陽の光の具合と云ふものもまた毎日違ふ訳でほんたうに陽光が輝くやうに降り注ぐ日は年に五度位のものである。
何故わたくしが左様に陽光の届き方に関心が深ひのかと言へば其れが即刻美のあり方と直結して居るからなのだ。
たとへば同じ森や林であれ光のあり方でもって其の印象はガラリと変はる。
わたくしはさうした微妙な部分にこそ関心が深ひ訳で対して文明が常に儲けやうとか進歩しやうとかまるで気が狂ったかのやうに邁進して居たりすることに関しては概ね醒めた目でもって其れを眺めて居るばかりだ。
わたくしは人間を所詮不感症だと思って居りそんな不感症には美は理解出来ぬ筈だとさうも思ったりして居る。
但し其の鈍感にも色々とあらうから中には人間離れした凄ひ感覚や理性を持つ人もまた居ることだらう。
おそらくはわたくし自身がさうした類での人間なのやもしれぬ。
さて昨日の昼過ぎに台風の影響からか陽光が鋭く降り注ぎ全てを美しく照らし出して居る時間帯が丁度あった。
そんな時わたくしはここぞとばかりにバルコニーへ出てノーブルオパールの光の乱舞と戯れることにして居る。
で、其れをやったところ兎に角輝きが凄ひ。
其れも此処数年ではNo.1で、實は宝石で一番美しひのは結局オパールなのだと其の時直感出来た。
兎に角反射の方が凄ひ。
遊光とはそんな反射である。
ところが光が良く無ひと其処までの反射が出なひ。
全く難しひもので、其の難しさが何にでもある。
さうしてもう廿年ばかり石をやったので、部屋ー八畳+六畳の二部屋ーのあちこちに石が紛れ込んで居て、時には見知らぬ石が出て来たリもするのだが今回はなかなか良ひものが出た。
おそらくはメキシコ産かと思はれる母岩付きの原石である。
カンテラオパールのやうに磨ひたものでは無く原石の侭のものだ。
此れがなかなか良ひ。
鋭ひ赤の反射などもある。
母岩オパール又はカンテラオパール(Cantera Opal)
虹の卵のようなカンテラオパール。その魅力は?偽物ってあるの?
カンテラオパールは原石なのに磨ひてあるので其処は作為的な石なのだとも言へる。
だがカンテラオパールの良品はまさに素晴らしひ光の乱舞を見せる。
反射が強ひ石がまさにさうしたピュアーな光の洪水を起こして呉れやう。
但しわたくしは💎其れ自体の蒐集家なのでは無く自然の産物である石其れ自体の蒐集家なのだ。
なのでカンテラオパールは壱箇しか持って居らずまた特段其ればかりを眺めて居る訳では無ひ。
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指輪などとは異なり通常原石は水中にて保管する。
ところが其の水が案外腐り易ひ。
一箇月位経つと濁り臭くなるので交換せねばならず、實は其処が少々面倒なところなのだ。
また翡翠も水中保管が可能である。
但し翡翠は基本的に水を必要として居なひ。
オパールは乾燥には弱くまさにWETな日本の風土にも向ひた💎なのだ。
かうしてオパールは光の藝術を我我の目に楽しませて呉れる。
また其れが時に凄くなる光の日がある訳だ。
其の光の藝術を生むのが所謂貴蛋白石ーノーブルオパールーである。
ところがオパールの楽しみ方は其ればかりなのでもなひ。
實は其の輝きー遊光ーとは別の色石としての楽しみ方がある。
今回貼り付けた画像が其の色石としての棚山産のコモンオパールの画像である。
即ち凡人のオパールなのだ。
だが凡人にも強ひ個性の持ち主がまた居るものだ。
だから個性的な色合ひのコモンオパールはとりあへずは価値が高くある。
まるでイワシや🐜みたひな人間共では個性が無ひので一般に稀少価値の方も出なひ。
対して藝術家や学者、また宗教家などは個性や理性が強くある故尊敬されたりもまたする訳だ。
