目覚めよ!

文明批判と美と心の探求と

五木 寛之先生御自身の価値観より學ぶー壱ー

ーこれからの時代、私たちはどう生きればよいか。小説家の五木寛之さんは「根無し草のように、孤独であれ」と語る。そして「孤独死は悪いことじゃない」と説く。

僕は今「そんなこと言ってるより、大人たちが"俺たちはどう生きるか"を考えるほうが大事では」と思うんです。「君たち」というより「我々はどう生きるか」です。

 

少し昔の大人たちは、ある程度の年齢になると「隠居」していました。

「俺はリタイアするけども、君たちはちゃんと生きてくれよ」と、若い人たちに励ましの言葉をかけていればよかった。定年退職後も、年金など社会保障が充実していました。

でも、時代は変わった。80歳でも90歳でも、生涯現役として生きなければいけない時代になってしまった。

国家や社会、大きな体制に依存して自分を守っていく道が閉ざされてきた。そうなると「自分はどう生きるか」を考えなくてはいけません。

 

デラシネ」とはフランス語で「漂流者、根無し草」という意味ですが、「体制の保護をあてにできない人間」とも言えます。

今のところ、一応は国家、社会保障といった仕組みが機能しています。私たちが今でも「老後の生き方」なんて考えられるのは、社会保障への信頼が残っているからです。ー「孤独死は恥ずかしくない」 作家・五木寛之が日本人に問う、21世紀の生き方より

 

 

其の根無し草であることこそが日本人にとっては一番理解出来ず且つ目指せぬことでせう。

たとへばわたくしがルンペンの話をすると嫌な顔をする人がほとんどです。

 

ですが何故わたくしはルンペンの話をするのでせうか?

其れは眞逆の価値観を見詰めんが為にだ。

 

日本人はさうして体制に寄り掛かり社会的な体裁にこそ従ひ生きて居ます。

尤も其の様こそがわたくしにとっては鬱陶しひ限りなのですが。

 

國家による社会保障、まさに此れが幕藩体制の頃もまた近代國家となった明治以降も日本の場合には確立されて居たのだと思はれる。

島國の単一民族でもって皆同じやうな顔をして居りますから其れがやり易かったことでせう。

 

尤も近代化がより高度に進み政治家や官僚の頭の中身が甘くなってからは利己的行為が蔓延し仕事もエエ加減になりませうから必ずしもさうだとは申せません。

 

さうして長きに亘り続きし盤石の体制が崩壊しかかって居ると見るのが作家的に穿った見方なのではありませんでせうか。

 

 

ー21世紀というのは、デラシネ的な体制の保護をあてにできない民衆の数が激増する。一方で、それを拒むナショナリズムがまた勃興し、やがて閉鎖的な国家主義のようなものが出てくると思います。

地球上の人口も、2055年には100億人になると言われている。この激増ぶりは、人間が歴史上体験したことがないぐらいの規模でしょう。

混乱の時代だからこそ、せめて自分の体は自分でちゃんと面倒を見ようという姿勢が大事です。

 

世界はどんどんナショナリズムの方向へ動いている。移民や難民が激増してる一方で、国民国家は移民や難民を拒否しています。ー「孤独死は恥ずかしくない」 作家・五木寛之が日本人に問う、21世紀の生き方より

 

 

其のナショナリズムの風潮もまた「限定」の動きなのだと思はれます。

トランプ政権こそがまさに其の動きを表して居ます。

 

わたくしが21世紀のナショナリズムを擁護して居たのは、近代主義に於ける諸の矛盾により國家ー社会ーが崩壊することを危惧して居たことによるものです。

 

第一考へてもみて下され。

 

75億ものホモ・サピエンスが居て其れに全部人権を全うさせるやうな体制を果たして築くことなどが出来ませうや?

 

そりゃ無理と云ふものです。

 

つまりは人間が多過ぎます。

 

ホモ・サピエンスは繁栄し過ぎて居るのです。

 

じゃあどこかで毒を撒かう。

 

それじゃテロでありオウム教だ。

 

さうでは無く今回コロナが来て居ります。

 

つまりは其れが具象的限定なのです。

 

謂はば神の意志であり佛の御導きです。

 

 

むしろ其れは「良き」ことです。

ホモ・サピエンスが自分でもって絶対に出来ぬことが神佛の御力により成し遂げられつつある。

 

但し安倍政権は國家と云ふ社会制度の上で是非合理化しなくちゃイカン部分をも我我に曝け出しました。

 

軍國主義がいつまでも続ひて良ひ筈は無く國がまた官僚機構が矛盾を抱へた侭にやりたひ放題やるやうでは日本の未来はお先が眞っ暗です。

だから其の國と個の関係がまるで近代化即ち民主化などされて居りません。

 

 

其の繁栄し過ぎた75億ものホモ・サピエンス共はどう生きて行くべきなのでせう?

