ー植木等の父親である徹誠(てつじょう)は、かつて徹之助と名乗っており、若い頃はキリスト教徒であった。後に浄土真宗の一つである真宗大谷派常念寺の住職となる。たいへんな社会的正義感の持ち主で、被差別部落出身ではないが「自分は部落民ではないと思うことが、すでに相手を差別していることだ」と述べて、水平運動に参加した。治安維持法違反の罪に問われて何度となく投獄をされても、積極的に反差別と反戦を貫いて運動、戦後は日本共産党に入党し、60年安保のデモ隊にも参加するというような「行動する僧侶」だった。ただし、父は「謹厳実直」なだけの人物ではなく、息子・等から見ると「支離滅裂」で、義太夫語りになろうとしたこともあり、「いわば蕩児でもあった」という[6]。
等の少年時代には、ステテコ一丁の徹誠が等を寺の「仏様」の前に連れて行き、物差しでその頭を叩きながら「この音を聞いてみろ。金ピカだけれども中は木だ。こんなものを拝んでもどうにかなると思ったら大間違いだぞ」と諭したという[7]。「等」という名前は、社会運動家の顔も持っていた父が「平等」にちなんで名づけた。少年時代の等は、投獄された父に代わって僧衣を纏い檀家をまわるという生活を送っている。その経験もあってか、1993年にハナ肇が亡くなった際、その葬儀において自ら読経した。
植木は自身を、少年時代多くの苦労をした割に、不思議と大変明るい性格であることは認めているが、それ以外はどちらかというと頑固で、こだわりや責任感の強い人間であると述べている。『植木等デラックス』でゲストのさだまさしが、「無責任男」を「植木さんが無理矢理お作りになったキャラクター」と述べたところ、植木は「そうなんだよ、世間はあれが地だと思っているんだ」と笑っていた。黒柳徹子は植木を「有責任男(うせきにんおとこ)」と評した。
植木の人気絶頂期に付き人兼運転手として接した小松政夫の証言によれば、植木は『仕方話』[8] の達人で場を盛り上げるトークが得意だったが、基本的に物静かで生真面目であり、一度も頭ごなしに怒鳴られたことがなかった。ただ女遊びやギャンブルは嫌い、その点は大変厳しく指導されたという。「貧乏人の倅」を自称しており、貰った給料は小遣い代を除いてすべて夫人に渡す、食事も「どん底でも平気だ」と語っていたことを裏付けるように、毎日同じおかずでも不満を言わないくらいだった[注釈 4]。酒も飲まなかったが、これは体質的にアルコールを受け付けず奈良漬でも酩酊しかねないくらいだったためで、本人は酒を飲んで酔える人がうらやましいと漏らしていた[注釈 5]。
そんな真面目な性格であるから「スーダラ節」の楽譜をはじめて渡された時には、「この曲を歌うと自分の人生が変わってしまうのでは」と真剣に悩んだ。父親に相談すると「どんな歌なんだ?」というので植木はスーダラ節を歌ってみた。激しい正義感の持ち主の父の前で歌ったあまりにふざけた歌詞に激怒されると思いきや、父は「すばらしい!」と涙を流さんばかりに感動した。唖然とする等が理由を尋ねると、「この歌詞は我が浄土真宗の宗祖、親鸞聖人の教えそのものだ。親鸞さまは90歳まで生きられて、あれをやっちゃいけない、これをやっちゃいけない、そういうことを最後までみんなやっちゃった。人類が生きている限り、このわかっちゃいるけどやめられないという生活はなくならない。これこそ親鸞聖人の教えなのだ。そういうものを人類の真理というんだ。上出来だ。がんばってこい!」と諭され、植木は歌うことを決意した。このエピソードは、植木が歌手として生きていく上で生涯の支えになったという。ー植木等 #父の影響 素顔の植木等より
昔ー我我がまだ幼稚園児から小学生の頃ータレントの植木 等が全盛時代を迎へて居て其れを屡TVー其れも当時は白黒TVでもってーで視て居たものであった。
彼は昭和に生まれ生きた日本人なら誰しもが知って居る歌手でありコメディアンであった。
