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でも「家事をきちんと」やるべきだー「家事」は現存在に取り最も大事なことであるー

でも「家事をきちんと」やるべきだー「家事」は現存在に取り最も大事なことであるー

 

 

 

「家事をきちんと」日本人を悩ませまくる呪縛 | 家庭 | 東洋経済オンライン | 社会をよくする経済ニュース (toyokeizai.net)

 

コレに對しちょっと反論させてお呉れ。

まずは其の「家事」を完璧にやらうとしなくても良いと云う考え方には共鳴出来る。

 

要するに其処で余りに「神経質」になる必要などは無い訳だ。

尚わたくしは其の「神経質」者でありしかも小学生位の頃まではむしろ病的にさうだった。

 

即ち人の触ったコップにて水やジュースを飲むことが出来なかった。

其処まで行くとほぼ病気である。

 

また偏食なども甚だしく實は肉も魚もまるで食べられなかった。

要するに菜食主義者なのだが其れでもネギだのセロリだのが嫌いで其れが料理に入って居ると必ず其れを取り除き其の料理を食べたものだった。

 

 

其の偏食は中学時代に母により治されて居たが其の潔癖性だけは治ることが無く高校時代以降はむしろ其れが精神的次元へと移って行ったのだと思われる。

だから次第に精神の方にマズさが出て仕舞いつまりは変わり者となった訳ですが他方で其の頃より趣味は多く何かに就き悩んでは居ても兎に角やることが多くそれどころではなく其れでもって結局鬱病にも分裂症にもならずに済んだのだった。

 

が、鬱体質であることだけはまた確かなことであらう。

即ち神経症者なので要するに変なことは確かに変なのである。

 

でもって大學時代には自分の部屋をまさに塵壱つ無く磨き上げて居た。

当時の部屋の写眞もまたあるがつまりは完璧に掃除が行き届いた部屋である。

 

が、現在は其れとは逆にほぼ汚部屋である。

其れも🐈が屡入り込みあらゆる物を床へと落としおまけにティッシュペーパーを細かく噛みちぎり部屋中にまき散らすので其れの片づけが兎に角難儀である。

 

しかも大掃除をやらうと思って居たところ突然股関節が悪くなりまともには動けぬやうになったりまた古い掃除機を誰かが捨てたりで實は物理的にも掃除がやりにくくなって居たのである。

だが掃除をせぬとまずは其処に埃が溜まり其の中にはダニやら病原菌のやうなものが発生する。

 

また其れに噛まれたり感染したりもする。

だがTVに出て来る汚部屋の如くにカップ麺の食いさしの腐ったのが置いてあったりする訳では無いのである。

 

其れでもって我が今其処に指向するのは其の中間の綺麗さであり掃除のやり方である。

ところが壱度根本的に大掃除しないと實はそんなサイクルへは進めないのであらう。

 

 

其の意味での断捨離や掃除機がけはどうのかうのでは無く「やらねばならぬ」ことなのだ。

だが勿論自然界には掃除は要らない。

 

其の掃除の要らぬ自然界のあり方の方が本質的には正しい。

 

逆に申せば掃除しないと回らぬ文明生活と云うかまた文化生活と云うか其れには無駄が多い訳である。

だがであるからこそ其れはまさに人間としての営為なのだ。

 

また其れを🐕や🐈、また🐵などに幾ら説明したにせよ絶対に伝わらない。

何故なら自然界には其の掃除と云うものが至極限定した範囲でしか行われて居ない。

 

🐈が排便の後に其処に砂をかけたりまた鳥が巣の中を快適に保たうとすることなどもまた其の掃除の壱種である。

よって其の掃除の意義とは「生命として快適な環境で過ごせるやうにすること」なのだ。

 

また其れは理性云云以前での本能に取っての義務なのでもまたある。

どだい其の🐈はさうして滅茶苦茶ながら案外綺麗好きだ。

 

逆に汚部屋に平気で居るやうな人間の方がどう考えてもダラシが無い。

 

