目覚めよ!

文明批判と美と心の探求と

かうして歌の数数から見る現存在ー實存ーに取っての「反抗」の意義ー今日本の靑少年に幸福感が欠けて居る理由とは何か?ー

48.今日本の靑少年に幸福感が欠けて居る理由とは何か?

 

 

 

 

さて其の「反抗」と云うことが實は現存在としての本来性を保つには最も大事なことだ。

 

イラストレーター中西俊夫グラフィックデザイナー立花ハジメ(立花肇)、ファッションスタイリスト佐藤チカ(佐藤千賀子)を中心に結成され、ニュー・ウェイヴパンク、テクノ・ポップなど、1970年代末の米英最先端音楽を存分に反映させたサウンドライブハウスを拠点に展開し、東京在住のセレブリティを中心に大きな反響を呼んだ[4]。ープラスチックス - Wikipediaより

 

其のプラスチックスは主に美術系、ファッション分野系でのまさにブッ飛んだ感性野郎共の世界解釈を基とする所謂ニュー・ウェイヴバンドであった。

美術系の人人の感性はさうして兎に角壱味違う。

 

其れは文學のやうにドン臭くは無くつまりは小説だのエッセイだのそんなものはもう飛び越えて居り其れ即ちまるで「詩」の如き前衛性を其処に発揮して仕舞う。

勿論音樂もまた藝術でありまさに其の詩の方にむしろ近いものである。

 

要するにより直感的でパッと其の場にて全てを表現して仕舞う訳だ。

尚僕は元来小説的な人間では無くまさに其の詩的にピピッと来る人間でだから其処は半分程は論理的なのでは無い。ー此処まで論理的なのに實はさうなのだー

 

 

つまりは話の前後の脈絡などには余り拘っては居らぬ。

つまりは長嶋 茂雄型でありまた信長公型なのでもある。

 

ところが其の直感タイプ、所謂直観力に優れたまあ天才型のタイプの方が世の實相を正しく抉りだすことなどがまた往往にしてあるものだ。

但し我は自分が完全に其の天才的直観の持ち主だなどと述べて居るのでは無い。

 

我の場合はもう全部が半半なので残りの半分が努力型の秀才タイプ即ち王 貞治型なのでありであるからこそ其の両面が見渡せると云う精神的な特徴がある。

 

またそんな利口な面ばかりでは無くもうどうしやうも無いやうなおバカさをも抱えて居り其れはかうしていつも此処へ出て来て居ると何となく皆様にも伝わることかとさう思うのである。

但し其の反対の極に天才的直観の如きものもまた常に持ち合わせて居る。

 

 

だから現實にこんな生のわたくしと付き合うと至極理解し辛く安心出来ない何かを即アナタに与えることになるのであらう。

要するに至極扱いにくく感情の起伏がまた激しい訳だ。

 

なのですが實は其の面でさえ半分は酷く保守的でいつも同じことばかりをやって居たい人間なので案外大人しくて安心なのでもまたある。

つまりはそんな弐元分裂型人間なのでかうして佛教とキリスト教の分離、分裂などもまさに其の侭に理解出来るのである。

 

 

さて問題は其の「反抗」の意義である。

「反抗」とは所謂疑問をぶつけることなのでもまたある。

 

では何故反抗は人間に取り必要なのか?

實は其の反抗こそが精神的な課題ー現存在に取っての本質的課題ーを解決に導く糸口となることがまた多い訳だ。

 

ならば例えば警官を殴り交番を襲えば良いのか?

即ち族として改造車、改造バイクを乗り回し赤信号の交差点へと特攻するのか?

 

 

いやでも先生はさう云うのが嫌いだな。

其れは何故か?

何故なら彼等は決まって手が早く二十歳位でもう子供が居て其の後は其の壱時的な反抗を忘れて仕舞うからだ。

だが彼等は戦争にでもなれば其れこそ👪を守らんが為に喜んで敵艦に特攻して呉れるのやもしれぬ。

 

対して學があったりまたゲージツ系の者共はそも精神が屈折して居るので其の特攻を嫌う。

逆にトコトン社會批判に走ったりもまたする訳だ。

 

君がまさにさうではないか?

まあさうでした。

 

 

兎に角其の「反抗」にも種別があり所謂精神的な反抗の方には體制を根本的に変える気概もまた含まれて居ると云う話である。

其れが所謂共産主義社會の實現やアナキズムによる國家による根本での搾取構造の放逐などである。

 

またつまりは其れがかってー凡そ半世紀前ーに日本のインテリ層が目指したところでの社會改革の様だった。

 

ところが其の日本のインテリ層による社會改革は御存じの如くに変なところから綻びを見せ始め頓挫した。

即ち総括リンチだの殺人だのが其の狭い範囲の思想世界にて引き起こされ壱種自滅の途を辿ったのだ。

 

但し彼等は其処で社會改革に命を懸けやって居たのである。

さうして眞剣だったからこそ変な風にもまたなって仕舞ったのだらう。

 

 

岡林信康/10 くそくらえ節 - YouTube

尚我は昔から其の岡林 信康が好きな訳では無い。

 