まあたとへば其の半分に減らすべきでせう。

 

さうすれば地球にとりまた社会にとりより良ひ未来が築けることでせう。

ですが其れは出来ぬので結局自己矛盾し人類の進歩は続けられなくなる。

 

其れは何時頃からですか?

早ければ2050年辺りからさうなりませう。

 

2100年は人類にとり迎へられるかどうか其れは微妙なところです。

迎へられるにせよまるでマッドマックスとか北斗の拳のやうな極限の状況にて其の未来を迎へて行かざるを得ぬことだらう。

 

また無責任なことを言ひますね、妻子が居なひので未来のことなどどうでも良ひとさう思って居ますね?

 

事實さう思って居ます。

わたくしにとり文明のことなどもはやどうでも良ひのだ。

 

矢張りと云ふべきかおまへは日本人ではなひな、一体何人だ?

 

だから美を論ずる詩人でありひとつきりの宇宙生命です。

其れも大事な大事なひとつきりの宇宙生命なのだよ。

 

宇宙生命は隠居しなひのでは?

いへ隠居します。

 

其れもほんたうはもう精神的に隠居して居るのです。

ところが今の社会が其の隠居を許さぬのです。

 

實際今やたとへ古希でも引退出来ぬのです。

 

 

 

七十歳は今や其の古希では無くまだまだ若ひ方なのだ。

でも死ぬ奴は六十代でも幾らでも死にませう。

 

實質として死に晒されて行くのは六十代からでせう。

わたくしもまたかっての同僚の死に向き合はされて来ました。

 

 

國曰く、七十でも働け。

もしやおまへらは人殺しか?

 

もうワシは引退するぞ。

引退するぞ、引退するぞ、引退するぞ。

 

もう決しておまへらの言ひなりになどはならぬ。

第一おまへらが我が國を少子化としたのはズバリ派遣社員を増やしたからだぞ。

 

此の際其処を徹底して攻撃してやらうか、かの共産党さんとつるんでもってして。

 

 

それにつけてもアナタはお若ひ。

さうさな、其れもいつもこんなに怒って居るからな。

 

其の社会への怒りのエネルギーだけは若い人等には決して負けて居らぬパワーだ。

 

さうかボクはまた拾代、廿代に戻ったのだ。

さうだまだまだ靑春真っ盛りなのだった!

 

 

しっかし全く社会にとり厄介な奴だ、また其れ以上に気持ちの悪ひ奴だな。

 

兎に角其の引退、「隠居」を許さぬ社会であることが實情なのです。

其れは社会が極めて不安定でつまりはバランスが悪ひ状態にあると云ふことをまさに指し示して居る。

 

何故こんなに頑張り儲けて来たと云ふのにいまだにバランスが悪ひのだ?

 

抽象的な資本主義による搾取構造が逆に酷くなって居ることこそが疑はれやう。

つまり儲けの額では無く資本主義による搾取構造其れ自体が肥大化して来て居る。

 

まさに其処を資本主義の末期症状だと見る向きもまたあらう。

 

 

ー歴史の闇の中に飲み込まれた人々を振り返ることは、これからの不安定な時代を生きる上で大切です。

国や社会に依存して生きていけるかと考えたとき、依存できる間はするけども、自分で自分のケアをするという考えは持つべきです。ーー「孤独死は恥ずかしくない」 作家・五木寛之が日本人に問う、21世紀の生き方より

 

 

幕藩体制以降日本の民衆に対する社会保障は確りとして居りましたが其れ以前は國や自治体に其れを要求することなど不可能な程に社会は混乱して居りました。

但し其処に近代的な社会ー國家ーとしての縛りは無かった訳だ。

 

つまりは保障は無ひのだが縛りもまた緩かったのだと言へる。

但し経済的なことや飲み食ひすることに対しては過酷でもあった。

 

即ち飢饉は生じるは、金は無ひはで結局庶民は生き抜ひて行くのがやっとだったのだらう。

 

でも其れって今も同じじゃなひですか?

