目覚めよ!

文明批判と心の探求と

辞めるな枝野

お願い4

 

 

「#枝野辞めるな」トレンド入り 立憲代表辞意、惜しむ? 皮肉も (msn.com)

枝野氏はまさに眞面目な政治家であり此の悪に魅入られたかの如き日本の政治を変え総理大臣に是非なって頂きたい方であった。

 

だが現實にはかうして悪は榮え其の善人に限り政治の表舞台からは消えて行かざるを得ぬ。

其れを世の無常ー非情ーと云わずして何と云うのであらうか。

 

 

只其の左翼の惨敗は私の予測の中にもしかと入って居たことであった。

だからこそわたくしは國民にお願いをした。

 

其れ即ち自民党に票を入れると日本が壊れるので其れは止めませうと。

だが國民は私の言うことを聞いては呉れなんだ。

 

其れもノブナガ詩人が此処まで頭を下げてもう僕はどうなっても良いからみんなはむしろ共産党へ票を入れて下され!とさう土下座までしてお願いしたのに。

 

だが其の気持ちは結局バカ共には届かなかった。

 

 

だから僕は今元壱教育者として責任を痛感して居ります。

ノブナガ詩人とは其れは単なる僕の文學上の表現でありほんたうの僕は元社会科の先生なのだから。

 

なので僕はもうほんたうに今回大きく打撃を受けました。

もう立ち直れぬ程にかうしてみんなのバカに打ちのめされたのだ。

 

ですが今の僕は社會の革命を目指して居るのではありません。

僕が今目指して居るのはズバリ日本人の精神の革命です。

 

だからむしろ壱番問題なのは日本人の精神がさうしてグズグズに壊れて来て居ることだ。

で、多くの頭のオカシイ奴等がさう叫びながら人を刺したり放火したりして居ますがあくまで僕の気は狂って居ません。

 

 

まあウンコとウンコと毎回連呼しては居りますがむしろ非常にまともです。

 

で、適菜氏なども例えばどうもウンコ臭いオリムピックだったとさう述べて居られるのですしかの芥 正彦氏などもウンコ、ウンコ―と叫んで居られるやうなので其れは別に気が狂って居るのでは無く只批判力が強いだけのことです。

 

さう僕の批判力も矢張り文人としては可成に強い方なのだらう。

 

さうまさに其のウンコ垂れ流しと云う表現こそが文人の苦しみをストレートに表すものでもまたある訳だ。

 

 

さて重要なことは負けぬことでは無くちゃんと責任を取ることです。

立憲民主の枝野はすぐに責任を取りましたのでむしろ偉い人です。

 

故に最大の問題はむしろ其のウソ勝ちした自民党に悪の心が溜まって行くことです。

本来ならば断頭されねばならぬ國賊共が逆にさうして勝ち良い思いをして行かうとさえして居ます。

 

本来ならばウンコ垂れの其の悪い癖を治さねばならぬ病原菌共が逆に野放しにされドーブツのし放題です。

 

ドーブツ?

 

ええ、まさに其れが🐵であり🐊であり🐕のことです。

ドーブツには理性が無いので当たり前のことですが彼等は人間ではありません。

 

 

私は良く人に「お前は人間では無い!」と怒った場合に言いますがまさにさうしたことです。

だがおまえこそ人間では無いのではないか?

 

いや私は悩み且つ宗教を指向するので逆に物凄く人間クサい人間です。

 

尚私は枝野は良く頑張ったと思います。

闘うと云うことはまさに彼のやうななりふり構わぬ闘争の様をこそ云う。

 

ですが左翼思想は今回むしろ國民の「お馬鹿さ」にやられ負けたのです。

馬鹿はどーぶつが好きですのでさうして所詮は🐵や🐊や🐕を選ぶのです。

 

 

さても今日本國民は動物並に考える力が無い?

