目覚めよ!

文明批判と美と心の探求と

御尤もな舛添氏による批判と心ある科学者のお話

ー全国民が不安に思っているのは、何が「必要な対応」なのかを政府が示し、実行しないからであり、それを首相が行わないまま、このような中身の全く無い空虚な言葉を連ねるのなら、何のための久しぶりの発言か分からない。国民に感染防止策の実施を要請するだけなら、政府は不要である。

日本は、第一波では上手く感染を抑えたとして、自慢もしたし、他国も「日本モデル」などと言って称賛した。しかし、第二波が到来した今、統計数字を見てみると、アジアにおける日本の惨状が浮かび上がっている。

 

専門家会議は何をしていたのか。厚労省は規制こそすれ、検査の民間委託や保険適用などが容易に可能になる手を打たなかった。また、国民の代表であるべきマスコミも、それを政府に要求せず、大本営発表を垂れ流すのみであった。

 その点では、極論すれば、日本に科学も政治もマスメディアも不在なのである。

 

国の専門家も東京都のアドバイザーも、そういうことを進言したということを聞かない。だから、御用学者だと批判されるのである。

 

欧米のマスメディアを見ると、政府の対策の問題点はきちんと批判し、非主流派の専門学者をテレビに登場させたり、新聞や雑誌に寄稿させたりしている。また、自らも調査報道を行い、政府の嘘を暴いている。このような当然の仕事をしていないのが、日本のマスコミである。御用学者や政府の主張を垂れ流すことに終始している。戦前の軍国日本の国家総動員体制とあまり変わっていない。

 

中国は、共産党独裁の専制国家であり、国家権力でPCR検査を徹底させたり、感染地域を封鎖したりしている。その成果は、6月に発生した食品卸市場での感染拡大を抑え込んだことにも現れている。独裁国家だからできて、民主国家日本にはできないというのは言い訳にすぎない。同じアジアの民主主義体制である韓国でも、台湾でもできているからである。

 安倍政権や小池都政は、「政府の失敗」の典型である。ーコロナ対策、日本は完全に「アジアの劣等生」 より

 

 

こんな舛添 要一氏の御意見は、至極御尤もである。

 

自民党は確かに其の「軍國主義」なのである。

其の「軍國主義」も、むしろ戦前に於ひては其れでもって良かった筈だ。

 

でも今や時代が違ふのだ。

なのに此処日本では依然として「軍國主義」こそが猛威を振るう。

 

其の「大本営発表」にはまるで逆らへぬ文化人や知識人。

 

コレの一体何処が民主主義國家なのだらうか。

 

だが其の民主主義國家と云ふのは、むしろ断頭台へと偉ひ奴を送るやうな制度でなくてはならぬ筈。

 

そんな國家の言ひなりとなりイワシのやうに群れて泳ひでるのではなしに。

 

だから、そんな國が偉ひ、総理が偉ひ、官僚は偉ひ、知事は偉ひ、町村長は偉ひ、校長は偉ひ、社長は偉ひ、とする縦の身分序列がおそらく民主主義を不可能として居るのだ。

 

だが眞の民主主義國家ではあんなトランプ氏のやうな強権者でも全部を従わせることなど出来ずひとつ間違へば消へて行く運命にまたあるのだ。

 

だが日本の此の國による「全体主義」とは一体何なのだらうか?

 

 

わたくしは最近其処を日本の大衆の無知によるものだとさう結論付けて来て居る。

日本の大衆の頭が悪ひのは其れは批判力を持てる程に勉強して来て居なひからだ。

 

其れも入試の為の勉強では無く文學作品を深く読み込んだり哲學的な思考を巡らせる機会を持たぬ日本人は頭が良ひのに頭が悪ひ。

 

さうして兎に角群れたがり國や町村、しきたりや👪制度ー戦前の家制度の代はりのーに固執して来て居る。

 

但しわたくしは其の価値の復活をむしろ目論む者でもある。

其れも鎖国した上でさうした戦前の価値観に戻るのであれば其れも一つの最善の手かと思ふ。

 

或は徳川幕藩体制を復活させるのもまた一つの手だ。

然し近代的先進國日本が今更其れをして行く訳にもいかぬ訳だ。

 

其の縦の身分序列、縦社会こそが其の軍國主義形成の元凶なのだらう。

だからと言って逆に左翼平等化すると一挙に横へと格差が生じ逆に障碍者や女性が偉ひ方々にもなっちまふ訳だ。

 

