目覚めよ!

文明批判と美と心の探求と

作家・五木 寛之へのインタビューより

新型コロナウイルスで先行きが見通せない今、再び注目されている本があります。22年前に出版された五木寛之さんの“大河の一滴”です。五木さんの代表作ですよね。当時日本は金融危機で、銀行や大企業がどんどん破綻して、先行きの見えない不安の真只中でした。当時の取材先の広報マンの部長が、“大河の一滴”を一生懸命に読んでいたのが思い出されます。苦しい時をどう生きるか、ヒントを与えてくれるベストセラーになりました。

 

そのメッセージが時を経て、今を生きる人々をとらえているのです。時代の変遷を見続けてきた87歳の五木さんが、どんな思いで今を見つめているのか?を聞きました。新型コロナウイルスが世界中でパンデミックになる事態、どんな風に見ていますか?

 

まだ終わったわけではないし、歴史的な事実になったわけでもないし、現在継続中なんですよね。ひょっとしたら、これが始まりかという感じがします。気持ちがちょっと落ち着かないです。

 

今“大河の一滴”に注目が集まり、48刷と版を重ねています。先行きが見えない時代、不安のなかで生きる指針を探す人たちに求められているのです。“耐え難い苦しみや、思いもかけない不幸”に見舞われることがあるが、“人生は苦しみと絶望の連続である”と覚悟するべきだという人生論です。

 

「人は大河の一滴」、“草の葉の上の一滴の露にも、天地の生命は宿る”、はねながら沈みながら、他の無数の一滴と流れをつくっていく。“その流れに身をあずけて、海へ注ぐ、大河の水の一滴が私たちの命だ”。もがきながらも最後は大きな存在に身をゆだねていく、小さな命としての人間の生き様を表現したのです。

 

最近寄せられた読者カードには、この時代を乗り切る糧にしたいなど、心に響いたという感想が寄せられています。

 

時代が“大河の一滴”に重なってきたという実感があります。時代の変化の流れのなかで、深いふちもあるし、浅瀬もあります。最後は大河の一滴として、海に向かって動いていくという、この時代を精一杯生きるしかないというのが僕の考えです。僕はすごくネガティブな人間だから、世の中はひどいものだと思っています。努力は必ず報われるとは限らず、正義が必ず通るとは限りません、そのなかで一分でも二分でも、何か自分の思うことが可能だったとしたら、それは奇跡みたいなことだからと、自分の欲望のレベルを低く置いています。

 

苦しいなかにあるからこそ、得られるもの、気づけるものがあるとすれば、それってどんなことだと思いますか?

 

希望とか未来とか明日を求めて、顔を上げているだけでは、なかなかそういうものは、実感はできません。もし逆に、うなだれて視線を落として、自分の足元を見たときに、もしもそこに自分の黒い影がくっきり落ちていたら、大きな光が自分を照らしてくれているからこそ、影ができているんだと思うこともできます。

 

苦しみのなかから、どう光を見出すのか、それは五木さん自身の人生のテーマでもありました。1932年生まれの五木さん、生後間もなく当時日本が統治していた朝鮮半島に渡ります。終戦間際、五木さんが12歳のとき、ソ連軍が満州や朝鮮北部に侵攻、そして五木さんの家にも銃をもったソ連兵が押し入ります。体調を崩していた母のカシエさんは、ソ連兵に踏みつけられ、やがて亡くなります。その後、命からがら38度線を越え、日本へ引き上げました。作家になった後も、自殺を考えるうつ状態に陥り、2度の休筆、様々な苦難を味わい、生き抜いてきました。

 

時代に翻弄されて、過酷な体験のなかから、どう立ち上がって、どうしてここまで進み続けることができたのでしょうか?

 

ひとりで生きているのではないので、みんなに支えられて、自分は生きてきた実感はあります。苦しみの連続であるというけれど、そのなかで感動的な出会いが小さいことでもあります。小さな心づかいを示されただけで、何年も忘れることができないくらい、うれしかったことがあります。大変なんだと、一日生きるのは大変なんだと、まして10年、50年、80年生きていくのはしんどいことなんだと、覚悟を決めるのが今は大事なのではないかと思います。

 

コロナ禍を経験した私たちにとって、次の時代がどのように社会が変化すると想像されますか?

 

世の中は昔に戻らないと思います。これはすごく大きな転換点だと思います。人と人とが直接顔を突き合わせ語り合うことが、少なくなっていくだろうと思います。

 

スペインの思想家・哲学者のオルテガ・イ・ガセットは“Together and Alone”と言っています。みんなと一緒に何かをやりながら、そのなかで自分というものを失わずに、「和して同ぜず」というか、「みんなと一緒」にいながら「孤独」であるということです。

 

今度はそうではなくて、“Alone and Together ”だと思います。「ひとり」でいて、それで「みんなと一緒」にいるという、肩を組み、腕を組み、一緒に行進するような「きずな」を大事にする連帯感ではなくて、バラバラで、オンラインでしゃべりながらも、そこに通い合うものが生まれるかどうか、そういう意味では「ひとりでいてもみんな一緒」というカルチャーが生まれてくると思います。

 

Alone and Together ”なんですね。いろいろな時代の辛苦を知る五木さんの言葉を聞くと、ああそうか!と思いますね。新しい連帯のかたちが生まれてくるのかなと思いますね。(有馬アナ)そうありたいと思います。一方で、五木さんは、「人の歴史のなかには特別な時代というものはなくて、常に残酷なことが繰り返される。だからあのころは良かったと振り返っても仕方がない。とにかくその時代、その時代、精一杯生き抜くしかない。」と話していました。今まさに苦境のなかにある私たちに、覚悟を与えてくれる、そんな言葉でした。(和久田アナ)ーニュースウォッチ9の“コロナ禍を生きる” 作家・五木 寛之へのインタビューより