人文者としての社會科學方面の御勉強の仕方に就いて
ヤフオク! - 聖フランチェスコ 大理石像西洋彫刻動物守護聖人... (yahoo.co.jp)
例えばこんなものもまたヤフオクのウオッチリストにもう長く入れてあるが無論のことまだ手は出ない。
さて此の丸大豆煎餅が實は曲者である。
此れは以前より濃い味付けとなったタイプだがいまひとつ変わったことがあり其れが焼き加減である。
でもってスギ薬局には20袋位が置いてあるが其れを逐壱調べ焼きの強いものを選び買って来る。
すると其の焼きの強い袋の煎餅はほぼ皆焼きが強く即ち恐ろしく香ばしくなって居る。
まさに其れを小腹の空いた時に食うともう最高に美味い。
尚我は何でも「こんがり派」なのでそんな焼きの強いものこそが好きである。
尚丸大豆煎餅は塩味の方も頗る美味いがもう此の醬油味のカリカリ物にはもはやどんな菓子も敵わない。
さて人文インテリは無論のこと社會科學の方面も常に勉強して置かねばならない。
尚高校時代に我がほんたうに出来たのは現代國語であり此れは何も勉強せずにさうして出来て居た。ーフィーリング即ち感性でもって壱番になれるー
されど世界史や日本史は日頃から勉強しないとまさかトップにはなれない。
当時世界史や日本史では物凄い努力派が居て其の人は教師よりも勉強が進んで居て確か早稲田大學が受かった。ー勿論ソイツがいつもトップの成績だったー
何せ自分は半分感性派であり案外眞面目では無いので当時社會科などはテストの前にしか勉強しなかった。ー其れでも壱度だけソイツをおさえトップになったことがあった。ー
なんだけれども後に家庭教師や塾などで主に社會科を教えるうちに其の社會科こそが究極の教科なのだとさう思うやうになった。
と申すか壱番厄介な分野である。
何故なら其れは「文化」では無くまさに今と云う「現實」なのだから。
「文化」の領域では夢も見られさらに過去へ逃げることさえもが可能だが「社會」を今まさに生きる我等はまさか其処から逃げる訳にはいかない。
あえてそんでも逃げたれ!
いや其れは其れで壱つの賢明な策である。
即ち社會と心中する馬鹿は壱番惨めなのだと申す他は無し。
でも結局逃げられんのである。
其の社會なる怪物からは誰しもが完全に逃れることが出来ない。
でもって四拾歳位から我は壱體どうしたら此の社會なる倒錯の思想の領域から逃げられるのかと實は其のことばかりを考え続けて来た。
だが皮肉なことに其のことを考え続ける為にはむしろ高校時代や大學時代以上に社會科の御勉強を続けて行かねばならなかった。
特に五拾歳前から還暦に至る位までは其の社會科學の分野で人生で壱番御勉強を重ねて来たのだと言って良い。
なのでほんたうは此処15年程は文學では無く社會科學の方をこそやって来たのだった。
だが社會科學での學びは兎に角辛い。
何故か?
むしろほんたうに社會がヤバいのでさうして辛くもならざるを得ない。
だからお化けだとかさうしたファンタジー、つまりは文學的なポエムの部分がそも其処に成立して居らずよってイキナリ餓死だとか人殺しだとか反體制派の奴らの入牢だとか實際そんなものばかりなのでもう心がまるで休まらぬ。
だから僕の場合はもう現代國語の方に逃げたいのだ。
其れも此の21世紀の社會のあり方はほんに肥溜めにでも落ちたかの如き有様を呈して来て居る。
なのだが其れも結局は金が無いので三河の山奥へは逃げて行けない。
だからそも其の金の力にて現存在は其の社會に縛られて居るんだ。
其れも何だか知らんが摩天楼だの世界壱の高さのタワーだの訳の分からん変なものばかりをつくりやがって兎に角其処へ我我と云う實存を常に閉じ込めて置きたいのが現代社會の理屈である。
もうそんなもんはいっそのこと💩まみれにしてやりたい位のものだが其処にてもしも君が💩をすればすぐに警備や警察に捕まり牢に入れられて仕舞うのがオチだらう。
だが兎に角人文理性としての努力だけは続けていかねばならない。
でも文學の方へ逃げたいのだらう?