全くもうどうしやうも無ひな、こんな社会は。

 

 

だからわたくしの場合には「逃走」するのだ。

そんな社会と「闘争」しつつも「逃走」する。

 

ー安倍政権や小池都政は、「政府の失敗」ー

 

其れは独裁政治の失敗なのかもしれなひ。

或は日本型の封建制の失敗なのやもしれぬ。

 

日本は伝統國家でみんなが変はりたく無ひので今の今までずっと封建制を引き摺って来て居た可能性がまた高くあらう。

 

 

ー政府は不要である。

日本に科学も政治もマスメディアも不在なのである。ー

 

日本は正確には民主主義國家では無く全体主義國家であり其ればかりかいまだに封建制を奉ずる國だ。

其のやうに価値観が古ひのである。

其の癖一部の価値観は先鋭的に変化して居りー東京や大阪の一部などでー地方での田舎臭ひ価値観とのギャップがさらに大きく開きつつある。

 

日本はさうした意味での分裂國家なのだとわたくしは元社会科の先生の立場から申し上げることが出来る。

 

要するに安定を求めて居るのに先進化して行かざるを得なかった。

安定ならば逆に農地を増やし農業國となるべきだったのだが。

 

だのに近代的な価値に幻惑されまさに其れを奉じて来て仕舞ふ。

 

ー欧米のマスメディアを見ると、政府の対策の問題点はきちんと批判し、非主流派の専門学者をテレビに登場させたり、新聞や雑誌に寄稿させたりしている。また、自らも調査報道を行い、政府の嘘を暴いている。ー

 

近代的自我を強固に築く欧米世界に於ける個と社会とは常に対決し批判し合ひ時にはウソを暴き國王を断頭台へと送る理性の上での緊張関係が強ひられたものだ。

わたくしは欧米などは行ったことが實は無ひのだが欧米の文物には広く親しんで来た故なのか其の点はかなりに欧米的に自我形成が為されて来て居やう。

 

逆に仲間意識での和の社会関係などまるで分からずで其処で町内会だらうが何だらうが批判ばかりするのですぐにやって行けなくなって仕舞ふのだと思ふ。

わたくしは何せこんな批判人間なので逆に共産党の論客にでもなれば可成の仕事が出来さうにも思はれるのだが今のところは共産党員になるつもりなどは無ひ。

 

日本人が一番イケナヒのは、其の批判と云うことの意義を知らず其ればかりか批判とは不平不満を言ふことだとさう勝手に決め付けて居る部分であらう。

 

確かにわたくしなども不平不満を言ふが、では問ふが一体他に誰が文明批判ブログを五年も前からやって居たと云ふのだ?

 

誰もが安心し切って社会は文明は安泰だとさう思って居たことだらう。

 

其れを信長詩人がかうして初めて君等に教へてやったのだ、實は危なひ、備へよ、と。

 

かのTOYOTAだっていつまでも🚙が売れるとは限らぬぞ。

 

 

 

さても此の際皆様にわたくしの計画して居たことをお話ししやうか。

 

其れはテロとか暴力革命とか勿論そんなことでは無く以前から完全に隠居生活することこそが夢だった。

 

1.まずは宝くじが当たることが前提

2.セキュリティー管理された別荘地にての一人暮らしならばもしも死んだとしても安心

3.田舎の野菜を毎日腹一杯食へる

4.👩がほとんど居ないので余分な性欲に惑わされることも無くなる

5.水と空気の良ひ環境の中で読書三昧が出来る

6.兎に角夏休みが楽しさうだ

7.自然の中にて禅定が出来る

8.コレで社会を捨て切れる

 

以上だ。

 

 

わたくしは皆様とは価値観が違ふので社会的に求める欲望などはもはや皆汚らはしひものばかりなのだ。

つまりはコレがわたくしの唯一の夢だったのだ。

 

エッ、こんなものが夢?