ちなみにわたくしは元々人間に対する観察眼が鋭ひ部分がある。
其れで当時此の人はまるで面白くは無ひ妙に真面目な感じの人なのに有名なタレントさんだからーある意味ではー無理をしつつこんなことをやって居るのだらうな、とさう幼心に思ったりもして居たのだった。
つまるところ当時からわたくしは其の植木 等の生真面目な部分を見抜ひて居たのだった。
ー1926年12月25日 - 大正天皇が崩御した日に愛知県名古屋市に生まれる[3]。父・植木徹誠(1895〜1978)は、真宗大谷派名古屋別院にて僧侶の修行中だった。
1939年 - 僧侶としての修行をするべく、東京・駒込の真浄寺へ小僧になるため上京。ー植木等#来歴より
植木 等さんは元々御寺の息子さんであり、ー少年時代の等は、投獄された父に代はって僧衣を纏い檀家をまわるという生活を送っているーのであるからある意味では本職としても僧侶を経験されて居るのである。
しかしながら其の常念寺の御住職としての父親の徹誠さんが若ひ頃キリスト教徒であったと云ふのは驚きである。
此の方がたいへんな社会的正義感の持ち主でありまさに社会の矛盾と闘ふ僧侶でもまたあったやうだ。
ー基本的に物静かで生真面目であり、一度も頭ごなしに怒鳴られたことがなかった。ただ女遊びやギャンブルは嫌い、その点は大変厳しく指導されたという。ー植木等 #父の影響 素顔の植木等より
女遊びやギャンブルや飲酒を嫌ふ人はどうしても生真面目で物静かな部分を持ち合はせて居る。
まさにわたくしがさうなのだ。
植木 等さんは家の父親などよりも一世代上だったのだが兎に角当時はまさに一世を風靡した有名人だった。
其の植木 等と云へばスーダラ節である。
チョイト一杯の つもりで飲んで
いつの間にやら ハシゴ酒
気がつきゃ ホームのベンチでゴロ寝
これじゃ身体(からだ)に いいわきゃないよ
分かっちゃいるけど やめられねぇ
ア ホレ スイスイ スーダララッタ
スラスラ スイスイスイ
スイーラ スーダララッタ
スラスラ スイスイスイ
スイスイ スーダララッタ
スラスラ スイスイスイ
スイスイ スーダララッタ
スーダララッタ スイスイ
ねらった大穴 見事にはずれ
頭かっときて 最終レース
気がつきゃ ボーナスァ
すっからかんのカラカラ
馬で金もうけ した奴ぁないよ
分かっちゃいるけど やめられねぇ
ア ホレ スイスイ スーダララッタ
スラスラ スイスイスイ
スイーラ スーダララッタ
スラスラ スイスイスイ
スイスイ スーダララッタ
スラスラ スイスイスイ
スイスイ スーダララッタ
スーダララッタ スイスイ
一目見た娘(こ)に たちまちホレて
よせばいいのに すぐ手を出して
ダマしたつもりが チョイとだまされた
俺がそんなに もてる訳ゃないよ
分かっちゃいるけど やめられねぇ
ア ホレ スイスイ スーダララッタ
スラスラ スイスイスイ
スイーラ スーダララッタ
スラスラ スイスイスイ
スイスイ スーダララッタ
スラスラ スイスイスイ
スイスイ スーダララッタ
スーダララッタ スイスイ
「スーダラ節」歌詞より
ーそんな真面目な性格であるから「スーダラ節」の楽譜をはじめて渡された時には、「この曲を歌うと自分の人生が変わってしまうのでは」と真剣に悩んだ。父親に相談すると「どんな歌なんだ?」というので植木はスーダラ節を歌ってみた。激しい正義感の持ち主の父の前で歌ったあまりにふざけた歌詞に激怒されると思いきや、父は「すばらしい!」と涙を流さんばかりに感動した。ー
スーダラ節とはまさに高度経済成長期に流行った庶民感情を正直に歌った曲である。
ところが当の植木にとっては、其れはむしろ自分の生真面目さとは正反対の内容を歌ひ込んだものなのだった。
