目覚めよ!

文明批判と美と心の探求と

人類が滅亡しやうがしまいがむしろやることはみんなの認識を正すことだけだー文明滅亡論 其の壱『自滅する人類』よりー

人類が滅亡しやうがしまいがむしろやることはみんなの認識を正すことだけだー文明滅亡論 其の壱『自滅する人類』よりー

 

 

 

 

さて本日は雨でやらねばならんことがやれんのでまた此処へと戻って来た。

其れにつけても此のパソコンは結局安物で容量が小さいので反応が遅く兎に角色んな情報を整理しないとダメだ。

 

などと相変わらず文句タラタラですがまあ文句の多いのは結局頭の良い証拠ですので其処は少し割り引いて見て頂かねばなりません。

問題はフォントサイズの調節がデカい方にしか出来ず兎に角妙に字がデカいことである。

 

まあスマフォで文字数の少ない會話だけをやる馬鹿共にはコレで良いのやもしれぬがまさに明治の文豪並みに思考の内容が高等なわたくしには此のデカい文字がほぼ馬鹿にしか見えぬのである。

つまりはもっともっと高等なPCを欲するのであるがつまりは金に余裕が無くかうなって仕舞う。

 

さうか、つまりはまんま貧乏詩人と云う訳か。

 

まあ其れも我が運命なので仕方が無いな。

どだい詩人の多くは皆四十位迄に死ぬのだからまだ生きて居られるだけ「ありがとさん」とさう思わねばならぬのだらう。

 

 

さて本日は何より味噌煮込み飯日和なので先程其の味噌煮込みおでん飯をつくり食したところである。

例のキッチン大友の味噌おでんを使用して居るがまあトッピングの方が多いので不味くは無い。

 

其れでもって弐食分をつい食ってまった。ー弐食に分けて食う分をー

だから今腹が壱杯でもって苦しい。

 

だが其の「苦しい」と云うことをおそらくは多くの現存在が認識しては居ないことだらう。

でもほんたうは現存在もすでに腹が壱杯即ち目壱杯である。

 

 

でもってして相変わらず人文詩人は本も読み続けて居て例えば今読み返して居るのがズバリ『自滅する人類』である。

 

さて理性派の方方の中でも此の種の「自滅物」が嫌いな方も居るのであらうが我に限っては「早晩文明は自滅する」とさう考えて居るのでむしろ其の種の自滅の類の書をあえて集めて読んで来たのだと言っても良い。

でもって其の種の自滅の書の類はむしろほんたうのことを述べて居るのだと思う。

 

丁度グレタ・トゥーンベリさんが「文明は此の侭ではダメだ」とさう訴えたやうにつまりは此の侭では文明の営為其のものがダメなんである。

だが現存在は各種のー其れも弐重、参重のーバイアスにて謂わば洗脳されてるからさうストレートに言われると逆に強く反発して仕舞うのだ、其れも丁度かのトランプ氏のやうに。

 

 

其の文明のダメさ加減に就いてはグレタさんが仰るやうにむしろ科学的な知見に基づき其のことに就き是非學んで行くべきだらう。

 

其れも自然科学や社會科学による知見は特に重要である。

尤も直感力があるのは藝術や文學の方であらう。

 

従ってつまりは學問を最重視し価値構築を是非して行くべきだ。

市場原理つまりは儲け主義ー功利主義ーだの大衆に於ける感情論だのそんな分野から価値構築するとなるともはや此の世に未来は無い。

 

また宗教的な意味での眞理過程に就いても此の際除外して置く。

宗教は現存在の心のあり方を正す精神的な過程ながらむしろ地球を物理的破壊から救う實質的な力を持ち得ない。

 

 

されど最終的にはまた其の宗教的な意味での心のあり方の問題となる。

だが其の前にまずは我我現存在が何をどう認識して行くべきなのかと云う部分に就き論じてみたい。

 

 

さて此のところ弐冊の「滅亡物」の書を再読したのでまずは其れに就き論ずる。

 

自滅する人類 : 分子生物学者が警告する100年後の地球 : 人類滅亡までのカウントダウンは、すでに始まっています - Webcat Plus (nii.ac.jp)

CiNii 図書 - 自滅する人類 : 分子生物学者が警告する100年後の地球 : 人類滅亡までのカウントダウンは、すでに始まっています

 

此の本を我は2016年に求め今回で四度目での再読となる。

まず述べて置くのは我は此の種の本の選択には厳しく其れ即ち陰謀論や宗教的妄想に毒されたやうな書籍の類は決して読まないと云うことである。

 

さらに自分は理性の度の方もまさに御覧の如くに強くあるので所謂新興宗教の教祖の言葉などを頑なに信じ其れに従ったりは決してしない訳だ。

つまりはオウム教のやうなものにはまさか騙されたりはしない、いやまるで其れが出来ぬ人間なのだ。

 