其れと同じことで、白っぽひまさに屑石のやうなコモンオパールは沢山あるがハッキリと色の付ひたコモンオパールの方が少なひ。
わたくしもこれまでに色んな色のコモンオパールを集めて来たが特に印象が深ひのが棚山の群青から紺までの深ひ色合ひの靑のオパールだ。
対して赤ひオパールがまたある。
薄ひ靑=空色⇔黄、はかっては普通にあったが深ひ色合ひの靑のオパール⇔赤系のコモンオパールはまず無ひ。
棚山産の赤オパールはレアーなものなので此処五年ばかりはずっと其れを探し求めて来たが最近になりようやく得られ始めて来て居る。
画像にある赤オパールらしき石はもう廿年程前にいつもの採集地とは違ふ山の中にて発見したものだった。
然し此の赤オパールらしき石は赤オパールでは無ひ可能性もまた高く其処は石を鑑別してみなければ分からなひ。
尚棚山産のノーブルオパールは現在ヤフオクの方でも売られて居てしかも現地にて山を掘り球顆を探し其れを割れば或は自己採集が出来ることだらう。
但し山を掘るだの岩盤を割るだのと云ふ行為は余り御薦め出来ぬ。
其の破壊こそがまさに人間の本性なので其れでは鉱物趣味其れ自体が本能の侭に、欲望の侭に動くこととなって仕舞ふからだ。
わたくしの場合はこんな理性人間なので要するに石を拾って来るだけなのだ。
其れも長年の採集にて訓練されたのか、兎に角目敏く良ひ石を拾へるやうになり従って昨年なども結構な収穫を上げたりして来て居る。
とは言へ、もはや掘らねば良ひ石など出ては来ぬことだらう。
わたくしも棚山のオパールに関しては様々をやり切りもはやほとんど思ひ残すことなども無ひのだが、ひとつだけ願って居ることは藍~紺地のオパールに遊光が散りばめられた棚山産のノーブルオパールを得ることだ。
要するに其の地の靑の色合ひが問題なのだ。
最低限此の位の色合ひと色の濃さが必要である。
此処に遊光が散りばめられて居るものこそがおそらくは本物としての棚山産のノーブルオパールなのだ。
其れをかって鉱物関連の本で見て居る。
おそらくは例の堰堤工事の際に出た石であったことだらう。
本物の愛知の石とは、おそらくはそんなものなのだ。
まるで宇宙の中に何かが浮かぶかのやうでなくてはならぬ。
わたくしは味噌カツ鉱物でもある田口鉱山産のパイロクスマンガン鉱に於ひてそんな星のパイマン標本をかねてより持って居る。
其れは坑道内で拾った石だったのだが石を選別する際にパイマン標本だと分からず澤の畔に捨て置ひて居たものだった。
2、3カ月後にまた其処で持ち帰る石を選別して居たところ、何やら赤く美しく輝く石があり實は其れがわたくしが捨て置ひて来た石其のものだった。
何と其の2、3カ月の間に澤の水でもって浸食されたのか一面に小さな赤ひ結晶が浮き出て居たのだった。
其処は人が屡歩くところにも関はらず感度の悪ひ人間共は誰もそんなところにそんなものがあるとは思はぬのだった。
此の感度、多分此れこそが大事なのだ。
現代人はおそらく此の感度を失ひつつあることだらう。
ネットとスマフォにさうしてやられちまってる訳だ。
兎に角其の「星のパイマン」標本こそがわたくしにとっての宝物なのだ。
さうして🍤鉱物である海老の石即ち棚山の石ノーブルオパールも其のやうな宇宙の石でなくてはならぬのだ。
と云ふことは深い青の地、即ち群青から紺までの地の中に遊光が散りばめられたものでなくてはならぬ。
で、改めてわたくしの持つ棚山のノーブルオパール標本を眺めると實は其処にはそんなものは一つも無ひ。
つまりはまだ持って無ひ、いまだ持てずに居る訳だ。
そんなものは皆一緒だらう?
馬鹿者!
ぜーんぶべつもんだがね。
其のやうな宇宙、まるで宇宙の星の如くに光り輝くノーブルオパール標本でなくてどうする?
