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文明批判と美と心の探求と

「棚山の虹のかけら」と日本の経済の話ー+カルトなB級SF映画に就いてー

「棚山の虹のかけら」と日本の経済の話ー+カルトなB級SF映画に就いてー

 

 

 

 

日本人が持っていたはずの「正直さ」の美徳はもう戻らないのか(三枝成彰) (msn.com)

 

素晴らしい。

まさに正論だ。

 

安倍個人と云うか其のアベに至るかの八拾年代よりの自民党に於ける意思決定其のものがまさに其の「ウソコキ」である。

だからゲージツにはちゃんとかうして其のウソを見抜く力がある。

 

であるからこそのまさにゲージツ家なのだ。

おおゲージツは爆発である以前に眞理だ、眞實だ。

 

尚あくまで社會科的には右の思想での全體主義が復活したのが此処参拾年余りの政治の乱れ、日本の社會的停滞を招いて居るのだとさう考える。

でもって保守派の方方に是非申し上げたいのだがー元來我はむしろバリバリの保守派だー、其の日本の破壊とは左翼が行って来たことなのでは無くむしろ右の右の方でつまりは中曽根政権から以降安倍政権に繋がるタカ派的な立場であり思想が生じせしめたことをまずは御留意頂きたい。

 

 

まさに其れが右の思想の自己矛盾の様なのである。

尤も左の思想もまた自己矛盾し、例えばプーチン政権などが其の例に当たるのではなからうか。ー左の右としてのー

 

なので實は其れは右か左か其のどちらかが正しいかと云う思想の選択なのでは無いのである。

尤も頭の悪い奴は其のどちらかが正しいとさう信じ込むのである。

 

でもって其の信仰こそが邪なものだ。

何故なら宗教と違い政治的立場つまりはイデオロギーを信じなどしてはそもイケナイからなのだ。

 

正しくはむしろ上にて三枝先生が述べられるが如くに「モラル」であり「正直さ」を守るべきものとして是非残さねばならぬ。

だが三枝先生は藝術は創造の為にモラルをも打ち破るとさう最初に書かれて居る。

 

確かにワイルドや三島は其の意味でのモラルを持たなかった。ーさうして共に美に打ち興じ男性趣味があったー

 

其れでも最終的にはまさに其の「モラル」であり「正直さ」の為に殉死して居る。

ーワイルドは信仰に殉死し三島は國家に殉死したー

 

我は藝術とはむしろさうしたものなのだと思う。

さうしてモラルや規範、眞面目さや正直さを小馬鹿にし突き破った上であえて其処へと戻るのが眞の藝術家が辿る生き様である。

 

尤も太宰だけはソコへは戻れなんだのであったが…。ー結局彼太宰は心中に選んだ其の👩の子宮の中へと戻ったのだったー

 

 

 

ついに「日本が独り勝ちする時代」がやってきた なぜ円安が進んでいるのにそこまで言えるのか (msn.com)

 

此の人、前半部では言うてることがほぼ馬鹿に見える。

だが後半部に凄い高尚な論理を述べて居て、「膨張しない経済」や「持続目的経済」のことを主張して居られる。

 

但し問題は日本の経済システムに安定性など無い点にあるのではないか。

即ち高度経済成長期以降日本の経済システムは原材料を安く海外より輸入し其れにて製品を造り輸出し儲けると云うある面での「搾取経済」にて國力を成長させて来たのだった。

 

またまさに其れをすることで第壱次産業や社會の下層でのエッセンシャルな労働に対しある種の差別的切り捨てを行って来て居た筈だ。

要するに大企業乃至はみかけ上の國力だけが数値として示されれば其れでヨシとするある面での社會としての合理化である。

 

で、現在も日本は経済的価値の其の多くを海外からの原材料や農産物に依存して居る。

だが「持続目的経済」を謳うのであればまずは其の点を180度変えて行かねばダメだ。-コペルニクス発想の転換が是非必要だ-

 

現に日本の農村では過疎化が進み爺ちゃん、婆ちゃんばかりとなりつつあり其れも五年以内に皆死ぬることだらう。

嗚呼我もまさにそんな爺ちゃんの壱人となり早う山奥の壱軒家へと逃げたいところながら…。

 

だから日本の政治や経済は要するにダメで、其れも百%ダメだ。

なので其の看板主義、所謂国際世界に對する世間體重視の自民党の政策其れ自體が✖だ。

 

では結局皆が山へ逃げれば良いのか?

文明を捨て都會の価値観を遮断し仙人化すれば良いのか?

