目覚めよ!

文明批判と心の探求と

カルトな旅ー四 或は「法滅盡」へと至るのやもしれぬ未来ー

詩人さん、此のカルトな旅の目的とは果たして何なのですか?

 

では君の生の目的とは何か?

さうして働くことか又は遊ぶことか其れともウンコを垂れることか?

 

うーん、さうだなあ。

何やら次第にウンコを垂れること其れ自体のやうにも思えて参りました。

 

さうか、其れは偉い。

君は其のウンコを垂れることがさも恥ずかしいことにやうに思って居ることだらうが其れは誤りだ。

 

だから何処へ行ってもまさにウンコ、ウンコと言ってやれ!

例えばお見合いの席だとか色んなセレモニーの場などでデカい声でもって其れを叫んでみよ。

 

 

其のカルトな旅の目的とはあえて言えば其のウンコ垂れでの我が旅の記録である。

 

嗚呼さうして詩人さんは命の矛盾に優しく寄り添って居られるのだ。

なんて美しい心根の方なのだらう。

またなんて表現の馬鹿野郎なのだらう。

 

 

重要なことは此の世の価値とは須らく虚的構築によるものだと云う其の壱点である。

だったらもう人類など居ない方が良いのでせう?

 

人類は抹殺された方が良いのでせう?

 

でも其れではやがてオウム教とならざるを得ぬ。

然し多くの宗教の価値観もまたしかしながら間違っておる。

 

さうして現世利益に寄り過ぎてもまた其れを否定し過ぎても「破壊」を生じさせ其処に「苦」を増大させるからだ。

ならば其の現世利益に擦り寄らず且つ現世利益を否定もしない観念の領域即ち認識を生きよとさう仰るのですか?

 

まさに庶民レヴェルではもはやさうするしかないことだらう。

だが聖なる認識の方々はまた其れとは異なる道を歩む。

 

 

例えば佛法は其の虚的な認識世界を丸ごと消去にかかる。

例えばキリスト教は其の魔的な認識世界を丸ごと神の領域へと投げかける。

 

また其のことは常に正しい。

 

ではイスラム教だのジャイナ教だのでの認識は果たしてどうなのですか?

まあ其々に正しいことだらう。

 

但し其れ等に対し余り詳しくは無いのでデカいことは言えぬのだが。

 

詩人さんは何故さうして宗教を擁護なさるのですか?

宗教は人間にとりどうしても必要なことだからなのだ。

 

例えばーじぶんは頭が良いとさう勘違いして居るー無神論者はおそらくはいつか地獄へ堕ちて行くものとさう考えられやう。

逆に宗教程理性的に規定されるべきものは他に無いことだらう。

 

で、其のイスラム過激派の政権にもまた理があるのだとさう仰るのか?

何故なら基本的に宗教を正しくやらうと云う考えは間違っては居らぬ考えなのだから。

 

だがオウム教は間違って居た。

其れは其の人類抹殺計画が間違って居たのでは無い。

 

かの教祖への個人崇拝こそが間違って居た訳だ。

 

 

詩人さん、たった今からアナタが教祖様になるのであればわたくしはすぐにでも帰依させて頂きます。

また私の妻や子、さらに親戚一同、おまけに會社の同僚や知己などに働きかけ皆信者になるやう努めますのでどうかどうか今こそお立ち上がり下され。

 

さうか、では「カルトな旅」教などをコレより始めてみるとするか。

だが私の教えにはまた宿題が多いのだ。

 

君等は其れに耐えられるのか?

 

例えば明日までに「カンブリア紀に於ける生物の形態的変化」に関するレポートを出せであるとか、また明日までに「マルクス主義に於ける資本と労働の関係に就き論じよ」であるとか、さらに鉱物関連や宇宙論でのとても難しい論題に就き常に理解が求められる訳だが果たして君等は其れに耐えられるのだらうか?

 

とても耐えられません。

だから信者であることを今すぐに辞めさせて頂きます。

 

 

其れは偉い。

要するに私の言うことなんぞはまるで信じて居ない方が宜しい。

 

さうして主に人間の発言にはバイアスがかかって居るものなのでそんなもんはまるで信じてはならぬ。

だから信ずるのは神か又は佛のみだ。

 

なる程、ではじぶんが神の使いだとか佛の化身だとか言って居る奴は教祖様どころか只の狂人である訳なのですね。

 

まあさう云うことだ。

しかもさうして狂った人は如何にも正しそうなことばかりを言う。

 

対して眞理に目覚めた人か又は少なくともソチラを向く人は所謂常識とは逆のことばかりを言い案外下品なものなのだ。

 

 

さても其の虚的構築とのことですが、其れではまさに全ての努力が虚的に崩壊して仕舞うのでは御座りませぬか?

