目覚めよ!

文明批判と美と心の探求と

世間の内なる認識との闘いー壱 化粧と王子様への疑問ー

では詩人さん、👿とは壱體何ですか?

👿とは何処にでも居るものだ。

のみならず自らの心の内にも居る。


問題なのは其の内なる👿を自覚して居るか否かだ。

だがほとんどの人が其れを自覚して居らぬ。

であるからこそ人は皆罪の自覚に欠けて居る。


罪の自覚には限らずとも所謂無明の自覚でも良い。

其の罪深さか又は無明の様がまさに人々の視覚を昏くしておる。

 

聖なる者は、逆に其の罪を自覚する者、又は己の無明を自覚する者のことだ。

また其の自覚により神がまた佛が心の内に生ずる。


逆に言えば罪を自覚せぬ者、又は己の無明を自覚せぬ者は神か又は佛に決して近づくことが出来ぬ。

本質として其れは教会や御寺で祈ったり読経したりすることとは異なる。

まさに其れ以前としての心の内なる葛藤の問題なのだ。


故に其の葛藤其れ自体が悪いことなのでは無い。

葛藤其れ自体に悩み苦しむことこそがむしろ神にまた佛に近づく唯一の道なのだから。


だから最も警戒せねばならぬこととは其の悩み、苦しみが心中に生じぬことなのだ。

さうして生に対し脳天気な人間、生に対し放埓な人間は其の悩みや苦に生きることが出来ない。

 

確かに彼等の生は壱見幸せに見えやう。

だが其の幸せとは畢竟利己的な幸せのことだ。


まるで最近の自民党の政治のやうにそんな利己主義では誰も幸せになることなどは無い。

安倍や麻生が只幸せなだけで實は國民みんながお先真っ暗暗で第壱食い物屋は壱體これからどうなるのだ?


また教育はどうするのだ?

かうしてコロナでもって全部が壊れかかって居るのだぞよ。


安倍や麻生が只幸せなのは奴等がまさに其の👿だからなのだらう。

だからキャンデーズ石破が是非労働者の為の資本主義社會を構築せねばならぬと云うのに彼は今日TVで自分でもって語って居りしが「人間関係に弱い」のださうだ。


なる程、ヲタクは結局人間が嫌いである。

けだし其れは眞理であらう。

 

左様に気が狂った社會に付き合って居ると自分の気も狂い始めるので何処かで縁を切って置くこともまた必要である。


では何故我我は罪か又は無明に気付けぬのですか?

うーむ、まず君等は認識が変だ。


何処が変なの?

変なのはむしろ詩人さん、アンタの方でせう?


まあ確かにわたくしは半分位頭がオカシイ。

其れは認めるがこと認識に限れば至極眞っ直ぐだぞよ。

 

即ち君等はまず目で見えることだけを信じ過ぎて居る。


第壱日本人は戦後民主主義に於いて経済成長だの會社の発展だのそんなことばかりを信じ過ぎて来たのだ。

だから其れを「日本國の精神の危機」として捉えられし三島先生は自衛隊へと特攻されるに及んだのだった。


事實として會社の発展も経済成長も次第次第に鈍り今や借金ばかりとなり首が回らぬ状態ともなって来た。

其ればかりか明日と云う「未来」などとても描けぬ國へと転落して仕舞って居る。


ところで其れは壱體誰が悪いの?

そりゃあ皆自民党のせいだよ。

 

では愈革命ですか?

大革命の時なのですか?


いや自民党でも若手議員がああして派閥政治に嫌気がさし何らかの造反を企てやうとして居る訳だが事實上は👿共の力に抑え込まれ其の志は分解して仕舞うのだ。

しかも其れは昔からのパターンだよ。


それにつけても👿共をどうしたら此の世から失くせるのだらう?

勉強すれば、さうして常に八拾点以上がテストで取れるやうになれば👿共を根絶することが出来るのですか?


いや其れだけでは無理だ。

其処からさらに自分の為の御勉強を重ねよ。

 

さうして最終的には眞の自己に目覚めよ。

其処まで精神を鍛えて行くとむしろ自然と選択が正されて来ることだらう。


民主主義なども結局は其の選択なのだ。

だから誤った選択をすれば自ずと自らの首を絞めて行くこととなる。

 

革命が成り左翼大連合政権がもしも成立すると日本國の未来は約束されたものとなるのでせうか?

