目覚めよ!

文明批判と美と心の探求と

世の事の眞相と僕にとっての幸いとは?-文化の日に述べる政治論-

 

文化1

 

 

 

さて本日は「文化の日」です。

で、文化の本質とは「疑う」ことにこそある。

 

故に世に溢れる文化、文物は文化としての眞の姿を伝えては居ない可能性が高くある。

其れは所謂「文化的」なものの中には其の本質が語られては居ない旨を指し示して居ます。

 

 

では改めて問う。

其の文化とは何か?

 

文化とは其の疑うものの中から自ら選び取る何かだ。

なので其れは學問に限らずまさに行動や感性の中にも見出されるものだ。

 

尚わたくしは本日活動を控えて居る。

何故なら明日名古屋大學へ出掛ける予定にして居るからだ。

 

我の生活は此のやうに至極意識的なものです。

其れはかうと決めたことを其の日にやると云うことだ。

 

 

左様に人間は疑い且つ意識することで自ら行動することが出来る。

まさに其れが動物達とは異なる理性の世界を生きると云うことです。

 

但し其の理性こそがおそらくは厄介者なのだ。

逆に申せば其の理性の世界を生きるが故に人間は次第に破壊の隘路へと追い詰められて行く。

 

尤も其のことは古くから多くの先哲が述べて居たことだった。

またオウムによるテロやイスラム原理派によるテロなどもまた其の意味では意味のあることでもあった。

 

故に私の理解は、まさに其の眞實から目を背けぬこと、だ。

まずは其の世の眞實を認識し耐えるだけの理性としての力を涵養することだけが現代人としての生の目的である。

 

 

即ちすでに社會は壊れかかって居ます。

其れも適菜氏などは「日本はもうダメだ」と屡書かれても居る。

 

尤も堤氏などは所詮👩なので「日本は壊される」とは仰って居るがもはやダメだと言って居ない。

つまりは其れが子宮思考だと云うことだらう。

 

さうして👨は極端になり易いので困ったものですがでも實は其れがほんたうのことです。

かのニーチェなども半分気が狂いつつ「神は死んだ」とさう述べましたがまさに其れもほんたうのことでした。

 

其処からしてもオウムやイスラム原理派はむしろほんたうのことをやらうとして居た可能性すらもがあるのです。

 

ですので、諸価値は常に疑い自らの理性と突き合わせた上でふるいにかけて置かねばならない。

其れが出来るのが利口であり心の偏差値が八拾以上だと云うことだ。

 

逆に模試などで偏差値が八拾あったとしても心の偏差値が37とかそんなですと其れは所詮おバカの仲間のことです。

ですので兎に角世間にはおバカが多くて困る訳です。

 

で、其のおバカさの鑑別法ですが、今回保守なら生活が樂になるとさう考え自民党へ投票した人は皆おバカです。

其処で何故さう言えるのかと云うことをまず私は説明しなくてはなりません。

 

 

でもこんなことやりたくは無いですがみんなのおバカを治さぬと私の心も晴れぬのでどうしても其れをやらざるを得ない。

 

が、僕は自分は無知であることを知る人間なので自分自身が世間に洗脳されて来たことを隠すつもりなどはありません。

さうです、まさに僕は馬鹿でした。

 

何故なら僕には自民党が行う其の悪の内容をクッキリハッキリとさせることが結局出来なかった。

なのでまさに僕は社會科が零点だった。

 

いや拾点位の理解はあったのやもしれぬが其の結果としてはあくまで零点だった。

 

かってはあれほど勉強したのに何故こんなにバカになって居たのだらうか?

まさに其れが社會により洗脳されて居たからなのだった。

 

 

僕が其の洗脳から解けたのはむしろ此処弐、参年でのことです。

其の弐、参年前即ちコロナ禍の前の2018、2019年頃に私は沢山の本を買い込んで居ました。

 

其れが何故其の頃に多くの本を買ったのか、其のことが自分でもまるで分からないのです。

さうして私には特定の時期に本や文房具を多く買い置く癖があるので其れのことかとさう思い込んでも居た。

 

でも今になり其れ等の本を読むと、どうもさうでは無く其の頃すでに日本が破壊されて行く様を書き描く著作が多くあったと云うことなのでした。

 

其のひとつの例が例の適菜 収氏による壱種過激な亡國論としての著作であります。

尤も内容は過激ではあるがあくまで其れもほんたうのことです。

 

またいまひとつが今年になりたまたま読んだ堤 美果氏による日本國の商品化論です。

コレもまた🚺が書いたものとは思えぬ程に恐ろしい内容でしたがあくまで其れもほんたうのことです。

 

 

次に今読んで居りますのが藤原 正彦先生による『国家と教養』です。

此の本もまた2019年に七五書店でもって買ったものです。

 

かうして私は新書の場合は買い置き寝かせて置き「読む時」に読むので其れが何時になるかは分からぬ訳です。

でもってまさに其れを今読んで居る訳だ。

 

 