つまりは我我六拾代は其の社會改革を目指した世代では無く其の後のノンポリ世代だった。

 

然しつい五年程前に此の歌を聴き驚愕した。

其れも何て強い社會に対する批判力なのだらう。

 

 

がいこつの唄 岡林信康 - YouTube

こちらの歌にもまたドッキリしたものだった。

 

つまりは其の體制、日本社會其のものに対する批判力の強さにしてやられたのである。

 

かうして日本の社會は是非変革されなければならなかった。

其れもあくまで理論的には。

 

だが其の変革に対するムーヴメントはむしろなし崩し的にポシャって行くこととなる。

 

尚我は常に其の精神の「反抗」を大事にしつつ生きて来た。

されど其れは所謂暴力を肯定するものには非ず。

 

第壱我我六拾代は基本的に平和主義者なのだ。

なのだが、其の平和主義とぬるま湯に浸かったかのやうな虚の平和とはまた違うことである。

 

 

まさにさう思いつつ何時の間にか反戦!でも革命!でも無く其の社會的に齎される理不尽さ、不条理さの肥溜めに対しかうして戦闘を開始した。

まさに其れぞ詩的精神の発露としての闘いなのだ。

 

其れも誰と闘うとも分からず、其れでも猶戦わねばならぬ。

最終的に其の戦闘は現存在自身に向け行われて行った。

 

 

そんな訳で我は其の闘う詩人である。

其れもあくまで平和主義での戦闘詩人なのだ。

 

 

日本の子ども、健康なのに「精神的な幸福度」はワースト2位。高い自殺率の問題、改めて浮き彫りに | ハフポスト NEWS

 

其処で改めて此の問題に就き考えてみやう。

壱體何でこんなに日本の子供や靑年は其の精神的な幸福度に欠けて居るのだらう?

 

ですが其れは僕に言わせれば当たり前のことなのだ。

1.子供や靑年のみんながもう良い子になった

2.良い子=反抗しない、つまりは疑問を吐き出せない子だ

3.なのに現實として日本の社會は悪いー先細りなーのでもう絶望して死にました。

 

だからそりゃ逆だ、逆。

お前等社會が壱番悪いとさう言うてやらずしてどうする?

 

 

お前等みんなクソくらえの馬鹿である。

何が偏差値じゃー、此のクソ喰らえ共めが。

 

もう教師などは全部足蹴にしてやりたいことをやらう。

でもね、其れは暴力などでは金輪際ダメだ。

 

また学校の先生や塾の先生には少なくとも君には無い知識の蓄積がある。

まさに其れを盗まずしてどうする?

 

だから腹の底では教師を馬鹿にしてでも自分の御勉強だけは何処までも進めるのだ。

まさに其れがお利口さんに生まれた日本人としての模範的な生き方だらう。

 

 

でも暴走がしたい…。

山ん中のワインディング・ロードや林道にて是非其れをやって来い。

 

さうして僕の経験からしても暴走は人に見せる為のものでは無く単に自己の快感を得んが為のものだ。

 

でも👩が!

 

馬鹿、インテリジェンスは其の子宮思考とは極めて相性が悪いものと相場は決まって居らう。

よって色恋沙汰は今すぐに諦めあくまでアイドルグループの盗撮のみにとどめて置け。

 

其れもネット上にて是非其れを行いなされ。

 

 

さても良い子とは果たしてほんたうに良い子なのか?

良い子とはむしろ教師を足蹴にし先へ進む子なのではないか?

 

其れに今や父母にも絶対的な権限は無い。

まさに其の上下関係での価値ヒエラルキー其れ自體が封建時代の遺物なのだ。

 

但し我は其の封建時代を否定する者なのでもまた無い。

封建時代、其れも江戸時代は日本に取りなかなか良い時代でもまたあったのではないか?

 

逆に壱つの手としての鎖國政策をさうして幕藩體制をあえて採ると云う形もあらう。

勿論其の場合には日本の首都はおおまさに此の尾張大名古屋しかやれぬことだらうが…。

 

でも其の尾張大名古屋が首都になったが最後我は三河の山の中に逃げて行く所存です。

 

 

では其の場合首相はイチローさんとか又はアノ将棋の子ー名前を忘れました、あ、藤井君だーとかがやるのですね?

さうです。

其れもまずはイチローさんでせう。

 

なのでイチローさんは早くお布施を出した方が良いです。

さても其れは何処へのお布施で?

勿論宗教詩人への億単位でのお布施です。

 

 

眞面目な話、あくまで人間は精神的な現象なので其の精神のあり方こそが實は壱番大事である。

ところが戦後の日本社會は主に技術的に功利性ばかりを追い求めつまりは経済成長ばかりに与して来て其の精神のあり方の部分を逆に反故にして来たのだと言えやう。

 

まさに其の部分での根本のところでの精神の綻びがすでに出て来て仕舞って居るのだと言える。

従って實は今日本と云う國家に於いて最も大事なものが「教育」の分野である。

 

其れも「教育」とは靑少年が教師や親に従うばかりではむしろダメなのだ。

逆に教師や親をバカにしてかかる位の気概を持ち己がインテリジェンスを磨き込むことこそがまさに自分の考えに自信を持つことの第壱歩である。

 

 

特に戦前の旧制高校生などはまさに其の「己が道を行く」タイプでのインテリジェンスの持ち主が多かったともされて居る。

従って彼等は己が理性に対し常にプライドを持ち世間の馬鹿共をむしろ見下す位の気概を持って居た訳だ。

 

所謂其れが「バンカラ - Wikipedia」としての気風ですね?

