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京大の藤井先生の本気と大衆の「打たれ強さ」と

京大の藤井先生の本気と大衆の「打たれ強さ」と

 

 

 

 

日本滅亡論 (24metu.jp)

日本滅亡論 中国に喰われるか、大国に返り咲くか | 藤井聡 |本 | 通販 | Amazon

 

さて本日は丁度正午頃より此の本を読み始め大體40分程で其れを読了した。

何せ87頁しかないまさにペラペラの書籍である。ー出版元より五百円で手に入れた本ー

 

でもって読後の感想から述べれば此の本は所謂「ウソや妄想」の類を語る本なのでは無くまさしく「日本の現状」をとりあえず正しく認識し其れに對する処方箋を述べた書籍である。

だから至極「眞面目」な本であり其処は大いに評価出來る。

 

だけれども自分の「哲學」の方から結論を述べれば「社會科の御勉強を重ねた人に取り良書となるが主に感情を主體として生きる大衆に取り良書となるかどうかは分からない本」である。

尚自分は此処数年むしろ「大衆の打たれ強さ」のことに就き思いを巡らせることの方が實は多い。

 

其れもインテリジェンスの持ち主は元元「御勉強」が好きでよってまさに我の如くに次から次へと本や論文を読み続けつまりは「観念の世界」にこそ生きて御座る。

しかれども大衆的興味はむしろ其の「御勉強」だの「人生の藝術化」だののことでは無く要するに食い気や性欲、さらに承認欲を満足させんが為の精神の段階を生きて御座る。

 

そも自分はさう云うのをどちらかと言えばしつこく批判するタイプの人間だったのだが最近は其の傾向が次第に様變わりしても來た。

でもって其れが何でさうなったのかと云えば「🐱の多頭飼い」の部分よりまさに其のことを學びつつあるのだ。

 

 

さう自分は其れでも「社會が嫌い」な人間ですので別に其れを例えば會社生活だの飲み屋の姉ちゃんなどから學ぶ機會を持つことなどは無い。

要するに石と万年筆と御勉強だけがあれば其れで良くしかも世界情勢や宗教的な原理なども其処に自ずと把握されやうからそんな社會的価値が其処に入り込む余地などは元元無い。

 

そんな訳で大衆的価値観を野良🐈並みに扱いまことに恐縮ながらハッキリ申せば自分に取り大衆が醸し出す其の非理性的な雰囲気と🐱を始めとする動物共の生き様とは傍から見てほとんど同じな訳だ。

 

でもって其の🐱共の生き様が獣染みて居りつまりは獣臭いことは否めぬ事實なのだ。

奴等はほんたうにとんでも無いケモノ野郎共である。

 

だが自分がイザ大衆の価値観の方を向いてもまことに申し訳ないのですがどうも其の獣臭さを感じて仕舞う訳です。

ですが自分はあくまで學者の先生方のことを基本的に尊敬して居ります。

 

其れは自分が彼等程御勉強出来て居ないことを何よりも知って居るからのことなのだ。ー其れが所謂「無知の知」なのか?ー

ですが自分なりにかうして御勉強を進めて來たこともまた確かなことなのです。

 

 

でもって此の本の内容に就いては流石に良く日本社會の置かれた立場を看破して居られる。

ですので其の「日本社會の置かれた立場」を知りたいインテリ層の方方には是非御勧めしたい本となる。

 

ですが現存在は學べば學ぶ程にまた考えれば考える程に實は「何か」に雁字搦めとなり逆に行動力や生活力を失います。

其の「何か」とは結局のところ観念が欲する「価値観」のことだ。

 

但し其の「価値観」の世界で勝負する眞の意味でのインテリ層=學者としての先生方はむしろ其の思考こそが「飯の種」なので其れでもって全く良いのである。

だが其れ以下でのインテリ層やまた大衆的次元に生きる人人に取り其れはどうかと云うことになることは否めません。

 

特にヤバいのが大衆的な精神的次元に生きる人間であるにも関わらず此の種の本を読み漁ることです。

大衆的な精神的次元に生きる人間であることを自覚しつつ其れをするのであればむしろ良いのですが實は多くの大衆が其のことをまず自覚出來ては居りません。

 

