目覚めよ!

文明批判と美と心の探求と

さうして日光浴をしつつ「自給自足型の人間」となりたい私

 

例の宮廷女官 チャングムの誓いではありませんが食べることは人間にとって最も大事なことです。

 

他面で食べることに拘ることは所謂俗物性を増すことになるので其の面では余り拘るやうなことでは無いのかもしれない。

然し食べること其れ自体は生の維持に即繋がることですので健康でさえあるならばまず其れがイヤだなどと言う人は居りません。

 

イヤどころか其れは楽しいことなのであり其れはたとえどんなに辛い時であっても数少ない楽しみの一つとして人間には認識されやう。

食べることは一種下品なことで其の本質は暴力的なものでもまたある訳なのだが食べなければ生きては行けぬ獣としての人間の性質上其れを否定する訳にも御座りません。

 

だが中には印度の聖者のやうな人で全く食事をせずに何年も生きて居る人が居るとされて居たりもする。

 

 

何せ私はかうして日々詩的感性に生きる割には他方で物凄く獣臭く下品ですので食い物のことに拘ったりまた物や愛などに就き妙に拘ったりも致します。

其の観念性に於ける高尚さと唯物性に於ける下品さを同時にやると云うのがむしろ私の目指すところなのでもある。

 

 

ー植物の多くは独立栄養生物ですが、それらは太陽や空気といった無機物から栄養を生産し、光合成というプロセスを経てエネルギーを得ることが出来ます。そしてもう一方、人間を含む動物の大半は従属栄養生物に属していますが、これは他の生物から栄養を摂取して生きているわけです。従って、現在不食を実行している人々は、人間というよりは植物に近い存在であるといえるわけです。ー何も食べず、何も飲まない人々 - 人は不食で生きられるかより

 

其の科学技術もどうせ進めるのであれば人間を植物人間化すると云うのは果たしてどうなのだらう?

其の葉緑体をこそ人間には組み込めぬものなのだらうか?

 

即ち葉緑人間の誕生だ。

 

たとえばムカデ人間やクモ人間などを造るよりは葉緑人間として光エネルギーと水だけで生きられるやうに是非して頂きたいものだ。

葉緑人間とは然し其れではすぐに獣共に食われて仕舞いそうですね。

 

別に喰われても構いませんでせう。

だって75億も居るのだから半分喰われたにせよ別にどうってことは無い筈です。

 

究極的に上品な生命とはまさに其の葉緑人間のことでせう。

人間が弁証法過程としてかうして進歩しやがては神の域へと近づくと云うのであればまずは葉緑人間へと進化しズバリウンコをたれぬやうにすることこそが一番肝心なことではありませんでせうか。

 

光合成とは然し全くのところ完璧なる生の維持としてのシステムです。

まさに此れ以上の生体維持システムは無く、従って或は植物の方が動物などよりも余程に高等な生物なのやもしれません。

 

 

そんな葉緑人間になりたい?

そんな葉緑人間に是非なりたい。

 

だが人間である以上グォー、ギャオーであることからは決して免れ得ず従って誰もが獣であることからは免れ得ぬ。

此処からもキリスト教の考え方はまさに正しい訳だ。

 

其の人間が獣であることからは神の御力により救って頂く他は無い。

解脱せぬ限りはあくまでさうなると云うことなのだらう。

 

或は解脱せぬ限りは大乗仏教だの新興宗教だのに救って頂く他は無い。

尤も大乗仏教の宗祖様だの新興宗教の教祖様だのについていって其れで救われると云う保証もまた何処にも無いのではあるが。

 

 

ーあたかも人間の存在を根本から覆す彼らの身体には、一体いかなるシステムが機能しているのだろうか。一説には、こうした不食の実践が人間を根本から、新たな自給自足型の人間に作り変えるのではないかという推測も行われているが、その原因は未だ定かではない。

近年の栄養学によれば、人体に必須とされるB12ビタミンは動物性食物の中にのみ存在していることが確認されている。従って、菜食主義は人間にとって本来は不適切な状態であると言えるはずなのである。しかしまた最近行われた報告によれば、そうした事実にも関わらず、菜食主義を実践している人々の身体から十分なB12ビタミンが存在していることが発見されている。この結果は研究者らを悩ませたが、更なる研究の結果、それらのビタミンは腸内のマイクロフローラ(常在細菌群)の活動によって合成されていることが明らかになりつつあるという。また更に別の研究では、人間の腸は、アミノ酸を合成する微生物を作り出すことが可能であるという新たな事実も報告されている。ー何も食べず、何も飲まない人々 - 人は不食で生きられるかより

