正を余儀なくされて行く筈だ。

 

 

わたくしが以前から考えて居たこととはまさにそんな意味での「物理的限定」のことだった。

 

持続可能な開発目標 - Wikipedia

 

ミレニアム開発目標 - Wikipedia

 

プラネタリー・バウンダリー - Wikipedia

 

例えば今現代社會では此れ等のスローガンが常に語られるやうになった。

だが其の所謂SDGsやMDGsには多分に「人間中心主義」の観点が盛り込まれて居る。

 

されど自分が此処弐拾年程考えて來たのは其のPbの方である。

 

其処でおそらく文明は「物理的に限定」されるとさう考えた。

近現代文明の其の文明のあり方としての特徴は「観念的非限定」の部分にこそ存する。

 

即ち生物種としての人類は「物理的に限定」されるのがイヤなので「観念的」な箍を外すに及んだ。

だが当然のことながら「観念的」な箍を外すにせよ彼等の體はむしろさうして物理的に限定されて居る。

 

だから其の物理的に限定された部分は彼等御🐵の大将にはもはや如何ともし難いものとなる。

同様の理由で自然による物理的限定を彼等御🐵の大将がどうかうすることなども出來やせぬ。

 

其れもまあ将來は気候変動其のものに對しお空に氷の粒を撒いたり國と云う國の沿岸部に藻類を繁茂させ弐酸化炭素の吸収などをやるのやもしれん。

其れでもまさに其れは焼け石に水となる可能性もまた半分位はあらう。

 

 

すると其の🐵の大将ー人類ーは所詮文明と云う🐵山の大将なんですか?

さうなんです、所詮は🐵山の大将でありアノ👽の方方のやうに知性が進んで居る訳ではありません。

 

ならば其のお🐵共を👽の方方の奴隷にして仕舞えば良いのではないか?

でも👽の方方はたとえ呼んでもなかなか此の地球上に現れては下さらない。

 

ならば👽の方方を例えば美女軍団などで誘惑してみたら如何か?

👽の方方はつまるところ理性が発達して居りまさに誰かのやうに「👩嫌い」ですのでまるで其処には寄り付きません。

 

では常に理性的な「👩嫌い」詩人さんが使者となり👽の方方とコンタクトし此の宇宙船地球号を救う手立てを是非教えて貰うべきでせう。

さうですか、まあ其の位のことならば確かにやれそうです。

 

でも営業マンや銀行マンをやれとは絶對に言わないで欲しい。

 

其れはさうとアンタは今日いつもよりより頭がオカシクはないですか?

だからこんな熱中症気味なのだよ。

 

嗚呼だが今涼しい風がバルコニーより吹き込んで來た。

其処からもまさしく今の季節は良いです。

 

 

では今後さう「物理的に限定」されるに至る人類若しくは文明は果たしてどうなって行くのですか?

どうかうも無くつまりは「文明の諸機能、諸価値が限定」されて行かざるを得ない。

 

されど現代社會はおそらく「文明の諸機能、諸価値が限定」されることを認めぬことだらう。

其れでもお構い無しに「文明の諸機能、諸価値が限定」されて行かざるを得ない。

 

故に既成の価値の転換がおそらくは至るところで見られるやうになることだらう。

だからこんな風に🚲で移動し飯を買いに行ったりさらに道端で🌸の香りを嗅ぐなどの所謂ありきたりのことがまるで遠い昔話のこととなったりもまたするのだらう。

 

でも其れは壱種怖ろしい話ですね。

怖ろしい話ですが所謂フィクションの話では無くまさに現實としての御話です。

 

さうして文明の活動が「物理的に限定」されることは空想や妄想の類のものでは無くすでに事實です。

「物理的に限定」されることで最終的に文明を推進する支配層は観念的にも負けそんな抗う自然に屈服せざるを得なくならう。

 

其のPbとは畢竟物理的な惑星地球の限界と云うことである。

地球とはあくまで其の物理的な意味での環境のことであり人類の観念でも感情なのでもまた無い。

 