よって自分は基本的に大衆的な意思決定にはまさに其の分限がありまたインテリ層には其の分限があるものとさう捉えるのです。

どだい🐱や🐶共に「本を読め」と言ったってそりゃ無理な話と云うものです。ーかと言って大衆を🐱や🐶並みに捉えるのでは無いのだがー

 

 

其処は丁度御釈迦様が所謂「對機説法」を為されたやうに大衆的な意思決定に於いてはむしろ誤解が生じる虞があるので「無理」をすべきでは無いとさう捉える。

 

でもってあくまで自分の感想としては、

 

1.保守論壇に生きる藤井先生が此の本で「マルクス主義」のことにまで言及されむしろ其の考えの正しさを認められて居ること

2.特に中途半端なインテリ層ーわたし等ーに對し「事の眞相」を知り「オピニオン・リーダー」として世に立つことを鼓舞されて居ること

 

の弐点に就き大きく感銘を受けました。

 

藤井氏は安倍内閣内閣官房参与をかって勤められたある意味では只の學者では無い方です。

其の藤井先生の御仕事にも問題が無かったとは或は言えぬのやもしれんが兎に角彼が眞剣な眼差しでもって日本の将來を案じて居ることだけはまた確かなことです。

 

でもって藤井先生は勿論「マルクス主義」の方へ行った方が良いとは思って居られず従って中國の日本侵略に對しひとかたならぬ危惧を抱いて居られる「保守」の側の人である。

ですが今や眞の保守派であるならば其の「マルクス主義」の正しさの部分もむしろ徹底的に學んで置くべきでせう。

 

だけれども普通「保守派」を自認する人は共産主義などは大嫌いでまた中國や露西亜こそが「敵」だとさう考えて居ます。

でも自分は「マルクス主義」なら「マルクス主義」でもって國は維持されることだらうとさう考えて居ます。

 

 

つまりは其の「多面的な解釈」を成り立たせることの方が「體制維持」に凝り固まるよりも思想としての間口が広くなる訳だ。

また最終的に藤井先生は「現状としての危機」を悟り「正しい思想的立場に沿って國を歩ます」ことを世に喧伝して行くべきとの仰せである。

 

其の「正しい思想的立場」とは「反緊縮」財政論であり「反緊縮」思想です。

また其のことを歴代政府の政策への批判及び財務省による意思決定への批判と云う形で展開されて居られる。

 

中でも「消費税増税」こそが日本経済の停滞を招き日本を参等國と化して仕舞った旨のことを述べられて居り此の点に関しては庶民ー大衆としてのみんなや中小企業ーに對して極めて分かり易くしかも我我にさう感じられている通りでのことです。

 

自分もまた以前から「消費税増税」こそが元凶だったとさう考えて居り其処へ米國流の新自由経済體制の矛盾やらコロナ禍などが追い打ちをかけこんなんなったのだとさう思うのです。

また其れをやり続けて來た政治家の頭の悪さこそがそもそもに問題である、いや其れこそがむしろ壱番の大問題だとさう捉えて來ても居る。

 

 

但しあくまで「哲學的」に此の日本の國力の衰退の様を見詰める限り其れ等のことはむしろ大した問題とはならない。

逆に此処日本に於ける最大の問題とは「全體主義」気質のことであり「👪主義」社會=封建的社會其のものであることだらう。

 

さらに言えば現代文明其れ自體が「全體主義」気質でありまた世界のどんな國國にせよ「👪主義」社會なのです。

まさに其れこそが「理性的には組み上げられぬ文明社會」のあり方を端的に示す事實なのではないか。

 

でもって御釈迦様の思想はあくまで其の「👪主義」では無い解脱思想でせう。

またキリスト様の方でもあくまでキリスト様御自身は「👪主義」では無く「神との👨‍👧‍👧主義」なのだ。

 

まあキリスト教の方が其の👪主義の度が高くある訳ですがあくまで其れが「神」との👨‍👧‍👧となることである以上現世利益的な意味での「👪主義」なのではまるで無い。

 

 

藤井聡・中野剛志:『日本破滅論』 – 京都大学 都市社会工学専攻 藤井研究室 (kyoto-u.ac.jp)

 

【東京ホンマもん教室×表現者クライテリオン】藤井聡・宮台真司対談完全版 前編 - Bing video

 

