目覚めよ!

文明批判と美と心の探求と

日本國としての精神のあり方

ーこのままでは日本の雇用制度は10年もたない、いや多くの大企業そのものが、10年持続できない、という点で一致しているのである。

安倍首相と日銀の黒田総裁は、貨幣をどんどん発行すれば需要が拡大すると考えたのだが、需要は拡大せず、財政が悪化しただけであった。国民が将来展望がないと感じているので消費しないのである。

米国、イギリス、フランスなどの出生率が1・7以上あるのに、日本は1・4台で推移してきており、人口は年間に約50万人減少している。そして、働く世代の減少に反比例して、日本人の寿命が延びている。35年ごろには、平均寿命が100歳を超えると見られている。となれば、現在の年金制度は破綻し、受給年齢を80歳にしなければならなくなる。

1989年、時価総額で世界のトップ50社の中に、日本企業は32社入っていた。ところが2018年には、残っているのはトヨタ1社のみで、ほかはすべて落ちてしまったのである。

 

理由は二つ。一つは、ヨーロッパや中国だと2千万円以上の俸給が出るのに、日本は年功序列制のため、研究者が20代の場合、それほど高い俸給は出ない。もう一つは、日本の経営者は失敗というものを認めない。だが、人工知能の開発は何度も失敗を繰り返さないと成功しないのだ。


 こうした理由で、米国の研究者は日本には来ない。そのため、日本では人工知能の研究者が育たず、日本の会社も研究所をシリコンバレーに設けざるを得ないというのである。

 一方、シリコンバレーの研究所スタッフと日本の本社との間には深い溝があり、誰もが頭を悩ませている。日本の本社の考えでは、研究所のスタッフは思い切ったチャレンジができないという。日本の大企業はいずれもサラリーマン経営者だから、失敗が怖くて守りの経営になってしまうからだ。ー

東京一極集中で、ほとんどの地方自治体が衰退している。20年たつと、地方の多くの中堅都市が消滅してしまう。田原総一朗「日本の大企業は10年ももたない。危惧するこれだけの理由」より

 

 

元より日本人は近代的な雇用其れ自体に依存し過ぎて居る。

雇用や天皇制を信じ過ぎて居り其れがさも絶対のことであるやうに思って居やうが其れは誤りだ。

 

さてわたくしは何を言って居るのか?

其れは信じるものがそも違ふとさう言って居るのだ。

信じるものは、労働でも経済でも無くまた👪でも天皇家でも無く宗教であるべきだ。

 

また日本人は教育をも其処で信じて来た。

戦後民主主義なる教育の力を過信して来たのである。

 

だが其の教育の形がさらなる合理化により崩壊しつつあるのやもしれぬ。

 

さうした社会制度上のことは實は如何様にも変化し得る。

何故なら近代國家自体がさうした変化ー進歩ーを前提に組み上げられし社会システムなのだから故に。

 

まず日本人は其の認識上の誤りに自ら気付かなくてはならぬことだらう。

要するに日本の社会制度は須らく封建制幕藩体制ーの域を出るものでは無ひと云ふのに経済だけを頑張って来たが其の努力も所詮は封建的努力だったので21世紀の儲け方とは齟齬が生じて仕舞ひ其れでもって大企業が軒並み凋落して仕舞ったのだ。

 

だったらどうすれば良ひのだらうか?

いっそのこと幕藩体制に完全に戻し鎖国しやう。

 

だが其れは不可能である。

ならば精神の面だけさうして鎖国して置けば宜しひ。

 

 

つまるところは明治以降近代化に勤しみつつ特に戦後は滅私奉公する形で仕事をして頑張って来たと云ふのに崩壊寸前の形に追ひ込まれて仕舞った。

其処へ持って来て今回コロナ禍が起きた。

 

だからもう放棄だ、放棄、諦めだ、諦め。

さうだ日本國を農業国へと戻さう。

 

やがて金が回らなくならうからもう自給自足にて生きるしか無ひ。

さうだ家庭菜園をつくらう。

 

さうだ鶏を飼おふ。

すると毎日卵が食へるぞ。

 

日本人の頭が悪ひのはまさにそんなカラクリに気付けぬ部分こそがさうなのだ。

 

 

そんな農業国に🚙は要らぬので🚙に乗るのはもう止めやう。

会社へ行くのも止め田舎へ移住し農業をしやう。

 

話が滅茶苦茶になって居ませんか?

