目覚めよ!

文明批判と美と心の探求と

ノストラダムスの大予言と倫風誌のこと

ーそれは、自分がクリスチャンの家に生まれて、母親からいろいろと聞かされてましたから。私の家のキリスト教は、ローマカトリックじゃなくてロシア正教です。ニコライ堂を建てたニコライ大主教が、明治時代、函館に上陸して布教を始めたとき、最初の信者の一人が私のおばあさんなんです。おばあさんは早くに死んじゃいましたけど、母に受け継がれた話の中に、黙示録や予言の話がありました。ー 伝説のベストセラー作家・五島勉の告白「私がノストラダムスを書いた理由」 作家・五島勉インタビュー #1より

 

わたくしもかって「ノストラダムスの大予言」シリーズをほぼ完全読破して居たものだった。

とは言へ純文學を読むやうには其れを読んでは居なひ訳である。

 

其処では言はば其の深刻度が違ふのだが、でも考へてみればむしろ「ノストラダムスの大予言」シリーズの方がむしろ社会的な深刻度は深かったのやもしれぬ。

かうして世のラヒターさんが書かれるものを、基本的には軽視すべきでは無く、其処にはなにがしかの眞實が常に含まれて居ると見て置くべきことだらう。

 

一般に世間の人々は文學や記事を浅く読むことしか出来なひで居る。

だが其れはおそらく誤りだ。

 

文の力と云ふものはさういふものには非ず。

文とは眞實をさうして眞理をこそ世に指し示すものである。

 

逆に皆さんは現實的なものに其の目をさうして心を捉へられ過ぎて居る。

 

キリスト教には終末観があるから「ノストラダムスの大予言」的なものも元々ある。

キリスト教は一種破滅的な世界観を世に指し示しても居る。

 

何でかと言へば其れは現世では人間の心が悪魔に唆され醜ひからであらう。

 

 

ノストラダムスと再会するのは、ずっと後です。旧制高校を出てからは、大学へ行きましてね。東北大学の法学部なんですけど、何も勉強しなかったから、どこへも就職できなかった。ー伝説のベストセラー作家・五島勉の告白「私がノストラダムスを書いた理由」 作家・五島勉インタビュー #1より

 

たとへ勉強せずとも其の法学部出のラヒターさんには可成に問題がある。

其れ即ち法学部出のラヒターさんは結局社会のことばかりを述べるそんな運命に置かれて居る。

 

頭の中が其の社会に雁字搦めにされて仕舞ひ兎に角社会を良くしたひ、社会を変えたひと云ふ思ひが強く次第次第に其ればかりになって仕舞ふのであった。

 

五島氏が「ノストラダムスの大予言」シリーズを書ひたのも結局はそんな思ひが根底にあったことかと思ふ。

つまりは其れは社会を対象とするノンフィクションジャンルとしての作品なのだ。

 

勿論其の一番凄ひのが三島特攻であったと云ふことだ。

 

 

ー弁解するわけではないんだけど、私は「大予言」シリーズの初巻の最後に、「残された望みとは?」という章を書いていて、予言を回避できる方法がないか考えようと言ってるんです。もちろん、米ソの対立とか核戦争の恐怖とかがあって、ノストラダムスが警告した状況が来ることは間違いない。それは破滅的なことかもしれないけど、みんながそれを回避する努力を重ねれば、部分的な破滅で済むんだということを書いたんです。だからこの本は、実は部分的な破滅の予言の本なんです。ー伝説のベストセラー作家・五島勉の告白「私がノストラダムスを書いた理由」 作家・五島勉インタビュー #1より

 

預言云々と言ふよりも兎に角此の社会の問題は現實としてヤバひのである。

破滅的な状況は近現代以降加速し事實行はれて来て居る。

 

其の危機感を伝へることに関しては必ずしも悪ひことでは無ひ。

むしろ其の危機感に気付けぬ大衆的認識の方にこそ問題がある訳で、まさに其れが安吾流に言へば阿呆の価値観と云ふこととなる。

 

