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文明批判と美と心の探求と

かうしてあっけなく中止となった成海神社での山車巡行ー其の猩猩の禿げ頭に何故か何処までも惹かれる我ー

かうしてあっけなく中止となった成海神社での山車巡行ー其の猩猩の禿げ頭に何故か何処までも惹かれる我ー

 

 

 

 

2割の働かないアリ、無駄な存在ではなかった…ある程度いる方がコロニーやや長く存続 (msn.com)

 

!!!

ヤッパリね…。

ヤッパリさうだった。

 

要するに無駄乃至はマイナスの部分がある方がむしろ組織での持続可能性が高まる訳だ。

ですが文明の無駄と云うことは其の意味での無駄では無く元元要らぬ無駄だと云うことです。

 

またライオンの♂が働かないのも其れはむしろ良い無駄のことです。

無駄とはさうして「全體」に対しての無駄なのであり自然界の無駄は其の意味では無いと言ってもまた良いことだらう。

 

なので現行文明は其の無駄に對する認識が壱義的に過ぎる。

だから其れは合理化の適用範囲を違えて仕舞うことにもまた繋がる。

 

特に此のグローバルな金融資本主義體制に於ける對人的な合理化などは愚の骨頂です。

どだい歴史にせよ文明にせよ所詮は人間が創り上げるものなので其の根本のところでの人間に對する合理化をあえて行えば即人間は壊れて行く。

 

また英國にせよ他の欧羅巴緒國にせよ他國を植民地化し其の國力を奪取しつつ強大なる近代主義國家を築き上げた國家はむしろ今まさに其のことにより悩んで居ます。

さらに米國などもまた奴隷化によるかっての労力の搾取構造のツケを今まさに支払いつつあるのだと言えやう。

 

つまりは此の世でのあらゆる現象には所謂「因果応報」の原則がありつまりは「良い思い」をし過ぎれば其の後には「良くは無い思い」を味合わねばなりません。

文明もまた近代の推進により「良い思い」をし過ぎれば其の後には「良くは無い思い」を必ずや味合わねばなりません。

 

 

例祭・鳴海祭(裏方)山車まつり | 成海神社 (narumi-jinja.or.jp)

 

ヤッパリね…。

ヤッパリさうだった。

 

さうだらうなとは實は感じても居たがヤッパリ此の山車祭りの方は降雨にて中止となった。

ですが以前は確か延期となった筈だったが今回は何故延期とはしないのだらうか?

 

いずれにせよコロナ禍以降久し振りのことですので樂しみにして居たのに残念なことである。

 

鳴海 裏方まつり【2018】 - YouTube

成海神社例祭・鳴海祭(裏方) 山車行事(2018/10/14) - YouTube

 

こちらは私も観に行った四年前の祭りの模様である。

おそらくは何処かに私の姿もまた映されて居ることだらう。

 

成海神社例祭・鳴海祭(裏方) 山車夜間曳行(2018/10/14) - YouTube

 

今年は是非夜に訪れやうかと思って居た。

實は知り合いが居て彼が山車の中で笛を吹いて居るのである。ーかって職場で知り合ったからくり人形師の息子さんで「猩猩」の製作者の壱人である人ー

 

尚此の祭り其れ自體はショボい祭りでつまりは有名な「名古屋まつり - Wikipedia」とかさう云うものでは無い。

つまりはローカルな祭りでもって實は我自身も知らなかったものである。

 

但し鳴海祭り其れ自體は知って居た。

何故なら母の出身地である星崎は其の鳴海に近い処だからなのだ。ー鳴海の旧名が成海であるー

 

 

どだい高級住宅街である瑞穂区東部の住人は八事だの南山だのより高級な場所に惹かれる傾向がありそんな鳴海のことなんぞはどーでも良いのである。

だが我に限り母の在所の星崎にて幼い頃より此の祭りを知って居たのでさうして五十を過ぎてから此の祭りのことを調べ始めたのだった。

 

さうして初めて祭りを訪れたのが七年程前のことである。

其の知り合いの彼が祭りの内容を詳しく教えても呉れたので其の情報をも参考となし其れこそ昼過ぎから夜まで祭り見物に勤しんで居たと云う訳だ。

 