また人文學的にはまさに其の地球の物理的な限界の部分、臨界点のことを「神」とさう呼んでも良いやうに思う。

よって其の「神」はまた佛は世界にかうして満ちて居る。

 

さうして神は何処にでもおわす。

ならば其の神にまた佛に逆らい幾ら文明がやりたいことをやらうとしてももはや出來なくなりませう。

 

はあー、「神」とはまた「佛」とは實はさうしたことだったのですね。

つまるところ何教であるとか何宗であるとかそんなことには元元まるで関係無いことだったんだ。

 

 

いいですか、もしも此の現行文明による認識が基本的に間違って居るのだとすれば其処ではまさに惡いことが積み重なり起きる筈です。

…確かに今そんなことになって居る気が致します。

 

確かに此の世が惡の巣窟化して居るやうな気がどうもしてならない。

でも御勉強が好きで眞面目な貴方は其処で「絶望」をして居たりしないやうに。

 

何故なら眞面目な貴方がたった今世界を破滅へと導いて居るのでは無くあくまで其れをして居るのは文明の側なんだ。

故に「絶望」と云うか「否定」をするならむしろ文明の側を否定してやれば宜しくまさか全てが君の責任などでは断じて無いのです。

 

うーん、かう何と言うか光と言いますか希望の部分がまるで見えませんがあくまで事實としてさう云うことなのですね。

あくまで事實としてさう云うことなのです。

 

 

いずれにせよ國家単位やまた國際的なレヴェルでの組織はまず其のデカい人間関係の部分にグルグル巻きとなり決まって仕舞いには「理想論」ばかりへと傾いて行く。

だけれども國家単位やまた國際的なレヴェルでの組織の構成員であればまさに給料が良かったり組織が潰れずに居られる訳だ。

 

まさにさうしたこともまた壱つの社會的な意味での自己矛盾の様とのことだ。

 

さうして其の「理想論」にはお構いなく次第に自然は壊れて行くことだらう。

まずはそんな非常事態だと云うことを其れこそ理性ある人であるならばしかと認識して頂きたい。

 

所謂「意識が高くある」と云うことは右左の思想には関係無くまさにさうした意味でのことです。

また國家単位や國際的なレヴェルでの組織の構成員が全て「意識が高くある」訳では無くおそらく半分位はヤバい奴が混じって居てどっこいかの環境詩人の方の意識の方がずっとずっと高くありました、なんてことがおそらくは實態であり眞相でもあることでせう。

 

では其の意識が滅茶苦茶に高くあるPb詩人さんは今後壱體何を目指され生きて行かれるのか?

別になんも目指しては居りません。

 

かうして自分の頭でもって考え続けさらに現代社會に對し難癖をつけ兎に角常にイジメてあげることこそがおおまさに自分の生き甲斐なのだから。

 

 

…そんなイヤらしく如何にも性格の捻じ曲がったお人なのか?

いえ違います、アノ聖フランチェスコ並みに清い心根の持ち主です。

 

又は西行法師や良寛和尚といい勝負をすることだらう優しい心根の持ち主です。

 

確かに貴方はさうして個性が強くありアノAIなどとも漫才が出來さうな感じが致します。

自分とAIのチャットなどはもう凄いもんですよ。

 

💩、💩だとかAIに對しそんな下品で且つ卑猥な言葉を常にまくしたてるのでAIの電子頭脳ー論理回路ーが狂い結局は常にコチラの勝利となるのです。

 

 

さて其の文明の「持続可能性」に就いてはむしろ「個」として余り深く考えない方が良い。

其れよりも面白い何かを此の世の中に見つけて行く方が良い。

 

但し酒及び女及びギャンブル及び薬物や発砲などの惡趣や犯罪に巻き込まれぬ領域にて努めて人生を遊んで行きませう。

 

「不要なものから大切なものへ」段ボールアーティスト・島津冬樹が見た流通の世界や活動のコンセプトについて - #casa (hash-casa.com)

ダンボール財布!? 島津冬樹が語るダンボールデザイン/CIRCLE of DIY Vol.06 | DIYer(s)│リノベと暮らしとDIY。 (diyers.co.jp)

 