いや、あくまで正論です。

 

日本はもう近代化を止め幕藩体制へと移行して行くべきなのだからして。

 

東京一極集中の半分は虚の一極集中で、其の虚の集中の分が地方都市の食ひ扶持を奪ふものだから次第に地方都市が疲弊し滅んで行かざるを得ぬことだらう。

但し愛知や京都は地方都市では無ひ。

 

事實愛知はこれからも産業力で食って行け京都は観光資源にて食って行ける。

あくまで独立独歩の中核都市だと云ふこととなる。

 

日本人は変はりたく無ひ保守的な民族なので兎に角変化が怖ひ。

わたくしなどもまさにさうなのでつひ現状に甘へて仕舞ふのだがほんたうは其の変化に対する方策を今講じて置かねばならぬのであらう。

 

 

政治学者の姜 尚中氏は日頃からわたくしが尊敬して止まぬ現代の知性である。

姜 尚中連載「eyes」

 

 

ーもちろん今の状況はリーマン・ショックとは違い、金融恐慌はまだ起きていません。しかし、すでに信用収縮が起きる可能性もあり、日銭商売や零細企業などの倒産などによって体力の弱った地方銀行の破綻などもあり得ます。

 もう一つ懸念されるのは年金保険料の運営管理です。積立金運用は株式の比率が高く、株価の影響を受けやすい一面があります。市場は欧米不況による世界恐慌という見方も強まっています。株価が急激に下がれば年金積み立てのファンドが欠損して大変なことになります。日銀にもう打つ手はほとんどありません。新型ウイルスという予測不能の疫病によって経済が疲弊したのではなく、アベノミクスの限界が明快に出たところに新型ウイルスが重なり、アベノミクスの失敗が露わになったと見るべきではないでしょうか。ー姜尚中「日本経済の疲弊は新型ウイルスのせいではなくアベノミクスが原因だ」より

 

さうだ、年金保険料の運営管理には反対!

 

 

田中秀臣(日本経済思想史)は、「池田勇人の経済政策である所得倍増計画は、1)日銀の金融緩和政策スタンス、2)インフラ整備中心の財政政策、3)貿易の自由化・エネルギー政策の転換・規制緩和など、によって実現を目指すものであった。この3つの要素は、アベノミクスの『三本の矢』と相似している」と述べている[319]。ーアベノミクス #議論と論評より

 

其のアベノミクスの失敗の原因は良く分りませんのですが、其れが所得倍増計画と似て居るのだとなるともはや此れは時代が全く違ふことでせう。

いずれにせよ給料を出さぬ社会にして仕舞った上でまた不安な未来を築くに至った上で内需拡大など無理なのですしまた世界的に見ても経済成長其れ自体が無理なのであり要するに資本主義其れ自体が沈没しかかっても居やう。

 

文明規模での人類の発展はもはや終はりを遂げ21世紀は近代に犯した人類の罪と向き合はねばならぬのだと個人的にはさう捉へて来て居る。

どうのこうのと云ふことでは無く其の罪を自覚せぬ文明社会のあり方にこそ問題は存して居やう。

 

 

ー確かにマックス・ウェーバーの古典的な定義が示すように、政治とは暴力の独占体である国家の権力の維持、配分、あるいは変更に関与する行動であり、その限りで政治は権力闘争の面を持っています。しかし、忘れてはいけません。その暴力の独占は、「正当性」(レジティマシー)がなければ、ただのアウトローの暴力と同じであり、「正当性」は権力闘争の勝ち負けからは導き出せないのです。もしそうなら「力こそ正義」になり、「正当性」を不問に付した強権政治と変わらなくなります。

