藝術が謳う「メメント・モリ」への壱考察ー+写眞家に就いてのことー
死を想(おも)え、生を想(おも)え。 写真家・藤原新也の旅 - 日曜美術館 - NHK
さて昨日TVにて此の番組を視てまた様様なことを想った。
まさに其の生死の様をこそまた藝術は見詰める。
だが宗教もまた其れを見詰める訳だ。
では其の見詰め方にはどう違いがあるのだらう?
そんなこともまた思うのだがまあ其れもひとまずは脇に置き藝術に於ける死をこそまずは考える。
むしろ問題は其の剥き出しの生と剥き出しの死が實存の中にしかと用意されて居ると云う其の悲劇性に関することである。
また其れを壱言で言い表すと「其の剥き出しとしての生死としての苦を生きて行かざるを得ぬ實存」のまさに哀れなる様のことだらう。
尚僕はほぼ半世紀に亘りまさに此の苦しみと向き合って来たのだと言っても良い。
またつまりは生に於ける其の剝き出された悪意性、悪夢性のやうなものに耐えられない感じがいつもして居た訳だった。
其れ即ち「悪意でもって形成された世界」のやうにどうしても周囲が見えて仕舞う。
また事實として此の世界はむしろ悪意でもって充たされても居るのだった。
さう云うのはおそらく感度が高いとさう見えて来るものだらう。
すると結局は其の己の側の認識の問題なのか?
さうも見えるが社會はまた依然として何処までも「悪意でもって形成された世界」なのだ。
なる程、だからキリスト教と云うものが出来たのだ。
だって其の👿をやっつける神だのキリストが居ないと此の世は救われはしないのだから。
では佛教の方では其処をどう捉えるのだらうか?
佛教に於いては其の「悪意」=👿と神=「善意」とに分かれる認識をする人間の認識の癖の方をこそ問題と捉えるのだ。
つまりは其の「悪意」=👿其のものが悪なのでは無くさう認識する自分の認識のあり方の方がむしろ悪なのだ。
まあ本質的論議をすればまさに其処まで行って仕舞う。
だから最終的に佛法は其の認識其れ自體を消し去ることをむしろ現存在の認識に取っての「永遠の浄幅」=「涅槃」だとさう捉える。
故に本質的に佛法とは「生きて居る」うちに成就されるべき認識上の革命のことである。
いや革命どころか即ち認識の自決と云うことだらう。
最終的には其の認識自體が死んじゃう訳なので要するに「精神的自決」のやうなものなのだらう。
確かに其の「精神的自決」とは穏やかな物言いでは無いが其れは佛法なりに此の世の👿と対決した末に得られた眞理としての内容だと考えられる。
對するキリスト教での其の👿との闘い方はまた異なる。
尚其の「精神的自決」の流れとは明らかに東洋思想に於ける壱つの大いなる潮流である。
例えば老荘思想に於けるー隠遁的なー思想的展開などもまた其の「精神的自決」をまた別の角度から説いたものなのだらう。
また其れ等から大きく影響を受けたと目されるショーペンハウアーの哲學などがまた其れに与して居ることだらう。
精神的自決⇔精神的昇華
其のキリスト教では神の認識へと要するに現存在の精神を昇華せしめる訳だ。
するとどちらも其の👿がやられることになるので結果としてはどちらも正しく故に後は選択の問題となる訳だ。
まあわたくしの場合はかうしてどちらをも向いて居ります。
即ちイザヤバくなったらドッチかへ逃げ込もうとさう思って居るので別にドッチでも構いません。
藝術の場合には必然として表現に「美化」の要素が加わるので其の種の本質的論議は不得意なこととならざるを得ない。
故に藝術は概念的解釈では無くむしろ直感的解釈のことだ。
直感即ち言語による概念規定以前での事物への解釈の仕方のことだ。
藝術に於いては屡此の「メメント・モリ」と云う言葉が発せられる。
即ち「死を想え」、「死を忘れるな」と云うことです。
でもってわたくし自身が今其れに就きどう考えるかと云うことですが、
1.「死」の身近さに気付き
2.逆に「死」を忘れる
と云うことを屡想う。
何故なら身近に「死」が多くなり過ぎた。
例えば昨日は🐈が蟷螂を獲りまさに其れが死にました。
また其の🐈自身もまた壱匹消え去った、即ち病気となり消え去った、つまりは死んだことだらう。
さうして死の集積のやうなものに此処弐年程は晒されて来て居り、よってむしろ「死を考える」心理的余裕が次第に無くなっても来た。
であるからこそむしろ「死」を忘れて居られるのだとも思う。
例えば藝術家や宗教家は屡印度などを訪れる。
其の藤原 新也氏や横尾 忠則氏などがかってはさうして印度を訪れたものです。
すると印度では「死」がむしろありふれたものである。
なので「死を考える」だけの心理的余裕が次第に無くなる筈だ。
だからわたくしは猫共と暮らすことで其の壱種の自然的な死の體験を今積んで居る最中なのではなからうか。