さうして第壱章の「教養は何故必要なのか」と云う部分を読んだだけで何故今私が此の本を読まねばならなかったのかと云うことが良く分かりました。

端的に申せば其処には日本の社會其れも日本の政治のあり方が如何にして國家を改造して行ったのかと云うことがしかと述べられて居ます。

 

尚藤原 正彦先生は理學者ー数学者ーであり人文の人ではありません。

ですが其れだからこそかうして政治の矛盾、其の政治としての不祥事の部分をズバリと分析し我我に伝えて下さるのではなからうか。

ちなみに藤原先生はかって『国家の品格』と云う著書を270万部のベストセラーとされた方なのでもある。

 

其の第壱章は其の全てが「崩壊の為に行う日本の大改革」に対し頁が割かれて居ます。

 

1.米國の思惑により進められた九十年代以降の日本大改造の様

2.其の日本大改造を結果的に民意が支持した旨

 

日本型資本主義の解体ー終身雇用制→成果主義規制緩和、民営化、商法司法と医療制度の改革、労働者派遣法の改革等。

尚此の変化を政府はむしろ率先して行いしかも其の決定を行う会議の委員には新自由主義者を集めたさうです。

 

此れ等は全て米國及び米國資本の為の改革でした。

要するに米國及び米國資本が有利となり儲けられるやうに仕向けられた上での「改革」でした。

 

 

さてでは其れが何を意味するのでせうか?

其れは日本が米國の奴隷となり果て九十年代以降彼等の利益の為に働くつまりは隷属したものに変えられて行ったと云うことです。

 

だから今結果的に日本はこんなんなって居ます。

なので其れはコロナ以前の問題でありむしろ政府が主導して行った亡國政策によるものでした。

 

ですが皆さんは例えば勘が良ければ薄々気付いては居てもまさかこんなことになって居るとは思わない筈です。

何故なら元塾の社会科の先生の私でも此処までのことに気付いて居た訳ではまるでありません。

 

 

だから此の日本の危機のことに関しては私が分かった上で其れを述べて居るのでは無く世の大學の先生方や作家やジャーナリストさんが述べられて来たことに過ぎない。

で、私は其処に気付けなかった自分に対し即ち自らの理性に対し情けない思いと大きな罪とをまさに今感じて居ます。

 

何処が元社會科の教師なのだ?

オマエのやうなバカは三島先生や太宰先生の墓の前で是非腹でも切って来たらどうだ!

 

…すみません。

ほんたうに僕は社會科が零点です。

 

僕にはもう社會科を語る資格など無い。

でも再試験を是非受けさせて下さい。

 

 

ダメだ。

お前はもう共産党とでも心中せよ。

 

ハイ、分かりました。

では共産党のところへでも駆け込みます。

 

そんな訳で僕は日本共産党とお近づきになったのでした。

 

さて問題は社會科の教師側がバカであったばかりでは無い。

無論のこと其の馬鹿な社會科の教師が教えた人も皆馬鹿になるしか無いと云うことなのです。

 

 

例えば金融資本主義の推進もまた其の米國功利主義を完遂させる為のものです。

なのでこんなコロナ禍にも関わらず最近TVでは金融商品のCMばかりが増えて来て居ます。

 

また例のカジノの誘致などの問題も全ては其の特定の分野での利権が大きく絡んで居ることでせう。

おまけに其の「亡國の為の改革」を政官財と大メディアが一致し旗を振りつまりはさうして國民の頭の中を洗脳して行く訳だ。

 

其れは八拾年代に世界経済に於いて壱人勝ちして居た日本が狙い撃ちされた様だと藤原先生は述べられて居る。

其れには以下のやうなカラクリがあった。

 

 

即ち冷戦時には其の日本の経済力は米國にとり強力なパートナーシップとしてあった。

ところがついには日本の経済力こそが最大のライヴァルへと変貌を遂げた。

 

其れでもって逆に「やったれ」となった訳です。

此の日本のデフレ状況は無二の盟友米國が経済の上で庇護者から敵に変わったことに世界壱のお人よしの日本人が気付けなかったから引き起こされて来たものだと先生は仰る。

 

其の部分に就きまさに同感です。

まさに其の政府が主導して行った新自由政策路線が此の経済の停滞を招いて居ます。

 

 

さらに其ればかりではありません。

先生はまさに日本を日本たらしめて来た情緒即ち心情の部分まで其の経済の停滞が蝕み始めたと捉えられて居る。

 

其れはまさに「貧すれば鈍する」なのでせうか。

其の規制緩和により企業が非正規社員ばかりにしたことこそがまさに其の自滅行為でせう。

 

ではさうしてまで得た企業の利益は何処へ行くのか?