いやでもかうして現實的ー現象的ーには崩壊せず其れこそ伝統技にせよ家庭の構築にせよ會社の維持にせよ滞り無く行われて行く。

 

あくまで観念的には其れが可なのは人間の生其れ自体がさうして抽象的構築物であるからのことだ。

 

 

ですが其れが全て虚なので?

あくまで本質的には。

 

だが本質と現象はまた違う訳で、故に生命としての人間は時間が過ぎ去ると同時に其の観念的分離価値と本質的価値との間に齟齬を生じることとなり故にやがては滅び去る運命にこそある。

 

また今回凄いことを申されましたね。

要するにかうしてみんなで文明をやってるとやがてはみんなでもって滅ぶより無いと云う御話をされたのですね。

 

 

まあ其れはキリスト教などが實際いつも言ってることです。

また佛法にもそんな末法思想は御座ります。

 

例えば御経の中には「法滅尽」なる壱種恐ろしい教えが御座る。

 

 

【釈迦予言】末法の時代に禍が来る!?彌勒の世へ行くために必要なもの | イケのブログ~知識の実リンゴを収穫しよう~ (ikezo.site)

まあ大體こんなところかと思われますが後半部に限れば此処はほぼ支離滅裂な内容です。

 

法滅尽経 | ALIS

まあ大體こんなところですがかうして話がすぐに終わって仕舞います。

但し其の「偽経」とされて居る部分などはまさに其の通りなのだと思われる。

 

ですが、重要な処はまさに其の「末法」の部分の解釈です。

即ち「末法」とはほんたうに此の世にあるものなのかどうかと云う其の観点なのです。

 

尚かって私は其の「末法」のことを出来得る限り調べてみたことがあった。

 

其の過程に就き何処かに細かく書きましたが其れが何処だったのかどうかと云うことはもはや忘れて仕舞いました。

さうして結論としては「末法思想」其れ自体が何処か胡散臭いものだが我我が自身を反省する為にはむしろ不可欠な考えである、と云うやうなことを確か其処で述べて居た筈です。

 

勿論当時よりも今の方が私の観念の仏道修行は進んで居り、其れでもって今は其れをどう考えるかと云うことです。

1.浄土教は明らかにキリスト教化した佛教であり、従って浄土教は其の「末法思想」をしかと信じて居る。

2.「末法思想」は法華経を重んじる日蓮宗などでも根強く信じられて居る。

 

1.及び2.より言えることは民衆派の佛教は総じて其の「末法思想」を信じて居ると言うことです。

詳しくはまた調べてみぬと申せませんが禅宗を始めとするむしろ釈迦御自身の教義に忠實な宗派は「末法思想」を問題として居ないやうにもまた見受けられる。

 

 

ですが、此処からの話の方が實は大問題なのだ。

さて先程から私の部屋の外では豪雨がふりしきって居る。

 

其れを体感して居るうちに至極不安にもまたなって来る。

どだい昨夜は眞夏だと云うのに妙に寒く其処からも明らかに地球の気候は極端化、所謂気候変動化して来て居ります。

 

またコロナ禍をも含め今や其の不安な現象に覆い尽くされた世の中なのだと言っても良いことだらう。

もしや其れはキリスト教での予言通りに終末の世界へと我我が突き進んで居る様なのやもしれぬ。

 

 

其のやうに観念では其の終末が否定的に捉えられるにせよ現實として恐怖が感ぜられる世界となりつつある。

と申しますか西欧近代、欧米による近代文明とは所詮は其のやうにしか進めぬ文明のあり方だったのやもしれぬ。

 

で、確かにかってニーチェはそんなキリスト教をこっぴどく批判し神を自ら殺した我我は「超人」となる他は無いことを説いた。

ですがそんな大口を叩いたのでニーチェ自身の気が狂い其れにて其の哲學も幕を閉じたのでした。

 

但しニーチェは間違って居たが實は其れを正しく述べても居ました。

オウム教は間違って居たが實は正しく述べて居た部分もまたあったことだらう。

 

尚体制は正しいが實は間違って居ります。

かうして何が正しいのやら實は分からぬのが此の世での眞の姿ー社會の構造ーなのだ。

 

 

さて其の弥勒菩薩と云うのは酷な言い方をしますと所詮は大乗思想による捏造のやうなものです。

また阿弥陀佛にせよ大日如来また毘盧遮那佛他の佛にせよ實は其れはお釈迦様とは関係の無い「創作」された佛様達です。

 

なので、其れこそ「理性的」に佛法を調べて行けば行く程に何やらさうした訳の分からぬ捏造だの謗法的創作に突き当たり次第次第に佛法其れ自体が分らなくもなって参ります。

ですので實は其処の部分をまさに自分でもって御勉強し直し頭の中で整理整頓して行かぬと余計にゴチャゴチャになって来るのです。

 

