浄土教に対する我が眼差しの大きな変化ー御盆の前にあえて佛教を深く考えてみるー
ひろゆき氏、旧統一教会の問題巡り下村元文科相ら3議員を斬る - ライブドアニュース (livedoor.com)
ひろゆき 旧統一教会の献金問題、カルト宗教を猛批判!忖度なしの徹底追及に評価一転も(女性自身) - Yahoo!ニュース
ひろゆきの“統一教会”批判に称賛の声!「ぐうの音も出ない正論」「とても痛快」 - まいじつ (myjitsu.jp)
以前にも述べましたのですが、其のカルト宗教のタチが悪いことはまさに其の通りなのだが、此の問題の本質の部分とはむしろ日本の保守政治がかうして見境も無く反共且つ集票壱本槍でやって来て居た部分にこそあり其れ即ちもはや保守體制が劣化するに至って居ると云う部分にこそある訳だ。
日本の保守政治がまともであるならば少なくとも此処まで保守層が悩むことなどは無い筈だ。
つまりは日本の保守政党に於ける意思決定其のものがほぼおバカ化して来て仕舞って居る。
ー日本での布教にあたり、朴正熙への接近の際にも利用された反共理念が再利用されます。旧統一教会は1958年から日本で布教をはじめ、反共親米を掲げていた岸信介政権に接近しました。多くの在日韓国人もこうした動きに呼応していきます。
意外に思われるかもしれませんが、今日でも在日韓国人は反共保守で、自民党支持者が多いのです。彼らは日韓関係を重視することを前提に、自由主義陣営の盟主としてのアメリカを強く支持し、共産主義を敵対視するという思想構図が自ずと形成されており、旧統一教会が掲げる反共姿勢に共鳴したのです。
旧統一教会の反共理念は日本人保守層にも浸透していきます。当時の日本人で「勝ち組」とされていた勢力は、いわゆる敗戦利得者たちでした。彼らは戦前からアメリカに近く、アメリカにより政財界で枢要な地位に就けられていました。彼らが共産主義と戦う保守主義者として大きな力を持っていました。こうして反共親米路線を明確に掲げた旧統一教会は、日本人保守層(特に学生たち)を一気に取り込むことに成功します。
自由主義と共産主義のイデオロギー対立が社会変動の主要軸になっていたこの時代、旧統一教会は宗教的な布教だけでは自らの勢力拡大に限界があることを悟り、「政治的な布教」ともいうべき、新しい時代に即した布教方法を用い、日本でもその基盤を固めていったのです。日本の政権与党は、彼らの「政治的な布教」を歓迎しました。
旧統一教会に取り込まれているのは政治家だけではありません。多くの日本の保守を名乗る言論人が勝共連合の機関紙である新聞や月刊誌に寄稿したり、講演会に登壇したりするなど、少なからず教団との関係を持っています。日本でもアメリカでも、旧統一教会は反共というスローガンを自らの勢力拡大のために最大限利用してきたと言っても過言ではありません。旧統一教会は日本の保守主義のあり方を映す存在です。ー旧統一教会はなぜ日本に進出し、世界でも稀な規模に勢力拡大できたのか 『民族と文明で読み解く大アジア史』増補編5 (msn.com)より
かうして日本は守らんが為の封建制國家ですのでつまりは邪教だらうが何だらうが反共親米であるならばむしろ其れで良い訳です。
ところが米國はむしろ革新國家ですので其の後を追い続けて行けば其の封建制はもはや維持出来なくなる。
ですので其の封建制が壊れて行くのにまさに其れを守らんが為に反共イデオロギーに固執し政教分離の原則も何のその、兎に角革命だけは阻止せんとしてやって来た其の報いこそが今の保守政治の混迷振りー頽落振りーを招く。
つまりは保守の馬鹿なるものがかの國を支配しつつあり、でもってして所詮は馬鹿だから金融緩和を止められぬわ、また邪教と手を繋ぐわ、さらに食料自給率を上げられぬわで要するに國民を安心させるどころか逆に現在と将來が不安でたまらぬやうな國政しか築けぬ訳だ。