2018 鳴海表方祭り 相原町 唐子車 渡御 宮入 - YouTube

2018年10月 鳴海八幡宮例大祭(表方祭り) 宵山揃い 山車提灯とどんてん - YouTube

 

さてこちらの表方祭りでは旧東海道に山車が繰り出されて行くが結構見物人が多くまた家からもより遠いので我の場合は以降裏方祭りの見物の方に限定してみた。

尚裏方祭りは其の成海神社の内部で行われる祭りなのでつまりは杜の中で行われ逆に趣のある素晴らしい祭りとなって居てしかも見物人もより少ない。

 

だが其の山車は祇園祭 - Wikipedia高山祭 - Wikipediaのやうに高級な山車なのでは無い。

要するに町内會費で創ったやうなレヴェルのものなのだが但し此処名古屋近辺は人形の本場だからからくり人形だけは決して侮れない。

 

2018 鳴海表方祭り 相原町 唐子車 町内曳き - YouTube

 

江戸時代

元和6年(1620年)には、尾張国名古屋東照宮祭における山車に初めて牛若弁慶のからくり人形が載せられ[3]中京圏を中心に「からくり人形を載せた祭礼の山車」が広範に普及することになる。

 

山車からくり
祭礼の際に曳かれる山車・車楽などに、からくり人形を載せたものである。山車の内部に囃子演奏者と一緒にからくり操作者が乗り込み、曳行時や宮入り時に囃子の演奏に合わせてからくり人形を操作し、披露・奉納する形が一般的である。元和5年(1619年)に名古屋東照宮祭が始まって以来、名古屋を中心とする中京圏に集中的に分布し、主に愛知県岐阜県に跨って特色ある祭礼文化を形成している。享保15年(1730年)に7代尾張藩主になった徳川宗春は「民と共に世を楽しむ」政策を実行し、8代将軍徳川吉宗の質素倹約策で自粛されていた東照宮祭の豪華に復活させ、他の祭や遊興を盛大に行う事を奨励し、活動の場を失っていた、京都の玉屋庄兵衛をはじめとする、全国のからくり人形師達を名古屋に招いてからくり人形師達が尾張地方に移住した事により、名古屋を中心とする中京圏で、からくり文化が発展し根付いた。名古屋中心部のものは大部分が第二次大戦の戦災で失われたが、岐阜県高山市高山祭美濃市美濃まつり、愛知県犬山市犬山祭津島市尾張津島秋まつり半田市亀崎潮干祭など、戦災を免れた山車が周辺地域には多く残っており、現在でも各社氏子の地元住民が、山車に乗り込んでからくり人形を操る姿が見られる。他にも京都祇園祭の蟷螂山が、御所車の上に乗ったカマキリのからくりで有名である。また江戸の山王祭神田祭においても、山車の人形にからくりを施したものがあったという[9]。ーからくり - Wikipediaより
 
 
但し我は其のからくり人形には興味が無い。
 
そも余り人間が好きでは無くよって人形にも興味が無いのである。
 
 

其の逆に好きなのは其れこそ星崎にて子供の頃から見て居た猩猩である。猩猩 ♯民族芸能- Wikipedia

 

Shoujou,_Arimatsu_Midori_Ward_Nagoya_2009.JPG (1500×1000) (wikimedia.org)有松天満社例祭に登場する猩々(愛知県名古屋市緑区、2009年(平成21年))。子供の頭を撫でている。ー

 

其の猩猩は謂わば我に取り論理即ち知識以前での體験であり経験である。

よって其れを哲學的に規定することなどは出来ぬ相談なのだ。

 

要するに言語領域以前での原生的體験のやうなものでむしろ其れは「感じ取る」だけの何かである。

また前前回に述べたところでの「宙ぶらりん」の歌などもまたあくまで我に取り論理即ち知識以前での體験であり経験である。

 

個人的にわたくしはむしろ其の種の體験なり経験なりを最も重視して居る。

其れはまさにむしろ論理と感覚が未分化での原生的體験其のものなのだからこそ。

 

 

勿論他の地域でもまたなまはげ - Wikipedia=👹だの鹿踊 - Wikipediaだの不思議なものが此処日本に限らず世界中にあまたあるのだがまさに其れこそが好きなのだ。

また三河にも花祭 (霜月神楽) - Wikipediaなるものがあり壱時期コレの研究をしやうかとさう思って居たのだったがいまだ其れが果たせずに居る。

 