そりゃ知りません。


何故なら左翼思想にも根本的矛盾が多く潜んで居るからなのだ。

では最終的にアナタのやうなアナキストになるのが理想なのでせうか?


いや私は其のアナキストを通り越して人生其のものに対するニヒリストでせうね。

つまりは全てを懐疑的に見詰め批判することだけを樂しむと云うもう最高にイヤな奴です。

 

でも批判だけでは何も生み出さぬではないですか?

批判だけでは全てが劣化し壊れて行くばかりではないですか。


だからそりゃまるで知りません。

むしろ其れはどーでも良いから自分の価値観を創り上げるべきだとさう述べてだけおるのだ。


でも自分の価値観で生きたらむしろ其れは自分勝手だ。

でも動物は皆其の自分勝手だ。


植物もまた自分勝手だが彼等に限り眠りながら生きて居るので其の自分勝手の度が少なくなる。

 

だからまず君等は社會のことにかまけ其れに振り回されて来て居る。

だが本来生き物とはさうして自己本位なものなのだ。


但し其れを人間界でやると社會を保てなくなる。

どだい近代社會は「社會契約」と云う高度に抽象的な概念によりようやく保たれて居る価値観其のものなのだ。


尚今日Eテレでもって凄い内容を含む子供向けの番組をやって居た。


其れは「化粧」に関する疑問を持った子供の番組だった。

まさに其の「化粧」こそが「社會契約」に通ずるものだ。


「化粧」=實物よりも良く見せる行為

なのであらう。

 

つまりさうして社會と云う「人の眼」を気にする、むしろ其れを第壱義的に気にして兎に角人から「良く」見られたく思う其の心。

だが私はまずソコの部分から間違って居るやうに思う訳だ。


何故なら實存とはさうした「化粧」とはまるで無関係なものであらう。

實存にはむしろ常に試練が与えられ人間は其の故に悩み苦しみつつ生きて行かねばならない。


其処の何処に「化粧」をする余地、そんな下らぬことをするヒマなどがあるのだらうか?

 

ですが世の👩共はいや最近は👨共も其の見た目に拘るやうになって来て居る。

まずはソコこそが生を實相として捉えて居ない認識の偏りなのだと個人的には感じて居る。


するとスッピンこそが正解なので?

いやスッピンどころかみんな裸でもって生きれば其れが理想である。

つまりはスッ裸だ。


だからアンタは其れをストレートに言うからこそ頭がオカシイとさう見られるのだ。

さうでしたか、其れはどうもすみませんでしたね。


スッ裸と云うことは服も靴もまた髭も蓬髪もまるで気にせぬともしやさうしたことなので?

まあ余り気にせずに其のむさくるしいなりでもって生きて行く方がよりベターであらう。

 

で、結局少年は正直に家に居る時のスッピンのお母さんの方が好きだとさう言ったのである。

さうして繕って居らずとも其れはお父さんや自分にとり大事なお母さんだと分かるからだとさう述べるのである。


確かに其の点では昔の教育には特にそんな視点が欠けて居たやうに思うのだ。

何故なら高度成長期の日本とはほぼ全的に繕う為の価値である其の経済成長だけを目指して居たからなのだ。


だが其れは諸外國に対する繕いの価値でしか無い訳だ。

尤も明治期よりの近代化以降我が國は只ひたすらに其の「化粧」をすることに余念が無くむしろ他のことは何も考えずに突き進んで来たのだと言えやう。

 

だが私は其の少年の考え方をこそより重視したい。

人間にとり眞に大事な価値とは畢竟其の實存としての方の価値である。


其れは周り=社會と比べることでも無くましてやウソをコキ化粧品をさうして顔に塗りたくることでも無い筈だ。


だから眞の意味での美しさとはさうしたことなのではなからうか。

むしろ見栄や見栄えには流される事無く自らの醜さをあえて見詰めることなのではないか。


わたくしが屡👩を馬鹿にするのは實はさうした部分への批判をなして居ると云うことなのだ。

 

ではスッピンの宮崎 美子こそが御望みなので其れもすっ裸の?