ーそしたら、2001年9月11日にアメリカで同時多発テロが起きた。つまり、2年の誤差があったものの、ノストラダムス予言に近いことが実際に起きた。しかも9・11後、中国の進出や北朝鮮の核など、新しい切実な脅威が起こって、人類危機はいっそう深まってる。ー

 

今や世界の危機は人間の観念性の部分から具象的な段階へと質的に変はりつつある。

 

即ち抽象的な危機は心のあり方を変へることで回避することも出来やうが、具象的な危機はもはや人間にとっては如何ともし難ひものだとも言へやう。

 

わたくしは其れこそが眞の危機なのだとさう捉へて来て居る。

 

物理的な危機こそが實は一番怖ひのである。

 

まさに「努力」してもどうにもならぬと云ふ点で其れは恐怖なのだ。

 

 

 

ーその頃は、出版界でも反米的な本を書かせてくれたんです。反米で売ってる人にも、左翼の極端な人もいれば右翼の極端な人もいた。私は両方に書けましたから、両方から出してもらいました。そのときから抜けてないですね。もちろん、アメリカ人が全部悪いというんじゃない。いろんなアメリカ人がいて、一律には言えないですが。 ー【追悼】“ノストラダムスの大予言”五島勉の遺言「日本に言い残しておきたいこと」 作家・五島勉インタビュー #2より

 

米國のあり方がマズひのは一言で言って其れが進歩國家だからなのだ。

右左の別で言へばむしろ米國は左翼國家なのである。

対して英國は勿論保守國家である。

 

ところが資本主義に関して言へばあくまで米國は保守國家である訳だ。

此の辺りの区別につき佐伯 啓思ー京大名誉教授ー先生が各著作に於ひて述べられて居る。

 

つまるところ米國としての保守思想とは基本的に革新思想であることを知らねばならなひ。

米國とは革新的實験國家でありもうひとつの革新的實験國家であったソヴィエト連邦と其の革新性に関しては大差無ひのである。

 

只体制としての方向性が違って居ただけのことである。

 

確かに米國が全部悪ひとは言へぬのだが伝統國家日本と革新國家米國とは國是として元々正反対のものである。

つまりは其れに擦り寄り過ぎて居る日本の國の精神性に矛盾が生じて仕舞ふと云ふ訳なのだ。

 

 

ーただ、しばらくの間、創価学会というのを一つの新しい光みたいにこっちが見ていた時期がたしかにあるんです。でも、今の、自民党の言うことは何でも賛成で、アメリカと一緒になって軍備を増やすことにまで賛成する政党にどうしてなったんだろうというのはあります。ー【追悼】“ノストラダムスの大予言”五島勉の遺言「日本に言い残しておきたいこと」 作家・五島勉インタビュー #2より

宗教政党は権威化して居てはイケナヒことかとは思ふ。

自民党の言うことは何でも賛成で、アメリカと一緒になって軍備を増やすことにまで賛成ーし与党としての地位を守るだけでは宗教が政治に与する意味が無ひ。

だが公明党は其の矛盾の中で頑張って居られることかとは思ふ。

 

むしろ公明党から首相を出し宗教政府として仕舞ったらどうか。

おそらく我我庶民はより暮らし易くなる筈である。

 

今は兎に角自民党のやることが迷走し大混乱に陥りつつある。

創価学会自民党には恩義があるのでパートナーシップを解消することは無ひことだらうがむしろ此の際立憲民主党などとくっつく方が思想的には辻褄が合ふのではなからうか。

元々創価学会は教師が創った左翼的な地盤のものなのであらうから。

 

自民党の其のやりたひ放題、保守としての一強の立場に胡坐をかく独裁の様などは民主國家では許されぬものである。

特に麻生氏は兎に角顔つきが悪く国民を経済的な奴隷のやうに思って居る点がまさに悪代官である。

 

安倍氏はもう子孫も居なひのであるからアノ変な女房と共に引退し早う山口の田舎にて畑を耕し静かにお暮しなされ。

 

 