 

其の「自給自足型の人間」なるものはしかしながら魅力的な存在である。

もしも人間が自給自足型となるのであれば文明に於けるあらゆる問題が解決するやうな気がしないでもない。

 

其れと自然のサイクルに合わせて夜は電気を点けぬやうにすれば物凄い量の電気の節約となり原発や火力発電所を減らすことなどが出来さうだ。

では人間界の夜の生活の方はどうするのだ?

 

夜はローソクの明かりだの松明だのでもって過ごせば良いではないか。

其の自然のサイクルに合わせて生活を行うと云う事は一般的な現代人が思って居る以上におそらくは大事なことだらう。

 

尚先日TVを視て居たらタレントの伊東 四朗さんの生活が紹介されて居り其の伊東 四朗さんー近く八十四歳となられるーの最大の趣味が日光浴であることを知り其処でなるほどと妙に納得させられたものだった。

伊東 四朗さんはいまだしっかりとして居られ其ればかりか昔から頭の良い方だと云った感じさえもが致します。

 

 

日光浴の知られざる効果!日光浴で病気を予防しよう

 

1.日光浴にて体内で生成されるヴィタミンDは免疫力を高め病気を予防する。

2.日光浴にて体内で生成されるヴィタミンDは鬱や神経症などの精神的な病にも良く効く。ーセロトニンによるストレスの軽減ー

3.日光浴は血流を良くし体温を上昇させまた筋肉量も増やす。ー虚弱系の體の方には特に御勧めー

4.日光浴は脳の働きを良くする。-頭を良く使う方にも特に御勧め-

 

尚此の4項目はあくまで私の實感として纏めてみたものです。

ちなみに私は、

 

1.体温が低め

2.血圧も低め

3.ストレスを受け易い

4.頭だけは兎に角良く使う

 

やうな人間なのです。

そんな人間に最も向いた趣味が日光浴だったのです。

 

さらに、

 

5.肌は白め

6.でも菓子を食うので思い切り腹は出てる

7、何かと繊細で菌やウイルスの類には弱い、つまりは免疫力が弱め

 

とのことですが、夏場は大抵真っ黒の顔をして居ります。

何故なら全身をベランダでの日光浴にて焼いて居るのです。

 

其の紫外線による悪影響があるかと言えばむしろ其の白い顔でもって家の中でエアコンを効かせSFのDVDばかり視て居る方がずっと體には悪いのです。

其処をあえて宗教的に申せばさうして大日如来様へと體を投げ出し光其のものと一体となりますことで其処から宇宙エネルギーを頂き病気にはならぬ強い體を得ることが可能となる訳だ。

 

尚私は冬場でも光の良い日は努めて日光浴をするやうに心掛けて居ます。

 

また日光浴はコロナウィルスにもおそらくは効きませう。

其れはおそらく日光浴により免疫力がつくのだと思われる。

 

 

事實、

 

私は現在スーパーへは頻繁に行きますので其処から帰るとすぐに体調が悪くなります。

其の折に日光浴を行うとすぐに其の体調が悪いのが回復するのです。

 

 

さうだ、其の日光浴こそが葉緑人間にとっては最高の贈り物なのだ。

 

葉緑人間?

 

別に葉緑人間では無くとも日光浴こそが人間にとっては最高の癒しの場なのだらう。

 

 

4.日光浴は脳の働きを良くする。-頭を良く使う方には特に御勧め-

 

また此の点も見逃せぬ点です。

 

つまり日光を浴びると利口となるのです。

逆に日光を避けてばかり居ると馬鹿ともなりませう。

 

 

日光浴#日光浴の必要性 日光浴の危険性

 

 

其の危険性に就いてですが、確かに近年は其れが屡指摘されたりして来て居ます。

 