また自民党が公明党とくっつくのも結局は集票力と云う現世利益的な数の論理でのことだ。
だが其れでは要するに保守政党としての節度に大きく欠けて居りませう。
ですのであくまで悪いのは其の邪教の邪な政治戦略にあるのでは無くまんまと其れに乗っかる日本の保守の側の頭の悪さにこそ有るのです。
氷川きよし「どうして差別するんですか?」、番組スタッフに逆質問「音楽はみんな一緒」 (msn.com)
以前に『趣味の園芸』と云う番組でもって屡氷川きよし氏は拝見させて頂いて居ましたが此の方は非常に優しい方です。
つまりは三度笠での股旅物の歌を歌うやうな人では無く御家に御花を飾り人生を愉しむのが生まれ付きに好きな方のやうだ。
尚我も半分位はそんな優しく女性的な人間ですので彼の気持ちが良く理解されます。
ですがまた半分位は戦前の親爺並の頑固な価値観の持ち主ですのでまさに其処からすれば自分の軟弱さがたまに酷くイヤになります。
一般的に死を恐れるのは、死によって自己という存在が消滅するという単に形而上的な問題を恐れているのであって、人間の実体が肉体ではなく霊魂であるという認識があれば、死ぬこと自体はどうってことないように思えた。僕が苦しかったのは死の恐怖というより、肉体の受ける苦痛からくるダメージの方だった。面白いと思ったのはパニックの中で人間って、結構、冷静にものを考えるもんだなあ、とわれながら感心したことだった。
漠然と死を恐れる多くの人間は、物質としての肉体の消滅で、これは唯物主義的な発想からの恐れに過ぎないのではと思った。そういう人は死は虚無だという哲学を恐れているのであると僕は思いながら、肉体がいまいましく感じるのだった。僕はそんな虚無的なインテリの死の哲学など持ち合わせておらず、人間は死んだら、そのまま肉体を脱ぎ捨てて霊的存在となって、別の次元にいくと思っているので、死の恐怖はなかった。肉体の苦痛とは別に僕の想念は意外と冷静でこんなことを考えていることに、われながらちょっと驚きもした。苦痛を味わうのはまだ生の範疇(はんちゅう)で、死んではいない状態である。だからここで死が怖いというのはおかしいと思った。横尾忠則が心筋梗塞で救急搬送 死の入り口を垣間見て「次の領域が楽しみに」 (msn.com)より
死其れ自體は實存には捉えられません。
だから其れが怖いのです。
其れと人間には實體は無く要するに其れは認識上での仮象と云うことでせう。
其の認識上の仮象をこそ佛法では煩悩と呼びキリスト教では罪と呼び表す。
また動物は死など恐れては居ない。
何故なら死其れ自體を概念として認識出来ぬのだから。
尚現存在が死を恐れるのは逆に生に執着ー未練ーがあるからのことでせう。
だから生に対し執着が無くなる程に生に対し悩むー忌避するーとまさに死は解放ですから少なくとも其処に怖れは無くなることでせう。
重要なのは實存が生死としての形式を取ることであり要するに其の両義性からは決して逃れられぬことだ。
ところが其れは認識なのでさう認識されて居る迄のことで従って「生」其れ自體をまた「死」其れ自體を認識することは實存に取ってはあくまで出来ない。
死んだら終わりと云うのがむしろ禅宗や原始佛法の考え方で魂が残り其れが救済されると云うのがキリスト教や浄土教での考え方なのだらう。
問題は實存に取り死其れ自體は認識され得ないが「死んでも良い」か其れとも「死にたくは無い」かと思う事で変な言い方ですが死としての着地点のやうなものが異なる気もまた致します。
横尾氏は其れこそお若いことからブッ飛んだ藝術家の方なので或は「死んでも良い」位にさう思われて居るのやもしれぬ。
尚我の場合は昔からむしろ何時「死んでも良い」位にさう思いつつ生きて来て居ます。
つまりは半分位は常に観念的に死につつ生きて来たので其れこそ半分位は「死は實存の解放」である位にも思って居る。
但し残りの半分は其れが常に不可視でありつまりは不可知且つ不気味な領域のものなのでもまたある。