ー「終末を思う」というのは、自分の家族とか一番大事な人たちをどうやって守るかということなんですよ。この時代、​誰も守ってくれないわけですから。​さっきのジャガイモの話じゃないけど、この前の戦争の時も、戦後に立ち直った人というのは自分で考えていた人です。だから社会がおかしくなったとき、それに立ち向かっていく力を持つ人なら​、未来を切り開いていける​と思う。​私も長く生きてきましたけど、言い残しておけるとすればそういうことですね。「終末を思え、終末の先を切り開け、道は開かれる」ー【追悼】“ノストラダムスの大予言”五島勉の遺言「日本に言い残しておきたいこと」 作家・五島勉インタビュー #2より

 

ー自分の家族とか一番大事な人たちをどうやって守るかーと云ふ点で、大抵の方々は現状の継続をこそ願ふものだがわたくしを始めとするラヒターの方々の意見は其れとは異なる筈である。

五島氏もまたあへて「終末論」を世に問ふことで経済的繁栄に浮かれ騒ひで御座る世の中に疑義を呈して居られたのだらう。

 

ー社会がおかしくなったとき、それに立ち向かっていく力を持つ人なら​、未来を切り開いていける​ー

おおまさに其の通りなのだ。

社会は元々オカシヒのだからいつかはオカシくなる。

 

其のことは法科にてしかと御勉強しなければ分からぬことだ。

法科にてしかと御勉強すると云ふことは、むしろ司法試験を受けたり官僚になったりすることでは無く社会のバカバカしさをこそしかと學んで行くことである。

 

歴史過程としての社会制度の上での矛盾をしかと理解し其の社会こそが悪ひと、おおまさに其こそが大悪党であったとさう気付くことだけが眞の社会の御勉強なのだ。

 

ところがほとんどの人が其れとは違ふ捉へ方をして御座る。

 

1.社会は安泰だ

2.文明も安泰だ。

3.👪も安泰だ。

4.そんなに安定したものを貶すアノ自称ラヒターこそが馬鹿であり犯罪者だ。

 

あー、貶したな、コノヤロウ。

其れに社会科の勉強のひとつもして居なひ癖に。

 

 

ー社会がおかしくなったとき、それに立ち向かっていく力を持つーことは、現代の社会に於ひて其れは至難である。

現代は価値観が合理化され物事を還元的即物的な価値でのみ捉へて来て居る。

 

だから我我の思考のあり方にせよ行動にせよ其れ自体が合理化されて来て居るものとさう捉へられやう。

 

其の合理化其れ自体が我我人間の敵なのであり、實は社会にとっての敵でもある訳なのだが個も社会もまるで其れには気付けぬ訳である。

 

其の合理化即ち進歩に対する意識を改めぬ限り人間の社会=文明はおそらくは何処までも此の狂おしひまでの無駄な努力を積み重ねて行くばかりなのであらう。

 

問題はズバリ其の狂おしひまでの無駄な努力を皆様がむしろ信仰して仕舞って居ることである。

 

だから其の様をわたくしは「洗脳」だとさう申して居るのである。

 

 

尚、此処からは少しわたくしの宗教的な立場に就ひて述べて置きたひ。

 

何故かと言へばわたくしが此処で書ひたものの中で「倫風」誌を取り上げたものが近頃良く視られて居るやうであるからなのだ。

 

其の実践倫理宏正会とわたくしの関係及び其の思想に対する考へ方などを若干述べて置きたひ。

 

ひと言で言へばわたくしは「倫風」誌を読みたひので読んで居るのである。

 

其れも五年程前だったか、ポストの中に其れがあり読んでみると「古き良き日本」としての思想的展開が其処にはあり其れに引き寄せられ配って頂ひて居るのである。

 

尚、職場での知り合ひの元警察官の方ーオウムテロ関連の対策のチーフまでやって居られた宗教には頗る詳しひ富山の出の方ーが此処の団体は良ひから私の分も買って欲しひと言はれたので一年間程其の方にもお配りして居たのであった。

 

が、わたくしの場合は単なる右翼では無くまた左翼ですら無く要するに思索家なので現在はあらゆる思想的な団体とは関係して居なひ。

じぶんでは思想ラヒターであり宗教詩人だとさう思って居るので宗教のことは兎に角良く書ひたりもするが其れは文明が宗教をも含めた精神性の部分を何処かに置き去りにしまさに唯物的な享楽ばかりを追ひ求めて居ることへのわたくしなりの批判の意味なのである。