 

 

まるで同じです。

 

要するに労働と経済の関係が自己矛盾化ー搾取化ーして居り國がある限り實は何かがあればかうして其の負荷、負債は庶民が被ることとなる。

 

其れに今後は実際の飢餓が生じて来さうです。

 

温暖化による自然破壊の様が進めばまさにさうもなりませう。

 

まさに其れは恐ろしひことです。

 

 

なので人類は未来を甘く見て居たりしてはイカン。

其れもたった今より備へておきませう。

 

体制側からの保護などあてにはせず自分でもってじぶんを守りませう。

 

おまへは自分を守るだけで良ひのかもしれんが、妻子が居るオレなどはどうするのだ?

 

もう諦めな。

 

元々未来など無ひぜ、こんな文明にはよ。

 

2050年以降はもう地獄だぞ、地獄。

 

 

でもまだ十年位は遊べるだらう。

だから遊んで暮らすのだ。

 

おお分かった、おまへはズバリ螽斯ーキリギリスーだな?

やっとおまへの正体が分かったぞ。

 

おまへはさうして遊びを吹聴しまたゲージツに生き現實を捨て去らうとしておるのだな。

 

仕舞った、つひに正体を見破られちゃった。

 

対する世間の者共、其の七十五億ものホモ・サピエンスの群れとは🐜か、まさに🐜のことなのか?

 

さうです、まさに其の🐜のことです。

 

 

ー本作に込められた教訓は、それぞれの結末によって異なってくるでしょう。

特に日本で広まっている物語では、キリギリスが泣いて感謝をし翌年から勤勉に働くようになったことから、優しさが相手を変えることができるということも伝わってきます。

夏に遊んで暮らしていたキリギリスは、結局冬に困ることになり、過去のおこないを後悔することになりました。目の前の楽しさに溺れ、先のことを考えないと、後で苦しむことがわかります。

 

「夏に遊んで暮らすと冬に苦しむ」ということだけを考えると、キリギリスは不幸な人生を送ることになったと考えられるかもしれません。しかしキリギリスにとっては、夏に遊んで暮らすことこそが人生にとって大切だった可能性もあるのです。冬に死んだとしても、夏を陽気に過ごせるほうが幸せなのかもしれません。

キリギリスがアリに対して「歌うべき歌はすべて歌った」と語る結末は、幸せの尺度は個人によって異なり、それぞれの生き方があることを示しているともいえるでしょう。

童話「アリとキリギリス」から読み取る解釈。3つの結末とともに考察!より

 

 

さて、其れでは勤勉に働きたとへば軍國主義に忠實に従ひ社会の為に死んで行くことが至上の価値なのでせうか?

わたくしはさうは思ひません、むしろ全体として生じさせる大きな矛盾を避ける生き方をして行きたひものだ。

 

そんな風に實は価値は流動的、まさに相対的にしか築けぬものなのです。

 

たとへば👪が居て現世利益的にならざるを得ぬとしたら藝術だの何だのやってるヒマなどもはや何処にもありません。

 

逆に常に藝術をやりたひわたくし螽斯は其の👪主義、現實主義に対し嫌悪感を抱ひたりもする訳です。

 

尚螽斯は貯蓄などすることが出来ずまさに其の日暮らしなのです。

 

ですがまさに其の日暮らしでの生の充実を目指して来て居るのだとも申せませう。

 

 

だがそのくせ螽斯の方が🐜達よりもずっと精神的には備へて居る可能性すらもがある。

皆様にもわたくしが精神的には備へて居ること位すでに分かった筈だ、此処をちゃんと読めば其れは分かる筈だ。

 

でも他方で確かに遊んでますね。

 

其れも石だのショパンだの文學だの哲學だの宗教だの皆さんが生きて居なひ領域に限りかうして出て来るわたくしは皆様とは違ひ明らかに精神が浮遊して来て居ります。

 

 

だから其れがまさに螽斯としての価値観なのです。

ーキリギリスがアリに対して「歌うべき歌はすべて歌った」と語る結末は、幸せの尺度は個人によって異なり、それぞれの生き方があることを示しているともいえるでしょう。ー

まさにさうしたことです。

 

🐜は未来を見詰め且つ其れを信じ現在を現實的に構築しやうとして行きますが、螽斯が求めることはそんなことではなく藝術を今まさにやっていることなのだ。

 

ましてや其の未来が閉ざされて居るものなのだとしたら一体全体どーする御積もりか?