  1. 夏場のような強い日差しの中で急激に日光浴を行い肌を焼くと、強い日差し、主に紫外線が原因で肌が赤くなったり火ぶくれのようになることがある、これは火傷である。
  2. 紫外線はシミや悪性の皮膚がんの誘発を起こす可能性がある。紫外線は破壊力が強く人体の細胞を破壊したり変質させたりするためである。これらを避けるためには上記のような方法で急激な日焼けを避けること、日差しの強い日は日光浴を避けることなどが挙げられる。
  3. 直射日光を目に受けると、視力が低下する場合もある。特に目の色素が少ない青い目の白人などは、日本の5月頃の日差しでも目を傷める場合もあるため、サングラスなどで目を保護する必要がある。日本人でも夏場の直射日光では注意が必要とされる。少なくとも太陽を凝視すべきではない。日光浴#日光浴の必要性 日光浴の危険性より

だが瞳が黒く髪が黒く肌も白くは無い日本人はそも白人程紫外線には弱くは無いのだと思う。

 

實際に年中野良仕事ばかりをして居た農家の方々、山奥に住む方々などは逆に良く陽にあたり至って元気であり長生きするものです。

また山奥は兎に角空気が良いので都会でのやうに様々な環境汚染物質には悩まされることが無く常に思い切り深呼吸することが可能である。

 

都会は金だけはあるが兎に角環境が悪く何でもが分刻みで動きせわしないこと此の上無い。

其の金があるのも今やコロナに金を毟り取られつつあるのでかの大TOYOTAにせよイチローにせよ何時まで大金を握って居られることやらまるで分かりはしない。

 

まあ確かに金がある者はイザ文明と云う枠の中では頗る強いのではありますが、其れも2050年以降は果たしてどうなるものやらまるで分からぬやうなものである。

 

第一かのNISSANにせよ航空産業にせよ此処数年でもはやボロボロの態では御座りませんか。

さらに鉄道の方もまたボロボロの態なのでは御座りませんか。

 

さても一体誰がそんなことを予測などして居られたことだらう。

 

此の文明の経済システムだのまた政治システムだのはあくまで功利的に短期的な利益追求の為に構築される価値ヒエラルキーとしての産物です。

ですがまさに其の部分が本質的価値認識とは著しく乖離して仕舞って居る訳だ。

 

なので其れがイザ崩壊する時はまさにアッと云う間に行われて仕舞う。

よって抽象度が高く設定されし現代の文明を形作るシステムはかねてより大きなリスクに晒されて居た訳だ。

 

 

1.肌は白い方が上品に見える

2.そも自然が好きでは無いので肌など焼きたくは無い

3.日光に晒された肌にはシミやソバカスが余計に増える

4.日光ー大日如来ーなど嫌いだ、あたしたちはあくまで文明人だ

 

でも其の価値観はオカシイと思いますね。

 

何故なら、

 

1.肌は白でも黒でも根性が悪ければ皆腹黒い筈だ。

2.自然が嫌いな奴は大抵の場合虫が嫌いです。また🐍や蜘蛛、百足なども嫌われる傾向があるやうだが個人的には其れ等もやっと皆可愛く見えるやうになって来たところだ。

3.何故シミやソバカスを嫌がるのかまずはそこんとこがまるで理解出来ぬ、なんとなればシミやソバカスこそが汝に対しまさに神が与えて下さった姿其のものではないか。

4.さうして文明病であることの眞の意味での怖さを汝等は考えてみたことがあるのか?文明はね、まさにかうして病気だよ。其の病気の中で今が楽しい、嬉しい、などと思って居るといつかはとんでもないことになるのだぞよ。

 

 

5.外で遊ぶよりは家の中でゲームをして居た方が文明人としては正しい

6.外で遊ぶと危険が一杯だ、そんな川や池や山で遊ぶなどもってのほかだ

7.危ない刃物などは持ってもイケません

8.外で遊び日光に晒されると馬鹿になります

 

 

5.さうしてゲームをやると必ずや精神を破壊されるぞ。

6、外で遊び川や池に落ちて死ぬるよりも其の家の中で精神的に殺されることの方がずっと怖い。

7.刃物を扱えぬ人間はほんたうの人間では無く其の正体こそが誰あらう洗脳人間だ。

8.日光には晒されたく無いと云う君等の考え方こそがまさに宇宙一の馬鹿思想のことだ。

 

 

