真珠湾攻撃から80年「元日本兵」が語る戦争の内実 | 安全保障 | 東洋経済オンライン | 社会をよくする経済ニュース (toyokeizai.net)
其の戦争と云うことは抽象的な社會的状況にて行われる個としての判断を超越する歴史的状況です。
現在の米中、また米中露のイデオロギー対立もまた其の極めて抽象的な社會的状況にて行われる個としての判断を超越する歴史的状況です。
故に哲學的にはまさに其れを個の判断と壱致させてはならない訳です。
よって、其れは、最終的には、
社會⇔個
の対立関係、矛盾関係へと其れは還元されて行きます。
戦争の問題のみならず環境破壊や進歩主義に於ける諸の大問題もまた最終的には其処へと収斂して行くことでせう。
しかしながら当時の日本人にとりむしろ戦争にて「勝利」することこそが善の価値でした。
だから真珠湾で米國の戦力を殺いだことこそが日本人の誇りでありまた希望でもあった。
問題は何故其の「悪」がかうも簡単に社會的に容認されて行くのかと云うところにこそある。
其れは社會科で云う所謂「全体主義」の問題です。
但し其の「全体主義」は現在むしろ拡大して居ることでせう。
無論のこと共産制による中國の全体主義と云うことがあらうが、対する米國を始めとする西側諸國の資本主義、民主主義に支えられし進歩主義もまた其の全体主義の壱形態であるに過ぎない。
わたくしは昔社会科に関わった者としてさうした社會的状況に嫌気がさしたつまりは其処で絶望のやうなものを感じざるを得ない。
其れはもはや社會の復元力だの歴史としての修正力だのと云う力を凌ぐことだらう大問題です。
社會⇔個
とのことですので、其処で社會の比重が大きくなれば必然として個は其れに隷属せざるを得ません。
また其れはどんなに個として頭脳明晰であれ才能豊かであれ関係無く其れに隷属せざるを得ません。
要するに其の社會の齎す圧力こそが「悪」を生み出すことの源泉ともなる。
其のやうにむしろ社會的推進力其のものが悪の力に満ちたものでもある。
では戦争の反対の平和を希求すれば世の中は良くなりませうや?
平和=繁栄=人口増大
まさに其の人口増大こそが人類にとっての本質的危機をも招きませう。
左様に理性的には何処を向いてみても實はお先は眞っ暗なのでした。
ですが、さうした理性的俯瞰を続けるうちにひとつだけ輝きを増すものがまた見えても参ります。
まさに其れが「宗教」だと云うことです。
また其の社會が齎す「悪」としての「全体主義」をさう規定し得たのはまさしく先哲による「哲學」としての業績でした。
わたくしが今何故其の壱種古めかしい西田哲學を論じて居るのかと申せば其の「宗教」と「哲學」を繋ぐものこそが他ならぬ西田哲學だからなのです。
西田哲學とは其の意味で時を超越し我我人類に対し常に事の眞相を語りかけて来るものだ。
南海トラフ巨大地震の災害予測 — 鎌田 浩毅 | アゴラ 言論プラットフォーム (agora-web.jp)
さて先の木曜日には久し振りにマイサイクリングコースー主に山崎川沿いを走るーを経巡って来たところですがパロマ瑞穂スポーツパーク | 公園MAP (nespa.or.jp)ー名古屋グランパスの本拠地ーの際の森の中の遊歩道の黄葉が見事でわたくしが今生きて居ることで壱番愉しいのは矢張り自然を愛で其の美に酔うことなのだなとさう改めて認識したものでした。
昨日は朝に神田 正輝の旅番組を視て矢張り箱根だの御殿場だのは良いなとさう思いましたが其処らは所謂観光地ですので實は行ったことがありません。
わたくしが廿代にやって居りましたのは所謂富士山巡りで要するに富士五湖巡りのやうなことを屡🚙にてして居りました。