「一強多弱」と呼ばれる安倍政権下で問われ続けてきたのは、この「正当性」でした。それをないがしろにして政治を権力闘争とみなしてきた政権の生理は、今や政権中枢内部の暗闘となり有事そっちのけで権力闘争を繰り返しているように見えます。この意味でまだ危機的な有事や例外状況にスイッチできない平時の「コップの中の嵐」が続いているのです。ー姜尚中「現政権の機能不全と、正当性ないがしろの権力闘争がコロナで露呈した」より

 

ー「正当性」は権力闘争の勝ち負けからは導き出せないー

ー「一強多弱」と呼ばれる安倍政権下で問われ続けてきたのは、この「正当性」でしたー

ー政治を権力闘争とみなしてきた政権の生理は、今や政権中枢内部の暗闘となり有事そっちのけで権力闘争を繰り返しているように見えますー

 

 

仰るやうに政権の生理又は自由民主党の生理其れ自体が危機的な有事や例外状況にスイッチできない状態を組み上げて来て居るだらう可能性が高ひ。

或は日本が変はれぬ伝統國であることと其れは深く結び付ひて居ることなのやもしれぬ。

 

先にも述べたやうに日本國では革命がそもならなひ。

革命して社会を根本から変へる位であればもう死んだ方がマシだ。

 

いや、滅びても良ひ。

兎に角日本の伝統が大事であり会社の方もこれ迄の実績や社歴の方が大事だ。

 

そりゃ大事だ。

大事なんだが、此の現代社会こそがそも其の変革を強ひる社会システムなのだ。

すると其処には大きく矛盾が存して居ることとなる。

 

かって全共闘が其の矛盾をつき此の変はりやうの無ひ日本國を革命しやうとしたのだったが結局みんな山の中や海外へと逃げて行って仕舞った。

或は思想転向して大學の先生とかになって仕舞った。

嗚呼、さうだ、かの呉 智英氏などもまさに其の一人だったことだらう。

 

 

そんなに日本を革命したひの?

いやさうじゃ無ひ。

むしろ徳川の体制に戻らうとさう言ふておるだけのことだ。

 

もはやどんな國も江戸時代には戻れません!

さうかなあ、おまへがさう決め付けて居るだけのことではなひのかな。

 

 

第一アノブータンなどは後ろ向きにてなかなか良ひ國ではなひか。

IMFの統計によると、ブータン2013年GDPは19億8500万ドル(約2000億円)であり[1]日本の人口6万人程度の市町村に相当する経済規模である。同年の一人当たりのGDPは2,665ドルであり、世界平均と比較すると大幅に低い水準である[1]2011年アジア開発銀行が公表した資料によると、1日2ドル未満で暮らす貧困層は17万人と推定されており、国民のおよそ25%を占めている[32]国際連合による基準に基づき、後発開発途上国(最貧国)に分類されている[33]。ーブータン #経済より

ブータン経済において農業は非常に重要な基幹産業である。1990年時点では労働人口の9割が自給的な農業、もしくは放牧業に従事していた。これらの農民の多くは国民経済計算の対象となる貨幣経済に属していなかったため、ブータン経済は実態よりも小さくみえる。国内総生産においても農業部門が43%(1991年)を占めていた。平原であるわずかな低地部ではコメが、国土の50%を超える山岳部では果樹などが栽培されている。ブータン農業は自家消費が目的であり、自給率はほぼ100%だった。例外は輸出が可能な果樹、原木である。ーブータン#農業より

 

 

そんな幸せさうにも見へるブータンにも近年は大きく問題が生じて居るものらしひ。

 

 ーその国の経済的な豊かさを示す国内総生産GDP)でなく、「心の豊かさ」を国の成長指標に用いている、ヒマラヤ山脈南麓の小国・ブータン。自国文化を守るための鎖国政策を1971年まで続け、仏教の教えにならい、「今」に生きることで幸せを追求してきた。