要するに自主独立した思考の持ち主でありつまりはまるで哲學者の如き人間なので其処には常に自己の論理をしかと構築して居り従って其の論理なり理性なりが「此れは本物だ」とさう判断する學説なり考えなりのみを其の自らの考えの参考とさせて頂くのである。

 

 

でもって此の東京理科大学の坂口 謙吾先生の本こそがまさに其の本物の書である。

 

日々本 其の百九十二「人類滅亡」 - 本の宇宙 (hon-no-uchu.net)

 

さてこちらに書かれて居るが如くに此の本にはまさに恐ろしい人類の未來のことが至極眞面目に語られて居る。

 

しかも「百年以内に文明はほぼ完全に滅亡する」との極めて厳しい見通しが述べられて居りつまりは此の種の「滅亡物」の書の中でもほぼ最右翼に位置されるであらう絶望的な文明の未來を論じた本である。

だけれども坂口先生は如何にも理系の學者らしく完全な悲観論を述べて居られるのでは無く「理系の努力としての技術的な意味での価値的改変」によりむしろ良くなるつまりは滅亡を先延ばしにする策はあるとの仰せである。

 

但し個人的には其れもまた可也に難しいことかと思わざるを得ない。

自分の場合は文系のとどのつまりは悲観主義者ですので最終的には「現存在としての精神的変革」が無いと文明も地球も助からないとさう考えて来て居る。

 

尤も其の「現存在としての精神的変革」の部分に、

 

1.宗教以前での學問的な意味ー学びの意味ーでの精神的変革

2.信仰の上での精神的変革

があるものと考える。

 

でもって、

 

宗教以前での學問的な精神的変革⇔信仰の上での精神的変革

との弐項對立に於いて、「相剋し且つ相即する」関係性を成就せんが為にあえて両者を行ったり來たりも我はして居る訳だ。

 

でもってして最終的に僕の論理では、「大多数の現存在の認識其のものに問題があり」とさう結論付けられた訳だ。

だから主に認識論の面で現存在の認識を変えやうとさう躍起になりもう長くあれこれと書いても來た。

 

でもどうも眞面目に書けば書く程に所謂「人気」が無くなるのであえて💩と書いてみたら案外人気が盛り返す訳だった。

なあんだ、みんなは結局💩まみれになりたいだけなんだ。

ではいっそのことみんなで肥溜めにでも落ちよ!

 

とさう云うこととなっちゃった。

でもって今はそも何で御釈迦さまやキリスト様の認識が所謂大衆的認識とかけ離れたものであるのかと云うことに就き考え込みかうして日日悩んで來て居ります。

 

 

坂口先生のオモシロ授業 ~自滅する人類編 その 1~ - YouTube

坂口先生のオモシロ授業 ~自滅する人類編 その 2~ - YouTube

坂口先生のオモシロ授業 ~自滅する人類編 その 3~ - YouTube

 

其のバイオ學者としての坂口先生の認識はあくまで正しいことかと思う。

でも「2100年迄文明が持たない」と云うのはオカシイとさう多くの人人は思われることでせう。

 

なのだが僕なんぞは其のバイオのバの字も知らないが壱文人として「2100年迄文明は持たない」とずっとさう考えても来ました。

と言いますかあくまで我の場合には、

 

3.直感として2100年迄文明は持たない

4.直観として2100年迄文明は持たない

 

のです。

 

つまりは其処で両方共「ダメだあー、こりゃあ」なんですね。

要するに藝術的にもまた哲學的にもダメなんです。

 

なので最終的にはもう「神様、佛様」しか現存在を助けて呉れる向きが居ないのです。

ですが其れは「何処ぞの新興宗教の教祖」であったりしてはまたならない。

 

でもって自称詩人は其の「神様、佛様」の御言葉としての眞理と學問の上での眞理との橋渡しをする役目をこそ担って居る。

つまりは其の「聖なる認識」と「學のある認識」を其の異質なる認識を統合化して行くことに於ける重要な役割を課せられて居る。

 

だから實際毎日とんでも無く疲れる。

ではもう逃げやう。

 

さようなら、愚かな現存在たち。

さようなら、此のキラキラの地球。

 

バイバイ、自称の詩人さん。

そんな簡単に我を見捨てるな!!

 

どだいお前らの為に此処まで身を削り心を砕きやって来たのだぞよ。

 

 

最終的に我が認識として辿り着いたのが「眞我」としての認識を仮構築することで其の「眞我」としての認識は「非我」の脱構築より築き上げるある種の「神的」な自我の流れでのことです。

ですがあくまで神其のものを信じるのでは無く其の「眞我」の方をこそ信じるものですから救済も解脱も厳密には其処に達成されないものかと思われる。

そんな徹底的にニヒリスティックな状況にて猶も詩人はかうして日日を闘い続けて来て居るのだ!