ー唖然とする等が理由を尋ねると、「この歌詞は我が浄土真宗の宗祖、親鸞聖人の教えそのものだ。親鸞さまは90歳まで生きられて、あれをやっちゃいけない、これをやっちゃいけない、そういうことを最後までみんなやっちゃった。人類が生きている限り、このわかっちゃいるけどやめられないという生活はなくならない。これこそ親鸞聖人の教えなのだ。そういうものを人類の真理というんだ。上出来だ。がんばってこい!」と諭され、植木は歌うことを決意した。このエピソードは、植木が歌手として生きていく上で生涯の支えになったという。ー
浄土眞宗の僧侶としての植木の父親には此の歌一つにもそんな深ひ洞察があったのだった。
浄土眞宗は元より人生の矛盾を否定的には捉へずむしろ其の矛盾を其の侭に認めて行くー其れでも最終的には其れをも放棄して行くー為の教へである。
まさに其の矛盾こそが、潔癖な佛教宗派からするとまるで分からぬのである。
第一念仏さへ唱へれば極楽往生出来ると云ふのであれば其れは神を信じれば神の王国へ行けると云ふキリスト教の教義とまさに瓜二つではなひか。
尤もより正確には極楽往生した上でようやく成佛への機縁が生ずると云う事なのだらうが。浄土真宗 #教義
浄土眞宗が矛盾的佛教であることはほぼ確かなことかとも思はれるのだが、さうかと言って其れを一概に否定しては居てはいけなひとわたくしは五十を過ぎた辺りからさう思ふやうになった。
他方では禅宗の持つ精神性の部分に深く捉へられながらも、浄土眞宗の持つ現實性と云ふか矛盾への対応力と云ふか庶民的な融通性と云ふかそんなものにも一方では気付かされ否定すべきものでは無ひとさう判断するに及んだ。
其のことはまた若ひ頃に其の作品に親しんで居た五木 寛之先生の眞宗に対する御仕事への尊敬の気持ちでもまたあったのだった。
ーわかっちゃいるけどやめられないー
まさに此れが眞實なのだ。
さうして酒に飲まれギャンブルに嵌りおまけに腐ったやうな👩につひ手を出して仕舞ふ實情としての庶民の感情。
眞理などは遠くに霞んで見へず見へてるのはハシゴ酒することとなけなしのボーナスを競馬に注ぎ込み大穴を狙ふだけのこと。
其れから👩とねんごろになること。
嗚呼、だがわたくしはそんな庶民感情を無視する訳にはいかぬ。
人間の弱さ、さもしさ、バカバカしさにある意味ではしかと寄り添って居るのが浄土教やキリスト教なのであらう。
其処にはインテリ佛教でもある禅や天台宗などとはまた違ふ尺度なり展開なりがあるのではなからうか。
即ち理窟だけでは此の世の現實の部分は決して回っては行かぬ。
さうしてむしろ逆を見詰める。
其れも生真面目なアノ植木 等氏があへてやったやうに。
ー「この曲を歌うと自分の人生が変わってしまうのでは」と真剣に悩んだー
本人がさうして真剣に悩んで居るにも関はらず『スーダラ節』は六十年代の日本の経済成長を支へるかの如くに大きくヒットしたのだった。
此の曲が巷に流れて居た頃わたくしはまだ幼稚園児だったのだがまさに面白ひ曲としていまだに耳にこびりつひても居るのである。
ーア ホレ スイスイ スーダララッタ
スラスラ スイスイスイ
スイーラ スーダララッタ
スラスラ スイスイスイ
スイスイ スーダララッタ
スラスラ スイスイスイ
スイスイ スーダララッタ
スーダララッタ スイスイー
「スーダラ節」歌詞より
だが問題は實は此処からなのだ。
かっての六十年代と七十年代の前半までは、
ースイスイ スーダララッタ
スラスラ スイスイスイ
スイーラ スーダララッタ
スラスラ スイスイスイー
「スーダラ節」歌詞より
との乗りにて確かにかうも行けたのである。
今から思へばまさに古き良き時代であったと申す他は無ひ。
今はそんな無責任👨のあり方から責任👨の時代となり男性は息抜きがもう何処でも出来なくなって居やう。
いや息抜きは幾らでも出来やうが完全に息抜きすると決まってもうダメである。
ー頑固で、こだわりや責任感の強い人間であるー植木 等の性格はかの信長の性格にも一面では通じて居たのではなかったらうか。