 

などとさう思はれた方は社会的に価値観が洗脳されて居る可能性が高ひ。

 

逆にイヤ―分かるな、ボクもさうしたひ。

 

などと思はれた方は逆に成佛出来る可能性を高く持った方だらう。

 

 

要するに此の世は生臭ひ闘争の場なのであり、其の闘争が積み重なりまた馬鹿人間の威張りが積み重なり文明が持続不可能となって仕舞って居る。

 

其の道理乃至は原理を誰も気付かぬので信長詩人がかうしてどうしても伝へなければならなかった。

 

だからわたくしにとっては其れこそが仕事だったのだ。

其れぞまさに天職だったのである。

 

だからほんたうはみんなから購読料月壱万円ー高ひ!ーを貰ひ其れにて別荘を買ひ其処へと高飛びしたひところなのだ。

 

尤も昔は叔父が別荘を持って居たのだけれどもはや今は無ひからまた買はねばならんのだ。

今はかの軽井沢の別荘なども安ひのかもしれなひぞ。

 

 

ー「政府の失敗」ー

現在文明の規模が巨大化しあらゆるものが細分化、専門化されて来て居る手前社会の上での失敗が實は許されぬのだ。

 

21世紀の先進国としての日本の文明は失敗など許されぬのである。

 

其処を失敗に導かんとして居る安倍氏及び小池氏の罪は大きく其れはほとんどギロチン刑に相当するものだ。

 

 

バッターン、ボットーン。

 

ルイ16世安倍氏マリー・アントワネット小池氏の首がたった今落ちたぞ。

 

尚今の文明の問題点は其のやり直しが効かぬところである。

 

 

さて戦時中南区にある母の實家が大震災により倒壊したさうだが適当に皆で仮小屋へと組み立て直してまた野菜なども庭に作ってあるのでさほど生活には困らなかったさうなのだ。昭和東南海地震 #人的被害

逆に爆弾ー焼夷弾かーが落ちて来る音だけは何とも不気味でまさに生きた心地がしなかったさうだ。

 

つまり日本の文明は再生されるやうにむしろ創っておくべきなのに現代文明は地震の無ひ欧州型の都市を其処に築ひて仕舞って居る。

さうした部分は結局日本の知性が至らなかった部分なのであり、其の知性とは戦後良ひ大學を出た奴等が担って来た筈なのだが案外其れも役立たずの知性ばかりであったと今は言ふべきなのだらう。

 

もっともっと此のわたくしのやうに幅広く考へられぬものか?

 

だからほんたうは参議院があるのだから其の良識の府としての参議院が知性を発揮し積極的に提言して置かねばならなかったのだ。

また様々な顧問、参与などと呼ばれる役職もまたある筈なのだがさうした奴等は一体何をやって来たのだらうか。

 

こんな信長詩人の方がおまへらよりもずっと眞剣にかうして書き疲れして死にさうになりながらもやって来て居るではなひか。

 

其れでもって一体何を威張って居るのだ、其れも兎に角威張り腐りおって。

 

かくして國會議員も官僚も眞面目に仕事をやって来たのだか可成に怪しひ。

 

拾五年位前に例の年金記録の不始末でもって社会保険事務所へ行かされたが記録がゴソッと抜けて居りまさにビックリして仕舞った。

 

矢張りと云ふべきか公務員は仕事が不眞面目だと云ふことは其の時に良く分ったのだが本来ならば現代社会に於ひて其れは通用しなひことなのである。

 

其の辺りが日本人は甘ひと言ふか曖昧と言ふか適当過ぎる。

 

 

逆に社会に対して厳密さを求めるべきなのであり、👪に対しては鷹揚でも良ひのである。

 

要するに社会をやっつけたらう、やりこめたるぞと云ふ姿勢が日本人には全く欠けて居るが世界的に見れば其れは気持ち悪ひことでもある。

 

だから日本人はタダの其のイワシの群れだ。

 

さうだ日本人はイワシだ!

嗚呼其のイワシ即ちメザシが今無性に食ひたひ。ーわたくしは魚をほとんど食べなひのだがサンマやイワシが實は好物なのだー

尤も其のイワシの漁獲量も激減して居るやうなので危なひのだが。

 

 

 

 

ーいま私たちに不足しているのは、自然を含むこうした外界との交わりだったな……。

 

環境破壊に警鐘を鳴らした『沈黙の春』の著者として知られる、海洋生物学者レイチェル・カーソン。彼女の生涯最後に上梓した本が、この名を冠しているのだ。

 直訳すれば、神秘や不思議さに驚き、畏れを抱く感受性といった意か。自然の営みに触れ、そこから何かを感じ学び取ることが、人の感性を育むには決定的に重要であることを同書は説いている。

 

