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文明批判と美と心の探求と

ベートーヴェンの「後期ソナタ」と寒い師走に鳥が喜んで食う🍊に就いて

ベートーヴェンの「後期ソナタ」と寒い師走に鳥が喜んで食う🍊に就いて

 

 

 

 

兎に角其の感覚と論理の統合の世界を生きるのが現存在に取りより望ましい生き方でせう。

 

だけれどもそんな両面を何でもイクわたくしにせよ其の頭の出来が良い分ハッキリ申して苦しみの方もまた大きかったのだと思う。

だから其のインテリ特有の心の苦しさと云うことは良く分かりますのです。

 

でもってどちらかと申せばまさに此処での内容も其のインテリの方方向けに整えて来て居る筈でした。

だけれども次第に其の思考の場に💩さんやら肥溜めさんやらがしかも頻繁に登場するやうになり或いは不快な思いを皆様に抱かせたことかと思われますが其れもまたかのモーツァルトなどは貴婦人の方方に對し「ウンコ、ウンコ」などと良く言って喜んで居たさうですのでまあ其れと似たり寄ったりでのことなのだらう。

 

またかのジャン・ジャック・ルソーなどは所謂露出趣味のある変態だったさうですからまあ天才的な人間と云うものはさうしてほぼ何かが壊れても居るものなのでせう。

 

さて其の藝術家の話で思い出しましたが弐週間程前に新しいPCの設置の為に部屋を掃除して居たところ幻のDVDが出て来て大層喜びました。

 

Amazon | 不滅の恋/ベートーヴェン [DVD] | 映画

 

何故ならまた是非此の映画が視たいと半年位前からさう思って居たがとりあえずは自分が其のDVDを持って居たことをすでに失念して居りました。

でもって其れは所謂モウロクしたのでは無く還暦過ぎてもかうして哲學ばかりですので常に其れに頭が掛かり切りとなり後のことはもう何も覚えて居ないだけのことなのです。

 

要するに30代、40代の方方以上に激しく頭脳をフル回転させて居ることの方が多い。

其のやうにむしろ50過ぎ辺りから所謂ものが分かって来即ち統合知の世界が開眼し若い頃とはまさに比べ物にならぬ位の哲學的な意味での思考の円熟期を迎えて参りましたのです。

 

 

ま、其のことは良しとして、問題は其の樂聖ベートーヴェンの恋愛のことでせう。

なのですが、今わたくしが思うのは彼ベートーヴェンとしての實存を其の世俗的な意味での恋愛観と云う観点から括るのはむしろ良く無いとさう考えて居ります。

 

何故ならベートーヴェンの最大の恋愛相手はむしろクラシック音樂其のものでせう。

左様に彼ベートーヴェンは偏にクラシック音樂に身を捧げ其処に殉じたのです。

 

かく言うわたくしはベートーヴェンのピアノ・ソナタの壱ファンです。

かってー廿代後半から参拾代前半にかけー所謂生其れ自體に煩悶して居たわたくしを救って呉れたのがまさに其の樂聖の音樂でした。

 

わたくしは其の頃今よりもずっとおかしく即ち苦悩が大きくありむしろほんたうに気が狂いさうでしたが其処を何とかギリギリで救って呉れたのが其のピアノ・ソナタの数数であったのだと思う。

ちなみに高校時代の親友の壱人であるSは後にほぼ気が狂い🏥へと通って居たが其の後音信不通となり今では彼の自宅もアパートに変わって仕舞いました。

 

高校生の頃は彼の家で良く山崎ハコのレコードを聴かされまた大学生の頃は麻雀を良くやって居たものでしたが彼は高校を中退したので結局大学へは行かなかった。

でも彼は理数系の出来るとても頭の良い人でした。

 

 

かように大学へは行かずとも頭の良い方は此の世に結構居られます。

でも大学へ行けば其れなりに勉強が出来其れは高校までの御勉強とはまた質が違うものです。

 

だから彼は理数系の大学へ是非行くべき人間なのでした。

でもさうして彼には其れが出来なかった。

 

また大学へ入っても中退者が結構居る訳です。

故にどんな大学であれ優等の成績で卒業出来れば其れでもって御の字でせう。ー自分はさうして優等の成績でもって大學を卒業出来た人間の中の壱人ですー

 

 

不滅の恋/ベートーヴェン - Wikipedia

 

まさに此の映画を1996年の初めの頃に映画館にて観たものと思われる。

其れも結婚する積もりだった女性と共に観ました。

 