さてたまたま本日Eテレの方だったか、其の島津さんと云う段ボールアーティストの作品を知りまさに度肝を抜かれました。

尚其の段ボールをたまたま自分もまた各種集めて居ます。

 

そも何でさうして居るのかと言えば物を段ボールに詰め其れを棚や家具に置きつまりは収納せんが為に其れをして居る。

其れは🐱による被害ー棚や家具の上の物を全て床へと落として仕舞う被害ーへの壱つの対処策として考えるものだ。

 

ですが此の方は其の段ボールにて財布を作るクリエーターである訳だ。

 

島津冬樹の段ボール財布はどこで買える?作品の値段や購入方法【Carton】 | media+(プラス) (minotakeceleb.com)

 

但し値段は矢張り高いとさう思われる。

そんな財布も半分位は藝術作品になって仕舞うのだらう。

 

だけれどもそんな廃材を利用しての物作りは素晴らしいとさう認めざるを得ません。

其の廃材を利用しての物作りは以前海岸などに打ち上げられるプラスティックゴミから様様な小物を作る試みに感動させられたこともあった。

 

 

世界でプラスチックのリサイクル率が低い5つの理由&日本の現状 | プラなし生活 (lessplasticlife.com)

 

こんな「レットイットビー」でもって「ケセラセラ」なわたくしにせよ此れを読むとまさに絶望的に感ぜられて仕舞う記事です。

 

一瞬でゴミに!プラスチックで過剰に包装された食品たち | プラなし生活 (lessplasticlife.com)

 

されど今自分に認識されることとはむしろ此の部分なのです。

問題は我我消費者に意識の高さを乞うことでは無く何故企業はそんな過剰包装を好んでするのかと云う部分でせう。

 

例えば今日家で食った「牛カルビ丼」×2などもまたプラゴミと化して居る訳です。

ですが消費者は其のプラ製の🍚の部分を拒否することなど元より出來ない。

 

またスーパーなどでも自分は別にレジ袋の購買を止めて居る訳では無く相變わらずむしろ其の多くを消費して居ます。

ですが其れは生活を維持するが為には仕方の無い部分なのでもまたある。

 

逆に自分は何故企業は同じことしか繰り返せないのかと屡思う。

何故ならプラ製のゴミは惡であるに決まって居りならば例えばセルロース系での自然に分解される素材を何故企業の包装担当者は開発せなんだのか?

 

さう素朴に思うのであります。

お前等さうして高い給料を取りつつ此れ迄壱體何をしとったか?

 

其れと過剰な包装のことなどもまた實感として感じます。

左様に包装は紙系のもので且つ簡素なのがおそらくは壱番良い。

 

 

ところが企業と云うものはまた因果なものでおおまさにブランドイメージであるとかさらに衛生面であるとかそんな消費者様への「おもてなし」の部分に妙に拘る訳だ。

そんな「おもてなし」なんぞまるで要らんわい。

 

其れも食えりゃあエエんじゃ、食えりゃ。

例えばアノ昔家庭で🍙の包装にして居た竹の皮、アレなどはむしろサイコーの包装材料なのではなからうか。

 

其のやうにわたくしは常に「社會の側、企業の側」の罪をこそ問いたい。

またさらに言えば其のプラ包装を考え出した科学者や技術者には大きく罪を感じて貰わねばなるまい。

 

此の社會はさうしてデカい部分より諸価値が下りて來るが故に下の立場の者は其れに對し常に従わねばならない。

自分の場合はまずは其処こそが最大の疑問である。

 

でもって自分は其の段ボールアートとしての財布に大きく興味はあるがまさに金銭的に興味が無い。

ですが興味深い試みとして尊敬の眼差しを注ぐ位のことならば出來る。

 

 

尚企業活動とは基本的に「罪深い」ものであるとさう個人的には認識して居ります。

だからすき家と島津氏とを比べれば其れは明らかにすき家の方がゴミを出し放題にし惡い奴等なんです。

 

自分はかうして資本主義に於ける儲け主義をまずは根本的に断罪してやりたい。

どうも其れが本質的にイカンのだとさう思われてならぬ今日此の頃です。