レイチェル・カーソンは『センス・オブ・ワンダー』(新潮社刊・上遠恵子訳)の中で、こう書いている。

「地球の美しさと神秘を感じとれる人は、科学者であろうとなかろうと、人生に飽きて疲れたり、孤独にさいなまれることはけっしてないでしょう」ー神秘さと不思議さに驚くこと……レイチェル・カーソンが残した「人間に絶対必要なもの」をアートで感じるより

 

 

たとへ人生に疲れ果てたにせよ、また孤独に苛まれるにせよ自然は常に美しく且つ神秘的です。

其の美こそがむしろ深みを増しより輝ひて見へて来るのである。

 

対して加工物は次第にわたくしにとり美しひものでは無くなって行く。

其の神秘的なものは合理化出来ぬ筈。

 

そんな合理化出来ぬものこそが神秘であり美だ。

 

藝術とはまさに其の神秘であり美だ。

 

美は何より生きて居て、でも死んで居るものにも美は宿る。

 

美はあらゆる細部に入り込みまたどんな大きなものにも拡大され得る。

 

 

 

ー農薬で利用されている化学物質の危険性を取り上げた著書『沈黙の春』(Silent Spring)は、アメリカにおいて半年間で50万部も売り上げ、後のアースディや1972年の国連人間環境会議のきっかけとなり、人類史上において、環境問題そのものに人々の目を向けさせ、環境保護運動の始まりとなった。

幼少時は作家を志しており高校の成績も極めて優秀であった。ペンシルベニア女子大学では英文学を希望していたが、生物学の授業を受けたことで生物学分野の科学者を志望するようになった。

特に『沈黙の春』は、農薬類の問題を告発した書としてこれを読んだケネディ大統領が強く関心を示し、大統領諮問機関に調査を命じた。これを受けアメリカ委員会は、1963年農薬の環境破壊に関する情報公開を怠った政府の責任を厳しく追及。DDTの使用は以降全面的に禁止され、環境保護を支持する大きな運動が広がった。尚、カーソンの死後の研究では、「DDTの危険性」には疑問の余地もあるという意見もある。

沈黙の春』の執筆中に宣告を受け病と戦いながらの執筆活動で、1964年4月14日に癌により死去。ーレイチェル・カーソンより

 

 

 

其のレイチェル・カーソンこそがまさに科学者の良識であり良心であることでせう。

重要なことは彼女が元々作家志望の人だったことです。

 

文の人には何より其の心がある。

だから科学者となってからも彼女は其の文の心を失はなかった。

 

沈黙の春』は昔英語のリーダーの教科書にも載って居ました。

 

科学者が心を失ふと要するにマッド化するのであります。

重要なことは其のマッドさを社会はむしろ称賛するのです。

 

科学は現實的な意味での利用価値があるので國家は其の科学上の成果を喜び其の業績を称賛致します。

 

 

🚗が出来ました。

偉ひ!ありがたう、おまへは天才だ!早速百億の報奨金を出さう。

 

✈が出来ました。

偉ひ!ありがたう、おまへは天才だ!早速百億の報奨金を出さう。

 

原爆が出来ました。

偉ひ!ありがたう、おまへは天才だ!早速百億の報奨金を出さう。

 

量子コンピユータ―が出来ました。

偉ひ!ありがたう、おまへは天才だ!早速百億の報奨金を出さう。

 

昭和廿参年太宰の心中遺体が玉川上水にてあがった。

エエヒ、汚らはしひ、文學などクズだ、役立たずだ、目の汚れだ!

 

 

でもわたくしは今むしろ太宰の心中の方こそが我我に何かを問うて居るやうに思へてならぬのだ。

 

何故なら社会の其の価値観、合理主義化されし其の現代の価値観其のものに問題があり結局かうなったのだと思ふ。

 

では科学よりも太宰の心中を選ぶべきだったのだとさう仰りたひので?

 

いや其の科学であるにせよ良識ある科学者が多ければこんなことにはならなかった筈だとさう言うておるのだ。

 

結局コロナ禍と温暖化を招ひたのは其の科学のお蔭であるのだから。

 

 

文學の悩み、さうして悲観性、破滅主義、さうしたものがむしろ良ひもののやうに特に最近はさう思へて来た。

 

何故なら科学者はイチイチ悩まなひ。

脳減るーノーベルー賞の授賞式にて皆オレは天才だとさう思ひつつ賞を受け取って居る。

 

まるで良ひ子のやうに立派に着飾り偉さうに賞を受けるが車も飛行機も原爆も實は何一つ人類の為には役立って居らぬ。

ズバリ我我の心にとりほんたうに役立って居るのは太宰の弱さや安吾の狂気の方なのではなからうか。

 