尚御盆のことを先取りし今佛法のことに就き書いて置きます。
NHKオンデマンド | こころの時代~宗教・人生~ シリーズ 歎異抄にであう 無宗教からの扉 (4)「他力をえらぶ」 (nhk-ondemand.jp)
こちらのシリーズを今年になりずっと視て居りましたが最初からずっと素晴らしい内容の番組だった。
特に此の第四回は日本人の宗教観にも迫る内容深いものであった。
此のやうに京大出身の先生による講義形式での番組です。
最も感銘を受けたのは所謂「彌陀の本願」なるものは善行の履行によるものでは無いとの浄土教に於ける善悪規定のあり方の部分でした。ー唯円による『歎異抄』での規定ー
其の善悪規定はそも相対的規定ですので善其のものや悪其のものを現象世界ー相対分別世界ーにて規定するか乃至は抽出し其れに拘ることによりむしろ誤謬が生ずる訳だ。
具体的に申せば今ゼレンスキー政権をのみ善と捉えまた露西亜の全てを悪と見做し其れを否定すれば認識上の誤謬に陥る訳だ。
また宗教のみが正しく政治の世界は汚れて居て悪だとさう決め付けることなどもまた認識上の誤謬に陥る訳だ。
但し其の現象界を離れ死後の世界に絶対的な善悪規定を持ち込むことは可能でまさに其れがキリスト教を始めとする壱神教的な認識の過程でせう。
尚わたくしは浄土眞宗をかねてより否定的に見詰めて居りまさにキリスト教の壱派である位に思って居りましたがどうも其の種の浅薄な理解では眞の意味での浄土思想の理解とはほど遠いやうだ。
さらに言えば本願念佛とは念佛の手段化のことでは無いのださうだ。
本願念佛⇔念佛の手段化
無私の祈り⇔現世利益の求め
即ち本質的には其の「無私の祈り」こそがまさに本願念佛なのだ。
「無私の祈り」とは此の苦樂がゴタ混ぜでの現象世界に生きて居ざるを得ぬ衆生への慈悲の祈りのことだらう。
其の「無私の祈り」とは己が幸福のみを追い求めることでは無く此の世の不幸=惨状を受け容れ其れに心を痛めむしろ其処から発する祈りのことではないだらうか。
まさに其の祈りこそが宗教の基底に横たわる慈悲としてのまた赦しとしての価値観であらう。
対して禅宗もまた原始佛教も其の「無私」をこそ目指す。
但し浄土信仰の「無私」の目指し方と其れとは違う。
されど「無私」を目指す其のことに違いがある訳では無い。
さらに阿満先生は番組中で自然宗教自然崇拝 - Wikipediaと創唱宗教 - Wikipediaの違いのことに就き分かり易く述べられて居る。
自然宗教とは習俗であり慣習である宗教的な儀礼的行為のことだが創唱宗教とはまさに現存在の心を対象と為し其処より諸の苦悩を取り除かんとする精神的な教えのこととなる。
創唱宗教では「救い」こそが重要なこととなるが自然宗教に於いては其の「救い」は目的とはならない。
尚此処日本では其の創唱宗教である佛法と自然宗教である神道がまるで別物であるにも関わらずほぼ同壱の信仰心にて扱われて来て居る。
其れが所謂神佛混淆神仏習合 - Wikipediaである。
其の神佛混淆は宗教に対し寛容であり良い面を生むと同時に其れを不純化して行く作用もまた持って居る。
ー法要(ほうよう)は、
- 本来の意味は、仏教において釈迦の教え(仏法)を知るということ。つまり仏法の要点・肝要を知ること。
- その後、上記の用語が転用され、法事・仏事・法会などの儀式祭礼などの仏教行事一般のことをいうようになった。
日本では、しだいに供養(追善供養)のことを指すようになり、その後一般的に死者を弔う儀式をさすようになった。法事(ほうじ)、仏事ともいう。
また死者を弔う儀式以外に、寺の創立記念や落慶(新しい堂宇の完成記念)や仏像の開眼などの慶事も含む。
追善法要
追善(ついぜん)法要は、亡くなった者に対し、その者の冥福を祈って行われる法要または読経のことをいい、追福・追薦ともいう。特に亡くなった者の命日に法事を営んで供養することを追善供養と称される。ー法要 - Wikipediaより