以前に申しましたが佛法は釈迦の滅後に弟子達凡人による解釈を多分に受け多様化すると同時に俗化、不純化されてもまた行った訳だ。

 

なので「理性的」な眞理探究者に限り其れを適当に受け流しされども其れもまた先人の知恵の集積ですから其れを軽んじる訳では無く気付きを得れば其処で其れを學び、また御日様が出て居れば嗚呼大日如来様が出て来られたとさう歓び、且つ👩に触るなとあれほど佛陀が申されたにも関わらず一休さんはさうして👩にも触った。

 

其のやうに「禅」とは一切の分別的価値を離れまさに精神のカルト境へと昇り詰めることなのでもまたある。

 

 

さうして👩に触ったぞ、でも触って無いよ。

何故なら其れは心の根本にて触って居ないからなのだ。

 

でもそんな方便はまさかお釈迦様の前ではまるで通用致しません。

 

 

何?

佛がそんなに居る、壱體何処の世界の御話だらう?ーとたった今お釈迦様がさう説かれましたー

 

何?

壱休と云う僧がかって👩に触った?

壱體何処の世界の御話だらう?ーとたった今お釈迦様が説かれましたー

 

何?

末法が来て世界が断滅するに至るのだと?

 

 

いいですか、私の思想はね、所謂「不常不断」の中道をこそ其の旨として居ます。

なので世界は常住するのでは無く且つ断滅に至るのでもまた無い。

 

謂わば無い無いばあのことだ。

さうした弐重否定での「無い無い」のことだ。

 

 

 

でも「無い無い」なんてイヤだ。

逆に「有る有る」にして欲しいものだ。-君等が今お釈迦様に対しさう言った-

 

でもお釈迦様は其れに対し何も答えられはせなんだ。

 

ですのでわたくしが代わりに答えさせて頂きます。

「有る有る」だと其れはイエス様の方の世界観とどうしてもなる。

 

だから君等は其の「最後の審判」とやらへ向かいなだれ込んで行くことだらう。

 

だがおそらくお釈迦様は其れを望んでは居られぬことであらう。

何故なら何やら非常に気分が重さうな感じでも居られたので…。

 

 

法滅尽経の話 (daianzi.com)

こちらはまた非常に話が面白いところです。

 

特に教団に於ける便所の話を面白く読ませて頂いた。

 

尚私が法華経を學んで居た三十代前半の頃は此の末法での世界観と云うものをむしろ頑なに信じても居りました。

また其れを釈迦自身が説かれたものとさう判断して居ました。

 

ですが今は此の「末法思想」其れ自体が捏造であり創作である可能性の方が高いものとさう判断するに至った。

ではありますがどちらかと申せば悲観主義のお釈迦様のことですので實際に其のやうに説かれて居た可能性もまた捨て去ることは出来ぬ。

 

 

宗教とは皆古い時代の話でもあり此のやうに理性的には割り切れぬ部分がまた多く要するに其れは非合理的で且つ追求不可能な面が多分に含まれて居る。

其れでも猶我我人間の精神を規定する大元のところでの価値観こそがまさに其の宗教だと私は考えて来て居る。

 

其の宗教こそは「破壊」へと至らぬ為の精神の調教でこそあるべきです。

我我はさうして常に欲に突き動かされる哀れなる存在です。

 

また其れは社會的な肩書ー権威や権勢ーや名声や財産の有無などとはまるで関係の無い話なのでもある。

 

ズバリ我我は所詮皆其の「ウンコ垂れ」の壱人なのだ。

だからウンコ垂れ共はウンコ垂れ共らしく神や佛に対し日々頭を垂れて置くことでせう。

 

 

釈迦の予言?法滅尽経(ほうめつじんきょう) | 真実の入口 (ameblo.jp)

尚こちらはシャーマンの方ー所謂巫女さんか?ーが書かれた法滅尽に関する部分ですが流石に現在の佛教界に対し厳しい意見を述べられて居ます。

 

此のやうに末法思想に対する解釈は必然として佛教其れ自体の行いを反省する部分が多分に含まれて居ます。

また其れは重要なことなのだと思われる。

 

例えば学校を始めとする教育の分野での世界が閉鎖化、特権意識化すれば其れが次第に崩れかかっても来る。

尤も宗教は何せ聖域でのことですので基本的に批判はなかなか出来ぬ分野ともなる。

 

ですがまさに其の批判がありませんと組織と云うものは劣化しやがて腐り切るものです。

だから特に大乗思想は今批判にさらされるべきものなのだとも思う。

 

批判にさらされしかも無一文となり「本来無一物」の理を是非大乗の僧は其の體と心に刻み込むべきだ。

 

 

さうしてデカい口を叩いて居ますが自称の文人さん自身は大丈夫なのですか?