結論的にはあくまでさうなります。

 

おそらくはすでに思考が停止して居ます。

まさに其れが考える力其れ自體の減衰であり崩壊だと云うことです。

 

さうして其の部分を堤 美果氏や適菜 収氏はしかと指摘されて来て居る。

故に彼等の眼力にこそ全てを託したいと思う。

 

 

何故なら私自身の政治的闘争はすでに終わりを遂げて居るからです。

故に政治的闘争では無く精神的闘争へとシフトして行かねばなりません。

 

まさに其れが宗教的哲學的闘争なのだと思われる。

其れをやって行かねばもはや時間がありません。

 

ではアナタはすでに爺なので?

まあ爺でせう。

何やら半世紀程も闘って来た感じがするのでまさに其れがわたくしの戦國時代でした。

 

 

もしやアナタは覇王信長なのでは?

いや信長其の人では無く其の生まれ変わりとしてのノブナガ詩人です。

 

でも天才信長は人生五拾年でもって終わりましたが…。

だから私はかうして凡人ですので長生きして居るだけのことです。

 

第壱天才詩人ですと大抵は四拾までに皆死んで居ります。

 

 

でもアナタはそんないい加減な生き方をして居て良いのですか?

其れも「逃げ」だの「アタラクシア」だの変な概念ばかりを玩びつつさうして社會を全否定しつつ生きて居て良いのだらうか?

 

まあ其れは生きてるだけでも目出度いことではありませんか。

まさに「生きてるだけでモウケモン」です。

 

 

されど「生きてるだけでモウケモン」と其の「精神の革命」は如何にも矛盾して居ます。

だから生きてることこそが其の矛盾其のものだ。

 

生きてる奴等は皆其の矛盾と悪とを必然として内包して居ます。

故に其の生きてる自分の考えが正しいとさう思って居る奴こそが馬鹿なのです。

 

 

アナタはでも「智恵者」ー知の権化ーなのでせう?

いや智恵者と云うよりは無知の知者でせう。

 

即ち自分を馬鹿だとは思っては居ませんがむしろ何も知らぬことを知る分常に謙虚で居られるのです。

 

ところでおまえは最近また変な改造を中國の万年筆にやり其れでもって何処までも愉んで居るな?

だからさう云うことをもう言わない方が良いですよ。

でないと結局さうしていつも僕が遊び呆けて居ると思われるではないですか。

 

より正確には御勉強の合間にチョロリとペン先をモンテグラッパの金ペン先に替えてみただけのことだ。

たった今も其れでもって遊んで居るな?

 

…遊んで居ます。

でも世間ではさう云うのはまるで遊びのうちには入りません。

世間での遊びはもっと罪深いものばかりですので。

 

 

で、壱體どうするのだ?

其の日本人の壊れた頭の中身をどう目覚めさせて行くのだ?

 

ですから其れは基本的には佛教やキリスト教の課題のことで全くわたくしの任では御座りません。

ですが其の前に少々やりたいことが御座りよってこれからは主に其のことに就き述べて行く積もりである。

 

 

 

氷川きよし、40歳から“自分らしさ”を表現するように「世界が大きく変わった」 (msn.com)

尚、此の氷川 きよしが昔とは変わって仕舞いオカシイ、オカシイと家ではいつも言って居たのです。

 

要するに昔の三度笠氷川 きよしの方が良かったとあくまで家ではさう思って居ました。

 

ところが今年からEテレにて氷川が出て来る「趣味の園芸」を屡視て居たところ、どうも彼が根っから家庭的なつまりは優しい🚹であることが分かって来た。

要するにむしろオカマに近い位に女性的な感度の持ち主だったのだらう。

 

尚わたくしは両面行く方ですので男性的な価値もまた女性的な価値も自然に分かる珍しいタイプです。

昔はスピード狂だったり屡殴り合いの喧嘩までする相当な短気であったが其の逆に妙に理性的で平和的な面も持ち合わせて居り其処は自分でもまるで分からぬキャラクターの持ち主です。

 

で、保守だと言いつつかうして日本共産党を応援しても居るので其処はどう考えても分裂的と申しますかオカシイ訳だ。

ですがオカシイので両面が分かると云うこともまたあらうかと思う。

 

氷川 きよしは然し殴り合いの喧嘩などしたことはよもや無いことでせう。

 

ですが氷川 きよしが「自分らしく」生きたことを誰も非難することなど出来ぬ訳だ。

事實「趣味の園芸」に登場する彼は常にとても幸せさうです。

 