 

最終的にはわたくしは其の「批判」ー的な理性ーだけを信じて居るので其処には信心も何も無ひのであるが其れでも宗教全体に対しては常に肯定的に捉へて来て居るつもりである。

 

だがわたくしは時に其の宗教其れ自体を否定する共産主義の方へ行ってみたりまた逆に三島特攻のことを悪くは言はぬ訳なのでまさに皆様にとってはわたくしの頭の中身こそがオカシヒ=壊れてるとさう思へるのやもしれぬが其の見方はズバリ正しくは無ひ。

わたくしはさうして概念的矛盾と常に闘ふ詩人なのであり要するに高ひ頻度でもって人間存在の持つ観念的な癖のあり方と闘争し続けて来て居る。

 

わたくしが単なる妄想詩人などでは無ひと云ふことはわたくしの書く優れた文學解釈の部分など視て頂ければ立ちどころに了解されることであらう。

 

だから太宰やわたくしのやうな弱ひ文人を何故貴方方は理解しやうとして居なひのか?

 

もうヘロヘロになり人間の精神の業と闘ふ文人を何故尊敬せぬのだ、お布施を出さぬのだ?

 

いやお布施=購読料が欲しひと云ふ訳では無かった。

 

 

 

兎に角「倫風」誌は変なネット上の芸能ネタなど読むよりは余程に潔癖であり「古き良き日本」としての思想的展開が其処には描かれて居やう。

 

但しわたくしは最近其の「古き良き日本」としての常識的価値を批判して来ても居るのである。

所謂安吾の「阿呆」の価値としての常識的思想展開を批判して来ても居る訳だ。

 

何故かと言ふと、其処に凝り固まるとむしろ逆に其の「古き良き日本」は壊れて行く可能性が高くなるが故になのだ。

「古き良き日本」を實現する為には常識的な価値への批判もまた大事である。

 

長く続きし自民党一党支配のやうにまた其処での米國追随の思想でのやうに考へずに尻尾だけ振ってることこそがまさに保守の腐敗なのである。

 

保守とはさうして腐り易ひ生ものである。

 

生ものは早う食へ。

又は早う冷蔵庫へと入れよ。

 

兎に角さうして逆の立場から自分自身を批判することこそが眞のインテリジェンスなのである。

だが大抵の場合は其処まで行かぬのだし組織が大きくなればなる程むしろ組織の批判など出来なくなって行く。

 

でもわたくしはかくして純粋な理性体なので組織もクソも無く言はば何処までも批判精神だけは一匹🐺なのである。

 

なのだけれども、「倫風」誌は何だか子供の頃の「古き良き日本」を思い出させて呉れるので好きなのである。

尚此処弐箇月程だったらうか、「倫風」誌は最近無料配布されて居る。

 

いつもは有料ー三百円➡弐百円と値下がりーなのだが今は無料配布である。

まさしくコレぞ助け合ひの精神なのではなからうか。

 

コロナ苦をまさに皆で助け合ふ精神なのではなからうか。

 

 

ーただし、会自身は、拝む神も教義もなく宗教団体ではなく、社会教育団体であるとしている。松野純孝によれば、宗教団体ではなく「道徳・倫理・修養団体」を自称しているとされる[1]

そもそも「実践倫理」とは、「明るく幸せな生活」を実現するための、誰にでもたどることができる最も確実な「すじ道」のこと。実践倫理宏正会の目的は「生活の改善、道義の昂揚および文化の発展を図るため、生活倫理を実践することを宏めると共に、これを各人の生活に融合せしめ、人生の苦悶を解脱し、人と争わず、家庭を明朗化し、各々の業務に精励せしめ、人類永遠の平和を目標に、祖国の再建に資する」こととされる。また理念の特徴として、日本固有の文化と伝統を重視し、親・祖先を重んじながらも宗教を説かず、むしろ宗教以前の人間にとって不可欠の問題として倫理を考える。したがって、宗教団体ではなく、社会教育団体であることを強調する。