いや宮崎 美子は嫌いでは無いのだが別に其れ程好きでも無いのだ。

僕は人間に対しては至極淡泊でむしろ自分のことだけが好きなのだな。


ヤッパリ変な奴だな、さうして自己陶酔の世界でもって常に生きて居ると云うまるで文學作品か何かのやうな人ですね。

まあボクと文學は切っても切れぬ縁でもって結ばれて居り云々…。

 

しかし其の「化粧」への疑問と云う事は壱種深い問題提起を孕むことですね。

何故なら文明世界其れ自体が其の「化粧」である可能性が高くある。

其れも近代以降の世界は其の化粧文明であった可能性が高い。

 

すると自己の罪かまたは無明に対し自覚した者=目覚めた者は「化粧」などしないとさうしたことなのですか?

まあ實存がかうしてありしかも其れはあくまで与えられたものなので其れを弄るのはむしろ不遜なのではないかいな。


また其の考えをたとえば環境にまで広げれば環境は神か又は佛の世界のものなので其れをこね回し加工するのはそも不遜な行為であると云うこととならう。


なる程、すると「化粧」こそが「加工」なんだ。


でも其れを言えば文明世界はほぼ全部が加工物ですよ。

だから其れがそも間違って居るのだよ。


文明世界はむしろ半分位は非加工物=自然物として置く方が誰にとっても優しい世界となる。

人間にとってもまた動植物にとっても暮らし易い環境となると云うことだ。

 

但し「化粧」の有効性其れ自体を否定することは出来ない。

何故なら實際に化け物が何とか見られるやうになる効用と云うものが其処にはある。


すると現代文明其れ自体もまた化け物なんですか?

まあ化け物を何とか見られるやうに化けて居るのやもしれぬ。


さうか、現代社會ってほんたうは至極恐ろしいものなのですね。

さうだ、其処に気付いて行くこと其れ自体が理性の働きだね。

 

文系にせよ理系にせよ御勉強が進めば進む程に其の恐怖の部分が垣間見えて来るものだ。

だが其の恐怖に負けて御勉強を止めてはならぬ。


理性とは其の恐怖をこそ目の当たりにし其れと向き合うことなのだ。

さらに余力があれば其の恐怖を齎して居るもの自体を批判して行っても良い。


宗教もまた理性の産物だが其の批判と信仰が丁度逆方向になって居る。

だが共に大事であり出来れば両方が出来ることこそが理性としてより望ましいことだ。

 

だから「眞我に目覚める」こととは価値双方の相互作用からむしろ生まれることだ。

其のやうに批判と信仰、また文系と理系と云う垣根を越えて相互に混じり合うことから眞理方面への道は自ずと開けて来ることだらう。


するとひとつだけでは道は開けぬと?

其れだけではまずは無理だ。


何でも一方向だけでは無理だ。

すると女性もまた認めると?


いや別に化粧は否定して置いても良いです。

むしろバカバカしいものとして置くべきなのではないでせうか。

 

で、Eテレでもって其の番組の後に確か「源氏物語」とかを取り上げた番組がありましたが其の「源氏物語」って果たしてほんたうに文學なのだらうか。

どうもわたくしにはバカ貴族の👩たらし譚にしか見えぬのですがさてもどうなのでせう?


其れと結局子宮でもって書かれた物語と云う感じがどうしても致します。

ズバリ申せばわたくしは「源氏物語」が昔から大嫌いです。


もしやアナタは美男子がお嫌いで?

いや逆に大好きですよ。


むしろ美男子だけに興味があるのですが…。

 

でも其の「光源氏」なる光モノの馬鹿は要するに子宮思考が創ったところでの虚の塊としての男性像つまりは愚にもつかぬウソコキでの理想の男性像のことですね。ーつまるところは白馬に跨る王子様のことだらうー

だから僕はそんなのが生理的に嫌いだな。


男性は矢張りと云うべきかなりふり構わず額に汗して働き壱家を支える其の姿以上に崇高なものなど無い筈だ。

いや其処は勿論額に汗して家事に勤しんで居てもまた良い訳ですが。


光源氏」なるあんな能足りんでしかもウソコキの理想の男性像だなんてまさに反吐が出ますわ、反吐が。

貴族だの権威だの権力だのだなんてまさに反吐が出ますわ、反吐が。


だからさう云うのが好きな👩こそが所詮はバカ👩なんだやう。

 

さあて其れでは今宵は松田 優作の息子の好ましい画像を検索でもしてみるとするか。


松田 優作の息子ではなくてちゃんとフルネームで言って下さい。

いやフルネームでは知りませんので…。

でもちゃんと顔は知って居ますのでまるで大丈夫ですよ。