 

いや其の仙人もなれさうな人と絶対になれぬ人がまた居る訳だ。

勿論我などはやれることだらうがみんなに出来るかどうかと云う話になればおそらく其れは出来ません。

 

 

だから我は日本は其の経済にせよ政治にせよ自律性を回復せぬ限りダメだとさう考えて来て居る。

人頼みや人任せでは無く其れこそ鎖國でもして全部を自分でやれるやうにして初めて其処に「持続目的経済」が成立するのであらう。

 

先の其の日本人の意思決定に於けるモラルの崩壊の話にせよ、また社會的不安定さにせよ其れは意思決定に自律性を欠き単に合理的にまた名目上で日本のシステムを守らうとしたことのツケがまさに今噴出しつつあるのだ。

ところが眞に守るべきものとは日本型経営であり終身雇用制であった筈なのだった。

 

まさに其れが封建的制度なのだが鎖國した上で其れをやる分は確かに社會が安定すること位は徳川幕藩體制がすでに証明済みである。

だからソコへイキナリ米國流の合理的経済システムを導入すれば日本の経済システム其のものが破綻して仕舞うことなどは目に見えて居やう。

 

でもって我が結論は日本は今後米國との同盟関係を縮小、廃棄し英國や独逸と何らかの同盟関係を結んで行くべきだらう。

 

仰るやうに日本の賃金が上がらずつまりは低成長経済なのは實は大企業などの組織を守らんが為の論理がまずは強く働き内部留保の方をしこたま溜め込むからなのだ。

またつまりは日本國民は會社に酷く搾取されて仕舞うことと必然的になって居る。

 

左様に日本國は、

1.組織ー社會ーの論理の優先

2.和を以て組織ー社會ーを守んが為の防衛

との弐重の組織の為の論理にて今滅びて行かうとさえして居る。

 

尚他の國は此処日本よりは個の意識が強いので低賃金や酷い搾取に対してはストライキだのデモだのやり逆に組織の側をやっつけるが日本では其れが出来ぬのでさうして和を以てみんなで搾取に甘んじる他は無い。

まあ要するに壱言で纏められば其の右の「全體主義」の暴走が日本の経済や政治、其の他民意や意思決定にまで入り込み日本と云う國自體を没落させにかかって居る。

 

要するに他國ではやって無くても此処日本だけが戦前の考え方にほぼ戻った訳だ。

であるからこそ何をやっても許される風潮が生み出され實際みんなが壱丸となりそんな悪さをするのである。

 

 

ああああー、つまんねえ。

もう映画でも視やうか。

 

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其のガッパ―、は然し👪主義の色が余りに濃い。

 

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其のギララ―は是非視たい。

兎に角子供の時以来視て居ない。

 

だからたとえ400円を払っても是非視たい。

 

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如何にもマニアックな海龍映画です。

 

1.評価☆4=高評価

 

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キャア―、もう幾らでも出て来ます、其のカルトなSF映画が。

 

 

2.評価☆3=普通の評価

 

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かうして兎に角澤山ある。

 

 

3.評価☆2=低評価

 

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でも面白さうだ。

 

 

 

さて毎日が忙しくて書き漏らしたことがあり其れが新たなノーブルオパールの標本瓶を完成させたと云うことです。

 

尚其れは先日述べた壱級の棚山産ノーブルオパールの標本瓶とはまた別の御話です。

 

先日陽に翳しつつとある瓶を眺めて居たところ、其の中にノーブルオパールが壱つ紛れ込んで居ることが分かった。

實はさうして非常に分かりにくいノーブルオパール標本があるのです。

 

要するに游光が細かく少ないと其れを見逃して仕舞うことがまた多いのだ。

此の標本はおそらくは昔買ったものだらうがノーブルオパールだと云うことが分からなくなり普通のオパールの瓶に入れてあった。

 

 

其処でもって其れをノーブルオパールのメインの瓶の中へと移した。

其のノーブルオパールのメインの瓶の中にはほぼ八割方棚山産が入れてあるが残りは寶坂産と赤瀬産のノーブルオパール標本が共に入れてある。

 

其の折に少し石の配置を組み替えたところ、今迄は出て居なかった游光が何箇所かで出てつまりはより見栄えの良いものとなすことが出来た。

 

左様にノーブルオパール標本の輝きには指向性があり光る角度と光らぬ角度とがまたあるのです。

故に見方の其の角度や石の配置がまた問題となる。

 

そんな訳でノーブルオパール標本の輝き壱つにせよかうして案外難しいものである。

また此の世の中の現象はさうした意味での難しさが常にある。

 