其のやうに見栄え即ち人の眼、人の評価ばかりを気にする不健康な精神により現代社會の価値は形作られておる。

さうして全ての価値観がむしろ逆転して居る。

 

其れも御日様に肌を焼かれ外で遊び回ることこそが健全なる子供の発育だと云うのに文明の価値観はむしろ其れとは反対のことばかりをするのである。

 

其のやうな心で居るからこそコロナ禍もまた起きたのだらう。

尚紫外線の害は紫外線をほとんど浴びぬことの害よりもずっと少ないであらう筈です。

 

 

人体の骨や歯の形成に必要なビタミンDについて、太陽光を浴びることで紫外線コレステロールを変化させ、およそ必要な分のビタミンDの半分の量をまかなっている(残り半分は食べ物から得られている)。ビタミンDが不足すると骨や歯が弱くなったり疲れやすくなったりする。ヒトにおいては、午前10時から午後3時の日光で、少なくとも週に2回、5分から30分の間、日焼け止めクリームなしで、顔、手足、背中への日光浴で、十分な量のビタミンDが体内で生合成される[2][3]

 

  1. 人体の骨や歯の形成に必要なビタミンDについて、太陽光を浴びることで紫外線コレステロールを変化させ、およそ必要な分のビタミンDの半分の量をまかなっている(残り半分は食べ物から得られている)。ビタミンDが不足すると骨や歯が弱くなったり疲れやすくなったりする。ヒトにおいては、午前10時から午後3時の日光で、少なくとも週に2回、5分から30分の間、日焼け止めクリームなしで、顔、手足、背中への日光浴で、十分な量のビタミンDが体内で生合成される[2][3]
  2. をかくことで、新陳代謝体温調節といった機能を活発にさせる。
  3. 日の光がの活動を引き起こし、体内時計の調節を行う、調節がうまくいかないと生活のリズムが乱れて慢性的な体調不良を引き起こす。自律神経失調症などでも、適度な日光浴が勧められており、不眠症治療では戸外活動で定期的に日光浴を勧められる場合もある。ー日光浴#日光浴の必要性 日光浴の危険性より

 

 

確かに現代人は疲れ易くなって居る。

其れは何故か?

實は日光に当たる機会がほとんど無いからだ。

 

 

現代人は汗をかくことなども嫌う。

汗をかくことは非文明的で野蛮なことだとさう信じ込んで居る。

だがほんたうは其の君等の頭の中身こそが非文明的で且つ野蛮なのだ。

 

現代人は兎に角日の光を嫌う。

会社へ行けばビルの中にさうして閉じ籠り家の中ではエアコンだけ効かせゲームばかりをやって居る。

 

おまけに今の住宅は極端に窓が小さく造られて居る。

此れは文明の力で環境を思う通りにコントロールしやうとする誤った思想によるものだ。

 

即ち自然の力が及ばぬやうな家として仕舞って居る訳だ。

おまけに今の小学生達にはすでにまるで自然の力など及びやうが無いのである。

 

ズバリ申して人類の滅亡はまず此の反自然としての思想からこそ始まって居るのだ。

 

其の愚かな母親共はむしろ野良仕事に勤しみ眞黒なスッピンの顔でもって生きられるやう努力すべきだらう。

子供は皆野っ原へと放り出し陽の光にジリジリと焼かせ時には肥溜めなどにも是非落ちてみよ!

 

左様に文明程體に悪いものもまた無い。

 

 

現代人は日の光を浴びずさうしてテレワークなるものばかりをしておまけに高カロリー食ばかりを繰り返し頗る不健康だ。

にも関わらず寿命だけが延びてるのは普通なら死んでる年寄りを病院のベッドの上に縛り付け無理矢理生かして居るからに他ならぬ。

 

現代人の自然離れはすでに病気の域を越え👿の認識へと限りなく近づいて居る。

 

人間がもし宇宙へと飛び出したならばまずは其の価値認識こそが誤りであったことにしかと気付かされる筈だ。

宇宙は生命にとり過酷な場であり其れは物理的合理性により営まれる無機的環境以外の何ものでも無い。

 

生命にとっての謳歌の場は、また認識にとっての讃歌の場はつまり文化として心を育む場はまさしく此の地球上以外には無い。

 

 

其処で何かを食し生きると云うこと。

まさに其のことに感謝せずして一体何に感謝すると云うのだ?