と申すか花祭を三河へ観に行ったことなどもまた無い。

要するに生活に追われて其の種の文化人類學的な知的好奇心を充たすだけの文化的余裕が無い。

 

しし踊りの由来とは?獅子舞や権現舞と似ているようで違うその背景|オマツリジャパン|あなたと祭りをつなげるメディア (omatsurijapan.com)

獅子(鹿)踊|盛岡市公式ホームページ (city.morioka.iwate.jp)

 

かうしてかの宮澤 賢治が其の詩の中で述べた鹿踊りの様はまた至極魅力的なものながらさうして三河の祭りにせよまだ行けて居ない始末である。

其処からしても現存在の生はどうしても限定的なものとならざるを得ない。

 

但し地元のこと位は矢張り知って置くべきなのだらうが實は近所の人で其の鳴海祭りを知って居る人自體が少ないと来てる。

さうして特に現代人は現實的な意味での余裕が無いのであらう。

 

そりゃ当たり前だ。

かうして壱日の大半はむしろネットにて成立して居るのだから。

 

だがそんなもんはまさに壱種の病気の様だらう。

そんなもんでは無くまずは祭りへこそ行くべきなのではないか。

 

 

但しわたくしは人間が至って大人しく出来て御座るので大阪の岸和田だんじり祭 - WikipediaなどはTVでもって視て居るだけで怖くなる。

また昔何故か諏訪が好きで良く行ったが御柱祭 - Wikipediaと云う其の勇壮な祭りは矢張りと云うべきか其れは我に取り恐怖其のものである。

 

そもそもわたくしは母が今川 義元 - Wikipediaの残党から出た家の人間なので其の血には半分公家が混じって居てそんな荒荒しいのがつまりは生理的にダメなのだ。ーそも星崎は其の今川の家来の残党が住み着いたところだともまたされて居る、即ち桶狭間の戦い - Wikipediaにて織田 信長に破れた今川方の家臣が落ちのびた処なのだー

 

だからわたくしの祭りとはあくまで其のやうに成海の神社の杜の中にて行われ壱種厳かな気分にて其れを観賞するのである。

でもって例えばふんどし壱丁になれと言われてもまさか其れは僕には無理と云うものだ。

 

其の代わりに和歌でも詠んで差し上げるから是非其れでガマンして頂きたい。

だが正直言えば和歌もまた俳句もまるで詠めやしない。

 

つまりは古文の方の才能が意外に無い。

兎に角荒荒しいのはイヤ。

 

出来得ればもっと理性的であって欲しい。

 

 

「ショージョーのーはげーあたまー」

と其の猩猩の周りに居る人人が囃すのである。

 

すると其の猩猩が何故か決まって自分の方へと突進して来る。

 

だが物心付くとまた其の猩猩も何処かへ去って行った。

再び其れにまみえたのはさうして還暦近くになってからであった。

 

ーかのねぶた - Wikipedia祭りにせよ裸祭り - Wikipediaにせよ其処にてNo.1にならうと努力する姿を追ったドキュメンタリー番組をかってTVにて視たことがあるが其れには少なからず懐疑的である。特に現在はNo.1になること以前に其の祭りの存続其れ自體が問われるやうな世界となって来て居るのではなからうか。つまりは其の個としての勝ち負けなのでは無くむしろ其の祭り其のものが時代に圧迫され始めて居るのである。其れも其の祭りを四年振りに樂しみにして居たところかうしてあっけなく中止である。

と云うことはもはや文明其れ自體が大きく圧迫されて来て居るのだと見ても良いことだらう。

さてもそんなさ中にNo.1を競うことがそんなに大事なのだらうか?

さうしてNo.1を追い求めるのでは無く其の其其としての祭りの文化を保存することの方がより大事である。

幸いなことに其の鳴海八幡宮 - Wikipediaでの祭りは至って文化的なものでありまさにNo.1を競わないタイプでの祭りである。

またつまりは個人的にまさにそんな祭りこそが我が好みでの祭りの形なのだ。ー

 

10/12 前編 : kasブログ (livedoor.jp)

 

尚其の猩猩はかうして熱田神宮 - Wikipediaなどに出没する場合には何と裃を着たりもまたするのである。

だが普段はまさに野良着のやうなぼろきれで作った着物を着込んで御座る。