さうだ、だが「バンカラ」とは暴力的なことではよもや無い。

 

バンカラ」とは常に高く精神性を保ち其の利口としての責任をしかと引き受けるまさに自立的な生き方のことよ。

よって此の「バンカラ」の気風を早う復活させた方が宜しい。

 

 

でもかの藤村 操 - Wikipediaはかうして滝からかって飛び降り死にましたが…。

いや其のインテリジェンスと云うものは兎に角いつも下へと飛び降りたくなるものなのだ。

 

要するに持ってる頭の中身が重過ぎて結局は其れに耐え切れなくなり投身したくなるものなのだ。

 

さうか、すると今の靑少年の自殺とバンカラ投身とはまるで違うものなのですね?

まあ違うことだらう。

 

違っては居ても結局は死んじゃう点ではまるで同じですが…。

 

 

でもって結局本日教育詩人が言いたいこととは其の「反抗」をむしろ大事にした方が良いと云うことだ。

じゃあパンクロックバンドとかつまりはKISSとかそんなものがもしや良いのですか?

 

いや別にKISSだのセザンヌだのには限らず「クソ喰らえ、此の💀共めが!」とさう心の底で思って居ること自體が大事なんだ。

つまりはもっともっと汚ねえ言葉にも慣れて置く必要が是非あらう。

 

ちなみにKISSの此の👿が個人的には壱番好みでした。

Kiss Proshot End Of The Road Tour Show (Japan) 2019 - YouTube

 

 

いやー、まさか教育詩人さんの発言とは思えませんね。

だが聖なる世界の元締めであるお釈迦様やイエス様は元元物凄く反體制的でもって当時の社會の価値観をまさにクソミソに貶されて居たのだった。

 

なのでほんたうに良い子であると云うことはむしろ内外に対ししかと批判が出来る子のことなんだ。

また其の批判精神に於いてこそ初めて自己に対する自信の如きものが芽生えて来る。

 

其の自信さえあればまさに今自分が幸福であることを實感出来るやうになる。

其れもたとえ貧乏人であれまた運命が先細りであれ今自分が幸福であることを實感出来るやうになる。

 

またつまりは其れが現存在の精神のあり方としての道理なのだ。

 

 

 

尚其の美術系ブッ飛びニュー・ウェイヴバンドとしてのプラスチックスには此の「ROBOT」と云う重要な曲がまたありました。

 

其のロボットなんですが其れに就き我も長年考えては参りましたが其れを使うところを限定しませんと逆に危険なことともなりませう。ーもう長く我はSFファンでもまたあるー

結論から申せば所謂人間型ロボットは要らず作業用、生産用、資源探査用などに用途を限定するべきなのだと思う。

 

歴史的に見ても科学技術はまさに諸刃の剣にて其れが進歩すれば利便性は増すにせよむしろ其れが齎す危険度は増しても行く訳だ。

また今の日本と云う國家に取り喫緊の課題とはさらなる科学技術の発展では無くむしろ精神的な意味での人心のケアーの方なのではないか。

 

 

戦後民主主義に於いて日本國はまさに其の精神の面を置き去りにしつつ金儲けの方にだけ邁進して来たのだと個人的には思う。

さうした唯物主義やらまた其の大切な「反抗」を忘れ去った教育などが複雑に絡み合い現在の日本の靑少年が抱える心の闇の深さを増して来て居ることだらう。

 

我があえてかうして現代社會を批判して参りましたことには無論のことさうした観点が最初から組み込まれて居りました。

かうして強く酷い言葉にて社會を罵倒することは例えば宗教の分野では禁じられて来たことです。

 

されど事實上其の現代社會の迷走振りこそが我我實存に取っての大問題の生みの親ともまたなって仕舞って居る。

其れは左様に社會化し過ぎる癖のあるホモ・サピエンスが抱える根本命題なのだともまた申せませう。

 

 

實際に現代社會は混迷振りをいや増しに押し進め先行きが全く見通せなくなりつつある。

まさに其れが大學教授並の知性であれほぼ見通せなくもなりつつある。

 

ですが其処に於いて社會に対し絶望するのでは無く自分でもって自分のやりたいことをむしろ積極的にやって置くべきだ。

即ち此の自分はやがて失われますが、まさに其の實存としての死の尊厳を誰も奪い去ることなどは出来ぬのです。

 

かのハイデガーがかって述べた如くに其の「死への先駆的決意性」により築かれし現存在としての誇り、精神としての自信の類はたとえ王様や天皇様でさえ奪い去ることはかなわぬものなのだ。

またもしや佛様や神様ですら其れを奪い去れぬものなのやもしれません。