尚かの坂口 安吾や今ならば五木 寛之先生などは案外汚部屋が平気であるさうだ。

但し其れは埃まみれの部屋では無く要するに本やら資料やらがむしろわざと散らかしてある部屋なのだらう。

 

何が言いたいのかと言えば「掃除」とはあくまで人間に取り大事な仕事であると云うことこそが言いたい。

其れこそ禅宗ではないが完璧に近い掃除は其の心の状態を映す鏡である。

 

 

但し病的に綺麗にしたところで其れには意味が無いのだともまた言える。

だが極力綺麗にして置かぬと結局は體が痒くなったりで困ったこととなる。

 

問題は「仕事」と「掃除」はどちらがより大事かと云うことである。

我が考えは生活に困らぬのであればむしろ「掃除」を優先すべきだと思う。

 

つまるところ我にはむしろ其の家事の多くが負担にはならない。

其の御洗濯もまた御買い物もむしろ樂しいのである。

 

さらに御料理の方は其れ以上に樂しい。ー其れも簡単な調理に限るがー

なのだが今は掃除だけが出来て居ないのでまさに其れが苦になって居る訳だ。

 

 

さて昔共に住んだ父方の祖母は女中上がりで家事に厳しい人だった。

祖母は人間嫌いで変わって居たが家の中のことは完璧にこなす人だった。

 

また我は其の血を四分の壱受け継いで居る。

 

なのだが我が母はまさに其れと正反対の人で要するに外面の良い人である。

逆に家の中のことはほぼ全てが大雑把でまたつまりは掃除が大嫌いである。

 

其れも机の上ひとつ拭かないのである。

だから机の上にもまた埃が溜まる。

 

我は其の血をもまた受け継いで居てつまりはこまめには掃除する気にならぬ人間なのだ。

だが元元神経質故机もキーボードもまたパソコンの画面も毎日ミューズ石鹸に浸した紙雑巾などで拭き清めて居る。

 

 

が足の下にはどうも埃が多く溜まって居るやうでまさに其れが気持ち悪い。

掃除機は弐週間も前にスギ薬局のポイント交換にてとりあえずは手に入れて居るがいまだ其れを仕組めずに居る。

 

かうして作文の方でも結構忙しいのでなかなかやる気が起きない、いや忙しくはなくてもやる気が起きない。

 

すると要するに其の祖母の女中の血が其の母の反女中の血に負けて仕舞って居る訳だ。

だが結局其れではイケナイのである。

 

さう言うとまさに反左翼的な言い分に聞こえるのやもしれぬのだが我は其の良妻賢母と云うことに實は大きく価値を置くのである。

とりわけ家事がしかと出来る女性を何より尊敬してやまぬのだ。

 

其れも仕事が出来るとか理窟が優れて居るだとかさうしたことでは無く、さうしてちゃんと御飯を用意出来ちゃんと掃除をしてしかも育児までをもこなす其の女性としての力に感動を覚え同時に其れに憧れを感ずる。

さうして自分も是非さうありたいなどとも實は思って居る。

 

でも所詮僕は👨だった。

其れも自称の作家でこんな下らぬ文しか書けぬタダの放蕩詩人である。

 

 

でもってして今僕が是非食いたいのが所謂昔ながらの煮物である。

何故なら味噌汁やカレーはインスタントが幾らでもあるが其の煮物に限りスーパーにても高く売られて居りなかなか手が出ないのである。

要するに其の手間暇をかけたものこそが美味くてしかも體にも良いのである。

 

さて以前に此処でも「日本の食の破壊」のことに就き何度か論じたことがあった。

 

但し其れは日本食が破壊されたと云うことでは無い。

無論のこと料亭や寿司店には勿論其の日本食としての食文化はしかと保存されて居る。

 

問題は、戦後特に高度経済成長期以降は共稼ぎの家庭が多くなり其処で昔ながらの日本の家庭の飯を作らなくなったことである。

また勿論家の場合もまさにさうであった。

 