 

  • 今日一日 三つの恩を忘れず 喜んで進んではたらきます
  • 今日一日 人の悪をいわず 己の善を語りません
  • 今日一日 気付いたことは 身がるに直ぐ行います
  • 今日一日 腹を立てず 不足の思いをいたしません
  • 今日一日 三つの無駄を排し 新しく大地に生き貫きます

 

 

 

実践倫理宏正会は「大自然の法則にそって確立した生活のすじ道を会員に教え実践する」ことを目的としており、祖先から受け継いだ「伝承の重み」を重視する[17]

家族関係については、「目上、目下のけじめ」をつけること、主婦は、主人に反抗してはならず、夫が無理な要求をしたときもまず妻が反省すべきであること、親は子を自然のままにおき「捨て育て」をすべきことなどが教えられる[17]

 

 

共産党社民党を除いた与野党と交流がある。公明党の議員も参加している地域もある。[要出典] また元旦に本部で開催される本部元朝式には、民主党政権時代を含め文部科学大臣をはじめ多くの閣僚が参列しているほか、春と秋に全国各地で開催される大規模な講演会には、国会議員、地元首長が参加している。[要出典]

橋本龍太郎奥田幹生森喜朗武村正義加藤紘一が1996年の50周年記念式典に出席し祝辞を述べた[4]森喜朗は2016年時点で例年元朝式に出席する習慣があった[18]

自由民主党衆議院議員後藤田正純は地元の同僚議員とともに地元活動の一環として元朝式に出席している[9]国民新党亀井静香は自身が実践倫理宏正会に「指導を受けている」と2007年に衆議院予算委員会で述べた[19]民主党衆議院議員逢坂誠二によれば自身のほか2010年の函館支部元朝式に函館市議会議員が出席した[20]。ー実践倫理宏正会より

 

ー「生活の改善、道義の昂揚および文化の発展を図るため、生活倫理を実践することを宏めると共に、これを各人の生活に融合せしめ、人生の苦悶を解脱し、人と争わず、家庭を明朗化し、各々の業務に精励せしめ、人類永遠の平和を目標に、祖国の再建に資する」

理念の特徴として、日本固有の文化と伝統を重視し、親・祖先を重んじながらも宗教を説かず、むしろ宗教以前の人間にとって不可欠の問題として倫理を考える。したがって、宗教団体ではなく、社会教育団体であることを強調する。ー

実践倫理宏正会より

 

 

人生の苦悶を解脱?

確かに文學では人生の苦悶は解脱出来ぬ。

 

が、其れは文學が宗教では無ひからで、ところが文學はマイナスとしての苦悩を受け持つものだと先にわたくしは述べた。

 

苦悩としての自堕落な部分やアウトサイダーアウトローとしての-の部分が人生にとり必ずしも無価値だと云ふ訳では無ひ。

むしろ其れを突き詰めてやった太宰にせよ安吾にせよ、また三島にせよ川端にせよ、さらに芥川や漱石の意義こそが最も大きなものなのだとも言へやう。

 

其の一方にカント的な生活改善からの理性的整頓、理性的鍛錬と云ふことがまたあらうかと思ふ。

其の部分を日本的に焼き直したのが実践倫理公正会による道徳的価値観なのではなからうか。

 

ー夫が無理な要求をしたときもまず妻が反省すべきであること、親は子を自然のままにおき「捨て育て」をすべきことー

うはあー、最高だ!

 

其の「捨て育て」は変なやうな気もするのだがむしろ子供は自然のままの方が良ひのでスマフォなどは持たせるべきでは無ひ。

 

「伝承の重み」を重視

「目上、目下のけじめ」をつける

 

尚此れは当たり前のことである。

現代日本の精神の破壊は近代的な価値によるけじめの破壊、上下関係の破壊から齎されて居ることだらう可能性が高ひ。

 

かうして政治家の面々とも幅広く交流があるやうだが其れは良ひことであらう。

但し橋本 龍太郎の内閣にはかって問題があった。

政府としての米國追従の流れが形成されたのはまさに橋本内閣の辺りからであらう。

 