 ティンプーで気になったのが、建設中の建物が多いことだ。首都に流入する人口は増え続けており、住宅の建設ラッシュが続いているという。ホテルの建設も盛んだ。30年前までは何もなかったという首都郊外も、いまや竹の足場が組まれた建設現場と化している。

テクノロジー流入も人々の生活に大きな影響を与えている。ブータンは異文化の流入が自国文化に及ぼす影響を懸念し、長い間、テクノロジーの受け入れを拒んできた。

 

それが、2000年ごろから個人でインターネットを利用できるようになり、パソコンや携帯電話の保有が一気に進んだ。その衝撃の大きさは「第2の開国」と言っていいほどだったのではないだろうか。

食事のスタイルも変わってきた。ティンプーやパロのレストランに行くと、テーブルにはナイフやフォーク、スプーンが揃えられている。ブータンでは手で食事をする文化があるため、旅行客向けのテーブルセットではあるものの、ブータン人も外食時はナイフやフォークを使うようになったという。  

優秀な学生ほど奨学金を得て海外の大学に進学し、帰国後に政府機関に勤めたり、自分でビジネスを立ち上げたりして成功していく。さらに、農村部からの若者の流入で、都市部の就職は激化しており、これらが富裕層と貧困層の差を広げ、社会問題になりつつある。

また、近年の建設ラッシュやツーリズム産業の成長が自然環境に及ぼす影響を懸念する声も聞かれる。長い間グローバル化に巻き込まれないよう耐えてきたブータンだが、「第2の開国」とともに、グローバル化の波に飲み込まれようとしているようにも見える。近代化はどう人々の幸せに影響しているだろうか。財布にお金がなくとも、人々は日々の暮らしに幸せを感じていけるだろうか。新しいブータンの一面をみた訪問となった。ー幸せの国ブータンに押し寄せる近代化の波より

 

 

ブータンはかうしてかって鎖國して居たのだった!

鎖國して居たからこそ、かうして貧しくとも信心深くして心は豊かであった。

 

かうして佛教の教へに倣ひ具象的現在に生きる。

嗚呼何て偉ひ國なのだ。

 

功利主義の日本とは違ひまるでお釈迦様のやうな國家だぞよ。

 

ところがヤバひことに現在では近代化されて来て居るやうだ。

其れも不必要に近代化されて来て居るものらしひ。

 

近代化を止めよ!

今すぐに鎖國へと戻せ。

 

かくして近代化すればする程みんなが不幸になる。

近代化とは破壊であり其れこそがズバリ悪魔の仕業のことだ。

 

早う幸せな農業國へと戻らう。

食料自給率が百パーセントならばもう温暖化も何も怖くは無ひぞ。

 

 

 

ーたしかに、ブータンには日本では見ることのできない風景が溢れている。

 けれど、世界一幸福なのか、と問われると言葉に詰まる。ほほえみを浮かべながら道をゆく人もいるし、多くの人は親切だ。だが、終始しかめっつらで雑貨を売るおばちゃんや肩をいからせながら人ごみを押しのけて歩く人もよく目にする。日が落ちた路地裏にはぎらぎらした目つきの男たちがたむろし始めるし、記者が宿泊していたホテルの目と鼻の先では、現地人同士の喧嘩の現場検証をする警察官にも出くわした。

 つまり、幸せもあれば苦悩もある、普通の国に見えるのだ。

 

「正しくは『世界一幸福な国を目指している国』。その目標を実現するための政策の柱がGNHで、幸福というイメージが独り歩きしてこうした誤解が生じたのだの考えられます」(平山氏)

 1970年代に当時のブータン国王によって提唱されたGNH。物質的な豊かさのみではなく、精神的にどれほど充足しているかを示すこの指標は、当時国際社会との交流を開始したばかりのブータンにとって国家のアイデンティティーの萌芽になり得るものだった。

ではブータンの現状とはどのようなものなのか。先の平山氏は「多くの国がそうであるように、貧富の差の拡大や失業率の上昇、農村の過疎化など、さまざまな問題が山積している」という。なかでも問題視されているのが少年犯罪だ。

