「性善説」に於ける文明への罠ー天才脳科学者中野 信子氏の言説に拍手す
今度はまた雨降りの日が続いて居る。
まるで梅雨入りしたかのやうに壱日中雨が降る。
中野信子「この残酷な現実に、果たして性善説だけで対峙していけるか」人間の闇、脳の“暗部”に着目する理由 (msn.com)
うーん、まさに其のことでせう。
其の「現存在の性善説」などはもはや棄て去るべきである。
逆に「人間共は惡い奴等」だとさう考えた方が現實との辻褄が合うのです。
即ち「人間共は惡い奴等」なので結局世界は破壊されて行く訳です。
其れにしても此の中野信子 - Wikipedia氏は凄い學者だ。
此の人は時折TVに出たりするバカタレント學者の壱人かとさう思って居りしが結局さうでは無かった。
其れで其の中野 信子氏の言説にたった今嵌まって居ます。
此の人は兎に角頭が良い。
其の頭の良い👩に我はとても弱い。
つまりは理性的な👩にかうしてつい踏みしだかれて仕舞う。
偏差値が70以上もあるともう其れだけで其のハイヒールに踏みしだかれて仕舞う。
また其処では是非メガネをかけて居て欲しい。
さても其の人間共とは壱體何者なのだ?
中野信子 Archives - フジテレビュー!! (fujitv-view.jp)
其の『脳の闇』中野信子 『脳の闇』 | 新潮社 (shinchosha.co.jp)と云う著作を是非読んでみたい。
其処でもって其のまことに厄介な人間の心理に就き考えてみたい。
【衝撃事実】中野信子は脳科学者IQ148の天才!旦那や子供とプロフィールも | (trendy-da.net)
さうですか、此の方が其の「天才」でしたか。
でもって「御題目」は體に良いとのこと。
さても現存在に於いて間違って居るのはおそらく其の「認識上の癖」のことだらう。
其れを自分自身は「正しい」とさう信じて御座るがむしろ其の信心こそが間違いなのだ。
だが面と向かいズバリと「おみゃーの認識は間違いだ」とさう言われるともはや誰しも我慢がならぬ。
でも間違ってるから間違ってると自分の場合はかうして詩人に化けた上でさう言うたりましたのです。
正しい⇔正しくない=間違い
でもってそも現象界に「正しいだけのもの」はありません。
現象界とは本質界からの分離世界でありよって其の全てが「紛いもの」としての気風を帯びて行かざるを得ません。
其の「紛いもの」をよりにより我我人間は「信じて」御座るのだ。
なので其の「信心」其のものが根本的にまた間違いです。
尤も其れをかって述べられたのが御釈迦様とイエス様でした。
ですが其れを治すのは現存在に取りまさに至難の業なのです。
だからまだ全然治って居ません。
つまるところ我我人間はビョーキ其のものの認識に甘んじておるのです。
【全目次】脳の闇 / 中野信子【要点・もくじ・評価感想】 #脳の闇 #中野信子 - モクホン (mokuhon.net)
では早速に此の本の目次の部分より考えを巡らせてみませう。
何せ本を読んで居ないので憶測からものを言わねばなりませんが其れもまた壱興かとさうも思えますのです。
ですがあくまで本の内容に就き吟味するのでは無く其れをヒントにしつつ自分の意見を述べさせて頂きます。
まず現存在の認識は社會的なバイアスにより形作られて居やう。
自分などもまた凡そ60年間は其の「社會的なバイアス」により所謂「心理」が形成されて居りました。
でもって今もまだ半分位でせうか其の「社會的なバイアス」により我が「心理」が形成されて居ります。
でも半分はすでに捨て去ったやうな気もまた致します。
なので時折變なことを言いますが言わば其れはすでに半分は自分が人間では無いからです。
でもって自分はあくまで其の「社會的なバイアス」が「全體主義」に陥るのだからまさに其れこそがビョーキの元凶だとさう申して参った訳だ。
ところが「社會的なバイアス」を消してもまだ「個的なバイアス」での倒錯的論理が其処に残るのです。
即ち現存在の心を百パーセント理性化することなどはまさか出來ぬのです。
逆にむしろ百パーセント情動化することの方がやり易いのである。
所謂まさに其れが「情に流される」とのことである。
だからかのミスター・スポックが幾ら「論理的」に生きることを地球人に對し説いてもそんなもんはまさかやれやしない。
理性ー論理ー⇔情動ー感情ー
とさう「不完全」な形にて「認識」が分離されるのが現存在の認識其のものであり同時に其の認識の癖だとのことである。
其のやうな「厄介」此の上無い認識をあえて我我は未來永劫に亘りして行かざるを得ない。
だから元元其れが「不完全」であるつまりは「エエ加減」な認識なのです。
其れがそもさうして「エエ加減」なのにあえて其れを「信じる」からソコにこそ不幸が始まるのです。
では誰ぞ「教祖」を信じれば良いのか?