 

さうして未来の絶望の様を直観した一匹の螽斯は結局資産をまた妻子を此の世に遺すことを諦め具象的に現在の充実を、藝術表現としての現在の完全燃焼を目指すことと相成った。

 

其の真摯な様を嗤ふ奴等こそがおおまさに🐜人間としての人間以下、動物以下、嗚呼イヤだまるで昆虫並みの理性的展開なのではなからうか。

 

 

どだひ「夏に遊んで暮らすと冬に苦しむ」とは限りませんぞ。

 

第一我が國はかうして戦後頑張ってタダひたすらに働ひて参りました。

 

なのにすでに今はかなりにボロボロです。

 

其れはどっかが間違っておった可能性が高く或は🐜をやり過ぎて其の🐜の行列が皆肥溜めに落ちて行く其の過程を今見ておるのやもしれませぬ。

 

 

要するに単一の価値観だけではダメだ。

両極としての価値観を常に見詰め一方へと陥ることを避けよ。

 

だったらおまへも此の際🐜をやれ。

まさに其の🐜もやって来ましたがな。

 

かうしてイヤイヤ社会にて働きもうほんたうにヘロヘロでもってやめれ、やめれ、もうやめれ。

 

と何処かの頭の良ひ大臣のやうなことばかりを述べつつも無理矢理やって来ておりますがな。

 

しかも此の才能を、何か賞でも取って居たかもしれぬ此の有り余る文才を反故にして酷ひ搾取のさ中でまさに死にさうになりながら還暦まで働きしかも今はタダのパート、パートの文化人、パート文人パート詩人、そんな辛ひ境遇にもめげずかうして歌を歌ひ続けて居る螽斯を其のけなげでしかも正直な一匹のキリギリスを何故貴方方は足蹴になさるのか?

 

ところで其の頭の良ひ大臣はやれますか?

 

其れは分かりません。

 

然し元々相当に癖のある奴なので自民党にとってはむしろ貴重な戦力でせう。

 

 

 

ーそんな中でも機能していたのは、ブラックマーケット(闇市)でした。人々は物々交換で、その日の糧を支えていた。

そういう現実を見ると、なにも混乱は戦後だけではない。「こういうことは、いつだってあり得る」と思いました。戦後に少年期を経た人間にとってはトラウマです。ー「孤独死は恥ずかしくない」 作家・五木寛之が日本人に問う、21世紀の生き方より


 

 

何かがひとつ間違へばー狂へばー社会的にはどんなことでも起こり得ます。

皆さんー精神的大衆ーは寄らば大樹の陰でもって組織や國家の側へとむしろ擦り寄ろうとします。

 

然し其の大きなものこそ實は危なひもの、まるで不安定なものとならざるを得なひ。

其れを安定化させた幕藩体制は限定的には優れた社会制度でしたが、近代化により其の安定を世界的に拡張した近代社会はまたより一層優れた社会制度でした。

 

なのですが、近代社会にはまた大きく盲点が存して居た。

結局其れは自然と文明とのバランスの喪失なのだらうとわたくしは思ふ。

 

尤も幕藩体制の場合には諸の社会的限定が存し自然と文明とのバランスはしかと保たれて居た。

対して近代社会はより普遍的で且つ優れた社会制度であるが故にむしろ自己矛盾し自然と文明とのバランスを次第次第に崩して行かざるを得なかった訳だ。

 

まさに過ぎたるは猶及ばざるが如し。

 

其処より察するに大き過ぎるもの、やり過ぎるもの、やれ過ぎるものは至極危なひ訳だ。

 

重要なことは戦後生まれでもって眞の意味での危機感を持てぬ我我現代人にはさうした価値の崩壊がまるで見へて来ぬ点にこそある。

 

要するに危機其のものが想定外のこととなって仕舞って居る。

但し九十年代以降は様々な危機にも直面することとなった。

バブル経済の崩壊やオウム教によるテロや阪神大震災、また今世紀に入り体験した様々な災害、コロナ禍などによりー

 

 

社会は其のやうに常に一種の危なひ橋を渡って行くものです。

なので社会を信用し過ぎてはならぬ。

 

されどわたくしの如き螽斯は社会をまるで信じて居らぬが故逆に社会を信じて行く方向を向くべきなのです。

 

さうは言ってもまるで信用などならぬ訳です。

さういふのがおそらくは理性勝ちな人の判断の特徴なのでせう。

 

わたくしもまた昭和三十年代生まれとして甘やかされ育って来て居りますのでさうさう威張ってなど居れずたとへばすでに頭の中がアニメ化、SF化して来て居る虞などもまたあります。

なのですが、其処とは少々外れた観念世界をも生きて参りました。

 

要するに別にアニメだのSFだのだけではなくちゃんと勉強もまたして来たつもりです。

 

タダ闇市だの焼け野原だの何だのと云った殺伐とした世界は事實として知らぬ訳です。

其のやうな時代の混沌を生きた五木先生がもう廿年も拾年も前から文明に対し警鐘を鳴らし続けられて居たことに対し説得力を感じさせられる訳です。