目覚めよ!

文明批判と美と心の探求と

文豪トルストイの「逃げ」

永島優美アナ ノーベル物理学賞・真鍋氏の言葉に「違う考え、行動をもっともっと受け入れられる日本に」

まあさうしたことなのですが日本民族全体主義への親和性はなかなか変わりはしないものです。

何故ならソコにこそ伝統を築いて来たからなのだ。

 

問題は近代的自我意識と其のみんなで行く感覚との調和が取れて居ないつまりは其処に齟齬が生じて仕舞うことだ。

自民党政権がして来たこともまた其の齟齬であり矛盾である訳だ。

 

故に日本の問題とは其れ即ち其の矛盾であり齟齬の問題だ。

だから今日本はウンコ垂れて居てはイケナイのだし寝小便を垂れて居ても無論のことイケません。

 

サア君等は今日も快食快便ですか?ー其の永島アナをも含めー

まさに其れが人間としての基本ですぞ。

 

 

さて先日採れました相生山の小石は結局A´級標本となり此れ迄の採集でのまさに壱、弐を争うものとなりました。

ちなみに其れはオレンジ系の色の石英です。

 

オレンジ系の色の石英の壱級標本は今回初めて採りました。

 

其のやうに自然の中から出て来るものは何時何処から出て来るものやらまるで予測が付かない。

逆に都會では全てが脳内ー観念のーでの価値ヒエラルキー化されて居ますのでつまりは全てが予測される価値であり出遭いであり終幕です。

 

なのではあるが其の都會での価値観をあえて遮断しかうして本能の赴く侭に行動してみますと其処にオンリーワンの価値が見出されたりもまた致しませう。

 

 

最近詩人は再びTVを視ることから離れつつある。

 

されどTVは結局社會の窓なのだ。

だから其処から情報を得ることなどもまた可能である。

 

で、たまたまNHKを視て居たら「孤独のライダー」なるユーチューブのチャンネルを知り其れを視てみた。

 

盛岡の橋めぐり - YouTube

またたまたま此処を視てみたが此の人が非常に思想を語る人であることが分かった。

ですが思想と云うものは非常に扱いにくいもので下手をすれば其れは三島先生や川端先生のやうな結末をまた招いて仕舞うものだ。

 

盛岡の橋めぐり!繋ぎ大橋→市街地 - YouTube

孤独のライダー - YouTube

 

ソロキャンプのところもまた見てみたいのだが私はキャンプはしない主義である。ー其れも元カブスカウトながらキャンプはしないー

第壱真っ暗闇の中でしかもお外でもって寝られる筈が無いのだ。

 

いや虫や🐍が怖いのでは無くお化けー魔者ーが怖いのである。

 

 

 

さうしてかっての文豪の死は壱種華々しいものであったがわたくしの目指すところとはまた其れとは違い其れはあくまで加島先生のやうなまた文豪トルストイの如き放棄した上での死であり生である。

 

【仏教の教え】必ず死ぬのになぜ生きる? - YouTube

 

此処は眞宗の教えの方を説いたところなのだらうが私が注目するのは前半部にて文豪トルストイの悩みと其の解決の仕方を取り上げた部分である。

其のトルストイこそがまさに悩みに悩み悩み抜いた知性であった。

 

勿論太宰や安吾や芥川もまた漱石もまた三島も川端も悩み抜いた人生を送った訳なのだが其れよりも前の段階で即ち人間とは何かと云う根源的な問いの部分で悩みに悩み苦しんだ作家なのではなかったか。

 

だから最近の作家は其処をちゃんと悩んで来て居るのか?