かうして名古屋人はこだわりや責任感の強く眞面目な人が案外多ひのではなからうかと最近になり思ふやうになって来た。
だからこそ他県の人々には理解がしにくひ郷土としての精神性を有して居るのではなからうか。
また植木 等には結果的にさうした二面性があったのである。
おそらくは信長にも其れがあり、或はわたくし自身にも其の流れが脈々として受け継がれて居るのやもしれぬ。
で、今回一番言ひたひことは實は其の名古屋人の二面性の話では無く植木 等がかってとんでも無ひ歌を實は歌っておったと云ふ事實なのだ。
どんどん だんだん 温暖化
どんどん だんだん 温暖化
こんな地球に誰がした
けっこう 毛だらけ 灰だらけ
けっこう 毛だらけ 汗だらけ
しっかし此れでは今まさにシャレにならぬ歌ではありませぬか。
但し此の曲の発売日の1990年11月25日の時点では地球温暖化はかうしてパロディ化することも可能な程度の問題だった訳だ。
結局わたくしが何を言ひたひのかと云ふと、スーダラ節が出た1961年からは60年弱、さうして地球温暖化進行曲が出た1990年からは30年程がすでに経過して居るのである。
其の半世紀余りの間に文明の安定度が失はれパロディ化することなどとても許されぬ時代の状況、まさに抜き差しならぬ時代が到来して居ると云ふことこそを述べたひのだ。
但しほんたうはわたくしの話は基本的に面白く案外抜けて居たりで憎めなひところがあるんである。
ところがもはやさうした部分を示せぬ切迫感が文明に対し漂って来て居やう。
其処のところが實は面白ひところで、かって植木 等氏がやったやうにある意味ではわたくしもまた二面性を是非使ひ分けて行かねばならぬところへと至って来ても居るのだ。
何でわたくしがさうして居るのかと言へばさうしておかなひと話が深刻過ぎて息抜きの部分が出せなくなって仕舞ふからなのだ。
現在関西の方の芸人なども三割程が辞めて居ると云ふ情報すらもがある。
次第にパロディや冗談、軽口の類が叩けなくなって行くのではなからうか、此の21世紀の文明に於ひては。
要するに自分自身にとってもまた文明にとってもある程度は遊びの部分が無ひと社会は上手く回って行かぬのやもしれぬ。
現在わたくしが危惧するか又は気になって居る部分がまさに其のことなのだ。
なので時代錯誤ではあれ、まさに、
ーア ホレ スイスイ スーダララッタ
スラスラ スイスイスイ
スイーラ スーダララッタ
スラスラ スイスイスイ
スイスイ スーダララッタ
スラスラ スイスイスイ
スイスイ スーダララッタ
スーダララッタ スイスイー
「スーダラ節」歌詞より
で良ひのである。
もはや此の際ケセラセラ-「Que Será, Será」-なのだ。
無論のこと文明の仕出かしたことへの責任は為政者又は支配層に問うて行かねばならぬのだが基本的には我我個は「なるやうになるさ」で良ひのである。
またある程度は無責任👨でも良ひのである。
第一そんな世の👩共が期待する通りに稼ぎやら地位やら名誉やらを👨共が追求して来た余りに地球が壊れちゃったのだぞよ。
もはや此の際引退だ、引退。
もはや此の際価値観のシフトだ、目指すべきこそは其の逆の無責任の価値であり放棄の価値だ。
もはや無為だ、自然だ、アナキズムだ。
さうして社会の批判だけだ。
批判だけしてもう何もしなひ。
責任は一切もう持ちませぬ。
ースイスイ スーダララッタ
スラスラ スイスイスイ
スイーラ スーダララッタ
スラスラ スイスイスイー
「スーダラ節」歌詞より
ケッセラーセラアー♪ケ・セラ・セラ【訳詞付】- ドリス・デイ
ケッセラーセラアー♪ケ・セラ・セラ(ペギー葉山)1996
但しカン違ひして居てはイケナヒ。
政府及び國會議員また官僚組織は「スーダラ節」でも「ケ・セラ・セラ」でもまるでダメだ。
逆に私財を擲ち御國の為に滅私奉公せよ。
特攻だー、もはや此の際コロナ特攻だ!