何故か其の頃に富士山ばかりへ行って居たのです。
わたくしは11歳の頃にカブスカウトで世界ジャンボリーの参加者に選ばれ富士山麓の朝霧高原にて其れに参加したことが御座りました。
ですので其の頃の思い出が再燃したのか、何故か其の廿代後半に富士山の周りばかりを経巡っておったのです。
其れとわたくしの母方の祖先がかの今川 義元の家来でありよってわたくしの半分は名古屋人では無く静岡方面の人間なのです。
なのでなのか兎に角四拾歳位までは何故か静岡方面へ出向くことが多かったものです。
静岡は海があり山がある良いところで心と體が弱めなわたくしの保養地としてはむしろ最適でせう。
其の神田の「旅サラダ」は以前は美味いものばかりを食って観光地を経巡るだけの低俗番組だとさう思って居たのだがこのやうなご時世となった手前むしろ大変貴重なヴァーチャル旅の出来る番組として個人的には重宝させて頂いて居ります。
さらに其の後に大阪の番組で「正義のミカタ」と云う番組が流れますが此れもまた毎回熱心に視て居ります。
尤も最近は政治的なものには余り興味が無く、しかしながらイザ此のやうに露西亜と中國がくっついて来ますと米國はもはや其の赤勢力に対し対抗出来なくなり其のうちに世界革命が勃発し全世界が共産主義化される懸念などもあるなとさう思わずには居られません。
ま、別に其れは其れで宜しいかと思いますのですけれども。
相変らず金に汚い自民党政権にはほとんど興味が無くヤッパリ彼総理も所詮🐶なのだからまさに🐶のやうなことしか出来ないのだなとさう思いつつ傍観して居るばかりで御座ります。
で、問題は「正義のミカタ」の後半部で取り上げられて居た「南海トラフ大地震」のことです。
さて此の「南海トラフ大地震」ですが、矢張りと言うべきか日本にとっての最大の問題でせう。
緊急寄稿 首都直下・南海トラフ・富士山噴火に備える=京都大名誉教授・鎌田浩毅〈サンデー毎日〉 | 週刊エコノミスト Online (mainichi.jp)
鎌田浩毅の役に立つ地学:次は3つの震源域の連動型? 南海トラフ巨大地震が2030年代に発生する可能性が高いとされる理由 | 週刊エコノミスト Online (mainichi.jp)
要するに其れはコロナ禍や今後の中國の圧力以上に我が國にとり壊滅的な被害を齎すことだらう究極としての災害です。
其れは2030年頃に高い確率で起きるとされて居りますが、最近日本列島には各地にて大きな地震が相次いで起きて居ることを鑑みるとすでに何時起きてもオカシクは無い段階へと突入して居るのやもしれません。
で、もしも其れが今日明日起きましたなら其れこそ日本の壊滅です。
まさかと思いますが事實として其れはあり得ます。
何故なら其の「南海トラフ大地震」でもって名古屋、大阪、京都、神戸などの大都市は壊滅する筈です。
おまけに東京もまたソコソコ酷く揺れませうし、また壱番怖いのが富士山の噴火が其れに誘発されることです。
すると其の火山灰等の噴出物にて静岡や神奈川、さらに東京も間違いなく壊滅致します。
然し此れで壱體どうしますか?
まあどうにもならんと云うのが正直なところです。
だからバカなことなどやって居る余裕など何処にもありません。
今のうちにやりたいことを全部やって置く必要が御座ります。
ですが僕はもうやりました。
社會に対し言いたいこともかうして言いました。
其のやりたい哲學もやりましたし、さらに多くの文學作品を読み絵画を鑑賞しまたベートーヴェンの全曲演奏もかの伊藤 若菜さんの講演で其の全てを聴くことが出来ました。
嗚呼、何て素晴らしい人生だったのだらう!