其れは結局内部留保に宛てられたり外資系企業の利潤へと変わることでせう。

 

なので其の社會存立の根本のところで我が國日本はまさにいいやうに壊されて来たのです。

またさうして若者がケッコン出来ぬやうにしたので「労働力」を補充する為に海外からの「壱千万人移住計画」さえもが進んで居たさうです。

 

何故なら新自由主義にとってはさうして人や金や物が自由に国境を越える方がより利益を確保し易くなるからです。

 

ちなみに藤原先生御自身もかうした劇的な改革に対し根本的に疑い始め本格的に調べ始めたのが遅れて仕舞ったのださうです。

其れはさうでせう。

何故なら我我日本人は盟友である米國のことを善意でもって解釈しむしろ友達だ、位に思って来たのですから。

 

 

また米國の人達は悪い人には見えない、とも書いて居られる。

確かに戦後民主主義に於いて日本國を繁栄へと導いて呉れたのはまさに其の米國の力だったのです。

 

わたくしもまた万年筆の取引では数百にも及ぶ米國との取引を此れ迄に重ねて来て居りますが其処ではむしろ良い思い出の方が多かったのです。

 

されど先生は結局「米國からの要求を親友からの暖かい助言と無邪気に受け取った結果我が國は國柄と云う國家最高の価値を失った」ー私の纏めーと述べられて居ます。

其れでもって2005年に『國家の品格』を著されたのであるとも。

 

 

さらに先生は面白いことを述べられて居る。

其の政治の上でのカラクリを見抜いたことだらう先生は何一つ発見などしては居ないと仰って居る。

 

つまりはほとんどの國民と同じやうについうっかりとし要するに人が良く疑い切れなかった訳です。

眞實へと事の眞相へと至る道は書物やネット上に幾らでも転がって居た筈なのに、です。

 

但し先生は如何にも大學の先生らしく調べて知った事實を頭の中で整理し、同時に多くの断片的事實を私流に繋ぎ合わせ壱つの物語としての有機体を構成したとも述べられて居る。

さうして決まって我我が眞相にまで辿り着けぬのはまさに其の能力の差でもある訳です。

 

従って其れは情報量の差では無い訳だ。

結局は頭の中身の差である。

さらに先生は∞の情報は零に等しいとまで仰る。

 

 

有限の人生に於いて自己に取り価値のある情報を選び取る為の嗅覚こそが教養であり其処から生まれる見識だとも仰る。ー私の纏めー

其れでもって現代世界の人間に取りかってよりも必要となって居るものこそが其の教養だとさう仰る。ー私の纏めー

 

尚わたくしは其の教養がある方です。

其れは謙遜して居てももはやバレて居る事でせうから此の際ハッキリ申しますがわたくしには其の教養があり自分でもってものを考えられる人間です。

 

其れをどう身に着けましたかと問われれば要するにアナタ方よりも沢山本を読みましたとでも言う他は無い訳です。

尚其の教養は他の誰にも奪えぬものです。

 

 

つまるところ其れはあくまで此の私が築き上げたものですのでどんな権威、権勢でも其れをどうかうすることが出来ぬものです。

わたくしの教養は其の長年に亘る読書により支えられしかも現在にかうして實現して居るものです。

 

要するにウソ偽りの類のものでは無いと云うことです。

ですので私は論戦にもまた主張にも絶対の自信を持って居ます。

 

ですが、そんなわたくしにせよつい情にほだされたのかかうして日本と云う國自體が食い物にされて居ると云う事實まではとても考えが及びませんでした。

なので其処を謝って居ます。

其れもかっては社會の先生だったのにどうも御免なさい、と。

 

 

最後にもう一つ気にかかることを述べて置きます。

今回の総選挙で立憲民主党の支持者がどうも日本共産党の候補者には投票せずむしろ自民党に投票したりもして居たと云う驚愕の事實をTVにて今日視てわたくしは危うく其の場に倒れ込みさうになりました。

 

日本人の馬鹿ももはや此処まで来ると決して救えやしないレヴェルのものとなって居ます。

ですので結論としてはわたくしは今後日本の社會を完全に放棄し其の教養の檻の中へと何処までも逃げて行くつもりです。

 

逆に其の方が樂しい話題ばかりとなり読んで居てもより面白くなることかと思われます。

 

だからもうこんな苦しい思いはしたく無いのであります。

皆様と違い我はすでに老人ですのでお年寄りを労る観点からもこんな激しい精神的闘争世界に私を何時までも置いておくのはオカシイ筈だ。

 

 

でも其れは別に皆がオカシイのでは無くかうしてお前自身が其れを選んで来た訳なのだらう。

さてもさうだったのかしら?

 

尚此の『国家と教養』は第弐章以降まるで世界史の授業のやうな内容になっていくようでまた其処が實に樂しみです。

 

ちなみに明日はまた名古屋大學へと出向く予定です。特別展 | 展示 | 名古屋大学博物館 (nagoya-u.ac.jp)

此の第27回特別展結晶展に實は先週壱度訪れて居りますが再度訪れてみたいと思います。

 

尚わたくしは大學だの研究所だの兎に角そんな施設が好きでしかも文系、理系の展示の区別無く其れを眺めて来るのが最大の趣味なのだ。

なのでむしろ其の日本人の破滅的白痴振りからは今後は是非遠ざかりこんな文學やら哲學、さらに地學、生物學の方へと逃げて行けましたならまさに其れが僕にとっての幸いでせう。