目覚めよ!

文明批判と心の探求と

かうして花花に深く癒されペン作りに勤しむ日々

 

かくしてかう毎回決まって腹が減るのは其れは壱體何故なのだらう?

かと言ってウンコをすればまた必ずや何かを食いたくなる訳なのでまたコノミヤスギ薬局へと出向きしこたま食い物を買い込んで来る。

 

自宅からコノミヤまでは1.5キロ程で、スギ薬局は四百メートル位の距離である。

すると其の間に様々なものを見ることとなる。

 

さうして自転車で行けば必ずや様々なものが見える。

ところが以前🚙に乗って居た頃は全く其れ等が見えなくなって居たものだった。

 

其の道中で壱番樂しみにして居るのが空き地や農地に咲く様々な草花が眺められることだ。

 

だからさうして其処では決まって自転車を降り暫し花花に見惚れることにして居る。

 

 

尚都會の花花と田舎の花花はまるで違う、つまりは別物なのだ。

勿論咲く花は同じ花である。

 

だが其れを見る人間の眼差しの方こそが違うのだ。

元より人口が多く従って住宅の多い都會では庭以外に花が咲いて居ること自体がほぼ稀である。

 

但し私の住処は此処名古屋市でも所謂環境の良い処で従って家の近所にもさうした野の花花を認めることが出来る。

其れでも次第次第に野の花花は圧迫され其れこそコーポやマンションばかりとなって行く。

 

 

そんな中でも個人所有の畑や市の公園やまた廃屋などの周りに細々と咲き競う花花の美しさはまた格別なものだ。

わたくしは買い物其れ自体は好きなのでは無いのだが仕事に行くこと程其れは苦にならずまた買い物へ行く時のご褒美としてそんな密かな花花との出遭いがあるが故に結局其れが嫌いでは無い。

 

さて今日は雨降りだがさうして食う物が何も無いので結局買い出しに行かねばならぬ。

 

私の買い出しは壱種ハードであり買い物袋ー大レジ袋ー参つを自転車に下げつつさうして雨のさ中坂を登りコノミヤより家へと戻る。

しかも實は壱度家へ戻りさらに今度はスギ薬局へ向かい今度は🐈のエサ入りの大袋壱つと我が食う仏蘭西パンだのカリー屋カリーだのが入る大袋弐つを自転車に下げさうして雨のさ中をスギ薬局より家へと戻る。

 

さうして其の間に何度も何度も個人所有の畑や市の公園やまた廃屋などの周りに細々と咲き競う花花を見るのだった。

 

 

 

彼岸花 - Bing images1

露草-1

 

丁度こんな感じに其の花花を見た。

 

だが壱週間程前に見た露草は丁度こんな感じでもあった。露草 - Bing images

また彼岸花も時にこんな風に見えることがある。彼岸花 - Bing images2

 

さらに個人的に好きな感じの写眞がこんな感じのものである。彼岸花 - Bing images3

 

 

いずれにせよさうして花花は美しい。

しかしながら花花とは其れは植物の生殖器其のものだ。

 

そんな感じに此の世での物事は須らく相対立し尚且つ何処かもの悲しく交わりつつ光り輝いて居る。

 

 

個人的にはまさにさう云うのこそが詩の世界での出来事なのだと思う。

だけれどもまさに其の詩を感じられなくして仕舞うのが此の世の常としての闘争世界なのだ。

 

所謂欧米近代が創り上げた此の自他対立の世界観こそがまさに其の心の余裕や自然に対する優しい眼差しを奪いつつもあるのだらう。

 

だからこそ其のやうな価値観に対し疑惑を抱き己の内心の声に従って生を営んで行くことは必ずしも悪いことでは無い。

いやむしろ其の己の内なる主義、主張の方こそがむしろずっと大事なのだ。

 

其れが其の詩を始めとする藝術的な感懐なのであれまた政治的な主張なのであれ他のどんな些細な疑問でも良いから其れを大事にして生きて行くことの方が世の中の役に立つことよりもまずは重要なのだ。

 

 

ところが人間は腹がふくれるとまた別事を途端に考え始める。

たとえば宮崎 美子は矢張り上玉の部類だらうな、だとか、またタモリの金満野郎は高級腕時計と心中しやがれ、だとか、ああ今日は食料にありつけたが壱週間後は果たしてどうなって居るだらうかとかむしろそんなことばかりを考えて仕舞う訳だ。

 

人間とはさうして限りない馬鹿である。

尚僕も最近はヤフオクにて欲しいものが落とせず實は困って居るのだ。

 

果たして其れはどうなって居るのだと思われますか?

