ほぼ奇跡的に本日視られたベートーヴェンに関するNHKの番組ー玉木宏 音楽サスペンス紀行「引き裂かれたベートーヴェン その真実」を視ての其の感想ー
かうして年の暮れだとて相変わらず怒濤の如くに押し寄せる現實の日日と格闘する他は無い我我現存在である。
詩人としての我もまた凡人としての我も須らくして其の押し寄せる波に翻弄されまた且つ其れに抗いつつこんな我としての迷いの境涯のさ中にこそ焚べ入れられて行くのだ。
さてさうした生きて居ればまさに色んなことがあり其れはほぼ本質的には「苦」其のものである。
だけれども「苦」があればまた「樂」もある。
言わば「死」があるから「生」があり「生死」が無ければ何も無い。
よって現存在の生の過程とは同時に死の過程でありまた同時に「無」では無く「有」の過程である。
其れも其の「有」の過程として顛倒認識をして居ると云う意味に於いての。
さて昨夜はまた午前弐時前に突然目が覚め暫くネットの方をして居た。
其のやうな折には重要な何かを発見する可能性が高くある。
【生誕250年】玉木 宏と、ベートーヴェンの音楽史の謎に迫る! 玉木宏 音楽サスペンス紀行「引き裂かれたベートーヴェン その真実」 |NHK_PR|NHKオンライン
すると此の番組のことが突然出て来た。
こちらは「BSプレミアム」にてかって放送されたところでの名古屋市出身の俳優玉木 宏が進行役を務める所謂「高尚な」音樂番組である。
此の種の番組も幾つかの番組がNHKオンデマンドの方に入っては来るが此れに限ってはまるで入っては居ない。
其れでもって本日8時20分から総合TVにて此の番組の再放送が行われた。
今枕元の目覚まし時計が壊れ5時50分と壱日中なって居るが其れでも何故か8時15分にキッチリ目覚めクソ寒い台所にて其の番組に釘付けとなり視聴をした。
ー自分はかうした藝術上のまた自然環境上の重要な事項に就きまず間違うことが無い。逆に人間界ではまさに理解不能な人間関係上でのトラブルを引き起こすことなどが度度ある。ー
其れでは早速以下に其の番組の感想を述べさせて頂く。
1.まずは番組の評価として流石と云うべきかA´となる
2.此の番組により彼ベートーヴェンがどんな人として生きたのかが良く分かる
3.自分がつい先日此処にて書いたベートーヴェン論にも被る内容のことが出て来て居たー其れも所謂「シンクロニシティ」のやうなもののことかー
2.と3.に就いて
ベートーヴェンは所謂「孤高」の存在としての気難しい藝術家としての代表格ながら他面では意外にも強い「人間味」の持ち主だった。
結局其れは其のやうに「引き裂かれて」居たことであらうことは想像に難く無い。
4.ベートーヴェンはなかなかの酒飲みで所謂「飲んで騒ぐ」のが結構好きだったらしい
5.しかもベートーヴェンはなかなかの👩好きで兎に角女にはむしろすぐに惹かれて仕舞う男性だった
6.ベートーヴェンにはユーモアのセンスがあり要するにギャグなどが好きだった
其の4.5.6.の部分は例えば音樂の先生方には???と思える部分なのやもしれぬがでも個人的にはまさに良く分かる。
尤も自分はベートーヴェン程偉大な藝術家では元より無いのですがだが自分の中にも藝術的なセンスが宿るので其れと突き合わせてみるとまさに「なる程ね」とさうならざるを得ない。
でもって究極的な御話が、
かの「第九」は所謂「人類愛」を謳い上げるところでのつまりは高度な精神的な要素に就き表現された藝術であるばかりなのでは無い。
要するに其れは「大酒を飲んでみんなでもって樂しく騒ぐ」が為の交響曲であった。ー第九の譜面には「酒の神」に捧ぐとベートーヴェンの自筆にてさう書いてあったさうだー
????
ほれ、また音樂の教師共が騒ぎ始めたぞ。
だが其れがむしろ眞實だったのだ。
要するに此の曲は「酒の神」に捧げられし「酩酊」での至樂の様をむしろ其の侭に謳い上げたものだったのだ!!!!