つまりは法要とは当初全く違う意味でのもので其れはむしろ釈迦の教えに対する御勉強のやうなものであった訳だ。
ところが其れが何時の間にか所謂先祖供養の為の行事にすり替わって行ったのである。
尚、時折我は年老いた母に対し、佛前に🌸や食べ物等を供えるのは本来の佛教のあり方では無いので余り其れに対し懸命にならずとも良いなどと述べむしろ其れを大事に捉えて居る母の顰蹙を買って居たものだった。
要するに本来の佛法のあり方とは先祖供養の為のものでは無いのである。
まさに其の先祖供養とは自然宗教としての儀礼的要素が色濃くあるものなのだ。
ところが、である。
ところがお釈迦様御自身は先祖供養などはむしろ否定的に見詰められて居たのである。
其ればかりか御自身の遺骨などには決して拘ってはならないとさう遺言されて居た程であった。
要するに釈迦の佛法ではむしろ生きて居るうちが全てであり其の間に如何に個として認識を変えて行くかと云うことだけが佛法の内容なのであった。
尚今の我には其の仰る部分での意味が良く分かる。
現存在の心はさうして欲望まみれであるので其れをシフトして行かぬ限りは其れこそ幾ら先祖供養をやっていたって何の意味も無い。
だが現實としての日本の佛教のあり方はさうしてほぼ儀礼化し且つ自然宗教化して来て居る訳だ。
其の様やまさにお釈迦様の側から見ればほぼ謗法の域であらう。
其の先祖供養とは祖霊信仰から齎されるところでのむしろ現存在の感情面から発する行いである。
但し其の部分には現存在を本質的に救う力などは元より無い。
何故なら人間の心を救わんが為の宗教と宗教的な儀式、儀礼の類とはまるで別者だからなのだ。
阿満先生は其の部分を番組中で力説されて居りまさに其れが「常識の危うさ」を示すことでもあるとさう述べて居られた。
即ち本質的にはあくまで法要は現存在に取り無意味なことである。
だが浄土信仰は其れを無意味だとは受け取って居ない筈だとさうわたくしは誤解して居たのである。
左様に浄土信仰は意外と潔癖である。
まさに其のことが分かっただけでも此の番組より學んだ点は大きかった。
さて此の世界はさうして常に矛盾的に推進される何かである。
其の理はほぼ永久的に現象に付き纏うものだ。
であるからこそ其れを苦と捉える佛法は其処から本質的に去る方法を考え、またキリスト教は現存在の価値観を須らく神の次元へと持ち上げやうとする訳だ。
上記でのことより浄土信仰の場合も現存在の認識を根本より変えやうとして居ることがしかと分かる。
其れが佛の方なのかまた或は神の方なのかまだ自分の中では釈然としないのだがとりあえずは浄土信仰が祖霊崇拝や現世利益成就の為の教えではそも無いことが其処に判然とした。
まさに其のことこそが佛法解釈に於ける個人的な歓び其のものなのだ。
嗚呼まさに其れは御盆にて墓の世話をし僧侶の読経に付き合わねばならぬなどと云う現實的且つ物理的な側面よりも余程に我が心を揺さぶる出来事だったこともまた確かなことである。
つまるところかうして今年の場合は其の重要な佛法に関する気付きの面がよりにより御盆の前に我に訪れたのだった。
尚其の八月は其の盆の僧侶との対応や墓での準備などもあり忙しいが故に此処も八月前半を休むこととした。
尚我は其の御盆でも何でもお構いなしに佛法上の難しい議論を僧侶に対しふっかけるからまさに厄介な奴である。
けれども拾年位前に浄土眞宗の御住職に対しまさに其れをしてみたところとりあえずは其れに対しきちんと答えて下さったのである。
其の御住職はすでに亡くなられ代は若住職の方となって居るが實は其の若住職にも参年程前だったか、佛法の上での悩みは常に尽きません、とか何とか偉さうなことをまた述べて居るのである。
左様に我は僧侶に対しても常にストレートにブチ当たる方なのでまさに今年は何が起こるものかとさうも思うのだがとりあえずはそんな経緯にて浄土眞宗に対する我が印象が頗る良くなったことに就き今回述べさせて頂いた積もりである。