母はさうして女学校を出てから勤めに出たので家事をする時間などは無く其れは主に祖母の役割だった訳だ。

其れでも家の母はたまに味噌汁や煮物を作って呉れたものだった。

 

しかも其れを其の後半世紀に亘り作って呉れたのだから感謝しこそすれ細かなことでもって喧嘩して居てはイケナイのである。

飯と云うものは其のやうに母親が作るものが誰に取っても實は壱番美味い。

 

 

だからまさにソコのところを左翼的合理思想の持ち主の女性の方方にしかと述べて置きたい。

だから其の「家事」は押し付けられさせられて居るものなのでは無く人間に取って進んでやらねばならぬむしろ壱番大事なものである。

 

が、其の左翼的な思想の中でも例えば本日TVで視たやうに夫婦でもって屋久島へ移住し野菜を栽培しまさに食を大事にし生きる方方がまた居られる。

さう云うのは所謂「意識が高くある」女性なので「家事」をやらされて居るなどとはまさか考えず逆に其の「家事」を壱種神聖なことであるとまで考えて居られる訳だ。

 

だから其の「家事」をやりたくないと云うのは近代的思想のまさに甘えであらう。

其れも正しくは男女の別に限らず「家事」は人間の生の基本であるとさう是非認識して置かねばなるまい。

また女性は男性に其の「家事」を押し付けるべきでは無い。

 

第壱動物を見てみ給え。

特にライオンなどを是非見てみるべきだ。

 

其のライオンの♂は普段寝て居るだけである。

でもって獲物を取って来るのはむしろ♀の役割だ。

 

ライオンの♂はさう立派さうに見せて居るだけで其の實はさうして怠け者なのだ。

だが子孫繁栄の為には俄然ハッスルするぞよ。

また群れがやられさうになれば其の脅威を即追い払うことであらう。

 

♂とはな、まさにそんなもんだ。

 

だから近代以降♂をコキ使って来た人間界は極めて危ない。

なので男性を「家事」の分野でコキ使おうとする考えは如何に理性的な左翼系の考えであれ個人的には容認出来ない。

 

またつまりは男性の中で其の「家事」が好きだと云う人の割合は矢張りと云うべきか低くあることだらう。

だが我に限ればむしろ其れが好きである。

 

などと言いながら結局かうしてパソコンに向かい何かを書いて居るのが壱番面白い。ーつまりはさうして「家事」をするフリをしつつ自称作家を続けることだけが生き甲斐なのだからしてー

 

 

さて男性の方が明らかに生命力としては女性よりも弱く且つ繊細である。

だから女性が家事をこなし且つ子育てにも奮闘するのはむしろ理に適ったことである即ち合理的なことだ。

 

何、其れをやりたくない?

だから壊れて行くんじゃないか、此の日本の社會其のものが。

 

左翼思想の弱点には其の男性に對する過剰な期待がある。

だが其れはむしろ逆だ。

男性はむしろ保護されてしかるべき存在だ。

 

だからワシはむしろビシバシと👩共を教育するぞ。

ほれ洗濯だ、やれ育児だ、ほーら御仕置きだ、バシッ!

 

何時の間にかまたひでえ右翼だな。

いえさうでも無くほんたうは至極優しい人間なのですがソコはちょっと違うかと思いソノ部分を少し御話してみただけのことです。

 

 

つまるところ眞の意味での合理的思想とは性差を無くす方向にあるのでは無くむしろ性差としての特性をしかと見極めるところにこそあるのだと思う。

生まれ持った其の違いを無くすのでは無くむしろ其れに見合った状態を社會が与えてしかるべきものだらう。

 

ならば人間の♂はいつも寝て居ればいいの?

勿論其れでいいの。

 

だから仕事ももう全部人間の♀がやればいいの。

其れも男性は作家と種付けだけに専念すべきだ!!

 

アンタヤッパリ共産主義者じゃないな。

其れも逆に極右じゃねえか。

 

 

極左⇔極右

 

即ち此の弐元対立こそが實は似た者同士なのだった。