【東京ホンマもん教室】戦後76年“あの戦争”とは何だったのか〜ホンマもんの保守をめぐって〜 ゲスト:宮台真司(対談テーマ:日本の劣化と大衆社会)※8月28日 放送見逃し動画 - Bing video

 

其の藤井先生の動画などもまた幾らでも出て参ります。

自分もまた常に忙しくして居り夜しか此れ等が視られぬので早速今夜にでもまた視てみます。

 

2.特に中途半端なインテリ層ーわたし等ーに對し「事の眞相」を知り「オピニオン・リーダー」として世に立つことを鼓舞されて居ること

 

其のことに就き君の意見を今此処でもって述べよ。

其の「オピニオン・リーダー」では無く「遊びのリーダー」の方にこそむしろなりたい。

 

其の「遊び」とはそも何か?

「遊び」とは「非眞面目」に生きることだ。

 

其の「非眞面目」とはそも何か?

常に悩み且つ考えしかも「放棄」して居ることだ。

 

では其れは所謂「不眞面目」なのとは違うのか?

「不眞面目」な奴は悩みも考えもせずさうして大金に群がり且つ美女に群がりしかもギャンブルに狂い常に酩酊して御座る。

 

でも自分はかうして學の方もあり且つ表現者なのでそんなことをして居る暇などは事實上無い。

また随分と偉さうにしやがって。

 

 

さうして自分を持ち上げる癖がどうも君にはあるやうだ。

あれ何時の間にかさうだったか?

 

ところで君は「感性の限界」と云う本をすでに読み終えたのか?

其の本はすでに金曜日に読み終えて居ます。

 

兎に角滅茶苦茶に面白い内容の本で著者の高橋 昌一郎氏は流石に哲學者であるやうに思われた。

矢張りと云うべきか其の「哲學者」の書く本は壱筋縄ではいきません。

 

特に後半部にかって「カミュ」が提示した不条理性のことが述べられて居て其の部分が非常に興味深かった。

現代社會に於ける其の「不条理性」の部分はむしろ加速し拡大されて來て居ます。

 

尤も其の「生の不条理性」に関してはなかなか「理性的」には解決が図られないやうにも思う。

其れこそ🐱や🐶の生き様こそが其の不条理性の塊のやうなものですがでも彼等は其処にてちゃんと生きて御座る。

 

 

わたくしにはまずは其のことがなかなか理解されない。

でも彼等はさうして「其処に有る者としての實存」を事實として毎日生きて御座る。

 

また打たれ強い現存在としての大衆も何があってもさうして朝起きて會社へ行き稼いで來る。

だから其の「打たれ強い」のこそがむしろ生命としての本源的な力のことなのだらう。

 

「打たれ強い」のは所謂「信仰者」などもまたさうなのではないか。

まあさうもまた言えることでせう。

 

でも其の場合はおそらく生命力其れ自體では無く何かかう観念的な何らかの力なのでせう。

さらに藝術などによる力もまた其れに良く似たものであるやうに思われる。

 

さうか、では「政治」もまた打たれ強くあらねばならん訳か。

いや政治家は例えば政策の失敗の「責任」などはまるで取らうとしないので所謂「不眞面目」な世界のもので元元彼は面の皮が分厚く出來て居り結局「打たれ強い」のです。

 

 

うーむ、全く困ったもんだなあ。

うーむ、まさに困ったもんです。

 

むしろ文學者や哲學者が其の政治でもやったらどうですか。

いやゲージツ家が政治をやるとかの信長公やヒットラーさんのやうになって仕舞う。

 

つまりはもはや歯止めが効かなくなる。

だから政治なんて元元現存在がやるものじゃありません。

 

では誰がやるのだ、其の畢生の大仕事を。

むしろ👽にでもやって貰いたい位でのことです。

 

例えばウルトラの壱族だとかそんなものにやらせてみると即日本國は回復するのやもしれません。

又はレインボーマンだとかまたマグマ大使だとかそんなものにやらせてみると少なくとも👪主義のこんなキシダが國の舵取りをするより良いのやもしれません。

 

さても「打たれ強い」みんなはまた🐱や🐶は決してへこたれては居ない。

だからまた明日も大いに働き飯を喰らうことでせう。

 

そんな元気者ー現金者ーのやうに僕もまたいつかなりたい。