ベートーヴェン役のゲーリー・オールドマンは元々ピアノを趣味としており、劇中でも殆ど吹替えなしで演奏したとも言われている。ー不滅の恋/ベートーヴェン - Wikipediaより

まさに其れは凄いことだ。

 

さて其のDVDは可成前に求め無論のこと視て居りますがすでに其の内容もうろ覚えですので12月中には是非視聴したいところです。

かやうに何故か此の師走になるとベートーヴェンの存在が突如大きくなり我が精神の前に立ちはだかって來る。

 

無論のこと其れは例の「第九」のこともあるのですが以前に調べましたところ別に海外では「第九」と年末とは関係が無いやうです。

但し祝い事と云うか何らかの祭典と「第九」は相性が良いと申すか大いに関係があるもののやうです。

 

 

尚昔と違い此処五年ばかりは余りベートーヴェンを聴いて居らず代わりにショパンピアノ・ソナタを屡聴き込みますのです、でも其処はどうも御免なさい。

ベートーヴェンピアノ・ソナタにも所謂「デリカシー」の部分はあるがショパンピアノ・ソナタにはより其れが感ぜられるのでさうして何だか好みのものとなって仕舞ったのだった。

 

そんなハゲでもって腹の出た63の爺こそがそんな「デリカシー」壱杯での日本人です。

尚其の我が持ってる「デリカシー」は多分女共には決して負けませんのです。

 

Amazon | 楽聖ショパン [DVD] | 映画

 

さてもこんなのもあったの?

 

Amazon | 敬愛なるベートーベン [DVD] | 映画

 

こちらも是非視たいがさう云うのに限り値段が高い。

 

Amazon | ベートーヴェンの生涯 [DVD] | 映画

 

此れが壱番良さそうだが値段は矢張り高い。

 

ちなみに周りでもってつまりは知人や親類でもって「ベートーヴェンショパンのピアノ・ソナタの鑑賞こそが趣味だ」などと言ってる気障な野郎は誰壱人居らずつまりは僕壱人だけなのだ。

 

 

要するに自分の場合は其の趣味が全部「高尚系」なんです。

もう高過ぎて高過ぎて誰も追随出来ぬ位に所謂「お高くとまった」趣味の持ち主なのだな。

 

かと言ってウンコ、ウンコとも確かに言っては居りますのですが。

また今も裏の家のきちがい老人ー多分八拾代のーがまた演歌なのか何なのかそんな下賤な歌をそれも大きな声にて歌い此の静けさに満ちた僕の心を乱して居りますやうにつまりは世間とはそんなものであり要するに其のレヴェルは常に低いと見て置くより他は無い。

 

でもってたった今「うるせえっ!!!」と怒鳴ってやったところ暫くは静かにして居るやうです。

嗚呼、さうだ、ではまたベートーヴェンでも聴かうかな。

 

ちなみにアマゾンでもベートーヴェンが聴けることを半年位前に初めて知りました。

 

Beethoven: 7. Sinfonie ∙ hr-Sinfonieorchester ∙ Andrés Orozco-Estrada - YouTube

 

其の交響曲7番の2. Allegrettoだけを屡聴き比べたりもして居る。

即ち樂団や指揮者が変われば曲もまた別物ともなる訳です。

 

【ベト7!】 ベートーヴェン 交響曲第7番・第二楽章 ヘルベルト・フォン・カラヤン ベルリン・フィル Beethoven - YouTube

 

こちらでの感じが流石はカラヤンとでも言うべきか悪くは無い。

 

 

尚藝術とはとどのつまりは其の「感じ」こそがほぼ全てです。

でも其の「感じ」からこそ藝術の眞贋を見抜くことさえもが可能なのだ。

 

まさに其れが「感じ」は正直だと言うことだ。

「感じ」即ち「感性」の部分は主に論理以外での眞實の部分を表す。

 

また其の「感性」の部分を動物達も持って居ます。

わたくしには其のことが何より分かる。

 

故にか動物達に對しては常に優しく實は彼等からは慕われ易いと來てる。

ですが逆に人間共には容赦がありませんのでつまりは「分かりにくい人」とならざるを得ぬ。

 

尚母の知り合いの華道の幹部の方が箱入りの「蜜柑=🍊」をも先日持って来て下さった。

其れでもってわたくしが果たして何をやるのか?

