目覚めよ!

文明批判と美と心の探求と

『人新世 地球を飲み込む欲望』を視聴し考えたこと

 

『人新世 地球を飲み込む欲望』を視聴し考えたこと

 

 

 

 

NHKオンデマンド | NHKスペシャル ヒューマンエイジ 人間の時代 第1集 人新世 地球を飲み込む欲望 (nhk-ondemand.jp)

 

こちらの番組をTVとオンデマンドで弐度視たので其の感想を是非述べさせて頂く。

 

まず此の種の深刻なまたつまりはシリアスな番組を民放各局は制作することが出來ぬ。

其れは事實である。

 

何故なら「人類滅亡の番組」に金出すスポンサーなど居る訳がねえ。

つまり適当にギャグ=おバカと欲望とを核と為し結局はみんなが樂しく視られる番組を作ることこそが民放の使命なのだから。

 

だがNHKはかうして黙って居ても所謂視聴料が取れる。

だから所謂體制馬鹿にもなるが他方では其の體制馬鹿がこんな番組迄作っちまう。

 

天下のNHKよでもアンタは偉い。

何故ならかうして「ほんたうのこと」を大衆に伝える番組もまた作って御座る。

 

だが大衆はそんなもんを余り視たくは無い。

そんな大衆は決まってエロとグロとギャンブル物などが大好きだ。

 

其の下品この上無き大衆よ目覚めよ!

 

さうは言われましてもエロとグロとギャンブル物こそが此の世でのサイコーの娯楽ではないか。

さうかなあ、でも僕の場合には御勉強と石と万年筆だけがサイコーの娯楽なんだが…。

 

でも其れは詩人の偏向した価値観でせう。

普通はむしろエロとグロとギャンブル物こそが此の世でのサイコーの娯楽なんです。

 

さうでしたか、でも僕は生まれついての眞面目だからそんなもんには縁が無くつまりは御釈迦様やキリスト様の御説法の内容と常に歩む者なのです。

そんなおまえはバカだ!

 

さても何処がバカなんだ?

そんなNHKの「人類滅亡の番組」を結果かぶりつきで視て居るお前はバカだ!!

 

…バカでもエエわ。

そんなバカでもエエから其の眞理と戯れる、おおまさに其こそが詩人の生き様で無くて何であらう?

 

 

冗談抜きにしてとてつもなく厳しい番組の内容其のものでした。

 

ですが以下にあくまで自分はどう考えるかと言うことのみを述べて置く。

 

さて「人新世」人新世 - Wikipediaとは言ってみれば新たに人類が開いた新たな地質年代と云うことです。

其れも平たく申せば人類が自然の循環から離陸して以降加速度的に行って來た「地球への破壊行為」の痕跡が刻まれた時代のことだ。

 

勿論其の「破壊」は人類其れも「文明」其れも「近代型文明」が成立させて來しことである。

尚前近代型文明にもまた破壊の痕跡は認められるが其れは大規模なものとはなり得ない訳です。

 

故に「前近代型文明」が地球の破壊者であるとは言えないことかと思われる。

 

さて社會科詩人はもう長いこと現代文明を貶し続けて参りました。

何でさうなったのかと言えば自分が元塾の社會科の講師だったからです。

 

だから其れがヤバいことはもう40年位前から何となく分かって居た。

またコレは相当にヤバいぞとさう思い始めたのは弐拾年程前からです。

 

まあ然しそんなことはもう昔の御話である。

 

では何がヤバいのか、畢竟其のことに尽きて居ることだらう。

 

1.環境破壊

2.人的搾取

3.偽善の横行

 

まずは此の参点が相互に密接に絡み合い「破壊」を成り立たせて居ます。

 

其の「環境破壊」とは自然に對する搾取過程のことですので1.と2.は共に搾取過程となる。

搾取過程と言えば当然に「資本主義経済體制」の常ですので要するに事の参分の弐位は其の強欲な「資本主義経済體制」による破壊のこととなる。

 

故に其の破壊を止めたければ無論のこと社會主義革命などもまた当然に可となる。

 

また3.の「偽善」とは「資本主義経済體制」が何時の間にか成立させて仕舞うまさに「反キリスト」的な偽善者の横行のこととなる。

第壱みんなは「働きさえして居れば其れで御の字=正解」だとさう思って居ますよね。

 

かって自分は社會的に働くのが大嫌いで其れでもって大學時代より家庭教師などをやって居た。

其処を曲げ参拾前にあえて外で働くことを選んだがほぼ間違って居ました。

 

と言うのも自分に限り是非塾を選ぶべきだった。

其のやうに自分がやりたいものだけをまずはやるべきでせう。

 

其の代わりに周りはむしろ安心しますが結局は其処につまらん社會性が身に付くダケのことで逆に本質面に對し遠回りをすることとなる。

とは言え35歳位迄は適当にバイトをして居ただけのことです。

 