デリカシーがまるで無ひ君等俗人には分からぬかもしれぬが美を探求してやまぬわたくしには其れが大問題なのだ。
さうかなあ、大問題は他にも沢山あると思ふのですがね。
だから其れを言ふて来たでせう。
其れも毎回毎回面倒臭ひ哲學的論議ばかりでもってして。
だが其れはもはや大問題では無ひ。
大問題とは、棚山の石を此処まで追求したわたくしが星の🍤をまだ持てて居なひと云ふことなのだ。
でも海外産のノーブルオパールの方が綺麗ですよ。
馬鹿者!
何故君には其の實存的価値、即ち地元に生まれしたった一つの命の価値が分からぬのだ?
海外のことなんぞ基本的に関係無ひのだ。
人間は周りのことなど見詰めてはならぬ。
其処は「老子」を読み且つ理解することで了解されやう。
オレなんぞは廿代の頃にもう読破して居たぞ。
尚上のところで画像をよーく見るとデカひ石に緑の遊光が兆して居る。
何て美しひのだらう。
其の遊光が沢山散りばめられたら、まさに其れが宇宙の🍤なのだ。
宇宙の🍤?
言ってることが良く分りません。
分からなくて結構。
分かって頂かうとはまるで思って居ません。
ところで💎詩人さんは宇宙の🍤と宇宙の味噌カツの一体どちらをより深く愛されて居るのでせうか?
まさに其れは難しひ質問です。
實は同じ位に大事なものなのです。
或は二元分裂したものなのやもしれませぬ。
宇宙の🍤と味噌カツとに二元分解されておるのです。
ですが、味噌カツーパイロクスマンガン鉱結晶ーが採れた田口鉱山跡地はすでに立ち入り禁止です。
故にもはやパイロクスマンガン鉱結晶を採ることなどは不可能です。
ですが、棚山の場合は今でもイケます。
但し遠方から来て山を荒らして行かぬやうに。
棚山は愛知、三重、岐阜、静岡位迄の地元の採集家の人達の為の山です。
さうだ石が欲しけりゃそれぞれの地元で何ぞ採ってろ。
岐阜は地元なんですか?
何せかの信長がさう名付けた地名ですので。
だから地元です。
其の地元でもって透輝石やトパーズや黑水晶を採集しましたが其れも今となっては良き思ひ出です。
元より糸魚川は地元では無ひですが、其処へ行き海に潜り翡翠を得ようとして居ませんか?
勿論やれるものならやりたひです。
其れと糸魚川の石のショップなどへ出向きこれこれかうした訳でもって兎に角翡翠が大好きだ、何処かに凄ひ翡翠の原石でもありませんですかね?
とさう述べれば必ずや店の棚の奥の方から秘蔵の原石が出て来たリもするものなのです。
然し其れは大変ですねえ。
其れも旅費込みで二百万位は最低必要なことでせう。
どうにも翡翠は金がかかるもののやうです。
翡翠は東京にも関西にも勿論売って居ますので金さへあれば入手すること自体は容易です。
兎に角金、金、金の世の中なのです。
まさに其処がオカシヒのではあるが物質的次元は全部がさうだと云ふことでせう。
星の🍤もまた金でもって何とかなりさうですか?
いや金だけでは何ともなりません。
第一そんなモノがまずありません。
其れも掘れば幾らでも出て来さうですが、其処まで掘るだけの気力と体力がもはや誰にもありません。
翡翠の場合も海底を掘り込めば幾らでも出て来るものなのですか?
おそらくは出て来ませう。
翡翠の場合も掘って無ひので海底に溜まった石やら山の岩盤を掘り込めばもう幾らでも出て参りませう。
但しとっくの昔に天然記念物指定されしかも國石となりましたので指定区域から盗めば即御用です。
ー但し下流の川や海底に溜まった石を浚ふのは可ー
ところで石とは何でせう?
石は自然の美其のものでせう。
自然が多様でしかも美しひものであることを物理的に指し示すものです。
石は生命では無ひので煩わしく無く色を輝きをあくまで物理的に放ちます。
小🐈のやうに可愛らしくは無ひ?
可愛らしくは無ひ。
そんな感情移入のやうなものは所詮石には通りません。
さうした意味では石は理性的でさへあるのやもしれぬ。
化学式でもって書かれた物質であること、所詮は其れが石の正体です。