但し其れはあくまで辛い體験である。ー何故なら我は動物では無く人間なのであくまで其れが辛いー
ーただし、古代ではあまり広くは使われなかった。当時、「メメント・モリ」の趣旨は carpe diem(今を楽しめ)ということで、「食べ、飲め、そして陽気になろう。我々は明日死ぬから」というアドバイスであった。ホラティウスの詩には「Nunc est bibendum, nunc pede libero pulsanda tellus.」(今は飲むべきだ、今は気ままに大地を踏み鳴らすべきだ)とある。
この言葉は、その後のキリスト教世界で違った意味を持つようになった。天国、地獄、魂の救済が重要視されることにより、死が意識の前面に出てきたためである。キリスト教的な芸術作品において「メメント・モリ」はほとんどこの文脈で使用されることになる。キリスト教の文脈では「メメント・モリ」は nunc est bibendum とは反対の、かなり徳化された意味合いで使われるようになった。キリスト教徒にとっては、死への思いは現世での楽しみ、贅沢、手柄が空虚でむなしいものであることを強調するものであり、来世に思いをはせる誘因となった。ーメメント・モリ - Wikipediaより
此の部分が非常に面白い。
其の「現世での楽しみ、贅沢、手柄が空虚でむなしいものであること」はしかしながら眞理である。
また其のことは釈尊がさう述べられたことでもまたあった。
だから釈尊は人間の認識其のものを去らうとされ、またイエス様は人間の認識を神の認識と壱致させやうとせられた訳だった。
ですので、其の点ではまさに同じです、其れもまるで同じなのだと言っても良い。
だが其の宗教とは逆の立場にこんな「今を愉しむ」と云う考え方までもがまたある。
例えばルバーイヤートルバイヤート - Wikipediaなどがまた其のやうな思想の流れでのものである。
さてもでは正しいのは壱體ドッチなのか?
其れは結局どちらも成立する考えなのだとしか言えない気がする。
無論のことあくまで宗教的には佛陀とキリストが正しい訳だが其の厭世詩人による酔生夢死の方が絶対に間違ったものだとはまた言えぬのではなからうか。
「死を忘れない」⇔「死を忘れる」
其れと同じ論理にて實は此のことも同じである気が致します。
変な言い方ですが「死を忘れない」からこそ「死を忘れる」のであり「死を忘れる」からこそ「死を忘れない」のです。
まあ我が御得意の脱論理ですので分かり難いことかと思わますがまさにそんな感じでありでも其れはあくまで感じなので「死を考える」のでも無く「死を想う」のでもありません。
要するに概念以前での死をさうして詩人としての眼でもってたった今見詰めて居りますのです。
酒池肉林ー此の世での享楽ー⇔禁欲
尚わたくしが常に述べる「限定」と云う哲學的概念は其の「禁欲」のこととは違う。
其れは弐元分離を相剋し且つ相即する関係性の下にあえて欲望を「限定」することなのだ。
であれば酒池肉林其のものではダメで猶且つ禁欲其のものでもまたダメなのだ。
そも其のやうな関係性を成立させるべく弐元分離の要素をバランスさせることなのだからして…。
まさに其れがわたくしが説くところでの眞理の内容です。
今少し噛み砕き其れもより具體的に言えば、
藝術的な理解での死⇔概念的な理解での死
がそも違って居て、また其れが、
自然の死⇔人間の死
との対置関係に等しくなると云うことなのだ。
また藝術的な理解での死をより深めれば概念的な理解での死に近づくかと言えばむしろさうでは無いやうに思う。
即ち藝術的な理解での死をより深めればむしろ「死を考えぬ」即ち「死を忘れる」方向へと進むのだ。
すると其れはむしろ原始佛法での死に對する立場に近くなるやうな気もまたして居る。
其の意味ではむしろ「死を想い且つ其れに就き考える」ことを権威化ー価値分別化ーしないことこそが大事ではないか。
即ち「死を想い且つ其れに就き考える」ことはでも意識が凄く高いことでせう?などとはむしろ思わない方が良い。
だけれども「死を想い且つ其れに就き考える」ことはかってハイデガーもまた述べて居たやうにむしろ現存在に取っての本質的な認識上の要件である。
即ち死の側から捉えた今を認識することで余計な観念的対立ー余分な虚妄分別ーの部分を鎮静化せしめて行く訳だ。ーあくまで哲學的にはさうなるー
さて其の「生の悪意性」に對する宗教的回答はすでに佛陀とキリストにより此の世に齎されて居ます。
但し其のことに就き藝術が表現し得るのだとすれば其れはむしろ理窟抜きとしての剥き出しの悪意としての生の有様なのでせう。
要するに其の獣だの猛禽だのに今まさに食われる人間の屍其のもののことだ。