長らく隣国以外の外部社会との繋がりが希薄であったブータンが国際社会との交流を本格的に始めたのは1970年代。それを契機に始まった近代化のスピードは、ほかの国々が経験したものとは比較にならない。

 

ブータンの為政者は『ブータンとしてのアイデンティティーを打ち出していかなければ、国がなくなってしまう』という強い危機感を抱いたはずです。その打開策の終着点のひとつがGNHだった。国家ブランドの確立という観点では非常によく考えられており、実際にある程度の成果を収めています。そういう意味ではブータンは“実験国家”なのです。かつて中国とインドという脅威から生き延びたように、現在抱える社会問題に対しても何らかの打開策を打ち出せるのではないか。この国にはそう思わせる力があります」ー「世界一幸福な国」をめぐる誤解 ブータンで今起きていることより

 

 

確かにブータンの貧しくとも静かな暮らしを求めた其の國是としての奇跡、奇跡的な清貧の価値観に支へられしかの國のあり方こそが一種の実験國家でもまたあった訳だ。

だが近代化すればする程にさうした清貧の意義も次第に薄れて行かざるを得ぬ。

 

だが近代的な価値観は其の根本に誤りを抱へて居やう。

近代とは無理を押し通すー自然に負荷をかけるーことで僅かな期間ホモ・サピエンスとして頂点での繁栄を為しすぐに滅び去るもののことだ。

 

其の寿命が至極短ひものなのだとも言へやう。

 

其処に人間其れ自体の寿命は倍増した筈なのに種としての人間即ち社会として文明としての寿命がすぐに尽きて仕舞ふのだ。

 

尤もわたくしは三十代位の頃からすでにさう考へて来て居た。

此の文明は又はホモ・サピエンスと云ふ種は結局長続きしなひことだらう。

 

 

國家としての日本には或はさうした視点が何より欠けて居ることかと思ふ。

 

伝統國家として其れは二千六百年余も続ひたのであるから無論のことこれからも其れがずっと続くとさう信じ込んで御座るのだ。

だが其の価値は信じ込んで居るやうなものなのではおそらく無ひ。

 

我我が信じる価値とは伝統の継続でも無く経済成長の維持なのでも無ひ。

個人的に其れは壊れても壊れぬ価値即ち理念的な価値なのではなひかと考へる。

理念的な価値には宗教も含まれるが、たとへばかのブータンのやうに其処でGNHと云ふ精神的な価値を打ち出すことでもまた良ひ訳だ。

 

精神的な価値こそがまさに社会をさう規定するのである。

ところが明治以降、特に戦後社会に於ひて日本國には其の精神的な価値こそが欠落して居たのだった。

其処では逆に精神的な価値こそが逆に限りなく胡散臭ひものともなるに及んだ。

 

だが精神こそが大事だ。

其れは昨今の日本社会の様々な乱れを実感するうちにさう気付かされるものだ。

 

江戸時代にも組織の腐敗や生の不条理は満ち満ちては居たが其の精神のあり方だけはまだしも健全さを保って居られた。

勿論其れは武士道があったからだらう。

 

対して今の日本社会には其の精神の流れが無ひ。

其の精神の流れが絶たれもはや誰でもが何でもありの功利性の部分へと走り込んで居るだけのこと。

 

要するに金と物は何処にもあるのだが其れが虚的な価値と化ししかも未来無きものへと化して仕舞って居る。

 

そんな精神論をいまぶっている場合か?

まさにいまぶっている場合なんだ。

 

 

重要なことはさうしてブータンでは國が其の國としての精神を規定していって居ることだ。

 

日本だってやったじゃなひか。

それこそ所得倍増計画だとか、かってはそんなものを出して居た筈だ。

 

だが果たしてそんなものが精神の流れか?

其の挙句に日本人が皆洗脳され所謂エコノミック・アニマル化したのではなかったか。

 

つまるところ戦後の日本には精神が無かった故に今拠り所を失って居るのだ。

其の精神論ならばズバリ三島 由紀夫か?