但しベートーヴェンは政治思想的には所謂リベラル左派であり勿論かの仏蘭西革命などには大きく影響されまた其の革命を支持して居たものと考えられる。
要するに仏蘭西革命⇒後のマルクス主義の成立の方の側の思想の保持者であり要するに貴族や王族の為の音樂=宮廷音樂の類から音樂を藝術として分離させると云う大仕事を成したことこそが彼の偉業であった。
従って彼ベートーヴェンの藝術により音樂は國王や貴族の権威、権力に組みひしがれ得ぬ壱つの力を持ち得るやうになったのである。
またつまりは其のことこそが彼ベートーヴェンが行いし藝術上の革命であった。
だから彼ベートーヴェンはそんな藝術の上での革命家其のものだったのだ。
ところがそんな革命家とて酒を飲みたくもなればまた👩にも触りたくなるものだ。
藝術とは所詮表現の上での力の強さのことなので其の表現の上での力の強さと食欲やら性欲やらが分離されて居る訳でもまた無い訳だ。
だから其れをイカンと言って酒色を断つのはズバリ宗教家の方の側です。
逆に藝術家は物凄くエッチでしかも物凄く食い意地が張ってなど居るものだ。
また、其の6.のギャグのことですが、例えば此処の読者の方方には僕が其のギャグのセンスを持ち合わせて居ることがお分かりにならう筈です。
高尚⇔下劣
超眞面目⇔不眞面目
潔癖⇔ダラダラ
との其の両極端の部分を持ち合わせ常に其処を交互に行き來出來る概念的な柔軟性こそが「天才的」な理性の持ち主であり知性の持ち主のことだ。
つまるところ天才的な能力とは其の幅がより広く設定されしかも深度があると云うことです。
逆に申せば凡人の場合は其の幅が狭くしかも表面的な活動でしか無い訳だ。
尚往往にして天才は人がつまらないと思うものをむしろ面白く思い逆に人が崇めたがるものを貶して居たりもまたするものです。
まあ正直なところ僕自身にもまたそんな傾向が御座ります。
御座りますが、自分は眞の意味での天才型の人間では無く要するに凡人タイプの部分も半分はあるのだと個人的には思う。
7.ベートーヴェンの神格化
さて、問題は其のベートーヴェンの「神格化」の問題です。
ですが戦前の日本ー明治、大正、昭和期の日本ーにも「天皇を神格化」すると云う大問題がかって生じて居ました。
其の人間の神格化は主に宗教的な見地より是非否定されるべき社會的な側面のことです。
左様に人間の神格化は現存在の社會がむしろ壱番しでかし易い概念的な誤りのことです。
其れも此のやうにむしろ利口な國としての独逸や日本にてかえって其のやうなことが引き起こされる。ーナチス・ドイツもまた其の流れとしての全體主義の履行のことでしたー
其れも番組中にて描かれたやうに、「独逸東西陣営の對立」や秘書としてのシンドラーの暴走などが其のベートーヴェンの「神格化」に拍車をかけて居たのだった。
また指揮者としての巨匠カラヤンによるベートーヴェンの「神格化」の流れもまたあったとのことで正直此れには驚かされた。
だけれどもあえて今わたくしは以下の如くに考える。
ベートーヴェンは「神格化」されてしかるべき藝術家なのでもまたあった筈だ。
つまるところ例えかのバッハであるにせよ「神格化」することなどはとても出来ないがベートーヴェンの場合は半分位「神格化」されたにせよおかしくも何とも無いと個人的にはさう思える。
但し宗教とは異なり藝術の分野は常に「生臭い」ものだ。
要するに愛欲だの酒だの煙草だのに常にまみれて御座る。
其の煩悩が酷い侭にむしろ神佛の領域へと近づいて行くのが藝術としての其の目的である。ー即ち「煩悩即菩提」なのか?ー
つまりはさうして弐元分離の様が兎に角酷くある。
其れが酷いのでもはや紙壱重なのであらう。
尚、先日触れました「交響曲第七番第弐樂章」のことに就き至極印象深いことがまた番組中にて語られて居た。
此の部分をベートーヴェン自身はアレグロ=早めにー100ーとして表現するやうに譜面に書き入れたが秘書のシンドラーはより遅くー80ーとして演奏するやうに自己解釈したのださうです。
確かに此の部分は其の曲のテンポにより可成に異なる印象のものとなる。
結論としてはどちらも悪くは無いが遅くなると権威志向がより増して行く感じが何処かにする。
ではあるがベートーヴェン自身はあくまで其れが早めに演奏されることを望んで居たのである。
其処からも即ちベートーヴェン自身はむしろ反権威であり反権力としての価値観を報じて居たことかと思われる。