むしろ其処をこそ悩まずば人間を文として描けぬのではないか。

 

 

トルストイは存命中から人気作家であっただけでなく、ガルシンチェーホフコロレンコブーニンクプリーンに影響を与えた。トルストイの影響は政治にも及んだ。ロシアでの無政府主義の展開はトルストイの影響を大きく受けている。ピョートル・クロポトキン公爵は、ブリタニカ百科事典の「無政府主義」の項で、トルストイに触れ「トルストイは自分では無政府主義者だと名乗らなかったが……その立場は無政府主義的であった」と述べている。ーレフ・トルストイ - Wikipediaより

 

左様にトルストイアナキストである。

但しアナキストとは無責任者なのでは無くむしろ社會に対し最も責任を感じたところでの理想論者なのだ。

 

むしろ考え抜いた挙句に壱部の知性のみが辿り着く場のことだ。

さうしてわたくしもまた其処へと辿り着いたのである、其れも拾年程前に。

 

 

ー 模範的な家庭人であったトルストイは、長年にわたって家庭の意義を唱道してきた。愛、結婚、子供たち――これらすべてを彼は、絶え間ない精神的向上とともに、人生の意味をなすものだと考えていた。しかし1880年代、50歳を過ぎたころに彼は、その内面で徐々に行われてきた、価値観の大転換を公にする。

  作家は教会に幻滅し、彼の恋愛観と結婚観も変わる。土地・財産に対する態度も変化した。彼は、およそ私有というものを否定し、あの伝説的な農民のシャツを着て、農民といっしょに畑で働き始める。また、自分の著作権を放棄することも決意したが、これは、家庭内に大きなスキャンダルを引き起こした。

 トルストイの妻ソフィア・アンドレーエヴナは、著作権棄に強く反対した。要するにそれは、一家が主な収入源を失い、大勢の子供たちが受け継ぐべき財産がなくなることを意味したから(ヤースナヤ・ポリャーナの耕地は、収益性が低かったから、著作権放棄は、一家にとってまさに死活問題だった)。ー作家レフ・トルストイの生涯最後の日々:謎の家出とその前後の状況を再現する - ロシア・ビヨンド (rbth.com)より

 

うわあー、またこりゃあエライこっちゃな。

 

 ー「彼は今日、大声で叫んだ。今、自分がいちばんやりたいことは家出だ、と」。ソフィア夫人は、1882年夏に、日記に記している。1週間後、また諍いが繰り返された。妻はトルストイを、家族の収入に対して無責任だと非難し、彼は、身の回りの物を袋に詰めて家を出た。その後、トルストイは、ノーベル賞を授与されそうだという噂が流れるや、それを断った。また、1908年に80歳の誕生日が盛大に祝われるのを防ぐために、あれこれ力を尽くした。ー作家レフ・トルストイの生涯最後の日々:謎の家出とその前後の状況を再現する - ロシア・ビヨンド (rbth.com)より

 

エエッ?トルストイって脳減る文學賞を取ってないの?しかも自分から其れを断ったの?

 

 

 トルストイのもとに最初に駆けつけたのは、弟子のチェルトコフだ。しかし作家は、妻に会うことは固く拒み、彼女が来るのを恐れて、夜、譫言をもらした。「逃げる…逃げる…追いつく…」ー作家レフ・トルストイの生涯最後の日々:謎の家出とその前後の状況を再現する - ロシア・ビヨンド (rbth.com)より

 

ハアッ?「逃げる」?

 

さうだ、逃げやう。

ハイ、其れじゃあ社會とはサヨナラだ。

 

 

左様、大作家は最終的にまさに此のやうに逃げて逃げて逃げまくりついでに命からも逃げて行く。

かうして最終的には妻をも捨て己の生命自體をも捨てたのだ。

 

 

で、其の大文豪トルストイの思想的帰結の部分をリンクのユーチューブのところが上手く纏めて居る。

1.無知無識の道

2.快楽の道

3.自殺の道

4.諦めの道

 

と其のやうにかってトルストイが考えたところでの人間の精神のタイプは此の四種に分類される。

1.とはB層即ちバカ層のことであらう。

2.とはウオール街だの石油成金だの麻薬王だのまた我が自民党だのの論理のことでせう。

 

3.とは芥川、太宰、三島、川端諸先生方の価値観のことだ。

4.とは加島先生だの道士の方々ー仙人クラスの智恵者ーだのトルストイだの此のわたくしめの価値観のことだ。

 

でも此処には属さぬ価値観が實はひとつだけあり其れは宗教的な救いの世界のことでせう。

5.救いの道

其れは弐種に分かれ即ち其れが自力救済と他力救済となる。

 

 

なのでわたくしの場合は4.と5.を半々と云うところが實態なのですが最近はむしろ隠遁気質が昂じて来つつありトルストイの死に方にはハッキリ言って憧れても居ります。

其れも兎に角ウンコ垂れでは無い理性的な死に方がしたいので。

 