 

 

Radiosensitizer Academic Forum 2020  Kengo Sakaguchi,Ph.D. - YouTube

 

ところで今回はまたこんなものを発見し視てみましたところ坂口先生は何となく淡淡と仕事としてのバイオの分野での研究に勤しまれて居るかのやうに見受けられました。

でもこんな方がまた何でかってあんな本を出されたのだらうか?

 

個人的には其れは「理性の良心」としての告白ではなかったかと思うのです。

其のやうに「理性」には其の仕事の面ばかりでは無い「良心」の部分が必ずや課せられて居る筈だ。

 

かってかの哲學者カントが何より問題として捉えたのが其の「理性の良心」の部分を如何にして担保して置くかと云うことだった筈です。

特に「自然科学者としての理性の良心」こそが今問われて居るのだと思う。

 

 

人文學中でも文學はもうほんたうに此れ迄に其れを目壱杯にやって来て居るのです。

其れも安吾の如くに精神病院へ入ってみたりまた大宰の如くに心中したりさらに芥川や三島や川端の如くに自決したりともう此れ以上も無くやって参りました。

 

でも其の生き様は現實としての此の世の様と無関係なものでは無くむしろ重なり合っても居るものです。

かっての文豪等の其の凄惨な生き様は我我文明人が今後歩むであらう文明の結末とある意味では重なるものでせう。

 

と其処まで行きますれば其処に初めて宗教的な意味での救済が心中に大きな意味を持って拡がることでせう。

逆に申せば宗教的な意味での救済を求められない侭にさうして洗脳されて居る現存在としての心の空虚さ、虚偽としての心の価値観の構築の度の酷さが其処に炙り出されて来る。

 

要するに洗脳度の酷さこそがまさに其処に炙り出されて來やう。

と本日はまた少しきついことを申しましたがあくまで其のやうに科学的な知見としては文明の未來はほぼ絶望的でもあることだらう。

 

 

さて其の坂口先生が『自滅する人類』で述べられたことで最大の問題が實は「人口問題」です。世界人口が80億人に NHK解説室

 

さうして此の人口爆発-Wikipediaこそが現存在の抱える最大の問題です。

尚自分は中学参年の夏休みの折に『世界の人口問題と食糧危機』と云うレポートを作成し其れを社會科の課題として担任の先生ー京大出の社會科教師ーに提出したがまさに其れにA´の評価を与えられ先生より特別に様様なことを教えて頂ける立場となった。

 

其の頃にI先生より教えて頂いたのがローマクラブ - Wikipediaによるレポート成長の限界-Wikipediaのことである。

 

なのでわたくしはすでに其の頃より其の文明の「成長の限界」のことを常に考え続けて来て居た。

ところが畢竟其のことを周りで考えて居る人には出逢うことは無かった。

 

よってそも認識の方こそが違うのである。

其れも広い世界の中には勿論そんな認識もまた存在するのだがまさに其れは學問や宗教での領域の方に限られて居た訳だ。

 

つまりは「分かって居ない」人間はもう初めから何も分かっておらん。

さうかあー、困ったなあ、もう文明は今世紀末で終わりだと云うのに壱體全體どうしたら良いのだ?

 

そんな訳でむしろ此の世での我が苦しみとは「人類滅亡」其れ自體では無くつまりは周りのアホなトコ、如何にも周りの認識のレヴェルが低過ぎることにこそあった。

なのでそんな我が壱種「人間嫌い」になるのもむしろ当たり前のことではないか。

 

 

だからオレが全部悪いんじゃあねえ。

お前らが只バカなだけだ、へっへっへっへっのへー。

 

ちなみにわたくしは今回も其の「人口爆発」に関する処方箋に就き述べる訳では無く只周りの無理解、其のバカさ加減を「こーのばか野郎!!」とさう批判したばかりでのことなのです。

つまりは其のバカをこそ根絶せねば人類の未來は無い、との考え方をして居る者です。

 

そんな訳で僕はバカが此の世でもって壱番嫌いです。

 

さうかあー、其れも随分と苦勞を重ねなすったんだね、社會科詩人さんは。

まあ何と申しますかもう「キイー!」とヒステリイにでもなるやうな感じですか。

 

 

まあそんな訳で人類はもう助からないので後はもう適当に樂しく生きて置く方が良い。

但し享樂的にでは無く慎ましく實存や物質を慈しみ愛しつつ生きて行く方が良いことだらう。

 

でもくれぐれも申しますが酒池肉林は絶對にダメです。

其れと邪教邪教の教祖を決して崇めたりしてはならない。

 

要するに最終的には其の個に於ける認識のあり方こそが問われて行くのです。

まさに其の「個に於ける認識のあり方」を正すことこそが現存在に於ける理性的な意味での責務なのですから。