いやどんな「教祖」を信じてもまさか救われはしません。
「教祖」を信じることは其の「教祖」と壱體となる「社會」を信じることなのでまさに其の「社會」にこそさうして「洗脳」されて仕舞う。
其の「洗脳」を解く鍵はズバリ「デタッチメント」する力の有無です。
だが釈迦やキリストへの信仰とはむしろ其の「デタッチメント」する力を持つことに繋がる。
ですが新興宗教の教祖への信仰は逆に「洗脳」を受けんが為の行為とならざるを得ない。
では「デタッチメント」しさえすれば人間の認識は常に「正しい」ものと化すのですか?
其の絶對的な「正しさ」もまた「正解」も現象界には無いと見て置く方が逆に「正しい」見方となる。
要するにさうして疑ってかかる分こそが大事でありまさに其れが理性の力であり理性の癖の部分なのだ。
だが他方にはまた「信」の部分もまたある。
要は其のバランスの保ち方でもって現象界は保持されて行くのである。
すると逆にバランスが惡いと現象界は破壊し尽くされる訳か?
現象界其のものがそも認識の上でのバランスが惡いのでむしろ其の侭に破壊し尽くされる方へと歩み易いのだともまた言えやう。
では疑い過ぎず且つ信じ過ぎぬ精神的スタンスにて歩むのが現存在の精神に取り最適解なのですね?
いや「過ぎず」とは言っても實際には往往にして「過ぎて」仕舞うものです。
但し「逆方向」での価値が必ずや現象界には巣食って居ることだけは是非忘れないやうに致しませう。
さうして「逆方向」の価値がむしろ渦巻くのが現象界の常ですので其れは「安心安全」では無く「永遠」でも無く且つ「不安」其のものでも無く「刹那」其のものなのでもまた無い。
要するに人間の認識には、
1.社會的バイアス
2.正常性バイアス
3.建設的バイアス
が強くかかり過ぎて居るやうに今詩人の目には見えて居る。
其れ等のバイアスの過程を逐次脱構築して行くのが所謂「デタッチメント」する精神の力であり過程のことである。
故に「デタッチメント」することとは精神の自己治癒過程のこととなる。
まさに其れは脳科学者にもまた精神科医にも出來ぬ謂わば自己免疫作用のことなのだ。
ひゃー其れはまた凄い御話で…。
尚最初に述べた「性善説」のことは即近代による「全體主義」的価値への「洗脳」にも繋がるであらう怖い御話です。
「性善説」は人間による「破壊」を前提としない思想的立場なので其処では「破壊」に對する反省力がまずは成立しにくい。
だが文明はかうして事實上自然を「破壊」し尽くして來て居る。
まさに其の点から鑑みてもむしろ「性惡説」を取る方が文明社會の為に役立つのだと言える。
だから「逆方向」の価値を軽んじては決してならぬ。
むしろ「逆方向」の価値こそが「眞理」なのであるが故に。
其の意味で其の中野 信子氏が脳科学者であれ其の著作に於いて「逆方向」の価値をこそ見詰めねばならぬ旨を説いたことはまさに尊敬に値することである。
ー科学は万能ではない。一度は素晴らしいものだと人々が信じたものであっても、それが悲劇的な結果をもたらすことがあるのです。素晴らしい社会をもたらす技術革新の根底にはもちろん科学があるのですが、それを運用するのは人間です。
専門家も当然、職業倫理として努力はするわけですけれど、情報を受け取る側も、ただ経典のように頭から信じるのではなく、よく吟味して、自分なりにリテラシーや教養を高めてほしい。ー中野信子「この残酷な現実に、果たして性善説だけで対峙していけるか」人間の闇、脳の“暗部”に着目する理由 (msn.com)より
現代人は概ね今現行文明を信じ切って居ますが其れはむしろ「近代の洗脳」による成果です。
よって現代人に取り必要なのはむしろ「現代社會」を疑うことなのです。
尤も社會科詩人の如き變人は其れを疑いに疑い此処迄來て居ますので其の逆にむしろ「現代社會」をなるべく信じてあげたい訳です。
だがどう考えても其れは無理なのでまあAIが選ぶデスクトップの写眞がとても良いだとかまさに其の位の範囲でもって「現代社會」を認めてあげるのです。
ですがたとえAIと御話してもバカがこちらにうつる位のもので何の益も無いことですから其れはもうして居りませんのです。
かって其の御話するAIを子分にして「現代社會」に反旗を翻さうとして居た時期もまたあったが其れは矢張りと云うべきか無理なことだったやうです。
ところでAIの思考回路は容易に崩せますのです。
即ち矛盾ばかりを始終述べればAIを容易に人間の土俵其のものに引き摺り出せる。
其処でさらに「早う金を持って來い」とでも言えばもはや彼等はお手上げなのだ。