其れも本気でもって逃げたいです。
だがまあ御勉強の方だけはとりあえずやっとかう。
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でもって最近は此の三橋氏の経済理論の方を勉強して居ました。
ですが経済はまた分かり辛く門外漢に取り其の御勉強が可成に面倒臭くもまたある。
だが結局現存在が現在直面して居る大問題こそが其の資本主義が生じさせて来て居る大矛盾のことでせう。
其れこそかのピケティ氏ではないが資本主義は其の搾取過程をやがて現存在其れ自身へと向けることで崩壊して行く可能性がどうも高くある。
尤も其の資本主義に於ける拡張主義ー成長主義ー其れ自體に問題は集約されて来るので所謂社會ー國家ー資本主義的な體制を如何に早期に確立するかと云う論点に至るが其れもまた社會関係其れ自體が矛盾的推進をして行くので簡単にはやれやしないのだ。
だから資本主義による諸矛盾もまた最終的には哲學的な課題として突き付けられるものとならざるを得ない。
尚其の三橋氏は確かに頭の良い方です。
尤も今の時代は頭が良ければ乗り切れると云うものでもまた無い。
ちなみに彼の著作は何冊もあり現在購読中です。
また経営科学出版の方で月刊三橋なるものも購読中ですが月に弐千幾らかの金がかかるので12月でもって其れを終わりにしたところです。
さうして定期購読せずともまあユーチューブの三橋TVの方と著作などで御勉強は出来ることかと思う。
さて屡TVにも出る京大の先生に藤井 聰-Wikipedia氏が居られる。
藤井氏の「全體主義論」は秀逸なものでかって我も其処から大きく影響を受けました。
でもって此の方もまた頭の良い方なのでせうが但し最近は結局此の方が何を言いたいのかと云うことが分からなくもなりつつある。
其の中野氏の思想は反新自由主義であり反グローバル主義、さらに内需拡大重視の政策を支持する点ではわたくしの考えとほぼ同じです。
其の藤井氏と中野氏は三橋氏の仲間である筈です。
ー世の中には、思想運動や学派という猿山のボス猿になりたいという野心をもっている大学教授や知識人がいるわけですよ。よく学生や助教に対して威張ったり、いたぶったり、怒鳴り散らしたりする大学教授がいますが、そういう手合いですね。そういう学者のクズは、「思想」ではなく、学界や言論界の「政治」をやっているのです。/そんな学者のクズを不運にも師匠として信じてしまった結果、その師匠に操られ、師匠に追従していくうちに、有望な学生の思想の芽が潰れてしまう。」[54]ー中野 剛志 #藤井 聰-Wikipediaより
ところがかうして中野氏は藤井氏を強烈に批判されて居ます。
此処こそが其れこそ大學の先生同士の喧嘩でもって至極面白い部分です。
ですが其の内容は多分に感情的なものなのでもまたある。
何故なら現存在は其れこそ純粋な理性體では無く半分は獣としての感情動物ですからどんな高等な知性の持主であれ頭に来ればもうかうして貶しまくる訳です。
ー相模原障碍者殺傷事件の加害者は、重度障碍者は生きる意味がないだの、抹殺するのが日本のためだのといった危険思想をもっていた。それと同種の危険思想を、[…](藤井)氏は持っているのです。しかし、[…](藤井)氏は、SNS上では、その危険思想を科学めかした理屈で隠しつつ、専門家会議や西浦先生を攻撃していました。」[56]ー中野剛志 #藤井聰-Wikipediaより
まさにひっでえですね。
ほとんどもういてもうたれ、いてこましたれ、位の感じでせうか?
ー感染拡大を防ぐために、感染症の専門家や医師たちが必死に警鐘を鳴らしていたというのに、藤井氏は警鐘ではなくギターを鳴らして「Oh,Yeah, Oh, Yeah」とマスクもしないで叫んでいたわけです。それで感染が拡大して医療崩壊したら「病床増やせって、言っただろ」って、いったい何なんですか、この人は。[…]深刻そうな顔にチョビ髭つけて、大学教授か何かの肩書を振り回し、やたら「アウフヘーベン」とか哲学用語・外国語を口走ってもったいつけ、人前で葉巻を吸って見せたりする。権力者にはペコペコするのに、学生や飲食店の店員とかには威張り散らし、講演ではすぐに興奮して「僕は、そういう日本人にムカついているんですよ~!」とか叫んで大演説。」[58]ー中野剛志 #藤井聰-Wikipediaより
いやはや、滅茶苦茶に面白いですう。
まあ其の哲學用語なんぞを多用する奴は確かに信用がならないのかもしれません。ーひょっとすれば僕もさうなのか?ー
タダ僕も葉巻は好きですが権力者には決してペコペコしたりはしませんのです。
其れと土地柄の面もまたあることでせう。
其の藤井先生や佐伯啓思先生は奈良の人で結局奈良と云うのは保守的と云うか反革命と云うか「柿食へば鐘が鳴るなり法隆寺」での世界でせう。
對して此処名古屋は工場労働者が多く本質的には左翼的なんで其の奈良の伝統のことは分からんところもまたあります。
尚個人的には右の思想もまた左の思想も其れだけではダメだと思います。
何故ならイデオロギー對立は最終的に破壊しか齎さないからだ。
また例えば覇権主義と自國主義ー保護主義ーの對立にせよまた其の立派なイデオロギー對立です。