 

食べ物は利益の為に人間がつくるものでは無く神か又は佛がさうして授けて下さるものである。

 

地球の環境もまた宇宙のあり方も人間だけの為にまた文明の為だけに其処に有るのでは無い。

元より其れは人間のものでは無い。

 

人間の欲望の為のオモチャなどではあっては断じてならぬものなのだ!

 

 

其の宇宙の💎である筈の宇宙船地球号を我我は今かうして蹂躙しつつある。

 

其れは我我個が好き好んでさうして居る訳では無い。

其れは文明の価値観が我我に強い其のやうに従わせて居ることなのだ。

 

 

されど我我現代人は其の価値観を全否定することが出来ぬ。

其れは多かれ少なかれ文明をやって居なければ生きられぬやうに価値が構築されて居るが故にだ。

 

だが人間は意識的に其の価値を再構築することだけは出来る。

 

文明を司る観念はさうして袋小路に入り逆に自らを追い詰めて行く。

其処から自由であることを選択し得るのは逆に個としての立場だけなのだ。

 

其の個が見栄えだの、また地位だの肩書だの金儲けだのそんなことばかりを考えて居て果たしてどうするのだ?

 

そんな社會的な妄念など此の際捨てちまえ!

社會的に齎される価値を意図的に遮断し、

 

地球への愛に即目覚めよ!

生命への愛、神の愛にこそ今こそ目覚めるのだ!

 

 

いや、少し違って居た。

第一我は佛教徒であった。

 

でも解脱もまた究極としての愛であり慈悲の心である。

さうして解脱はじぶんを消すのである。

 

じぶんを消すのが愛なのであれば、其れはキリスト教でもまさに同じことではないか。

謂わば方法が違うだけでまさに其のじぶんを消すことこそが愛の本質なのであらう。

 

 

地球を愛する。

 

さうかさうであったか!

地球を愛する、さうして本質的に生命を慈しむ為にはさうしてじぶんを消さねばならなかったのだ。

 

だからヤッパリ自分を威張る教祖様などであってはイケなかったのだ。

さうです、我は教祖様などでは無く只の壱貧乏詩人です。

 

嗚呼我ながらなんて清い認識なのだらう。

 

 

地球上で見られる全てのものはかうして眩いばかりに美しい。

 

穢れたものも、また深い苦悩も、文明に於ける大矛盾もほんたうのほんたうは全てが其の輝くばかりに美しい場での出来事なのだ。

 

其の場の美しさを決して損なってはならない。

 

人類はまた文明はして良いこととしてはならぬこととの区別を付けまずは其処から物事を考えて行かねばなるまい。

 

 

ーだが残念なことに創業者の杉浦広一会長(70歳)や相談役の昭子夫人(67歳)には、「社是の精神と利他の心である『まごころ』」は無かったようだ。愛知県西尾市によると、スギHDの秘書らに再三わたってコロナワクチンの優先接種を依頼され、仕方なく優先接種を認めたということが発覚したのだ。ところが内部告発があり、ある新聞社から取材を受けたため、慌てて接種を中止したというのだ。その日は、ちょうど接種日で杉浦夫妻は車で接種会場に向っていたという。  スギHDによると、肺がん手術を受けた昭子相談役を秘書が気遣い、使命感から執拗に要請した。杉浦会長は過去にアナフィラキシーショックを経験していることから、接種は希望していなかったという。こんな見え透いた弁明をしているようでは、市民や顧客の信頼を得ることはできないだろう。  西尾市によると、スギHD側から横紙破りは相当なもので、「高齢者の施設入所者枠で接種できないか」「会長夫妻は薬剤師なので、医療従事者の優先接種ができないか」など相当執拗なものだったという。スギHDは取材に「便宜を図ってもらうよう依頼した認識はなかった」としているが、中村健市長は、「通常の働きかけより強い圧力というかプレッシャーと認識していた」と語っている。ーこれはダメでしょう、コロナ下で次々に暴かれるさもしい本性より

 

尚蛇足とはなりますが此処愛知県で此の度発生した「スギ薬局」によるワクチンの優先接種の問題に就き論じます。

 

まず述べて置きたいのは私は其の「スギ薬局」と此処弐年ばかり喧嘩をして居たと云う事實です。

 