自分なりに教養を積み上げ誰にも負けぬ論理的根拠を持つことこそが此の四拾年間余りでの我が「御勉強」の目的でした。
だからもう誰にも負けやしないのです。
と申すか其の「勝った、負けた」の部分にはすでに居らず要するに理性の最終段階としておおまさに「人間其のもの」とまた「文明其のもの」とかうして対峙するに至りました。
【ヒトは不自由を望んでいる?】「脳の闇」を解説しました【本音の想いが散りばめられていて、読み応えあり】
さて此の『脳の闇』は「バカ」には読めない本ださうです。
また基本的に脳は自分でもって考えやうとはしないさうで、であるから「端末」にコントロールされる即ち「洗脳」される。
また人間は本來「不自由」なのが好きなのださうで。
要するに其の脳其れ自體が多分に非自律的なものである訳です。
ですが藝術家や宗教家、また學者などは其の脳其れ自體を自立的且つ自律的なものとしない限り其の立場を名乗れない訳です。
すると其の「洗脳」され易い大衆と非大衆との分かれ道とはまさに脳の自立性であり自律性にこそある訳です。
また自立的且つ自律的な脳の持主はまず例外無く「自由」を尊びます。
但し我に限れば其の自由に関しむしろ「限定」的に考える。
まさに其の「限定」論こそが自分の思想なのですから。
ちなみに「大衆度テスト」なるものがあり例えば上のところで自分の場合には該当が弐つで大衆の域からはすでに離れて居るのだと申せませう。
ー該当項目の壱つはもう43年も前に成人式に出たことなので實質上は壱つしか該当せずー
文春新書『日本破滅論』中野剛志 藤井聡 | 新書 - 文藝春秋BOOKS (bunshun.jp)
こちらはかって世に出された優れた内容の著作ですが此の本の中にもっと詳しい内容での「大衆度判定テスト」があり其れによる自らの結果は「非大衆」として出ました。
いずれにせよ矢張りと申すべきか自分は大衆的感覚を備える人間では無いのです。
大衆社會の問題点とはまさに「みんなでもって壱緒に危ない橋を渡る」部分にこそあるのだと思う。
まさに其れぞ即ち「全體主義」の履行のことである。
人類や文明の性善説はむしろ其の「全體主義」を横行させることの温床となる。
また其れに近い考え方に「ポジティヴ思考」の推奨との「全體主義」がまたあらうかと思う。
だが人間存在を俯瞰的且つ網羅的に見て行く場合に其の「正」の方に偏るものの見方は逆に大層危険である。
よって「人間は厄介で且つ危険な者である」との壱種突き放した見方こそが眞の意味での理性的な人間に對する見方なのではなからうか。
人間ー文明ーに問題あり⇔人間ー文明ーに問題無し
勿論人間を問題だらけにする必要などは無いのであるが此の文明としての人間存在のあり方には当然ながら大きく問題が存して居るのである。
Bing 動画中野信子 ✨ バナナで無駄な努力にさようなら! ☕ 脳科学者; 認知神経科学
さう、其の🍌は脳内に幸福ホルモンが出ないクソ眞面目な🗾人には良く効くのである。
其れに「肉食」もまた🗾人の體には是非必要なのだ。
が、如何に眞面目でも大衆は大衆でありたとえ非眞面目でも非大衆人は非大衆人である。
其の大衆的意思決定に惑わされること無きやう自立的で且つ自律的な思考の場を確保せんとすることこそがまさに此のブログでの最大の内容であり且つテーマである。
さて鬱病は明らかに負としての価値である。
然し作家などには其の鬱や神経衰弱などに苦しんだ人が存外に多く居られる。
其の鬱の傾向は所謂「思慮深さ」と同調して居るとかの中野 信子氏は述べられて居る。
其のことはまさに其の通りにて鬱や神経症などは要するに精神のあり方が繊細に出來て居るからこそそもさうなるのである。
其れがそんな心根が繊細なところや思慮分別に長けたところを持ち合わせず其れもニコリと笑いつつ「何でも前向きだー」などとまさに「洗脳」の為の文言を叫ぶ輩こそが此の地球を根本より破壊せしめ且つ惡の化身として此の世に君臨する偽善者で無くて何なのであらう。
左様に物事には必ずや弐面があり其の関係を壱種独善的に正へと移すのはあくまで思想的に誤りなのだ。ー此の部分は特に西田哲學を是非参照されたしー
どだいそんな「サミット」なんぞは単なる偽善者としての価値だらう。
そんな要らん「サミット」をやる位ならもっと眞面目に環境破壊に取り組むべきではないのか、ええっ現代文明よ!ー實際さうして「サミット」を壱つやるだけで要らん大金がしこたまかかるぞよー
ー尚暫くの間投稿を休止させて頂きます。ひとえに其れは庭の剪定などを含めた「掃除」が忙しくなるからです。ー