 

また少数派でせうが🚹でも料理や掃除が好きなタイプの人は居ます。

わたくしもまたどちらかと申せば料理や掃除が嫌いではありません。

 

またほとんどやりませんが庭いじり程良い趣味は無いと思って居ます。

故に其の「自分らしく」生きることこそが所謂世間の価値としての「男らしさ」や「女らしさ」と云う型に嵌められるよりは優先されるべきです。

 

 

特にこれからの時代は17~20世紀迄のやうに大志を抱き鉄砲を携え大航海し植民地を開拓して行くか又は大戦争に勝つ為の人間をこしらえるやうな時代ではありません。

むしろこれからの時代では所謂内向きでの感度の良さが評価されて行くのやもしれません。

 

 

西城秀樹 #晩年_闘病_死去- Wikipedia

またかうして西城 秀樹は63歳で死んで居ます。

故に六拾以降の生の時間とは何時プッツリと切れるものか分からぬあくまで余生なのです。

 

なので余計にやりたいことをやり生きるべきです。

但し其れも金さえあればの話ですが…。

 

西城秀樹 Eテレ「趣味の園芸 野菜の時間」追悼特集 - YouTube

其の西城 秀樹もかって「趣味の園芸」にかうして出演して居ました。

 

園芸の趣味は所謂スタアの世界とはまるで異なるものですがおそらくは病気をしてからこちらの方面での価値に彼はようやく気付いたのでせう。

 

 

かうして世界の価値はまさに色々とある訳です。

本質的に其れは社會が其れのどれかを押し付けるやうなものでは無く自ら選び取り愛すべきー愉しむべきーものなのだらう。

 

「アタラクシア」とはあえて其の社會による価値の押し付けを遮断し自らの判断でもって「自分らしく」生きることだ。

 

ですので其れは所謂「男らしさ」や「女らしさ」と云う型に嵌められるものでは無くまた「働かねばならぬ」だとか「共産主義へ走るな」などと云うことでは無くまさに自分がやりたいことを其の折にやる心の平静さのことを言うのです。

 

また其の「アタラクシア」とは至極人間的な価値なのだと思われる。

何故なら🐵や🐊や🐕にまた🐈に「アタラクシア」など有らう筈がありません。

 

さう彼等には心の平安を保ちたいと云う欲求がそも無い。

さうして彼等が求めて居るのは主に物質的な充足です。

 

 

ですが、人間様が其ればかりを求めて居てさてもどうするのですか?

人間は動物とはそも違う現象ですので「考え」や「思い」また「自分らしく」あることこそがむしろ壱番大事なことです。

 

戦後民主主義は此れ等をむしろ否定的に扱い日本人を社畜や経済體制の奴隷に変えて来たのだと思う。

ところが其の會社組織が壊れ始めまたグローバル化で経済體制が危うくなり始めると日本人はもはや頼るべき拠り所を失い只の魚群と化して行くことだらう。

 

 

即ち其れでは順序が逆だと云うことです。

ー近代的なー人間の構築の為の順序が違って居ます。

 

故に我我はまず「自分らしく」あることとは何かと云うことを自身に問うて行く必要がある。

「自分らしく」ある為にはまずは社會を遮断せねばならぬのであればさうなるやうに努力してみやう。

 

でも「保守政党だから自民党に票を入れて置かう」ではまるで通用など致しません。

其れは大罪なので最終的にそんなアナタは責任を負い天國や涅槃に至る可能性をも須らく絶って仕舞うことだらう。

 

 

よって今からでも良いです。

其の自民党への投票を無効と致しませう。

 

さうして枝野を是非総理大臣に迎えて下され。

枝野は、其の枝野は必ずややります。

 

必ずやどーぶつ共を蹴散らし日本をまともな國へと再生してみせませう。

 

 

うわあー、えだのー、カムバアーック!!

枝野、辞めるなーーーーーーーーーー。

 

さてこんな冗談は抜きにして今後日本は國として危機的状況へと向かわざるを得ないことだらう。

では何故さうなるのかと云うことに就き次回にまたお話をさせて頂きます。