 

要するに其れはお家時間が増えて此れ迄物に注目する時間の無かった層が増えさうして皆がドンドン入札するものだから實は石やら万年筆やらがなかなか落とせなくもなって居るのだ。

 

其れも折角老後を石とペンでもって樂しまうとさう思って居たのに馬鹿野郎、其れも我が落札寸前壱分前に即決でもってワザワザ落としてるな、此の何処の誰ともつかぬアホンダラめが!

さても此の世の花花とはさうした壱種哀しい欲の咲き競う花花のことだ。

 

 

まさに其れを自然科学は我我に伝えて居ない。

其れを我我に対し伝え得るのはひとつ文學の世界のみだ。

 

文學とはさうした悲しい道のりをたった独りで歩んでいく立場のことだらう。

 

 

ーさうして自転車で行けば必ずや様々なものが見える。

ところが以前🚙に乗って居た頃は全く其れ等が見えなくなって居たものだった。ー

 

うーむ、結局文明と云うことの本質とはさうしたことなのやもしれぬ。

例えば昨日Eテレの高校地理でもって南北問題を取り上げて居たが所謂発展途上の國國はまずは近代的な優位さを得ようとして兎に角「頑張る」訳だ。

 

ところがいざ其れを得た先進國側ではまた別次元での問題に苛まれて居る。

其れも壱番豊かな筈の米國でさえまさに其の豊かでしかも自由な様に比例する形にてむしろ其れを帳消しにする程の社會的苦悩や矛盾に苛まれて居る。

 

つまるところ文明とは其の社會的矛盾をより大きくする抽象的装置なのだらう。

 

また例えば超不便な山奥にて八拾台の御爺さんや御婆さんが独り暮らしをして居たりもする。

其れでもって其の高齢者の独り暮らしが全然出来ないかと云えばさうでは無くちゃんと其れがやれて居る訳だ。

 

だから文明的な尺度、其の先入観としての文明の尺度でもって全てを規定すること自體に無理がある。

逆に文明をやって居るとかうして🚙や🚈や✈や🚢ばかりに乗り足腰が弱りおまけに悪い空気を吸わされ頭の働きも悪くなる。

 

 

だから南北問題などそんなものはむしろ最初から無いのである。

なので重要なことは是非文明を拒絶し自國としてのやり方を死守するそんな生き方のことだらう。

 

バカ文明がさうして🚙や🚈や✈や🚢だらけとしおまけに僕は利口だから大金を儲けます、と必ずや言う。

 

だがそんなバカに対してはハッキリ言ってやれ!

むしろオマエこそが宇宙壱のバカたれなのだと。

 

第壱山奥で君等は野糞をしたことがあるか?

もう其れは其れは気持ちの良いものでまるで極楽世界でのやうな気分であったものよ。

 

 

詩人さん、また話が大幅に下品の方に傾いて居るやうですが…。

さうでしたね、其れも今日は御花の御話をして居たつもりがいつの間にかまた下ネタの話についなっちまいました。

 

尚先日東大全共闘の天才芥 正彦氏のブログみたいなものを読んで居たら矢張りウンコ、ウンコと其ればかりが書かれて居る部分を発見し其処は流石に藝術家だなとさう思わされました。

するともしや天才は下品なのですか?

 

まあソコにはむしろ拘って居らずしかもあえて拘って居ると云うことなのでせう。

 

 

さうして山奥でもって詩人の爺が独り暮らして居りましたところ其処に御花の精が舞い降り御花の言葉を彼に伝えたのです。

其れも其の🌸🌸の言葉だけを…。

 

 

かうして買い物から家へ帰り気になって居ることをやる。

其れは我が家から歩道へ突き出て行く草花を刈り取ることだ。

 

しかも其れが屡町内會から注意を受ける。

家の場合はさうしてまさに自然派の家其れもまるで古民家のやうな家なので自然と野の花花が根付き易い訳だ。

 

故に特に夏場は其の刈り取り作業を屡行うこととなる。

 

だが其れが毎回わたくしに取り辛いのだ。

何せわたくしはさうして生命を尊重する気高い心の持ち主なので其れを傷付けること自体が性に合わぬ訳だ。

 

 

ゲエッ、其れに🐜もまた出て来て居るぞ。

結局は其れを今踏んだのかな?