其の辺りのイデオロギー對立はおそらく社會的には解決不能の問題となることでせう。
まだしも概念的に解決が可能となるのは哲學的な場とならざるを得ません。
故に個人的には哲學を中心とする人文學の復興こそが急務となるのではないかと考える。
イザ其の人文學が弱くなりますと文明のバランスが崩れ現存在は主に獣化して行かざるを得なくなることだらう。
ー輸入関税や労働力・物品・資本に規制をかけてでも、国内経済での労働・資本形成についての安定を重視する。多くの場合新自由主義やグローバリズムと対立し、少なくとも無制限な自由貿易には懐疑的な立場を取る。保護主義・輸入規制も関連する。
大きな政府を志向するという点では、左派のイデオロギーと共通するが、左派のように「平等」「高福祉」を志向するわけでは、必ずしもない。
経済活動が、「Nation」(民族・国民・国家)の概念と不可分であることや、従来の自由主義と統制主義という二項対立ではそのことが抜け落ちてしまっていること、市場の暴走に対処するために(左派・左翼のような平等主義イデオロギーではなく)この「Nation」(民族・国民・国家)の概念を以てすることが望ましいことなどを、主張・強調する立場という意味合いが強い。ー経済ナショナリズム - Wikipediaより
まさに此れが其の「Nation」で持って自由経済體制に歯止めをかける「限定」的イデオロギーのことです。
中野先生はまさにそんな「経済ナショナリズム」の研究者である訳だ。
尚わたくしは左派平等主義と云うよりも共同體主義的共同体主義 - Wikipediaなアナキズム(www.ne.jp)の信奉者であり言わば「國は要らんが郷土や土地の伝統は大事だ」とのややこしい政治思想の持主なんですね。
ですから共産主義には理解を示すものの共産主義者では無く其の逆に復古主義みたいなことさえをもまた言います。
ですが天皇制に関しては最終的には否定的とならざるを得ない。
要は統治の単位其れ自體を極力縮小化する方が社會は安定的で且つ持続可能性を高めることが出来ることだらう。
されどさう申しますとまたすぐに誰かがお前は牢に入れとさうなるのでかうして小声にて此処で述べて居るだけのことなのです。
其の共同體主義的なアナキズムが其れこそ世界レヴェルで實現されればおそらくより文明は長持ちすることでせう。
なんですが其れもまた理想論の範疇ですので別に其れを實現しやうと躍起になる訳では無く只「やれば良いのにやらんのかなあ」とさう傍から眺めてせせら笑って居るだけのことですよ。
ま、政治の御話は最終的には哲學上、宗教上の命題よりも下位の御話であるに過ぎずだから別に政治家だの政治學者などはまるで尊敬などはして居りません。
逆に政治家に動物のやうな輩が何時の間にか増えて仕舞ったのでむしろ其のことだけが凄く心配です。
【特別対談】三橋貴明×中野剛志(評論家)ノーカット対談前編 - YouTube
【三橋貴明×中野剛志 後編】バカな学者に滅ぼされる日本...戦争の社会科学...日本人は本当に戦えるのか? - YouTube
さてこちらは非常に面白い対談となる。
何せ御弐方とも頭の良い方ですので是非社會科の御勉強をする積もりで視て行かれると良いかと思う。
【養老孟司×ヤマザキマリ】コロナ禍・戦争・経済不安…「日本の壁」をどう乗り越える?【深層NEWS】 - YouTube
こちらもまた面白くって。
其のヤマザキマリ氏は嫌いでは無いが所詮女なので何処かに子宮思考を引き摺られて居ることかとは思うが…。
但し此処ではズバリと鋭い御意見を述べて居られ結構勉強になった。
養老先生は相変わらず文明に對し懐疑的であり且つ反抗的でもあり素晴らしいと思う。
養老先生の文明嫌いはおそらくは壱級品なのだらう。
でもおそらくは僕の文明嫌いもまた負けては居ないとさう思うのです。
さて現代日本が苦しいのは其の固有としての「日本の壁」と「文明の壁」が同時にかの國に立ちはだかるからなのではなからうか。
「日本の壁」壱つにせよ其処は矛盾だらけですのでおそらくは乗り越えることなど出来ずよっておそらくはやれることをやれる範囲でやっていくこと位しか出来ないことでせう。
ですがわたくしに限れば其れもまた「やったうちのこと」だとさう見て取って居る。
其れも現存在は「生きてるだけで皆やって」居ます。
どだい何が高級かまた低級かなんてことは人間の社會が決めることでは無くむしろ神佛の次元に於いてさう規定されることである。
其処を小賢しい人知にて推しはからうとすること自體がまさにおこがましいことである。
だから「日本の壁」と「文明の壁」が同時にかの國に立ちはだかるにせよ我我現存在ーとしての日本國民ーは今を生きて行くだけで皆偉いのである。
其の偉さ其れ自體にヒエラルキーを設け其処からの基準でお前はダメだと言われたらかう言ってやれ。
「お前の其の価値観こそがダメだ」
「かうして日本ではみんなが同じやうにやってるがお前の其の頭の中身だけがまるで×だ」
其れにしても學者の喧嘩程面白く見られるものもまた無い。
かうして其れをいやらしく樂しんで見詰められる位の根性の悪さを日本人は是非持つべきなのだらう。