其れを象徴するのが所謂職人技としての物作りの世界だらう。

例えば筆記具の芯壱つにせよたとえ現代の物であるにせよ其処には設計思想なるものがあり其れを成り立たせる努力はまた大変なものがあり且つ其れを理解し使いこなす我我筆記具愛好家の側にも知識と力量とが要求されて居る訳だ。

 

 

そんな訳で結局わたくしは其の石や筆記具の世界ではアマチュアの域を抜け出て仕舞って居るのでせう。

 

ですがさうした難しいことを全部放り投げて「何でも良い」と云う状態に甘んじることもまた悪くは無い。

尤も其の場合には美だの観念だのを深く追求すること自體を放棄する訳だ。

 

尤も其の物事への深い追求の様を示したことこそがまさに此処でのメインテーマの部分でせう。

また其れは価値の放棄では無く可成に価値への愛としての色合いが濃い。

 

即ち愛の御話なので本質的には佛法ではむしろ無くキリスト教での御話だ。

 

ですが、別にあの世で神の國へ行くのでは無くまさに此の世にてさうしてモノと戯れて居るんです。

さう云うのは佛教であれキリスト教であれ邪教であり異端であり即✖です。

 

なんですが、さうして其処にはかうしてちゃんと美が認められやう。

 

お前はひょっとすればまさに其の美とケッコンしたのだな?

まあ確かに美だけが気になりますね、其れも此の世の美の世界だけが…。

 

事實美は此の世に満ちる。

だが美は移ろい行きやがて壊れる。

 

壊れるにせよ、かうして現象する以上は其の美しさを愛で最終的には其れに殉ずる。

其れが我が生き方としての要諦ぞ。

 

 

其の美の世界を此の世に實現させるには、

 

1.放棄では無い有の思想

2.物に対する深い知識と情熱

3.物を使う側としての職人技

 

の参点が要件とされることだらう。

 

其の意味ではすでに我は其の全てを持ち合わせて居る。

 

何ですが實は何も持って無い。

こちらを持って居るのでむしろ現實的には何も持たず。

 

コレクター、或はヲタクとして生き抜くこととは實はそんな領域をこそ生き抜くことだ。

ですが物質主義に走れば必然として精神が貧しくなる。

 

 

だが此処を御読みの方で我が精神が貧しいと判断される方はほぼ居ない筈です。

さう我は常に精神をも生きて居りむしろソチラの方でこそ生き抜いて来て居る。

 

なので我が物質主義は、

 

観念⇔物質

 

との相互作用に於ける物質主義であるに他ならない。

あくまでそんな意味での観念と物質の間での今を我は生きる。

 

さて今回は最後に見方の違いー主に角度の違いーによりノーブルオパールの游光の色が変わることを昔の画像を使い是非説明致しませう。

 

尚此の標本は弐拾年程前に我が棚山の堰堤の下流域にて拾った石です。

朝棚山に入り麓で飯を食ったが其の折にたまたま🚙の横にあった取水パイプが破れ其処から美しい虹が出現して居た。

 

其れを見た瞬間に今日はノーブルオパールが採れると確信しー直感しー事實其の通りに採れたものだ。

 

但し此の石は泥にまみれて居りオパールかどうかはまるで分からぬ状態にあった。

要するに誰も気付かぬ石だった訳だ。

 

だが我はまさにコレが怪しいと思い拾って渓の水に濯ぐとイキナリギラッと光りましたのです。

まさに其の時の喜びこそが我が人生で最大のものでした。

 

其れも高校や大學でもって良い成績が取れたとかボーナスを貰ったとか👩と付き合うだとかさうしたことよりも正直コチラの方がより嬉しかった。

故にか近年此の自己採集でのNo.1標本への自己評価が高まって来て居り結局我に取り最高の棚山のノーブルオパールだとさう思うやうにさえなって来て居る。

 

 

棚山の虹のかけら

 

棚山の虹のかけらを其の侭に拡大

見方の角度を変えると今度は靑く光った棚山の虹のかけら

かうすると何やら紫色に光る棚山の虹のかけら

 


そんな訳で此の世の出来事は見方を変えるとまた印象が異なるものとなるのである。

また其れは思想でも人間でも石でも全てが同じである。

 

逆に申せば固定観念に捉われ壱面的な解釈に捉われぬ方が良い訳だ。

また人間はまた文明は兎に角偉いのだと世間にさう刷り込まれぬやうに。

 

其の色んな角度からものを捉え且つ考えられるやうになることこそが理性の働きなのだからこそ。