 

又はレイチェル・カーソンの『沈黙の春』こそが役立って居やう。

 

わたくしには時折科学者が阿呆に見へて来て仕方が無ひことがある。

 

文明に尻尾を振ってる番🐶と云ふか健全なる👿と云ふかそんな感じがしてならぬ訳だ。

 

対してわたくしたち文人はあへて損な役回りを引き受け社会に対し其れは違ふぞとさうもの申して来た。

 

わたくしはまさに其処が文人の方が偉ひとさう言って居るのである。

 

其の「違ふぞ」と言へることの方が尻尾を振りつつ悪魔をやることよりもずっと潔癖で勇気が要ることではなひか。

 

さうして人間が悩むことは悪ひことでは無くむしろ良ひことである。

 

最近の教育はまるで馬鹿教育となって仕舞ひ其の後ろ向きの姿勢、価値観を教へる教師が居なひので兎に角其処が困る。

 

 

サア其れではみんな、これから夏休みの補習を開始しやう。

先生、でも理科が分かりません。

 

国語や社会は何とかなりますが因数分解や化学反応式の方がまるで分かりません。

 

いやでも先生には其れは無理だな。

何せ数学と反応式はまるで出来なかったもので…。

 

でも先生、理科が分かりません。

其の因数分解と化学反応式の意味が分かりません。

 

さうか、困ったな。

では今日のところは國會のところをやり次回の補習で其の因数分解と化学反応式とをやらう。

 

 

其の後わたくしは中学の理科と数学の教師用指導書を入手し其の因数分解と化学反応式を自ら学び始めた。

 

はあっ?

 

なる程、Hが二つとOがひとつくっつくとH2Oか。

 

さても何でH2Oにしかならなひのかなあ。

そんな決めつけなくても良ひやうにも思ふのだが…。

 

でも御勉強の成果は次第に現れ始め教科書に載ってるカンタンなもの位なら生徒さん方に教へることさへ出来たのだった。

 

 

我我が中学、高校の頃は理系の教師は変な奴が多く教へ方がひとりよがりでもって一方的なのでわたくしの場合も全部が分からなくなって仕舞ったのである。

理系の教師はマッドな奴が多ひ、と云ふのは矢張り言ひ過ぎか。

 

 

水の元素記号はH2Oで、Hは水素でO2が酸素でこの2つが合わさって水になってますが、なぜHとO2が合体するとH2Oになるのですか?HO2にはなぜならないのですか??

 

ー「水素分子H2が2つ、酸素分子O2が1つくっついて水分子H2Oが2つできる。」

[2]H2 + [1]O2 → [2]H2O

結局、水の中には水素と酸素の比は2対1になっています。

しかし、水素も酸素も分子として存在します。
ですので、水素分子を酸素分子の2倍使うことにより、H2Oが出来ます。ー

 

 

うーむ、何やら分かったやうな分からぬやうな。

 

ところで理系の教師の方々に是非質問を。

反物質と云ふのはそも何で此の世には無ひのですか?

 

 

消えた“反物質”の謎 私たちはなぜ存在しているのか?

我々はなぜ存在できるのか? 物質が存在し反物質が存在しない謎

 

何かイマイチ良く分りません。

今個人的に一番興味があるのが此の反物質に関することなのです。

 

 

ーもともと、宇宙創成直後の超高エネルギーの世界では、粒子と反粒子対消滅、対生成を繰り返し、それらは同数あった。

それらの大部分は宇宙の冷却に伴って対消滅してしまった。(消滅のエネルギーが宇宙の膨張で薄まって、再度対生成できなくなった)

しかし、粒子と反粒子で反応法則にわずかな違いがあり、その差の分だけ粒子だけが残った。ー反物質の世界がないのはなぜ?より

 

さても其の宇宙とはそも何でせうか?

宇宙はそも数的還元出来るものなのでせうか?

今のやうに徹底して合理主義をやると地球が壊れるばかりなのでは?

 

かうして疑問は深まるばかりなのですが文學に於ける感覚上の味わひのやうなものとは矢張りと言ふべきか其れは違ひますね。

さうして重要なことはカーソン女史のやうに心ある科学者もまた居られると云ふことなのだ。

科学者は👽のやうな心の通じぬ輩ばかりでは無くしかと心を持った人間も混じって居るとさう見ておくべきことだらう。