ですが40歳位からはまさに大變でした。

其れも公私共共やることだらけとなり兎に角心理的に余裕が無く其れでも筆記具掲示板の主筆迄務め上げた。

 

さて其の「偽善」とはそんな社會化された過程に必然として組み込まれる価値である。

但し藝術や宗教さらに學問ー教育をも含めるーの分野にはそんな「偽善」的エネルギーを縮小して呉れる働きがあります。

 

其れでもって「ヒューマンエイジ」では各分野に亘る學者さんが其の「人新世」に関するコメントを述べて下さる。

 

藤原辰史 - Wikipedia

 

中でも此の歴史學者さんが人類の欲望を「社會」と関連付け述べられて居る部分には少しく驚かされました。

またつまりは其の視点こそが自分の考えであり論調と近しいものとなる部分です。

 

つまりは其れが「人文、社會學」としての視点なのではないか。

 

事實として我我現代人の欲望はほぼ「社會的に規定されるもの」です。

例えばマイホームや快適な生活、其れに結婚や子育てなどの価値はほぼ社會的欲望であると考えられる。

 

ですが石と万年筆はどう考えても違う。

石と万年筆はマイホームや快適な生活、其れに結婚や子育てなどとは対極に位置するであらう個人的な価値である。ーそんなマニアとしての価値ー

 

其れに自分が御勉強として好きな哲學分野での思考や藝術鑑賞其れに佛教やキリスト教に於ける教義の研究などもまたマイホームや快適な生活、其れに結婚や子育てなどとは対極に位置するであらう個人的な価値である。ーそんなマニアとしての価値ー

 

だから自分はそもそんな社會化ー大衆化ー出來ぬ物質と観念の趣味の分野をさうしてイヤイヤながら會社へ行きつつまさに其れダケを心の慰みとしてして來たのでした。

逆に言えば其れがもしも無かったら今の自分はありません。

 

でもって何せかうして御勉強はして來て居るので學者並みのこともつい言えて仕舞う。

 

 

4.理性の意味を今壱度問い直す

5.デタッチメントなる価値の重要性に気付く

 

其の「社會性」が齎す常識的価値に疑いの思考を向けること以外に上記での知的作業が是非必要となることでせう。

 

件の藤原先生はまるで「欲望は社會関係の中よりまさに生ずる」とでも述べられて居るかのやうだ。

さうなんです、現代人の欲望とはほぼ其の社會的な洗脳に基づき醸成されるものです。

 

つまるところみんなが現代社會の言いなりになりつつよりデカい妄想的欲望に飛び付くのだ。

 

であるからこそむしろ其れとは逆方向を向く必要がある。

そんな難しいことはそも我我には出來ぬことだ。

 

いやまるで難しくはありません。

つまりはココで僕が詩人に化け述べ続けて來たことこそが其の4.であり5.のことです。

 

 

6.藝術作品

7.學者の論文

8.御釈迦様とイエス様の教え

 

だからまずはこちらの方をこそ御勉強して行かねばなりません。

 

さらに、

 

9.無理にでも自然と戯れてみる

10.社會を信用しない

11.地球を壊すのは現代社會であり現代人としての我我個には非ず

 

畢竟さうして地球を壊すのは僕でも君でも無い「現代社會」野郎のせいである。

つまりはあくまで文明が惡いのであり決して君や僕が惡人であるからさうなる訳じゃない。

 

 

其れも社會科としての専門用語でもって其の部分を説明すれば「近代全體主義」が此の地球を根こそぎに壊して仕舞う。

 

よって、

 

12.現代文明なんぞクソくらえ!!!

 

位の認識で居る方がまだしもまともで居られるのだ、其れもあくまで個としては。

 

ズバリ言えば「社會の欲」こそがかうして人類全體を追い詰め地球を壊すのだ。

故に社會なんぞはクソくらえ!!!なのです。

 

藤原先生が番組中で述べられたことでいま壱つ印象深い発言がありました。

 

其れは「お任せ史観」では結局文明が同じことの繰り返しとなり決して課題の解決には繋がらないと云うことだ。

「お任せ史観」とは個が盲目的に現代社會を信じ其れに従うことで歴史過程が形作られるとのことでせう。

 

つまるところ其れを我が言葉で言えばまさに「洗脳」でありつまりは社會的洗脳を我我個は常に突き付けられて居る。

其の洗脳からは距離を取り自立的且つ自律的な判断や思考を磨かぬ限り我我の心は何時迄経ってもそんな社會の価値観の奴隷として終わって行かざるを得ぬ。

 

社會はさうして間違った體制でもって個に對し兎に角欲望を煽る。

だから故に自分はむしろ自分がほんたうに欲しい物だけに限定したい。

 

ほんたうに欲しい物とは元より石と筆記具だけなのだ。

だから他のものはもう見ない、聞かない、買わない。

 

故に其れもまた「限定」の働きを果たすだらうモノの力としての御話なのだ。