 

まずは美しいピンクの花をさうして刈り取る。

其れは名も知らぬ野草である。

 

其れが空き地などに良く生えて居る花だ。

さう書けば小さな花を思い浮かべることだらうが實はさうでは無い。

 

其れは1.5メートル程もあり其処に花が拾程も付いたしぶとい野草なのだ。

 

 

次に紫式部を刈り取る。ムラサキシキブ(紫式部) - 庭木図鑑 植木ペディア (uekipedia.jp)

 

我が家は茶華道をかってやって居た家なのでさうして所謂茶花がところどころに植えてある。

尚我が家には屋根付き瓦付きの門があるが、其の門の脇に其れが植えてあるのでまた其れが良く育ち歩道を浸食し登校する小学生の顔を撫でたりもする訳だ。

 

さらにおおあんなにも美しい芙蓉が咲き競って居る!芙蓉 - Bing images

芙蓉のもっと美しい画像もまたネット上には溢れて居るがわたくしの藝の細かいところは實物に似た画像をワザワザ探した上で皆さんにかうしてお見せして居る点である。

 

 

わたくしの藝術はさうして常に細かくしかも高尚だ。

 

さて是等の刈り取った植物の死体を処理しやがてはゴミとして出さねばならぬ。

とりあえずは🚙が無い車庫にバラ撒き其れを乾燥させる。

 

 

ところが其の時点で大抵の場合は其の刈り取られし花花の美しさに魅了され其れを弐、参本引き抜き活花に供することとなるのである。

 

さても君等はわたくしの活花作品を見たことがおありだらうか?

見たことが無い?

 

如何にも其れは残念だな。

 

だが其れはワザワザ見せるやうなものでもまた無い。

第壱私の活花はかうしてペットボトルに活ける。

 

さうして其処に基本の、其の華道の基本の型を織り込みさらに藝術者としてのわたくしの感度をも盛り込みドーンと其処へ活けるのだ。

 

 

だが其の活花は大抵弐、参日位しか持たない。

 

つまり自然とは人間の力ではよもや生かせぬものなのだ。

 

さうして草花は野に咲いてこそのもの。

 

人間は自然よりも常に下にある。

何故なら自然の力を人間が創り出すことなどは決して出来ぬのだから。

 

 

何、紫式部?

確かついこないだ「源氏物語」を貶したやうな覚えが御座りますが…。

 

いやでもムラサキシキブ程美しい茶🌸は他に御座りません。

 

視野を転じて庭を見る。

 

するとかって庭師が切り過ぎ絶滅した稀少な金明竹金明竹 - Bing imagesの処に南天が繁茂して居るではないか!

 

 

其れがまさに玄関の横でかうして繁茂しておる。南天 - Bing images實

だが南天で重要なのはむしろ其の木の方であり要するに軸のことだ。南天 - Bing images茎

 

軸?

 

さうだよ、まさに其れがペン軸となるものだ。

 

實は此のやうに我は庭の木々から採った軸でもってまさにオンリーワンの筆記具ー万年筆、Dip Pen、若しくは銘木ボールペンーを創り出すことに全情熱を注いでおる。

また其れは例えば神社などから貰って来た伐採木でも良い訳だ。

 

で、此れ迄で最高の作品が其の玄関の際に繁茂して居た金明竹にて創った銘竹ボールペンである。

 

なので今度はむしろ其の南天を是非利用したい訳だ。

しかも我が家の南天は今おそろしく太くなっても居り従って其処から物凄いペン軸がおそらくは採れる筈なのだ。

 

 

また爺臭くも嫌らしい銘木趣味だことで…。

 

さうなんだ、だから僕はもう引退し社會とは関わりたくは無いのだ。

僕の生きてる宇宙の方がかうしてずっと有意義でしかも高尚且つオンリーワンでの世界のことなのさ。

 

だから第壱そんな俗臭い世間のことなどはむしろ滅べば良いのだ。

人間なんてそも救えやあしねえよ、へっへっへっへっへーのへー。

 

 

お前はもしや👿か?

だから小悪魔ちゃんだと何度も言って来て居るだらう?

 

詩人さん、でもアナタの其の自然への感度だけはまさに本物だ。

まさに其処にこそ感服つかまつりました。

 

さうか、分かれば良い。

さうしてな、詩人や仙人やら知識人層はな、まさに御花と戯れしかも決まって世の様を冷笑し只日々ウンコだけ垂れて理想ー桃源郷ーの世界と戯れて居るだけのことよ。

 

 

さても其の南天にてどんなペンがこれから出来るのかな?

それでは早速使えそうな部位を調べてみるとするか。

 

南天 材 - Bing images1

南天 材 - Bing images2

 

南天の材はかうして黄色く壱般に極めて高価である。

 

だが其の筆記具の軸とて最終的には自然界に其の侭にあるもの程に価値あるものでは無い。

人間がやれることとは其の加工のみであり自然其のものを創り出すことなど決して出来はせぬのだから。