其れも仕事絡みででは無く壱ユーザーとして対立して居たのであります。

 

事の発端は「スギ薬局」にとっての優待ユーザーを拾年程も続けて居た私でしたのですが突如として其の優待制度が無くなって仕舞ったことに由来して居ります。

私が何故怒ったかと申しますと、薬屋とはあくまでサーヴィス業なのでお客様、其れも大得意様には誠意を持って接しイヤな気分を抱かせぬやうにすることこそが其のサーヴィス業としての基本であらう筈です。

 

ですが、通知等も一切無く其の優待制度が弐年前に無くなって仕舞った。

 

優待ユーザーは特別に百ポイント単位でのボーナス特典が貰える為ポイントのたまり方が早く其れでもって色んな商品へと其れを交換することが可能です。

だから私はドラッグストアとしては少し価格設定が高い「スギ薬局」をあえて選びもう長く其処でのヘヴィーユーザーを続けて来て居たのです。

 

なので掛け時計だのトースターだのアウトドア用品だのを其のポイントにて得ることが出来正直とても喜んで居たのでした。

だからまずは其れを急に止めたこと自体がしかも通知無しに其れの廃止を押し通した部分にこそ物凄く反発を感じなので其れ以降は店員さん達とも屡モメていたりも正直致しましたものです。

 

其の後「スギヤマ」が家の近くに出来たのでそちらへと鞍替えしてみました。

ところが食料品の品揃えが今ひとつで私の場合は余りスーパーへは出向かずドラッグストアで食料品も買い込むが故に其処にて困り果てて仕舞った。

 

其れで結局また「スギ薬局」へも戻り今は双方から良いトコ採りをしつつ利用させて頂いて居る状態です。

 

尚私は人間が出来て居ない故か兎に角癇癪持ちで気難しいと云う嗚呼まるでかの信長のやうなタイプの人間なのでおおまるでクレーマーの如くに売る側への注文などが何かと多い訳です。

最近も割引券の期日が細切れにしてあり其れでは如何にもユーザー側が不便である旨にて「スギ薬局」及び「スギヤマ」の店舗責任者に対し文句を垂れたりもして居りましたのです。

 

ですが一番頭に来るのは若い女性の対応が案外悪いことです。

だから其れは目上の🚹を敬わぬと云う悪い教育の結果なのだとさう思われる。

なのではあるが年配の女店員さんなどとは屡話し込んだりもして其処は程良い関係を築いて来ても居る。

 

で、要するに此の問題の根底には「威張る」と云う問題が横たわって居ることだらう。

 

 

其れもさうして金を儲けて偉い「スギ薬局」の会長と其の夫人ならば兎に角偉い訳だ。

だからワクチン位はいち早く打って置かねばならぬのです。

 

だが薬屋ふぜいの一体何処が偉いのか?

 

偉いのはむしろおまえのところで此れ迄に何百万も金を使って来た優待ユーザー様ではないか。

いや最近はいつも利用させて頂いて居る手前此れ以上のことはあえて申しません。

 

申しませんのですが、店側がむしろさうした王様気分で居るからこそかうして全國に恥を晒すこととなったのではないか。

また従業員の方々も「お客様にかうして買って頂いて居る」との認識が是非必要であらう筈だ。

 

即ち會社組織のトップがそんなでは幾ら儲けてまた自治体に色々と寄付などして居たにせよ其れがまるで評価されぬことともなりかねぬ。

 

だからまずは其の「じぶんが偉い」との意識を滅し是非お客様重視の視点を持つことこそが肝要なのです。

また其れは自民党だの官僚組織だのまた知事だの何だのつまりは立法が行政がまた司法が且つ日銀が是が非とも達成して行かねばならぬ認識上の要件なのです。

 

「じぶんが偉い」との其の威張りなど金輪際もうお止め!

むしろじぶんが一番役に立たぬ者でありお客様こそが國民の皆様です、との新たな認識にて事に當たり宇宙の中の地球、地球の中の日本、さらに其の日本の中の小さな自分と云うむしろ當たり前の価値にこそ気付いて行かねばなりません。

 

左様に大臣だらうが会長だらうが人間は其の本質としてちっとも偉くなど無いのです。

其の「させて頂いて居る」、「生かして頂いて居る」との認識こそが今何よりも必要なものなのではないでせうか。