さてベートーヴェン自身は子孫を持たなかったが甥のカールに對し壱種歪んだ愛情を持ち彼を息子にし音樂家としての自分の志を継がせやうとして居たことともされて居る。
尤も其れは世俗の上での血の継続と云うことでは無くあくまで藝術表現の上での引継ぎを其処に成さうとしたことかとも思われるのだが傍目からすると其れもまた壱種身勝手な藝術家の論理に支えられたものである。
何故なら其れは彼が自分の甥だと云うだけの話で其の彼が音樂に向いて居るかどうかと云うことなどはまるで分からないことであったのだから。
事實彼カールは其の後伯父の意に反して軍人となる。
よって其処にてベートーヴェンは人間関係の上で壱つの禍根を残すこととなったのだった。
またかうして其の所謂「不滅の恋人」説には多くの女性の名があがっても居て番組中では不滅の恋人 = #アントニー・ブレンターノ- Wikipedia説が有力説として紹介されても居る。
ー心理学者の河合隼雄は、素人の無責任さの勝手な空想と断ったうえで、ハイリゲンシュタットの遺書の一節にある「自分は危うく自ら命を絶とうとしたことすらある。ただ――彼女だけが自分を引き止めてくれた」(近衛秀麿『ベートーヴェンの人間像』(音楽の友社)の訳による)の「――」にある「わが高貴な『芸術』」=「彼女」こそが「不滅の恋人」ではないかと書いている。ベートーヴェンはおそらく生まれた時からこの世で最も嫉妬深い女性、芸術の女神と同棲していた。彼女はベートーヴェンと他の女性との恋が成就することをあらゆる手段を用いて妨害し、ついには彼女の囁き以外のものをベートーヴェンが聴くことができないようにさえしてしまった。ベートーヴェンを自殺の淵から救ったのも、その淵に追い込んだのもともに彼女のしたことだった、との推論を述べている[57]。ー不滅の恋人 - Wikipediaより
されど我は以上の説こそがむしろ眞相なのではないかとさう考える。
そんな俗調に縁の無かった訳ではなかった彼ベートーヴェンではあれ最終的には彼は「藝術の女神」其のものと交わりさうして彼女に對し殉死したのではなかったか。
嗚呼、其の藝術の女神、おおまさに彼女の存在こそが此の時の流れを止め且つ此の猥雑なる空間の作用ー現象としての猥雑で且つ無慈悲な矛盾としての作用ーを瞬時に凍結し其の永遠なる場を藝術家に与える安らぎとしての存在で無くて何であらう?
つまるところ眞の意味で藝術家の無聊を慰めるのは只壱つ藝術の世界のみなのだ。
だが果たしてどんな👩が其れに取って代わって呉れやうか?
さうして血も涙も汚れやがては死に至るであらう肉體の持ち主達が其の気紛れでもって移り気な👩共による思考其のものが。
其のやうなものでは無く、もっともっと純粋なものを!!
其れももっともっと不変なるものを!永遠なる安らぎに包まれしものを!!
アンタもしやソコへ行きたいのかい?
はい、わたくしはどうしてもソコへ行きたう御座ります。
ならおみゃーさんはまーアカン、すでに頭の中身がゲージツにやられてる。
やられたーーーー!、でも何時やられたのかな?
いや多分其の本ばかりを読んでた廿代の頃だらう。
そんな訳で其のゲージツに頭がやられた我とベートーヴェンは明日第九の演奏會ーTVのーに於いて完全に合體し共に其の其れ其れの藝術をば完遂させるのです。
つまりは「藝術の女神」彼女の子となり且つ夫となり藝術の世界をもう何処までも泳いで行くのです。
對して生身の👩に振られたかのショパンの晩年は悲惨なものとなり申した。
だからダメですよー、そんな女體になど手を出しては決してなりませぬ。
なる程、前回君が述べて居た「冬休み中の不純異性交遊の禁止」とはそんなまさに深ーい意味に培われしことだったのか。
いや分かって頂けてとても嬉しいです。
左様に藝術家の内面は至極複雑ですので其処は常に相当に書き込んで説明しませんとまさに何を言ってるのだかまるで分からんと云うオチとなるのが関の山です。
でもイチイチ面倒臭い奴だなあ。
ちっとも面倒臭くなど無いわ。
即ち此れが普通だ、普通…。
普通…なのかなあ?
おおおおおーすでに我が頭の中では「第九の調べ」が其れも何度も何度も繰り返しつつ鳴って居るぞ!!
さうか、では明日は愈愈TVにて「第九」の視聴をするのだね?
尤も其の前に多分ショパンを聴くのだと思いますが。ー本年最後のまさに洒落にならん話のオチでしたとさー