まあ普通の人は畳の上で死にたいなどとも屡申されますがわたくしに限れば山の中で野垂れ死ぬのがむしろ最高の世の去り方だ。

但し極端は避けると云う意味で生きる上での愉しみをむしろ大事にしつつ生きて行きたいと思う。

 

と云う考えこそが實は1.及び2.に抵触しても居りますのですが部分的にはあえて其の馬鹿もやると云うのがわたくしの思想です。

1.ナマモノは兎に角避ける

2.デカいもの及び進んだものには手を出さない

3.小欲にて知足する

 

と云うまあ意識が高いつまりは境地が高い訳ですので死ぬるまでコレを維持するのが私のやり方です。

 

 

「既知の事実は知らぬ昔には戻せない」

其の既知の事實とはまさに「死を眞近に感ずる心性」のことだ。

 

例えばお釈迦様は幼い頃から哲學者で其れは其れは考え深いお方であったさうな。

ところが其れでは現實的には困るので父ー王ーが其れを心配しハーレムを創りあえてお釈迦様を👩浸けにしたのです。

 

ですが元々理性的なお釈迦様は其のグチャグチャの子宮思考ーグタグタの現世利益思考ーがもうイヤでイヤでたまらず最終的には世の♀を全否定し修行の為に森へとお入りになった。

 

左様に👩はもうほとんど👿です。

だからそんなもんにかまけて居ると精神が腐りますわよ。

 

と申しますのが聖なる精神のあり方ですが其処に拘ってばかり居ると確實に寿命が縮みませう。

なのでわたくしの場合には其れを其のやうに観念し其の上で石やペンをかうして愛しておるのです。

 

さて此の文豪トルストイの最期から我我が學べることとは何でせうか?

其れは此の世にはプラスの価値などむしろ何も無いと云うことです。

 

ところが其れはマイナスの価値の側からむしろさう規定されることだ。

最終的には其のプラスもマイナスも本来ならば区別が無くさうした意味での価値構築其れ自体が無価値です。

 

と云うところに気付けば現世利益主義には決して陥らないと云うのが人間の理性としての目的でせう。

 

尚今回の真鍋先生のノーベル物理学賞受賞は、イケイケドンドンの文明に対しての成果を評価された訳なのでは無い。

あくまで其れは文明の仕出かした罪を明らかにする為の研究であり要するに地球温暖化に関する研究の成果である。

 

 

其の諦めの道は然し大衆には理解し難いことだらう。

されど諦めることこそが心を究めることであり人間の心のあり方にとっての最終段階です。

 

其の最終段階を登られた釈迦とキリストは新たなる宗教を編み出されたがトルストイはさうして家庭からまた大文豪と云う肩書きから逃げ出し野垂れ死にをした。

 

然し此れ以上に純粋な作家の死と云うものもまた他には御座りません。

つまりはオンリーワンでの放棄としての死だ。

 

よって「逃げる」ことはむしろ正解であり「イケイケドンドン」なのがむしろ大いなる誤りなのだ。

だが我我現代人はまさに其処を洗脳されて居るので其れをまるで逆の如くに捉えて居る。

 

 

著作権を放棄ー

 

エッ?もしやほんたうに放棄したの?

だとすればトルストイとは壱體何者だったのか?

 

でもかの大作家の意図を大衆は理解し得ない。

また三島先生の特攻の意味が分かる人などもまず居はしない。

 

 

さらに色々と調べてみたところ、かうして晩年に至りむしろ悩み苦しみ且つキリスト教に目覚め内なる神の意志に従うべく価値観を転換して行った作家の姿が見えて来た。

だが作家には拾参人もの子が居て其処は如何にも俗物である。

 

だがやがて其の貴族的俗物根性を捨て農民の為に生きるが為に学校を建てて自ら教壇に立ったともされて居る。

但し其れが彼の妻の価値観にはそぐわなかった訳だ。

其の精神的なる理想の生活と子宮の求めとの間に乗り越え難い齟齬が生じて仕舞うからだ。

 