 

おそらく其のことを言い当てる人はなかなか居ないことだらう。

 

 

要するに其れは家の庭に來る小鳥達のエサとなります。

其のやうにわたくしは冬場にエサが乏しくなると庭の木木に果物を挿し其処へ集う鳥達と間接的な會話をすることとして來て居る。

 

だが其のある種の御節介にてわたくしの周りの動物共は決まって贅沢に慣れて仕舞いつまりは其れが逆効果となる場合が往往にしてある。

其れでも尚其のことが止められぬ我である。

 

眞の意味での心の豊かさとはさうして自然界の苦をも感じ取る能力のことなのではないか。

さう心の豊かさとは爺であるとか腹が出て居るとか足が臭いだとかさうしたマイナスの要素からはかられることでは無く他を慮る能力の有無からさう規定されることであらう。

 

師走は左様に我に取りクラシック音樂としての月其のものです。

 

 

ベートーヴェン ピアノ・ソナタ 第28番 イ長調 作品101 ホロヴィッツ Beethoven Piano sonata No.28 A major Op.101 - YouTube

 

其のベートーヴェンのピアノ・ソナタは此の第28番辺りからが素晴らしいものとなる。

其れが所謂「後期ソナタ」とされるものであり音樂藝術としての最高峰としての評価が与えられて居るものとなる。

 

ベートーヴェン後期3大ピアノソナタ【天才が残した孤高の音楽】 | otomami

 

勿論其の第30番、第31番、第32番がまさしく「苦悩を突き抜けて天上界へと至る=まるで悟ったかのやうな孤高のソナタ」なのだが我の場合はいつも第28番からかって聴いて居たので第28、29、30、31、32番までが其のインテリとしての精神的な苦悩をスッカリ消し去るところでのピアノ・ソナタであるものとさう考える。

 

でもって其ればかりを毎日何時間も聴き込んで居たのが20代の終わり頃から30代の初めの頃でした。

其れから廿年程が経った五拾歳位の頃に東京芸大の伊藤 わか奈さんによる地元御披露目での大演奏會が催され其処にて何とベートーヴェンのピアノ・ソナタの全曲演奏が行われたのでありました。

 

また其れは各区での文化會館ー文化小劇場ーにて行われー但しスタインウェイのピアノがある文化會館ー其のほとんどに我は出向きました。ー確か壱公演だけは飛ばして居るがー

其の様はまさに忘れられぬ素晴らしい思い出と化して居ります。

 

しかも壱公演が何と千円です。

まあわたくしにはまさにピッタリのクラシック公演であった訳でして兎に角もうわたくしは意気込んで文化會館へと出向き其の演奏を堪能して参った。

 

DISCOGRAPHY | ピアニスト伊藤わか奈 Wakana ITO オフィシャルウェブサイト

 

さてこちらに其のベートーヴェンのピアノ・ソナタの全曲演奏の折の音源から作られたCDの情報が載って居ます。

勿論其れは是非欲しい!

 

 

伊藤わか奈 ピアノリサイタル - YouTube

伊藤わか奈 ピアノリサイタル|オケ専♪ (snacle.jp)

HOME | ピアニスト伊藤わか奈 Wakana ITO オフィシャルウェブサイト

 

其の後伊藤 わか奈さんは御病気になられたと聞いたがどうやらかうして演奏活動に復帰されて居るやうだ。

尚其の全曲演奏會では無論のこと「後期ソナタ」に對し最も深く惹き付けられたものだった。

 

またつまりは其れが初めて生演奏で聴いたところでのベートーヴェンの「後期ソナタ」であった。

 

Amazon  ベートーヴェン:後期ピアノ・ソナタ集 | ポリーニ(マウリツィオ), ベートーヴェン, ポリーニ(マウリツィオ) | 室内楽・器楽曲 | ミュージック

 

あれ、こんなん出ましたがまたどうしても此れが欲しくなります。

今持って居るのは其の参拾年も前のアシュケナージによる後期ソナタ全集ですので他のものもまた是非聴いてみたい。

 

 

そんな訳で本日は「孤高としての藝術」と自然界とがモロにさうして交わるわたくしの内面世界が良くお分かり頂けたことだらうか?

要するにそんな藝術としての感度の「高尚」さばかりでは無く💩を其の侭に垂れる「動物」=自然界とも極めて近い間柄にあるのがまさに今のわたくしの偽らざる姿なのだ。

 

さて今週は結局また作文して仕舞いましたのでもう來週はどうしてもお休みにさせて頂きたい。

また色んなところへ出向き物資を揃え大掃除の続きなどもやらねばならず正直申してベートーヴェンの「後期ソナタ」どころでは御座りませんので。