佛法を學ぶ上では左様に観念的な整理や納得する部分こそが大事である。
むしろそちらの方が其の儀礼、儀式としての供養の成否などよりもずっと大事である。
佛法は元元極めて理性的な方だった釈尊により創出された救済宗教としての壱つのあり方だ。
其れでもって其の御釈迦様御本人が供養や墓が大事だなどとはまるで述べられては居ないのである。
故にむしろ供養や墓に拘ることをまずは観念的に滅し去ることこそがより望ましい在家の佛道修行者としての認識なのである。
ではあるが我が國の佛教のあり方がさうして自然宗教としての要素を受け容れたものでもある限り其れを全否定はせず其れにもまた付き合ってみる位の心持ちにてあえて其れをやって置くべきなのであらう。
しかしながら親鸞聖人其の人が、「父母の供養をせんが為に念佛を唱えしことは壱度も無い。」とさう仰せられた其のことの意義は兎に角大きい。
よって御盆なるものはまさに習俗であり儀礼であり儀式であるに過ぎぬものだ。
なのだけれども其れもまた眞の意味での佛法と出遭わんが為の架け橋の壱つなのでもまたあらう。
つまりはまさに其れが佛法に対する入口であり御縁其のものなのである。
其の機縁を大事なものとして捉え御盆其れ自體を見下すことなくまさに其れを受け容れて行くことこそが我に取っての壱つの修行なのではないだらうか。
さてまさに人は死んだら其れで終わりだが個人的にはどうも其れだけでは済まぬやうな気がして居る。
其処にて相対分別が終わりを遂げ認識がより高次化されて行くー解放されるーのかと言えばどうもさう上手いことは行かぬやうで死後の生、又は魂の継続のやうなものが現存在の認識の愚かさに応じて成り立って行くやうにも思われる。
さうした捉え方は常見の方であり、其の逆の捉え方が「死んだら全部が終わり」と云う断見である。
御釈迦様の考え方は其の弐項対立に於ける対立要素の弐重否定で、要するに現存在は常見としての死では無く且つ断見としての死では無い死を死ぬると云うことになるのではないか。
但しあくまで佛としての死の場合には。
では凡夫の場合は其れがどうなるかと考えるとたとえ死んでも結局は其の煩悩の業火の力が強いので又現象世界へと舞い戻って来る可能性が高く感ぜられる。
但し其処での凡夫の認識の場合は「あれ、嬉しいな。」であり聖人に近い認識の場合には「ありゃ、困ったな。」となる。
其の認識の方向性がそも逆方向なのだ。
だから其の先祖供養の場合も其れこそ聖なる佛教徒の方方は其れを良いことだと思いさうされて居るのでは無いのである。
つまりは其処に矛盾を感じつつもさうせざるを得ぬことだらう。
ちなみに佛法を學ぶ時に最も役に立つのは其の認識上の方向性の違いを知って置くことだらう。
故に👪や家が恙なく存続することやまた國や組織が存続して行くことやまた長生きをしたりすることなどが佛法上大事なことなのかと其処に問えば其れは大事でも何でも無いことなのである。
だからと言ってまるでオウム教の如くに👪も國も亦オウムに敵対する者も全部殲滅するぞ!などと云うのは其れは完全なる邪見と云うものだ。
ではどう認識するかと云うに、
常見⇔断見
正見⇔邪見
との両義性を見据えた上でまさに半分ずつ其れを見詰めるのである。
其れでもってどちらかに傾きさうになったらあえて逆方向を強めに見詰めてみるべきだ。
わたくしの宗教論は左様に弐元的対立をむしろ其の侭に残す=有として残す考え方なのだ。
残すのであるから佛法的には異端ながら壱方キリスト教などからは理解され易くなるのではないかしら。
いずれにせよ善悪対立を壱神教のやうには築くことの無い浄土教としての眞理のあり方には今回可成に驚ろかされた。
まさに壱発ビンタでも喰らったかの如き感じである。
またまさに此の時点で浄土教に対する我が眼差しにも大きく変化が訪れたのだとも言えやう。