男女間で上手く行かぬのが大抵は此の理想と現實の相剋であり価値観の上での齟齬の問題なのだ。

多くの🚹は文豪に限らず出来れば理想を生きやうとするが🚺共にとって其れは決して好ましいものでは無い。

 

👩はさうして目の前のことの成就をこそ請い願い、👨は決まって絵に描いた理想を生きたがる訳だ。

 

 

👩はまたさうして物質的蓄財をまず価値として見据えて居る。

其れはまさに子宮がさう思考するところでの現世利益としての価値なのだ。

 

だが其れもまた否定してしかるべきものだ、少なくとも精神の自由を欲し理想に生きる限りに於いては。

 

尚精神にとっての本質の問題とは結局其の物質欲と精神的な欲との相剋し且つ相即する問題にこそ帰結する。

 

其の本質的葛藤に気付きし者は少なくとも其の場ー修羅場ー自體を自ら去らうとする。

即ち釈尊が述べたが如き「噴火山上の舞踏」である生を離れ静かなる山の上での観覧を決め込む訳だ。

 

 

自慢では無いのだが加島先生を始めとする隠遁文人は皆其の精神の高みからの観覧を決め込んで御座る。

我もまたそんなところより此の世の一部始終を冷ややかに見詰めて居る。

 

と言いたいところながら我に限り文人としての修行が未熟なので現實的には悟り切れないで居るのがまた實情なのだ。

あーあ、人間は實に困ったもんですね。

 

いや困ったもんだとさう気付いただけでもむしろ君はエライぞ。

世の中はもっともっと分からず屋ばかりであるからして。

 

 

で、實際にもしも爺様が大文豪でアナタが其の孫で著作権を放棄すると言われたならばアンタはどうしますか?

 

僕は怒りますねえ。

爺様、アンタの其の金でワシを食わせて下されと何処までもソコに食い下がりますねえ。

 

尚文豪トルストイの死に様から學ぶことが出来ることとは精神的な価値が如何に大事であるかと云うことだ。

何故なら人間はまさに其の精神的な価値をこそ生きる者だからなのです。

 

対する動植物にはそんな意味での精神的な価値=観念の上での次元や価値などはありません。

但し其の観念が無いと云う事は劣って居ると云うことでは無くむしろ其れを持つ必要など無かったとさう思うべきものです。

 

従ってさうして謂わば弐重に罪深い人間を救うのは宗教的次元での出来事による他は無い。

されど其の価値観のシフト其れ自體は文學的か或は哲學的にも探究し得ることだ。

 

 

晩年のトルストイはおそらく文學とキリスト教を融合させ挙句に82歳でもって家出をしたのではなかったか?

しっかし82歳でもって家出などが出来ませうや?

 

いやみんなもっと酷いことになってますから、其れも藝術家や戦國武将やらの面々は。

第壱信長公なんて49歳で殺されて居ますから、82歳の家出なんて全然穏やかな話でせう。

 

 

ところで詩人もまた皆早う死んで居ますね。

かの中原 中也なんて参拾で死んでますが其れは確かに全然普通じゃあ無いですね。

 

詩人は八拾まで寿命が持ちますかね?

まず持ちませんねえ。

 

まあ六拾五まで持てば其れでもってサイコーでせうね。

そんな下らぬ御喋りをいつまでも続けず早う結論を述べて下さい。

 

ハイ、ではお答えします。

 

「妻子を捨て理想に生きるー走るー」

まさにコレぞ眞の文人の生き方だらう。

 

資料ー08_numano.pdf (u-tokyo.ac.jp)

 

ーさても其のトルストイは何やら気難しさうな風貌の持ち主ですね?まあ気難しいことでせう、ソレもおそらくは横綱級に。同じアナキストで「逃げの文人」のアンタもまた気難しい?まあ気難しいのだけは余り変わらぬことでせう。でも作品がね。其の作品が僕のはこんなウンコまみれなだけで彼のは世界的な傑作となって居るだけのことだ。さうか、自ら其の下品さだけは認めるのだな。いやダンダンさうなり変えられなくもなってるのです。困ったもんだな、もしや其れは自民党と同じことではないのか?いや自民党と同じレヴェルになどにして貰いたくは無い。ボクはあくまでかうして精神をこそ語る文人なのだから…。ー