いや大丈夫では無くいつコロナに罹るものかまるで知れたものでは無いのです。

 

ですがかうしてたった今も闘い生き抜いて居ります。

 

ー正道が益々薄くなり、無くなるようにしたのは、こういう人です。
政府の審査・逮捕から逃げるため、修道の隊伍に混ざる人もいます。
沙門にならんと求めたんだけど、戒律をちゃんと守れなくて、半月ごとに表で布薩説戒(ふさつせっかい)をやっていますが、心が疲れて全く聴聞する気がありません。
もしくは、前と後を略して、戒律の条項集を全部読もうとしません。
お経を読誦、勉強したくない、もしくは、読誦しても、文字と章句の意味を知らなくて、自分の解釈こそが正しいとし、分かった人に教えを請わない、自分が高ぶって名誉が欲しがっています。
気品ある振りをして、光栄に思い、全ての人から供養してもらうよう言い立てます。
これらの魔比丘(在家の魔衆も)は死んだあと、間違いなく無択地獄に堕落します。
五逆罪を犯した悪行の者は、ガンジス川の砂ほど数え切れない劫(kalpa=世界の成立から破滅に至るきわめて長い時間)に、ずっと餓鬼・畜生の身をして苦しみを耐えています。
三悪道(地獄・餓鬼・畜生)の苦しみを舐め尽くした後、人としてへんぴな所や自然・社会環境が厳しい所に生まれ、仏法僧の三宝に恵まれません。
仏法は滅びる時、女性たちは修行に励み、年月をかけて功徳を積みますが、男性たちは修行を怠り、我意を張り法話に従おうとしません。
修行者を見て、臭い糞尿のように扱い、信奉や愛敬の心は全くありません。
仏法が完全に消えてしまうとき、天界にいる善人はみんな涙を流して泣きます。
降雨や旱天は整いません。
五穀米は正常に実らなく、良い収穫が取れません。
色々な疫病はどこもかしこも流行って、被災者も死者も数多く出てしまいます。
庶民は疲労困憊でへとへとになったが、官府は苛酷で、天道に従わずに、享楽や迷乱ばかりを考えています。
海の中の砂のように悪人は積んで多くなります。ー釈迦の予言?法滅尽経(ほうめつじんきょう) | 真実の入口 (ameblo.jp)より

 

 

うーむ、何やら其の通りになりつつあると感じて居るのは私壱人だけなのでせうか?

其れと怖い部分が次第に🚹がダメになって行くと云う部分です。

 

きっと實際にダメになりつつあることでせう。

なのでほんたうはむしろ👨を持ち上げてあげるべきなのだとさう思いますね。

 

其れは軍國主義だとか古い価値観であるとかさうしたことでは無しにまさに「男を立てる」と云うことなのではなかろうか。

 

いやまさに其れが軍國主義のことでせう?

さうかなあ、私は悪魔とはむしろ👩だとさう信じて居りますのですが…。

 

 

いずれにせよかうして庶民はヘトヘトになって居ますが確かに官府は過酷であり其れも天道には従わずに経済的繁栄と権力維持だけを求めて居ます。

さらに疫病が蔓延し降雨が整わずさうして死人が沢山出て来ても居る。

 

また悪人の数も増えて来ておる。

其れもまるで「海の中の砂」のやうに増えて来て仕舞った。

 

いや星の数程も其れが居るぞ。

まさに其のやうに👿の数こそが増えておる。

 

 

ああー、あああー、まさに世も末だ。

世界は今まさにかうして終わらうとして居るのだ!

 

ですが此処でほんたうの意味での佛道修行上の価値観を是非述べて置きたい。

 

何ですか、其のほんたうの意味での佛道修行上の価値観とは?

結局其れは自らの行い及び観念のあり方をこそ反省することです。

 

だからサア皆罪を認め潔く刑に服しませう。

また自分から是非出頭せねばなりません。

 

何処へ出頭するのだ?

御寺かそれとも教會へと出頭し其処でもって是非懺悔、悔悟をして来るべきだらう。

 

 

どうも御免なさい、私は其のやうにかって様々な悪の仕業を行った。

 

いや今日なども🐜の行列を見たのですがなるべく其れを避けて歩いたつもりではあったがもしや弐、参匹は踏み殺して居るのやもしれぬ。

おまえ其れは大罪だぞよ。

 

御免なさい、御免なさい、御免なさい。

私はかうして悪い人間です。

どうかどうか此の罪に対する罰をお与え下され、神様!

 

だから其れはキリスト教の場合であって佛教とは違うのだ。

じゃあ佛教の場合はどうなるのだ?

 

佛教の場合はな、只知らず知らずのうちにさうして∞地獄へと堕ちて行くだけのことだ。

ふと気付くとさうして私は悪魔の巣窟の中でもって暮らして居たのである。