いや我なんぞはむしろ生きた侭で人間は動物に食われろだとかかって無茶苦茶なことを屡言って居りましたものです。
其の理窟抜きとしての剥き出しの悪意は概念的には否定し難い生の現實としての過酷な悪夢の様です。
畢竟我は其の悪夢にずっと苛まれ続けて来たのだと言っても良い。
故にどうしたら其の生の悪夢から解放されるかと云うことこそがずっと我に取っての生の課題其のものでした。
でもって藝術は其の生の悪夢としての不条理性をむしろ拡大し見せつけて来る。
即ち直感にて捉えられた其の剥き出しの死と生其のものを此の世から抉り出す形にて其処に描き出して止まぬ訳だ。
「死を忘れない」⇔「死を忘れる」
つまりは此の対立関係自體をあくまで藝術の方法論として其処に描き切るのではないか。
だがどうも其れとは対置されるだらう展開が自然界にはあるやうな気がしてならない。
其れが即ちまるで「死を忘れたかのやうに生きる」ことです。
事實死期を悟った🐈は常に「死を思い出したかのやうに」何処かへと消えて行きます。
ところが其の前日迄はむしろ死を感じさせずに生きて居ます。
だが現存在の場合に限れば「死を忘れない」ことがむしろ長過ぎる。
つまりはさうして常に観念的な生死の対立の場に於いてこそ生きて御座る。
でもさうした意味での死に方はむしろ死を等級化ししかも過去化し過ぎて居る。
むしろ動物はさうして過去を引き摺らずに死んで行きます。
またつまりは其のことが「生の悪意性」に對してもまた無分別だと云うことなのだらう。
祈り・藤原新也 | 世田谷美術館 SETAGAYA ART MUSEUM
藤原新也の大規模個展が世田谷美術館で -「祈り」をテーマに初期〜現在の写真作品・文章を紹介 - ファッションプレス (fashion-press.net)
さて藝術家は其の「祈り」と云う言葉が大好きであり自称藝術家のわたくしもまた其れを良く使う。
写眞と云うものが何故藝術たり得るのかソコがそも分からんのですが確かに其れは藝術以外の何ものでもない。
ちなみに親類に其の写眞家が壱人居て壱応立木 義浩 - Wikipediaの弟子と云うことになる。
パーセク|愛知・名古屋で結婚式前撮り、フォトウエディング、ロケーションフォトをするなら我が社にお任せ! (parsec-photo.com)
此処の代表者ですがのり君と云う人で要するに従兄です。
小学生の頃は弟と共にいつものり君の家へ遊びに行き壱緒に遊んで貰いました。
のり君はメガネをかけたインテリさんで東京の良い大學へ行ったが写眞が好きになり大學を中退しさうして立木 義浩の弟子となったのです。
でものり君がそんなゲージツ家になるとはまさか思いませんでした。
と云うのも天文靑年でもって天体望遠鏡ばかりを覗き天文の専門誌ばかりを読んで居たからです。
だがのり君もまたわたくしがかうしてニセのゲージツ家をやって居るとはまさか思わぬことでせう。
ですが其のフォトウェディングなるものは今やなかなか大変なことと思われます。
其れもゲージツ家として会社をやりカメラマンを何人も雇いやって居て大丈夫なのか?
お前の方がずっと心配だ!
ちなみに其のゲージツ家の写眞家さんに写眞を撮って貰いますとちゃんと其れがゲージツ作品になって居ますからまさにソコが不思議です。
0160夜 『印度放浪』 藤原新也 − 松岡正剛の千夜千冊 (isis.ne.jp)
かの松岡 正剛氏が御仲間らしい藤原 新也氏のことをかうしてしみじみと語って居られ實に興味深い記事です。
さらに藤原 新也氏の詩と写眞を組み合わせた藝術表現に就き「それ以前のもの」と語られて居り其の事が何だか腑に落ちた気も致します。
「それ以前のもの」とはつまりは言語以前、分別認識以前での直感的解釈と云うことなのだらう。
まさに藝術表現の本質とは其処にこそ尽きて居るのだと思われる。
尚わたくしが好きな写眞家はズバリ荒木 経惟 - Wikipediaですが此の人はどうも女癖が悪いやうです。
だけれども死んだ妻への愛を表現した壱連の作品にはかって言葉を失う程に感動させられたものでした。
アラーキーの原点を妻・陽子の写真でたどる『荒木経惟 センチメンタルな旅 1971- 2017-』レポート | SPICE - エンタメ特化型情報メディア スパイス (eplus.jp)
即ち写眞とは藝術なのだと云うことが此れ等の作品から初めて自分に伝わって来たのだった。
まあ其の「天才」アラーキーもまた變な奴なんでせうがね、つまりは「自分を天才にしたがるバカ」と云う点で何だか僕にも良く似て居ります。
いずれにせよ写眞もまた不思議な藝術表現ですが写眞家が撮った写眞はかうして常に藝術としての何かを語って居る訳です。