しかも万年筆放蕩や読書フェチ、タバコマニア、🐈との戯れ、など多くの快楽を味わい其れ即ち眞性のエピキュリアンとしてかうして生きて来られたのでした。
また學問にも首を突っ込みかうしていつも難しいことばかりを考えても来た。
其れだけでは無く宗教にさえ強いのです。
もはや人間として此れ以上を望み得ぬ程に完璧な人生を歩んで参った。
ですので、個人的には世界が何時壊れやうが其れは知ったことでは無い。
ですが問題は其れは世界の崩壊では無く日本の崩壊であると云う点です。
第壱皆様考えてみてご覧なされ。
東京、横浜、浜松、名古屋、京都、大阪、神戸がもし瞬間的に壊滅したら壱體どーするのですか?
まあ後は田舎だけが残りませう。
其の田舎の奴等には然し金が無いです。
金を生んで居るのは上記の都市部ばかりでのことです。
しかも東大も京大も名大も阪大も皆壊滅します。
すると大學教授は皆瓦礫の下敷きとなり後は田舎の爺ちゃん婆ちゃんばかりとなるのです。
其れも皆八拾以上の爺ちゃん婆ちゃんばかりなのです。
其処からしても分かることがひとつあり、其れは近代社會其のものがさうしたマイナスとしての文明の要素を見据えること無く自分のやりたいことだけに突き進む社會であると云うことだ。
其の代わりに近代的な繁栄を其処に享受し其の便益をまた快楽を只ひたすらに何処までをも求め続けて行く社會であると云うことだ。
さうした如何にも矛盾に満ちた近代社會にドップリ浸かった上で我我は其の近代的幸福や希望を追い求めて参りましたのですし今後もまた其れを追い求めて行かざるを得ない。
ですが特に此処日本國の場合は其の天変地異による大災害の勃発の虞が多分にある訳だ。
尚さうしたことをワザワザ此の師走にイチイチ論じて居る人などまず居ない訳です。
ですからまさにソコこそがわたくしのユニークな点なのです。
即ち常にみんなが見やうとしないところばかりを見詰め続けみんながやりたくないマイナスの要素ばかりを逐壱論じて行く訳だ。
そんなわたくしにも今夢があります。
でもわたくしの夢は常に小さく皆様のやうに文明の未来などはほぼ信じて居りません。
果たして其れはどんな夢か?
はい其れはまずクリスマスに教会巡りをして来ることです。
さらに29日にはまた大阪の蟹屋から京都の料亭道楽監修のおせちが届くのでまた其れを年末に食っちまうことです。
また其のクリスマスには鳥の丸焼きを食います。
お前の夢とは結局宗教と食う話ばかりではないか!
近代社會が災害にて限定を受けることは個としては實は如何ともし難いことです。
個人的には近代社會もリスク分散型の打たれ強い文明の形態へとシフトして置く必要がまたあるかと思うのだが今の近視眼的な利益追求に走る文明が其れを速やかにやれるとも思えません。
よって個は今のうちに自分の望みを叶えて置く方が良い。
尤も其の望みには其れこそ+と-の面がありませうがたとえ其れが社會にとってはマイナスの行いであれ逆に個に取り其れはプラスのことともなり得ませう。
左様に個と社會の関係は融通無碍に即ちフレキシブルに捉えて置く方が其の「全体主義」から身を守るのに大いに役立つ筈です。
文明は進めば進む程にむしろ高リスク化して来るものです。
其の高リスクな様と心中しない為には確固とした自己の価値観の確立がまずは急務です。
そんな自らの価値観の確立を成らしめる為には文明を批判し得る程に勉学を積み重ねて置かねばならない。
其の自らの価値観の確立にとり其の西田哲學こそが大きな援軍となって呉れることでせう。
ちなみにさうして大都市圏が壊滅すれば田舎へ首都が遷る可能性すらもが御座ります。
さうして大都市が消滅して何処ぞの地方都市が日本の首都となる可能性なども今後は高いと見て置くべきでせう。
いずれにせよ此の文明世界では今後何が起きるものやらまるで分かりません。
我我が安定した今を生きて居るやうに錯覚して居るのは其れは単なる文明のバイアスによる価値の洗脳に過ぎません。