 

いや三島先生は変はって居るのだ、そんな自衛隊に決起を促したとて國防が成る訳でもあるまひ。

 

其の精神論ならばズバリ宮本 武蔵か?

其の精神論ならばズバリ藤岡 弘か?

 

藤岡 弘は何せ味わひが濃くて好きなのだが意外とマイホームパパで兎に角其処が面白く無ひ。

だが居合ひ切りの技はしかと持って御座るぞ。

 

 

元より國は、其の精神のあり方が大事である。

米國のやうに過激な進歩主義で行くにせよ中國のやうに共産党一党独裁で行くにせよ其れが其の國の精神であり国是である。

又は独逸のやうに先進工業国であることや英国のやうに近代的保守國家であることなどもまた其の國の精神であり国是である。

 

だが日本國は果たして先進工業国なのか伝統的國家なのか次第に何だか良く分からなくなって来た。

其れは戦後に於ひて価値が功利化しー合理化されー実利的なものを即物的に求め過ぎて来たからなのだ。=現世利益性の追求

 

だからもう良く分らぬ。

まだ儲けたひのに今後儲けられぬやうでは、エコノミック・アニマルとしての価値などもう其処に死んでるぞ。

 

実利的な価値は変化も激しひので其れは概ね期間の短ひ価値とならざるを得ぬ。

だからもう他の価値へとシフトすべきところに来て居るのだらう。

 

或はブータンのやうにGNH国民総幸福量を重視する國となってみてはどうか?

 

 

1015-46位、2016-53位、2017-51位、2018-54位、2019-58位、2020-62位 -世界幸福度ランキング2020より

 

と日本の國民総幸福度は年々下がって来て居る。

何が悪ひのかと言へば其れは政治が理念的に打開策を打ち出せぬ部分こそが悪ひのである。

要するに社会が悪ひのだ。

 

打開策どころか、自民党が政権に胡坐をかき権力闘争と云ふか問題行動ばかりを引き起こして居ること自体極めてレヴェルが低ひ話だ。

政府はほんたうは其れどころでは無い筈だらう!

 

第一高度経済成長期に敷設したインフラの劣化の問題を一体どう考へて居るのだ?

 

そんなオリムピックだカジノだのとアホかひな。

そんな浮かれた近代的価値に擦り寄るのではなく是非とも武士になりなされ。

 

つまりはもう政府+官僚機構が無能其のものだ。

何故君等は鎖国と云ふ素晴らしき前近代的価値にいまだ気付かぬのだ?

 

で、そんな無能な政府+官僚機構に対し世間のインテリ層はもう見限って居る訳だな。

だからそんな日本の國としての精神性の無さに絶望しドンドンかうして國民総幸福度は下がって行くのだった。

 

挙句の果てに今回のコロナ禍じゃった。

 

 

だが日本もブータンを見習ふことが實は出来るんだ。

其の鍵は質素倹約、まさに江戸期の幕政改革にこそあらう。

 

つまりもはや日本の成長などあり得ぬのだ。

 

成長、成長と言ってる奴は結局経済界や起業家などの馬鹿ばかりなのだ。

 

さうでは無く下山だ、下山。

かの五木 寛之先生のやうにもう下山するのだ。

 

凄ひな五木 寛之先生はまだ生きて御座ったのか。

 

下山とは低成長か若しくは現状維持と云ふことである。

だが資本主義とは成長を前提とする搾取経済のことだ。

 

なので資本主義などもう放棄すれば宜しひ。

どのみち今後多くの大企業が淘汰されて行くことだらう。

 

所詮大企業は虚の利益をさうして求め続けて行く。

大企業の飽くことなき欲望が地球其のものを搾取しつひには殺して仕舞ふのだ。

 

だからもうこれからは心を入れ替へ農業中心の國へと転換して行かう。

大企業はむしろこれから農業をやり其れに金を注ぎ込むことにて内部留保金を極力減らして行かう。

 

かうして質素倹約に努め自給自足にて是非今後の難局を乗り切って行かうではなひか。