 

ーむしろ宗教以前の人間にとって不可欠の問題として倫理を考える

したがって、宗教団体ではなく、社会教育団体であるー

 

確かに宗教以前の問題として今我が國では様々な問題行動が問はれて居ることだらう。

まさに此の気候の不安定化と同じ流れにて、人心が不安定となり政治家や官僚、さらに警察官、自衛官、教師による犯罪などが頻発するやうにさへなって来て居る。

 

其れは一面では日本の無宗教化ー佛教の墜落ーの問題でもまたあるのだけれど、まさに其れ以前のケジメの無さ、人間としての躾の無さの問題なのであらう。

 

ー三つの恩を忘れず 喜んで進んではたらきますー

常に恩は感じて居りますが進んでは働きません。

わたくしの仕事は本来ならば批判です。

 

ー人の悪をいわず 己の善を語りませんー

人の悪は言ひませんが社会の悪をいつも糾弾して居ります。

またさも善人さうに威張ることさへもがあります。

 

ー気付いたことは 身がるに直ぐ行いますー

身が重ひと申しますか特に頭の中が重くスッと動けません。

第一人の為にはなかなか動きません。

 

ー腹を立てず 不足の思いをいたしませんー

むしろ腹は良く立てて居ます。

不足は感じませんが社会は強欲で悪ひとさう思ひます。

 

ー三つの無駄を排し 新しく大地に生き貫きますー

社会の無駄は無くした方が良ひとさう思ひます。

其れに政府も國會議員もまた無駄なのかもしれませんよ。

其れもふざけて居るのじゃ無く真剣にさう思ひます。

 

 

兎に角「社会教育」こそは必要です。

 

「社会教育」が悪ひとこんなことになります。

 

でもいざコロナとなると社会教育団体もまた大変ですね。

いざコロナとなると全組織が大変なのですね。

 

むしろ人間の居なひところこそがほとんど変はりません。

だからわたくしなどはほとんど何も変はって居なひ。

価値観が元々社会的では無く其れこそ隠棲詩人ですので変はりやうが無ひのです。

 

そんな訳で朝五時~六時にもたれると云ふ朝起会には出向きませんがとりあへず思想的には擁護しておきました。

 

ちなみにわたくしは共産主義者ではありません。

 

ありませんのですが、最近は「赤旗」もまた読んで居ります。

と同時に「倫風」もまた読むのです。

 

思想云々と云ふよりも兎に角ラヒターですので思考の幅を広げる為にむしろさうして居るのです。

 

佛教にせよ学会のやうに法華経だけでは駄目なのです。

概念は常に幅広くしかも深く吸収し統合を試みて行かねばなりません。

 

さうでなければ人間の観念は必ずや誤謬に陥ります。

自分でもって正しひとさう信じ込んで居ても其れは誤りなのです。

 

特に社会を論ずることは一面の立場からのみでは不可能なこととなりませう。

人間の観念的な癖とは其の一つの立場にのみ固執して仕舞ひ易ひことです。

 

 

大自然の法則にそって確立した生活のすじ道を会員に教え実践する」

いや確かに其の自然の摂理こそが大事なのです。

正しひ生活の行動の上での実践もまた大事です。

 

然し今文明其れ自体が自然に問はれて居るのだとしたら組織はもはや其れには対処出来ぬのではなからうか。

其れは組織としてはもはやものが言へなくなると言ふことです。

 

実践⇔観念

わたくしは両方とも大事なのだとさう考へて来て居ます。

さう個としてバランスを取ると言ふ意味で大事なのです。

 

自然⇔文明

他方で自然と文明のバランス化は社会的に難しひことだ。

難しひが故に政治家や官僚の責任は常に重ひ。

政治家や官僚は真面目な人の方が良ひのかもしれません。

ー実際には政治家や官僚は社会的に堕落するが故に次第に不真面目となり易ひー

 

彼等をこそビシバシと鍛へてやって下され。

政治家や官僚が不真面目ですと、また公務員や自治体組織が皆不眞面目ですと其の侭にやがて國は滅びませう。